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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

橘ふれあい公園  (2017年2月7日)(千葉県香取市) 

2月7日 公休日

この日は、香取市に出かけました。

佐原地区(旧・佐原市)をあとにして、向かった先は...............橘ふれあい公園



橘ふれあい公園は、県道山田栗源線より小高い丘にあります。
四季を彩る草花や昆虫、魚、野鳥など自然がたくさんあります。
公園内の出会いの広場には、広々とした芝生広場、さざなみきらめく橘堰や、
キャンプ場、釣り、水辺遊歩道などがあります。
憩いの森には、林間のアスレチック10種類や遊歩道などがあり、
水と緑の自然を生かした総面積約4haの公園で親しまれています。



随分と前からネットでこの公園の存在は知っていました。
いつか、近くへ行ったら立ち寄ろうと思っていて、本日やっと実現です。


駐車場も完備。
それでは、橘ふれあい公園の散策と参りましょう。

      20170207橘ふれあい公園01


橘ふれあい公園の案内図。
って言うか、この公園の一つの目玉は橘堰沿いの周遊散策路。

こちらを歩くのも一つの目的です。

      20170207橘ふれあい公02


公園案内図はこちらですが、もうほとんど把握出来ない状態。

      20170207橘ふれあい公03



まずは、芝生広場へ向かいます。

      20170207橘ふれあい公04



この芝生広場、実はキャンプ場のようです。

      20170207橘ふれあい公05

奥に見える四阿みたいな所が実は炊事場。



ロングリードの びいすけ は匂い嗅ぎに夢中。

      20170207橘ふれあい公06



芝生広場の脇には、橘堰。

      20170207橘ふれあい公07


      20170207橘ふれあい公08


今でこそ橘堰と呼ばれていますが、昔は溜池と呼ばれていたんでしょうか?

      20170207橘ふれあい公09

それにしても溜池改修記念碑とは笑えます。



文字がかすれて読めない標柱。

      20170207橘ふれあい公10

一応、橘堰は文化遺産か何かなんだろうか?



車止めがあるから、ここが周遊散策路のスタートになるのかな?

      20170207橘ふれあい公11


ロングリードの びいすけ のペースで進みましょう。

      20170207橘ふれあい公12


カエルか何かを見つけたのか?
普段は水辺に近寄らないくせに、なぜか水辺で匂いを嗅いでいます。

      20170207橘ふれあい公13

でも、やっぱりちょっと腰が引けている(笑)。


元気良くリードを引っ張り前へ進む びいすけ 。

      20170207橘ふれあい公14

今日は絶好調?


陽射しはあるけど、風はちょっと冷たい。

      20170207橘ふれあい公15



橘堰をバックに、パチリ☆。

      20170207橘ふれあい公16



いつしか堰も細くなり、川となり...............
裏を返せば、この川の水が橘堰となる。

      20170207橘ふれあい公17



川沿いの散策路を歩いていると左方の山が気になります。

      20170207橘ふれあい公18



頂部に柵があり、展望台のようにも見える。

      20170207橘ふれあい公19



橋を渡って、気になる場所に向かってみましょう。

      20170207橘ふれあい公20



ここから上がっていくみたいです。

      20170207橘ふれあい公21


元気良く駆け上がって行く びいすけ 。

      20170207橘ふれあい公22


      20170207橘ふれあい公23

ロングリードにしておいて良かったぁ。



こちらが頂部。
ベンチもあって休憩できます。

      20170207橘ふれあい公24


      20170207橘ふれあい公25



尾根沿いに散策路は続き、視界の先には四阿が見えます。

      20170207橘ふれあい公26



四阿で小休止。

頑張って上がってきた びいすけ にご褒美。
ワンコ用の豆乳ビスケット。

      20170207橘ふれあい公27


      20170207橘ふれあい公28


      20170207橘ふれあい公29

パクリンちょ。



引き続き、尾根沿いに歩いて橘堰方向へと向かいます。

      20170207橘ふれあい公30


      20170207橘ふれあい公31



その先に在った四阿。
ここからなら、橘堰が見えます。

      20170207橘ふれあい公32



尾根沿いに歩き、その後一気に下れば、
そこには案内板。

      20170207橘ふれあい公33



どうやら、橘ふれあい公園の敷地内にある『憩いの森』の一部を
散策していたようです。

      20170207橘ふれあい公36




駐車場のある橘堰までは、あと少し。

      20170207橘ふれあい公34



ようやく橘堰も見えてきた。

      20170207橘ふれあい公35


  
約1時間半の散策。
それなりに楽しめました。


    
2017/03/13 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

第12回 さわら雛めぐり   (2017年2月7日)(千葉県香取市) 

2月7日  公休日

毎年、この時期に町おこしの一環で各地で開催されるひなまつり。
この日は、香取市の『 さわら雛めぐり 』に出かけました。

『さわら雛めぐり』は、今年で12回目を迎え
香取市でも小江戸と呼ばれる旧・佐原市の古い町並みの商家の店先に
ひな人形が飾られています。
毎年、この時期の風物詩で、今年は2月4日から3月26日まで開催されています。

今年で12回目となる『 さわら雛めぐり 』は、佐原おかみさん会が主催となり
古い町並みの商家に伝わるひな人形を店先に飾る行事で
佐原の町興しの一環を担っているようです。

この『さわら雛めぐり』も、毎年楽しみにしているイベントの一つです。


例年のようにJR佐原駅から旧商家の並ぶ小野川沿いまで散策してみましょう・

      20170207さわらの雛めぐり01



佐原駅構内の観光案内所で、『さわら雛めぐり』のパンフレットを貰います。

      20170207さわらの雛めぐり02


      20170207さわらの雛めぐり03



昔は、それなりに活気があったと思われる佐原駅前ですが
今や、かなりの商店がシャッターを下ろしていて、活気がない。
平日だからなのか?

そして、開いている商店の全てがひな人形を飾っているわけでも無い。


とりあえずは、駅前の商店街のひな人形。

      20170207さわらの雛めぐり04


      20170207さわらの雛めぐり05


    

      20170207さわらの雛めぐり06


      20170207さわらの雛めぐり07


      20170207さわらの雛めぐり08


2月4日に始まったばかりの『さわら雛めぐり』
まだ4日目だからか?
数年前は、ひな人形を飾っている商店がもっとあったような気がします。
気のせいかなぁ?


駅前から小野川沿いの古い町並み(佐原の一番のウリ)へと向かいます。


閑散とした、佐原の町。

      20170207さわらの雛めぐり09


商店は開いて無いし...............

      20170207さわらの雛めぐり10


人通りもほとんど無い。

      20170207さわらの雛めぐり11



それでも、ひな人形を飾っている商店の前で
びいすけ と一緒にパチリ☆。

      20170207さわらの雛めぐり12


      20170207さわらの雛めぐり13



小野川沿いに到着。

東日本大震災で佐原の古い町並み、古い家屋もかなりのダメージを受けました。
あれから間も無く6年。

ここにも、古い商家が在ったのですが、取り壊されていました。

      20170207さわらの雛めぐり14


そうは言っても、佐原と言えば、小野川沿いの景観。
しばし、小野川沿いを散策いたしましょう。

      20170207さわらの雛めぐり15


通称、ジャージャー橋。

      20170207さわらの雛めぐり16

画像には写ってないけれど、この時 びいすけ の左側には
中国人の団体がピーチク、パーチクとまぁうるさいこと(笑)。



ささっさ〜と写真を撮って退散です。

      20170207さわらの雛めぐり17

本当は、伊能忠敬旧家に飾られていたひな人形を見たかったんだけど...............



団体さんを避けて先を急ぎましょう。

      20170207さわらの雛めぐり18


      20170207さわらの雛めぐり19


去年も見かけた、小野川の船着き場に飾られたひな人形。

      20170207さわらの雛めぐり31


      20170207さわらの雛めぐり32


      20170207さわらの雛めぐり33



この橋を渡って対岸の道を歩くつもりでいたら...............

      20170207さわらの雛めぐり34



対岸の小野川沿いの道は通行止め。

      20170207さわらの雛めぐり35



仕方ないから、今来た道を戻ります。

      20170207さわらの雛めぐり36


      20170207さわらの雛めぐり37



小野川沿いから県道沿いの商家をひな人形を探しながら歩きますが

      20170207さわらの雛めぐり20


      20170207さわらの雛めぐり28


      20170207さわらの雛めぐり29


      20170207さわらの雛めぐり30



商家や商店に飾られているひな人形が本当に少ない。
開いている商店も少ないし...............

どうやら、足並みが揃っていないみたいです。

そんな時は、『佐原まちぐるみ博物館』を覗いてみましょう。

びいすけ は入れないから、外で待機してもらいます。



佐原まちぐるみ博物館で展示されているひな人形。

      20170207さわらの雛めぐり21


      20170207さわらの雛めぐり22


      20170207さわらの雛めぐり23


      20170207さわらの雛めぐり24


      20170207さわらの雛めぐり25



ミニチュア版ですが、佐原の商家の復元模型。

      20170207さわらの雛めぐり26


      20170207さわらの雛めぐり27






佐原には、古くからの造り酒屋が二軒あります。

その内の一軒、『馬場本店酒造』。

      20170207さわらの雛めぐり38


こちらは、酒蔵手前に江戸時代、明治、大正、昭和と
各年代のひな人形が飾られています。

      20170207さわらの雛めぐり39


      20170207さわらの雛めぐり40


      20170207さわらの雛めぐり41



もう一軒は、『東薫酒造』。

こちらは、まだひな人形は飾られていません。
2月12日頃に展示するらしい。


せっかくだから、お土産に酒饅頭をゲット。

      20170207さわらの雛めぐり42


観光案内所や佐原まちぐるみ博物館は『さわら雛めぐり』に力を入れているようですが

足並みが揃っていないと言うか、足並みが揃えられないなら
何も2月4日から始めなくても2月中旬とか2月末から始めれば良いのに...............

毎年楽しみにしていたのに、今年の『さわら雛めぐり』には
ちょっぴり、いや、かなりガッカリです。





2017/03/12 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........紫尾小学校 酒寄分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は茨城県の桜川市に出かけました。


羽鳥分校をあとにして、向かった先は...............旧・真壁町立紫尾小学校 酒寄分校


酒寄分校も、なかなか情報もなく、
詳しい沿革もわかりません。

ただ、不思議なのは旧・真壁町立紫尾小学校の分校でありながら
昭和55年に真壁小学校に統合されて廃校になっていますが、
本来なら、本校である紫尾小学校に統合されるのが
自然な成り行きだと思うんだけど...............


詳しい場所も分からず、車で酒寄地区を徘徊して(かなり徘徊しました。)
偶然(探していたから、偶然じゃないか?)視界に入ってきた風景。

      20170206酒寄分校01



そうです。紛れもなく酒寄分校の正門です。

      0170206酒寄分校02


背の低い門柱。

      0170206酒寄分校03


門柱には、古い表札が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校04



もう片方の門柱には寄贈者の名が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校05



校舎は解体されていて、跡形もない。

      0170206酒寄分校06


しかしながら、学校跡地の雰囲気は満載。

      0170206酒寄分校07


いかにも分校と言うコンパクトな敷地。
びいすけ も、はいポーズ☆パチリ。

      0170206酒寄分校08


      0170206酒寄分校09



バスケットボールのリング。

      0170206酒寄分校10

分校時代のモノでしょうか?



子供たちがボールをぶつけていたであろう板。

      0170206酒寄分校11



なぜか、校庭跡に転がっていたボール。

      0170206酒寄分校12



遊具として残っている鉄棒。

      0170206酒寄分校13

年季(古さ)から言って、分校時代のモノと思われます。



敷地の外周をとりまく桜の木々。

      0170206酒寄分校14



この辺りは学校跡地を彷彿させます。

      0170206酒寄分校15



敷地の一角にある藤棚。

      0170206酒寄分校16



酒寄分校の名を残すモノは、門柱の表札のみ。
酒寄分校より20年前に廃校になった羽鳥分教場に記念碑が在ったことを思うと
酒寄分校の碑が無いのは、やっぱり残念だなぁ。





2017/03/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........紫尾小学校羽鳥分教場  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

旧・真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場


羽鳥分教場は、

明治6年      羽鳥村に羽鳥小学校誕生。
明治13年     羽鳥小学校創立。
明治23年     紫尾尋常小学校に合併され、紫尾尋常小学校羽鳥分教場となる。
昭和22年     学制改革により、紫尾村立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和29年     紫尾村・谷貝村・樺穂村と合併し、新たな真壁町が発足。
           真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和33年     真壁小学校に併合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


今から60年近く前に廃校となった羽鳥分教場。
現在、その敷地は地域の公民館(羽鳥会館)として活用されています。


何せ、今から60年近く前(正確には59年前)に廃校になっているから
あまり期待はしていませんでした。

しっかりと、その敷地には門柱が残っていました。

      20170206羽鳥分教場01



石造りの古い門柱。

      0170206羽鳥分教場02



良く見ると、昭和10年に造られたモノのようです。

      0170206羽鳥分教場03



もう片方の門柱には、寄贈者の名が刻まれていますが
風化して読み取ることは出来ませんでした。

      0170206羽鳥分教場04

   

石造りの門柱に桜の木。
そして背後には分校の校舎っぽくみえる建物。

      0170206羽鳥分教場05




雰囲気は満載ですが、残念ながら建物は校舎ではありません。
何せ、60年近く前の廃校ですから、建て替えられています。

      0170206羽鳥分教場06



いかにも、廃校跡地に建てられた公民館って感じです。
      
      0170206羽鳥分教場07


      0170206羽鳥分教場08



敷地境界のフェンス沿いに建てられた碑。

      0170206羽鳥分教場09



『羽鳥分教場跡 碑』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場10



碑の正面に廻ってみましょう。

      0170206羽鳥分教場11



沿革も刻まれた、平成4年に建てられた碑。
こちら側には『羽鳥分教場之跡』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場12


驚くことに、この碑には両側面にも碑文が刻まれています。

      0170206羽鳥分教場13


      0170206羽鳥分教場14


      0170206羽鳥分教場15

ぎっしりと並べられた碑文を読むと、
いかに羽鳥分教場が地元に愛されていたのかが分かるような気がします。


今や廃校跡地の定番。
消防倉庫。

      0170206羽鳥分教場16


地域の集会所であり、リサイクル資源の保管所でもあるから
敷地の一角にはコンテナに入った空き瓶や空き缶が積まれていたりして
お世辞にも良いロケーションばかりでは無い。

しかしながら、この門柱と桜の木のアングルは
何故か気に入ってしまいました。

      0170206羽鳥分教場17


分教場の遺構は、石造りの門柱しかないけれど
4面にいっぱい碑文が刻まれた記念碑を見ると
分教場が、この地域のランドマークだったのが敏感に感じ取れ
愛された学校だったんだなと思わずにはいられません。


2017/03/10 Fri. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........大和西小学校高久分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市を訪れた最たる目的は『真壁のひなまつり』でしたが
桜川市には、数校の廃校があるので、廃校巡りも堪能しました。

桜川市の廃校巡りの第一弾。

旧・大和村立大和西小学校高久分校 です。



大和西小学校高久分校は

大正2年      大国尋常小学校高久分校として設立される。
昭和22年     学制改革により、大国村立大国小学校高久分校ど改称する。
昭和29年     大国村が雨引村と合併して大和村が誕生。
           大和村立大和西小学校と改称する。
昭和41年     本校と統合し、高久分校は廃校どなる。

と、このような沿革となっています



今から51年前に廃校となった高久分校。
この場所も探すのに苦労しました。

とりあえず、高久地区の公民館、集会所の3ヶ所にアタリを付け、
順番に回ります。
しかしながら、どちらもそれっぽい雰囲気。
決め手になったのが、こちらの門柱。

      20170206高久分校01



この門柱を見て、こちらが高久分校だと確信しましたが
念のために、たまたま近隣に住む初老の男性に訊いてみたら
こちらが分校跡地だという事でした。

      20170206高久分校02


石造りの門柱。
大正7年に設置されたモノのようです。

      20170206高久分校03



校舎はとっくに解体されて、現在は建て替えられ、
『中根ふるさとコミュニティセンター』として利用されています。

      20170206高久分校04


      20170206高久分校05



敷地そのものがそんなに広くないから
分校時の校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。

      20170206高久分校06



敷地内の遊具類。

果たして、50年前のモノだろうか?

      20170206高久分校07


      20170206高久分校08


      20170206高久分校09


      20170206高久分校10



学校跡地の証し(?)とも言える桜の木。
隣に置かれた焼却炉は分校時代のモノだろうか?

      20170206高久分校11



敷地の一角には消防倉庫。

      20170206高久分校12

消防倉庫や防災倉庫は、廃校跡地の定番とも言えます。



門柱は残っているけれど、表札は無いし
高久分校の名を残すモノは何もない。
せめて、廃校記念碑とか学校跡地の碑があれば...............

ちょっぴり、残念。



2017/03/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 雨引観音 》   (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


五所駒瀧神社をあとにして、向かった先は...............茨城百景 雨引観音

昭和25年に制定された茨城百景。
そもそも、 つ茨城県観光審議会が選定した100の景勝地です。

桜川市にある雨引観音も茨城百景に選定されています。



雨引観音は正式には雨引山楽法寺と名称で、
中国から帰化した法輪独守居士が587年に開山したと伝えられる古刹です。
聖武天皇、光明皇后の帰依が厚く、その後、弘法大師によって真言宗の道場となりました。
現在は安産子育ての霊場として広く知られる関東屈指のお寺です。
桜の名所でもあり、また6月には「あじさい祭」も開かれます。


『 茨城百景 雨引観音 』の碑は、雨引観音の門前辺りにあるのかと思えば、
それが、また遠く離れた場所に在りました。

旧・筑波鉄道雨引駅跡に在りました。

      20170206茨城百景 雨引観音01



『 茨城百景 雨引観音 』の碑です。

      20170206茨城百景 雨引観音02

良く良く考えてみたら、茨城百景が制定された昭和25年当時は
まだまだ車社会ではなく、鉄道を利用する時代だったんですね。
その為、駅前とか駅のホームに百景の碑が建っていたんですね。


旧・雨引駅にも旧・真壁駅同様、立派な桜の木が多い。

      20170206茨城百景 雨引観音03


雨引駅は、筑波鉄道の廃線後、つくばりんりんロードの
雨引休憩所となっています。

      20170206茨城百景 雨引観音04



ホームの形態は往時のままですね。

      20170206茨城百景 雨引観音05


      20170206茨城百景 雨引観音06



雨引駅から数キロ先。
曲がりくねった道を走り、雨引観音の駐車場に到着。

それなりの高さだから、駐車場からの景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音07


      20170206茨城百景 雨引観音08



では、雨引観音を探索いたしましょう。


いきなり、視界に入った看板。

      20170206茨城百景 雨引観音09

引き綱(リード)を離すな=ノーリードにするな!と言うことは
基本的には犬連れOKなんですね。
ちょっぴり安心。

社寺仏閣によつては、敷地内ペット禁止なんて言うのもあるからね。



それでは、正面から入りましょう。


立派な薬医門の脇に建つ寺号標。

      20170206茨城百景 雨引観音10



そして薬医門の反対側の脇には、物凄く大きな石灯籠。

      20170206茨城百景 雨引観音11

びいすけ と比較してみると、少しは大きさが分かるかな?


そして、立派な立派な薬医門。

      20170206茨城百景 雨引観音12

実は、この門は真壁城の薬医門。
真壁城が廃城後に移築されたらしい。


城門に相応しい、重厚な門です。

      20170206茨城百景 雨引観音13


      20170206茨城百景 雨引観音14



石段を上って行きましょう。

      20170206茨城百景 雨引観音15

この石段は俗に厄除けの石段と言われ、
一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、
145段を登りつめた時、厄が落ちると言われているそうです。

正式には、磴道(とうどう)と言うらしい。



石段途中に見える鐘楼堂。

      20170206茨城百景 雨引観音16


      20170206茨城百景 雨引観音17



石段からちょっぴり脇に逸れれば、子安地蔵堂。

      20170206茨城百景 雨引観音18


      20170206茨城百景 雨引観音19



石段を上って辿り着いた仁王門。

      20170206茨城百景 雨引観音20


      20170206茨城百景 雨引観音21


仁王門の扁額。

      20170206茨城百景 雨引観音22



石段途中で見かけた椎の巨木。

      20170206茨城百景 雨引観音38


『宿椎』と言うらしい。

      20170206茨城百景 雨引観音37




さらに石段を上りきれば、雨引観音の本堂(観音堂)です。

      20170206茨城百景 雨引観音23


      20170206茨城百景 雨引観音24


扁額もズバリ、『観音堂』。

      20170206茨城百景 雨引観音25

そのまんまだし(笑)。


雨引観音の歴史の書かれた説明板。

      20170206茨城百景 雨引観音26


由緒書きの碑。

      20170206茨城百景 雨引観音27



こちらは、東照宮。

      20170206茨城百景 雨引観音29


      20170206茨城百景 雨引観音28


      
こちらは、多宝塔。

      20170206茨城百景 雨引観音30


      20170206茨城百景 雨引観音31

ネットで近隣の大きな寺院を調べてみると
この地域には三重塔のような多宝塔が在る寺院が多いようです。
地元ではあまり見かけないから、ちょっぴり新鮮に感じたりします。



こちらは、奥の院(客殿)。

      20170206茨城百景 雨引観音32




そして、六角堂

      20170206茨城百景 雨引観音33


六角堂の本尊は薬師如来。

      20170206茨城百景 雨引観音34



本坊前の見晴台(展望台)。

      20170206茨城百景 雨引観音35


さすがに景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音36



時代(月日)が流れて、雨引観音の仏閣が建て変わっても
この場所から眺める景観は、きっと変わらないんだろうなぁ。
この不変さこそ、茨城百景の名に相応しいと感じたりします。







      

2017/03/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

五所駒滝神社  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

真壁氏累代墓地及び墓碑群をあとにして、向かった先は...............五所駒瀧神社


まぁ、向かったと言っても、すぐ隣なんですけどね(笑)。




五所駒瀧神社は、
創建は1014年(長和3年)、三条天皇の御代と伝えられます。
真壁富士権現山の山懐に一条の瀧があり、地元の村人らが、
五穀豊穣を願ってこの瀧の近くに祠を祀ったのが始まりと言われています。
村人からは明神様としてあがめられ、この瀧に馬がたびたび現れたことから
駒下瀧と呼ばれるようになり、この祠も駒下瀧明神と呼ばれるようになったそうです。
1172年(承安2年)、初代真壁城主・真壁六郎長幹が駒下瀧明神を真壁の総社としました。
地元では厄除けの神社として知られています。
五所駒瀧神社の祭礼は、「真壁祇園祭」とも呼ばれ、
京都の祇園京都の祇園祭とはルーツの違う祭礼で、独自の伝統を持っています。
また、同じく「かったて祭」は、権現山の神様に火を奉納する祭りで、
多くの氏子らが松明をもって権現山に登る独自の祭りです。




五所駒瀧神社の入口には、こんな石碑。

      20170206五所駒瀧神社01

『千年の風』

俳優の川津祐介氏の寄稿による碑文です。




こちらは、『百世清風』の碑。

      0170206五所駒瀧神社02

『百世清風』とは「高麗国王が中国・南宋の学者、朱子に求めた書」で、
「永遠に続く清い国づくり」を願う心を示したものだそうです。

なぜか、風にまつわる碑が多い?





一の鳥居の脇に建つ社号標。

      0170206五所駒瀧神社03

こちらには、 『 祈願所 五所神社 』となっています。




こちらが、一の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社04


割と新しく見える神額も『五所神社』の表記。

      0170206五所駒瀧神社05

あれ?
『五所駒瀧神社』じゃなかったっけ?



五所駒瀧神社は『真壁のひなまつり』の会場でもあるようです。

      0170206五所駒瀧神社06



参道に木々が茂り、厳かな雰囲気が漂います。

      0170206五所駒瀧神社07

画像だと木洩れ陽が強くて、そんな風には見えないけれど
曇りの日ならば、違った感じに映るんだろうなぁ。



参道には石碑類が多い。


こちらは、『駒鳴石』。

      0170206五所駒瀧神社08

この神社の社より芦毛の駒が現れ出て、石を踏み嘶いたと言われ
その蹄の跡が残った岩だと伝えられているそうです。



こちらは、二の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社09


こちらの神額には『五所駒瀧神社』の文字。

      0170206五所駒瀧神社10



『千年の森』の碑。

      0170206五所駒瀧神社11

五所駒瀧神社は、1014年の創建。すなわち1000年を超える歴史を持ち
その境内や周辺の森は1000年の森ど呼ばれているそうです。
まさに、鎮守の森と言ったところです。


さらに参道を進めば、三の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社12



こちらの神額は、『五所駒瀧神社』と読むのだろうか...............?

      0170206五所駒瀧神社13

達筆すぎて(?)判読不明。



こちらは『さざれ石』。

      0170206五所駒瀧神社14

日本の国家『君が代』にも出てくる『さざれ石』。
あの『さざれ石』は、岐阜県春日村にある天然記念物の石ですが
こちらにも、『さざれ石』がありました。

まぁ、『さざれ石』は、漢字で表すと『細石』となり
細かい小さな石と言う意味です。

君が代では、細かい小さな石が長い年月をかけて、
巌という大きな石になるまでの大きな年月を示すものとして
引き合いにされているようです。




こちらは、百度石。

      >0170206五所駒瀧神社15

算盤の珠のように、リングが動くようになっていて
お百度参りの時に回数を数えていくのでしょう。



やがて、目の前に現れる拝殿。

      0170206五所駒瀧神社16



拝殿に掲げられた神額。

      0170206五所駒瀧神社17



そして、境内。

      0170206五所駒瀧神社18

深い森に囲まれ、陽射しも遮られ、季節柄冷んやりとします。
その冷んやり感が、厳かな感覚を高めます。

まさにパワースポット、ここに在り!



こちらの建物は、神輿の格納庫。

      0170206五所駒瀧神社19

毎年旧暦6月13日~15日に催される『祇園祭り』に使われる神輿が保管されています。



『景勝地 五所駒瀧神社』と記された社号標。

      0170206五所駒瀧神社20

確かに景勝地と呼ぶに相応しい場所かもしれない。

素朴な疑問なんですが...............

なぜ、この五所駒瀧神社が茨城百景の包括地に入らなかったんだろう?



おっと、忘れていた。
肝心の『真壁のひなまつり』のひな人形ですが、
藁葺きの屋根の社務所に飾られています。


さすがに、 びいすけ を連れて社務所の庭に入って行くのには気が引けましたが
せっかくだから、声を掛けて中に入ります。

こちらが、ひな人形。

      0170206五所駒瀧神社21

びいすけ は、ここまで。



父さんは、さらに一歩、また一歩踏み込んで...............。

      0170206五所駒瀧神社22



目的のひな人形も見たことだし、
ゆっくり参道を歩きながら、駐車場に戻りましょう。

      0170206五所駒瀧神社23



参道脇で見つけた案内板。

      0170206五所駒瀧神社24

五所駒瀧神社は、富士権現山の登山口でもあるようです。
残念ながら、現在は整備中?


イノシシの被害もあるようなので、電流ワイヤーが敷かれ、立ち入り禁止。

      0170206五所駒瀧神社25




知らずに突き進んでいたら、感電しちゃったかもしれません。
あ〜くわばら、くわばら(笑)。


2017/03/08 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

真壁氏累代墓地及び墓碑群 (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

茨城百景『伝正寺と真壁城址』(?)の真壁城址から向かった先は...............

          真壁氏累代墓地及び墓碑群


真壁城の南約800mに真壁氏の氏寺と伝える遍照院正得寺があります。
その境内には、40基の五輪塔群があります。
塔高150cm前後と中型ですが、造塔技法からみて、鎌倉時代から戦国時代のものと思われます。
銘文などは読みとれませんが、真壁氏の墓碑群と確認されています。

せっかく真壁城址に立ち寄ったんだし、素通りするのも味気ない。
それに遍照院に隣接する場所にも立ち寄りたかったからちょうど良い。


遍照院の敷地内?
本堂脇にある、いかにもそれっぽい土壇。
ここが、真壁氏累代墓地及び墓碑群のようです。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址29




こちらが、遍照院の山門。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址23

墓地の間を通って本堂へと導いてくれます。


この石段の先が本堂。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址24



こちらが本堂。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址25



本堂に掲げられた扁額。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址26



本堂を別アングルから。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址27



本堂脇に建っている遍照院の由緒書き。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址28


      
本堂脇の土壇に上がってみると、やはりそこは真壁氏累代墓地でした。

土壇の建つ標柱。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址30


立派な説明板碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址31



数えていないから、本当に40基あるのか分からないけれど、
確かに多く並ぶ五輪塔群。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址32



これらが、歴代の真壁氏の墓石と言うのだから圧巻です。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址33


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址34


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址35


真壁氏はもともと常陸平氏の宗族にして
常陸国府の有力在庁官人であった大掾氏を祖とする一族でした。
平安時代末期に生まれた武家であり、祖である真壁長幹が多気氏の四男でした。
分家するにあたり真壁郡に領地を得て、真壁城を築城して
次第に真壁郡を中心として、真壁氏の勢力基盤が形成されるようになりました。

源頼朝が東国において自立した際、当初は積極的な関与をしなかったものの、
後にこれに臣従し、真壁郡の大半を占める真壁荘地頭に任じられ、
鎌倉幕府の御家人として活動するようになりました。

南北朝時代を向え、真壁氏は当初は南朝方で活動していたようですが、
のち北朝方になり、足利尊氏のもとに参じました。

また、戦国時代には佐竹氏や南関東を制圧した北条氏との間をうまく渡り歩き、
最終的には佐竹氏の家臣となって活躍しました。

しかし、主君である佐竹義宣が関ヶ原の戦いに西軍方となった咎で
出羽国秋田に転封となると、真壁氏はこれに随行しました。
こうして、平安時代から徳川幕府の成立した江戸時代初期までの四百数十年の間、
真壁氏はこの地の領主として君臨していたそうです。

確かに四百数十年も一つの地に居れば、40基の墓石にもなるでしょう。
これもまた、一つの歴史ですね。




2017/03/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 伝正寺と真壁城址 》   (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は茨城県の桜川市、旧・真壁町に出かけました。
真壁に来た最たる目的は、『真壁のひなまつり』ですが
車を停めたのは、つくばりんりんロードの真壁休憩所の駐車場。

つくばりんりんロードは、かつて土浦駅と岩瀬駅を結んでいた路線である筑波鉄道の廃線跡で
真壁休憩所は、真壁駅が在った所です。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址01


実は、この旧・真壁駅の構内に茨城百景の碑が建っています。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址02


こちらが、茨城百景の碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址03


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址04

昭和25年に制定された茨城百景では
『伝正寺と加波足尾』の筈?
こちらの碑は『伝正寺と真壁城址』になっている。

いつから変わったんだろう(笑)。


真壁休憩所は、真壁駅の面影を残しています。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址05


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址06



では、茨城百景を巡りましょう。
本来の『茨城百景 伝正寺と加波足尾』だと包括地区が
真壁城址,加波山神社となっています。


まずは、伝正寺。

伝正寺は、「どっこい真壁の伝正寺」で知られているそうですが
全く知らなかった...............。
1268年、真壁城主・真壁時幹が法心禅師(真壁平四郎)のために建てた寺だそうです。
初代真壁藩主・浅野長政の菩提寺としても有名で、
境内には長政夫妻の墓や浅野本家最後の城主・長勲夫妻の石像があるそうです。


ところが、伝正寺に来てびっくり⁉️。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址07

参道には通行止めの看板。


山門は朽ち果て、雑草が茂り荒廃している。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址08


別な導線があるのかと、回りこんでみると
今度はこんな看板。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址09

どうやら、東日本大震災でかなりのダメージを受けたようです。

とは言っても、あれからもうすぐ6年が経つ。
まだ復旧作業をしているの? と思いながら敷地内に入ってみると...............

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址10



確かに本堂や鐘楼は工事中。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址11

境内には大小様々な石碑類が横倒しになっていました。
まだまだ復旧作業が完了するには時間が必要なようです。



伝正寺は諦め、真壁城址に移動しましょう。


真壁城址は以前訪れたことがあります。
前回はじっくり探索したので、今回は主郭(本丸)周辺をさらっと回ってみます。


二の丸にある真壁城址の看板。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址12


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址13


この日は風が強かった。

元々、筑波の山から吹きさらす風が強いのか?
いつになく、 びいすけ の耳が揺れています。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址14



加波山をバックに一枚。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址15


二の丸の土塁と空堀。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址16




本丸にて。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址17


説明板の縄張り図。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址18


本丸には二基の城址碑。

こちらは古い方の城址碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址19

『真壁城址』と刻まれています。


こちらは、平成6年に建てられた新しい城址碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址20

こちらには『真壁城跡』と刻まれています。
実は、この年(平成6年)に真壁城は国指定史跡に登録されました。
その記念に新たに建てられたのでしょう。



本丸と二の丸に架かる土橋。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址21



そして、本丸の土塁。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址22


確か、前回訪れたのが2013年。
今から5年前。
あの当時も発掘調査と史跡公園整備事業が進められていたけれど
未だに調査は終わっていないようです。

伝正寺の復旧作業と言い、真壁城址の発掘調査と言い
果たして何年も掛けて行うものなんだろうか?

ひょっとしたら地域性なのかな?などと思いながらも
茨城百景『伝正寺と真壁城址』(?)これにて制覇です。




2017/03/06 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........《番外編》 旧・樺穂小学校校舎  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市の真壁(旧・真壁町)。

真壁の町割りは、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、
江戸時代初期の浅野氏時代に完成したと言われています。
枡形と呼ばれる城下町特有の交差点が現存し、
その町割りの中に、蔵や門などの歴史的建造物が息づいています。
現在、99棟が国の登録文化財となっています。
平成22年に、この真壁地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
全国で87地区目で、関東地方では4地区になり、茨城県内では初となります。
現在、99棟が国の登録文化財となっているそうです。

毎年、その伝統的な真壁の町並みで、ひなまつりが開催されていますが
その真壁の重要伝統的建造物群の中に、
旧・樺穂小学校の校舎が在ると言うことで訪ねてみました。



とは言うものの、実は簡単に見つかると思っていたら
なかなか見つけられませんでした。
それもそのはず、個人の庭先と言うか、敷地内に在りました。

      20170206旧・樺穂小学校校舎01


一応、個人の敷地内なのでお断り(了承を頂いて)して
敷地内ぬ入らせてもらいました。

      20170206旧・樺穂小学校校舎02


旧・校舎の前には案内板。

      20170206旧・樺穂小学校校舎03


しっかりと『旧 樺穂小学校』 校舎 と記載されています。

      20170206旧・樺穂小学校校舎04


地元の方の話だと、工房か何かで使用されている建物らしいが
まさか、旧・樺穂小学校の校舎だとは知らなかったそうです。

確かに敷地内の奥にあるから、通りからパッと見じゃ分かりませんね。



渡り廊下は荷物置き場?

      20170206旧・樺穂小学校校舎05



裏側に回れば、校舎らしい窓。

      20170206旧・樺穂小学校校舎06


      20170206旧・樺穂小学校校舎07


この先は完全に、こちらのお宅の庭先になるので
さすがに行けません。


どう言った経緯で、この地に校舎が移転(移設)されたかは分かりませんでしたが
ネットで調べてみたら...............

飯泉家の敷地に現存する樺穂小学校旧校舎は、
昭和20年代後半に廃止された東校舎1棟で、
飯泉家の先々代が購入し、現在地に移築したそうです。
昭和50年頃まで飯泉和洋裁学院校舎として使用していたそうです。


いずれにしても重要伝統的建造物群の一つであるようですから
このまま後世に残されて行くのでしょう。



2017/03/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

-和の風 第十五章- 真壁のひなまつり  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

個人的な3連休初日。

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


目的は、ズバリ! 真壁のひなまつり


真壁のひなまつりは、
平成15年2月に始まり、今回で15回目を迎えます。

今年は、開催期間は2月4日~3月3日です。
地域有志の皆さんが、歴史的建造物を後世に伝えようと、
町並み保存団体を立ち上げてから23年。
長年にわたる地域の皆さんと行政が一体となった、
伝統とおもてなしの町づくりの一環のイベントで
毎年、この時期に開催されます。

今年は民家やお店の約160件以上にひな人形が飾られています。


かく言う私も、数年前からほぼ毎年訪れています。
( 2016年の記事は こちら
( 2015年の記事は こちら
( 2013年の記事は こちら


今年は始まって3日目だし、平日だから
駐車場には困らない。
つくばりんりんロードの真壁休憩所の駐車場に車を停めて
『真壁のひなまつり』の散策開始です。

      20170206真壁のひなまつり01



いつものように、最初のひな人形は『桜井精肉店』。

      20170206真壁のひなまつり02

今年は、桜井精肉店のおばちゃんが、 びいすけ のリードを持ってくれてのひな人形。


当然、コロッケは散策のお供。

      20170206真壁のひなまつり03


午前10時。
平日で人通りがほとんど無い、真壁の町並みを歩きます。

お店の中には犬連れでは入れないから
ガラス越しにひな人形を眺めて行きます。

      20170206真壁のひなまつり04


      20170206真壁のひなまつり05


      20170206真壁のひなまつり06


      20170206真壁のひなまつり07


      20170206真壁のひなまつり08


      20170206真壁のひなまつり09




真壁の古い町並みの代表格でもある 伊勢屋旅館。

      20170206真壁のひなまつり10


      20170206真壁のひなまつり11



この辺りも古い町並みのメッカなんだけど
人が居ない...............。

      20170206真壁のひなまつり12

とは言え、真壁の古い民家や商家の建物に幾つかが
東日本大震災でかなりのダメージを受けたのも事実。
建て替えられた建物も多い。



ぶら〜りとゆっくりとしたペースで各商店に飾られたひな人形を眺めながら
真壁の町並みの散策は続きます。

      20170206真壁のひなまつり13


      20170206真壁のひなまつり14


      20170206真壁のひなまつり15


      20170206真壁のひなまつり16


      20170206真壁のひなまつり17




こちらの建物の二階に注目。

      20170206真壁のひなまつり18


何と、こんな場所にひな人形に飾られています。

      20170206真壁のひなまつり19



さらに、ズームアップ。

      20170206真壁のひなまつり20

立派なひな人形です。



各商店が趣向を凝らして展示しています。

      20170206真壁のひなまつり21


      20170206真壁のひなまつり22


      20170206真壁のひなまつり23


      20170206真壁のひなまつり24


      20170206真壁のひなまつり25


      20170206真壁のひなまつり26


      20170206真壁のひなまつり27


      20170206真壁のひなまつり28




こちらは、ひな人形じゃないけれど
昭和の雰囲気ぐ満載の看板。

      20170206真壁のひなまつり29



さらに、ひな人形巡りは続きます。

      20170206真壁のひなまつり30


      20170206真壁のひなまつり31


      20170206真壁のひなまつり32


      20170206真壁のひなまつり33


      20170206真壁のひなまつり34


      20170206真壁のひなまつり35


      20170206真壁のひなまつり36


      20170206真壁のひなまつり37


      20170206真壁のひなまつり38


      20170206真壁のひなまつり39


      20170206真壁のひなまつり40


      20170206真壁のひなまつり41


      20170206真壁のひなまつり42



時刻はまもなく12時になろうとしている。
気がついたら2時間近く経とうとしている。

相変わらず、この日の真壁の町並みは閑散としています。

      20170206真壁のひなまつり43

もっとも、犬連れで歩く分には、空いてて良いんだけどね。


毎年、コロッケと煎餅と今川焼きの食べ歩きをしているんだけど
去年から、煎餅屋さんがお店を開いていない。

これも時代の流れか...............?


ならば、今川焼き。

      20170206真壁のひなまつり44


びいすけ も、ちゃっかりご相伴。

餡子の無い所ね。

      20170206真壁のひなまつり45


      20170206真壁のひなまつり46


      20170206真壁のひなまつり47


今年も『真壁のひなまつり』、しっかり堪能させてもらいました...............。




2017/03/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

戸頭西小学校をあとにして向かった先は...............旧・取手町立戸頭小学校


戸頭小学校は、

明治7年に開校。

明治17年    永山小学校の分教場となる。
明治20年    下高井尋常小学校に統合。

明治22年    戸頭小学校として開校。
明治44年    戸頭尋常小学校と改称。
昭和22年    稲戸井村立戸頭小学校と改称。
昭和30年    稲戸井村が取手町に統合され、取手町立戸頭小学校と改称。
昭和35年    永山小学校と統合し、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実は、この戸頭小学校に辿り着くまでに苦労しました。

以前、ネットで調べた時に、
戸頭小学校は現在の『とがしら公園』にあったような書き込みがあったので
とがしら公園に行き、色々と探し回っていました。
散歩に来ていた初老のオジさんに聞いても
『この公園に小学校が在ったような話は聞いたことがない』と言われながらも
必死で学校の痕跡を探していました。

今度は、公園のボランティアのオジさんに話を聞いてみると
とがしら公園から10分ほど歩いた場所に戸頭神社があり、
その裏手が、戸頭小学校跡と言うことです。
現在は、戸頭小学校跡地に立派なマンションが建っているそうです。


iPhoneの地図アプリをナビ代わりにして
何とか辿り着きました。

こちらが、戸頭小学校跡。

       20170131戸頭小学校01

マンションの片隅に標柱と、戸頭小学校の頃からと思われる桜の木。


こちらが標柱。

       20170131戸頭小学校02

下高井小学校前(星光工業前)に建っていたモノと同じですね。


側面には簡素な沿革が記されています。

       20170131戸頭小学校03

戸頭小学校や下高井小学校の在った地区では
学校の分離、統合を繰り返し、同じ様な名称の学校になったりします。
2年前に戸頭西小学校と戸頭東小学校が統合して新たに開校したのも
こちらと同じ名称の戸頭小学校です。


マンションが建つと言うことは、小学校跡は民間の土地になったようですが
こちらの桜の木は伐採されずに残ったようです。

       20170131戸頭小学校04


『戸頭小学校跡』の標柱が無ければ、
ここが小学校跡だとは誰も気付かないでしょう。

       20170131戸頭小学校05



どう見ても、普通のマンション。

       20170131戸頭小学校06



せめて、訪れたと言う足跡だけでも残しましょう。

       20170131戸頭小学校07


取手市のHPを覗いてみると...............

戸頭小学校や下高井小学校が廃校になった昭和35年に
高井小学校の市ノ代分校も廃校になったようです。
ネットで調べても詳しい情報は得られないけれど
そちらにも標柱は建てられているんだろうか...............?












2017/03/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高源寺の地蔵ケヤキをあとにして、
向かった先は...............取手市立戸頭西小学校


戸頭西小学校は

昭和50年     永山小学校から分離して、戸頭西小学校開校。
昭和53年     戸頭西小学校から分離して、戸頭東小学校が開校。
平成27年     戸頭東小学校と統合して戸頭小学校が誕生
           (敷地は戸頭東小学校を流用)
           分離、開校、統合と言う歴史を経て、戸頭西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。

開校から40年で廃校になってしまったようです。



こちらが戸頭西小学校の正門。

      20170131戸頭西小学校01



門柱には、『みどりが丘幼稚園 仮校舎』とある。

      20170131戸頭西小学校02

どうやら廃校後、民間の幼稚園に貸し出ししているようです。


廃校後、幼稚園とか保育園になるってパターンも多い。
でも、意外にこれが厄介。
どうしても園児がいるから中には入れない。
ましてや衛生面でも、犬を連れて敷地内に入るのは、まず無理。



仕方ないから、正門脇から敷地内を伺います。



正門近くにある石碑を望遠で撮影。

      20170131戸頭西小学校03

ちょうど終了時間なのか?
正門を送迎バスが出入りするから邪魔になる。

フェンス沿いに敷地をぐるっと一周してみます。

      20170131戸頭西小学校04


      20170131戸頭西小学校05



フェンスの切れ目から、校庭越しに眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校06



さらに、ちょっとした高台の住宅地の脇から戸頭西小学校を
眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校07



こちらが校舎。

      20170131戸頭西小学校08


      20170131戸頭西小学校10



体育館。

      20170131戸頭西小学校09



そしてプール。

      20170131戸頭西小学校11



校庭には、シンボルツリー。
270mmの望遠で撮ってみました。

      20170131戸頭西小学校12



体育館脇には、百葉箱。

      20170131戸頭西小学校13


体育館の裏側の狭い路地を歩いて行けば...............

      20170131戸頭西小学校14


再び正門に辿り着きます。

      20170131戸頭西小学校15


フェンス越しにぐるっと一回りして来ました。
正門前には避難場所の案内板。
こちらにも『旧戸頭西小』と書かれています。

      20170131戸頭西小学校16


戸頭公園を散歩していた方に聞いたら、
現在、こちらにある幼稚園は今年度まで借りているらしい。
それで、門柱には仮園舎の表札があったんですね。

来年度以降は、どうなっているんだろう。
ひょっとしたら、だれも借り手が居なくて、
自由に見学できるようになっているんだろうか?

訪れるには、ちょっと早かったのかな...............?





2017/03/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

地蔵ケヤキ    (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。

下高井小学校跡をあとにして、次なる廃校へと向かおうとしたら
『県指定文化財 天然記念物 地蔵ケヤキ』なる案内板が目に留まった。
ちょっぴり気になる。

いや、かなり気になる...............。

気になるのなら、立ち寄っちゃえ〜!
と、言うことで立ち寄った先は.............................地蔵ケヤキ


地蔵ケヤキは高源寺本堂正面の境内の中央にあります。
樹齢1600年とも言われ、高さ27m、胸高直径3.3mを計る大樹です。
幹は途中で大きく枝分かれしており、そこからさらに大枝が伸びています。
そして、中心の巨大な幹は内部が大きく空洞となっており、
そこにいつ頃からは不明ですが、名称の由来となった地蔵尊が祀られています。

高源寺は、山号は普蔵山。
臨済宗妙心寺派のお寺で承平元年(931年)に平将門公の建立と言われています。
当初は真言宗のお寺でしたが、鎌倉時代に臨済宗に改宗されたそうです。




こちらが高源寺の参道。

      20170131地蔵ケヤキ01


そして山門。

      20170131地蔵ケヤキ02


山門に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ03

はたして、これは何と読むのだろう?
寺号の『高源寺』でも無さそうだし、
山号の『普蔵山』でも無さそうです。


山門をくぐると、目の前にケヤキの巨木。

      20170131地蔵ケヤキ04

これが地蔵ケヤキですが、こちらは裏側。


正面には立派な説明板。

      20170131地蔵ケヤキ05



そして、正面からの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ06


幹がくり抜かれたように大きな空間があり
そこに地蔵が祀られています。

      20170131地蔵ケヤキ07


      20170131地蔵ケヤキ08


      20170131地蔵ケヤキ09

このお地蔵さんは、子育て地蔵尊。
安産・子育てにご利益があると言われ、多くの人が参詣するそうです。


こちらが、本殿。

      20170131地蔵ケヤキ10


本殿に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ12

こちらは山号でした。



本殿の屋根には『九曜紋』。

      20170131地蔵ケヤキ11


      
こちらは鐘楼。

      20170131地蔵ケヤキ13



鐘楼の屋根瓦にも九曜紋。

      20170131地蔵ケヤキ14

この場所から数百mの距離にある高井城址。
その高井城は相馬氏の居城であり、その相馬氏の家紋が九曜紋。
さらに相馬氏は千葉氏同様に平将門の流れを汲む一族。
九曜紋があるのも当然なのかもしれない。



別アングルからの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ15



高源寺の境内には、地蔵ケヤキ以外にも古木(巨木)がある。

      20170131地蔵ケヤキ16


偶然知り得た地蔵ケヤキと高源寺。
思わぬ所で千葉氏の家紋である九曜紋が見れたのはラッキーでした。





2017/03/02 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........下高井小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

取手市の廃校巡り、その第5弾。

岡堰水神岬公園をあとにして、向かった先は...............取手町立下高井小学校です。


下高井小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで色々と調べてみましたが、どうも情報が少ない。


明治20年    下高井尋常小学校として開校。
明治22年    高井尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、高井村立下高井小学校と改称する。
昭和30年    高井村が取手町と合併して、取手町立下高井小学校と改称する。
昭和35年    新設の取手町立永山小学校が開校し、統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




いかにも学校跡と言うような面構え。

      20170131下高井小学校01


こちらが、下高井小学校跡。

      20170131下高井小学校02

校地は民間に払い下げられ、現在は『星光工業』と言う工場(?)になっています。



かつての正門前にて。

      20170131下高井小学校03

この門は往時のモノでは無さそうです。



門脇に建つ標柱。

      20170131下高井小学校04


標柱の側面には、簡単な沿革。

      20170131下高井小学校05

本当は、もっと色々と変遷を経ているとは思うんだけど
標柱の幅では簡素にするしか無いのかな?



平日で操業中だし、何より民間の会社の私有地だから
とても中には入れません。

おそらく、パートで働いていると思われるオバちゃんが
帰るために工場から出て来たから、ちょっと話を伺ったけれど
敷地内には学校跡を彷彿させるような遺構は全く無いそうです。
当然、廃校記念碑や二ノ宮像はありません。



周囲を見て見ましょう。


何となく学校跡を感じさせるのは、敷地境界に立つ木々。

      20170131下高井小学校06


      20170131下高井小学校07


      20170131下高井小学校08


      20170131下高井小学校09



門の向かいにある民家。

      20170131下高井小学校10

かつては商店を営んでいたように見える。
確かに、小学校の近くには文房具などを売っているお店がある(あった)。

そう言えば小学生の頃に当日の朝、必要な文房具類を
学校前のお店で買っていたのを思い出した。

愛知県知立市立来迎寺小学校の正門近くにあったお店は
未だ営業しているのだろうか...............?




2017/03/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡堰水神岬公園  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城百景の一つ、岡堰に訪れました。

茨城百景の碑の前から小貝川川を眺めると
桜の木のらある出島? 岬?
何となく興味をそそる、堤防沿いの出っ張りを見つけました。

      20170131岡堰水神岬公園01


せっかくだから、足を伸ばしてみましょう。


どうやら公園のようです。

      20170131岡堰水神岬公02

『岡堰水神岬公園』と看板には書かれています。


公園入り口には、標柱が建っています。

      20170131岡堰水神岬公03

『水神岬?』

標柱には説明文として、このように記載されていました。

岡堰にある100mの突堤。
小貝川を堰して満々と湛えた中に青松の影をうつした岬は岡堰の添景として離し難い。
岡堰は寛永7年(1630年)、関東郡代伊奈半十郎忠治によって造われ、
上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に関東三大堰のひとつである。
古くは、この岬は中州など共に水流をじぐざぐにし、堤防を護る役をしていたという。
岬の中に水神宮が祭られている。
岡堰用水組合では、水神宮のお祭りと共に上州榛名神社へ代参を立てたことが
江戸時代の記録に残っている。
山岳信仰の通有性はあるにしても、
特に榛名山を選んだのは、山を水源と仰ぐ心であろう。
水は二万石の命である。


どうやら、古くから信仰の地でもあったようです。



そんなに広くはない公園。

      20170131岡堰水神岬公04


桜の木が10数本立ち並び
花見の時期には多くの人が訪れるらしい。

      20170131岡堰水神岬公05


      20170131岡堰水神岬公08



岬の突端から旧・岡堰が眺めることが出来ます。

      20170131岡堰水神岬公06



思い切り望遠(270mm)で旧・岡堰を狙います。

      20170131岡堰水神岬公07


      
水神岬の名の由来となった水神宮と『岡堰築造記碑』。

      20170131岡堰水神岬公09


岡堰を築造した記念の碑です。

      20170131岡堰水神岬公園10

かなり、デカい。


そして、水神宮。

      20170131岡堰水神岬公11


岡堰水神岬公園から眺める小貝川。

      20170131岡堰水神岬公12


これもまた、茨城百景なり...............。






2017/03/01 Wed. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 岡堰 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、廃校巡りに茨城県の取手市に出かけました。

廃校巡りのついでに、城址巡りや茨城百景巡りもしたりして...............。


岡城址からほど近い小貝川。
この小貝川に茨城百景があると言うことで
訪れたのは...............茨城百景 岡堰



岡堰は、江戸時代幕府が成立し、
寛永年間(1624〜1644)に関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、
洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました。
そして現在の取手市戸田井付近の台地を切り開き、
利根川と合流する今のような流路が出来上がりました。
河川の改修事業は、利根川を銚子沖に付け替える東遷事業の一環として行われたもので、
小貝川は鬼怒川と切り離されることで、川筋が一定になります。
そして、寛永7年(1630)に設けられたのが岡堰です。
作られた堰は、水田に水を供給する農業用水路に生まれ変わりました。

岡堰は、上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に、関東の三大堰の一つとされています。


岡台地の岡神社(岡城址)から歩いて小貝川の堤防に着きました。

      20170131岡堰01


堤防にどぉ〜んどお建っている茨城百景の碑。

      20170131岡堰02


『 茨城百景 岡堰 』の碑です。

      20170131岡堰03

以前は堤防の入口、民家に脇に建っていたようですが
現在は、堤防の上に移設されたようです。



百景の碑の前には小貝川。

      20170131岡堰06


      20170131岡堰04


中洲に見えるのが、旧・岡堰。

      20170131岡堰05


茨城百景が制定された昭和25年には、まだこちらの岡堰が活用されていましたが
平成8年に新・岡堰が完成し、旧・岡堰はほとんどが解体されてしまいました。    

旧・岡堰があった中ノ島には、岡堰の一部が残されています。

      20170131岡堰07

現在は中ノ島公園となっている中ノ島。
以前は、農暇期の小貝川の水量が少ない時期にしか渡ることが出来ませんでしたが
現在は中ノ島へ渡る橋も出来、簡単に渡ることが出来るようになりました。


旧・岡堰を別アングルから。

      20170131岡堰08


岡堰の一部。
煉瓦が時代を感じさせます。

      20170131岡堰09


中ノ島から眺める小貝川。

      20170131岡堰10


      20170131岡堰11

これこそが、茨城百景なんですね。



こちらが、平成8年に完成した新・岡堰。

      20170131岡堰17


      20170131岡堰12



中ノ島公園には、こんな像があります。

      20170131岡堰13


間宮林蔵の像。

      20170131岡堰14

対岸の旧・伊奈町が間宮林蔵の生まれ育った地。
旧・伊奈町(現在のつくばみらい市)には、間宮林蔵の生家や墓もあるそうです。


こちらは、『間宮倫宗先生發祥地』の碑。

      20170131岡堰15

正確には対岸の町なんだけどね(笑)。

ちなみに倫宗(ともむね)は本名で、林蔵は通称らしい。
でも、通称の『間宮林蔵』の方が一般的ですねー。



中ノ島公園の芝生広場。
何となく嫌な予感はしていたんですが...............

      20170131岡堰16

やっぱり、芝生でローリング。

どうせなら、枯れ芝生の時期じゃなくて
青々とした芝生の上でローリングして欲しいなぁ。

っていうことは、芝生も青々とする時期に
また来ないといけないなぁ................




 



2017/03/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡城址 (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県の取手市の廃校巡りに出かけました。

廃校巡りのついでに、取手市内に在る城址にも立ち寄ることにしました。
白山西小学校をあとにして、向かった先は...............岡城址


小貝川の近く、取手市の岡地区には『岡の台地』と呼ばれる高台があります。
その『岡の台』の一角に『岡神社』があり、その岡神社のある辺りが岡城址とされています。


岡城の城主等歴史については不詳ですが、
岡神社のある高台には、茨城県指定史跡である『大日山古墳』があり
その『大日山古墳』が中世に岡城の櫓台として用いられていたようです。



これは中世から近世に盛んになった大日信仰の名残で、大日山の名もそこからきていると考えられています。


こちらが、岡神社の鳥居。

     20170131岡城址01


鳥居の神額。

      20170131岡城址02



この石段を上がった先が岡神社の境内であり、岡城址とされています。

      20170131岡城址03



びいすけ の背後に建つ拝殿。

      20170131岡城址04

拝殿の建つ高台が『大日山古墳』。


こちらが、拝殿。

      20170131岡城址05



この位置からだと、拝殿のある土壇(高台)が古墳なのが良く分かります。

      20170131岡城址06

土壇脇に建つ説明板。

『大日山古墳』については触れていますが
岡城址については触れていない。

      20170131岡城址07



中世から近世にかけて、盛んになった大日信仰の名残りで
岡神社の境内には石塔が多い。
大日山の名も大日信仰からきていると考えられています。

      20170131岡城址08


      20170131岡城址09



こちらは、祭礼記念碑。

      20170131岡城址10


      20170131岡城址12



実は、岡城址のある一帯は『朝日御殿跡』といい、
平将門の妾桔梗の御殿の跡と伝えられているそうです。

祭礼記念碑の碑文にも記されています。

      20170131岡城址11



こちらが、その『朝日御殿跡』
岡城址の郭ともされている。

      20170131岡城址13


      20170131岡城址14


      20170131岡城址15



『岡の台』は平将門の所縁の地で、将門伝説の残る所。
この『岡の台』の地に将門が城を造ったとも言われています。

台地には、こんな感じで城址の雰囲気満載の場所も多い。

      20170131岡城址16


先ほどのばしょから上がって行くと、削平地。
畑と改変されています。
      20170131岡城址17




『岡の台』の外れには、こんな標柱も建っています。

      20170131岡城址18


      20170131岡城址19


『岡台地と平将門』と表題の付いた標柱には
『将門伝説が残り』『平将門にまつわる史跡として
朝日御殿跡(城跡)、延命寺、仏島山古墳』 と記されています。

ひょっとしたら、岡城は朝日御殿の事を言うんのだろうか?


良く分からない...............謎です(笑)。

2017/02/28 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........白山西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

井野小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立白山西小学校
白山西小学校は

昭和48年  取手市立白山西小学校設置
平成28年  稲小学校と統合して新たに取手西小学校が開校(敷地は稲小学校を流用)。
        白山西小学校は閉校となる。

と、このような沿革となっています。
開校からたった43年で廃校になってしまったようです。



キャノン取手工場の近くの住宅街の一角に在る白山西小学校。
住宅街の空き地は駐車場となり、
キャノンに通勤する人々の駐車場になっている地区。
大通りからは少し奥まった場所に、白山西小学校は在りました。


こちらが、白山西小学校の正門。

      20170131白山西小学校01


比較的新しい小学校だから、門柱も近代的。
表札は外されずに残っていました。

      20170131白山西小学校02

正門の扉は閉まっているので、一段下がった場所にはある校庭(グランド)から
敷地内に入らせてもらいます。


こちらが、校庭。

      20170131白山西小学校03



校庭の片隅に在る築山。

      20170131白山西小学校04


トンネルを匂い嗅ぎする びいすけ 。

      20170131白山西小学校05



校庭に残る遊具類。

      20170131白山西小学校06


      20170131白山西小学校07


      20170131白山西小学校08


      20170131白山西小学校09


      20170131白山西小学校10


      20170131白山西小学校11



こちらは、魚の形をしたオブジェ。

      20170131白山西小学校12

おそらく、子供たちの手による卒業製作だと思われます。


朝礼台。

      20170131白山西小学校13

もう、この朝礼台に上がって挨拶する子供たちも居ないので
今日は、 びいすけ が代わりにご挨拶。

『 ワン! 』


校庭から見上げる校舎と体育館。

      20170131白山西小学校14



こちらが校舎。

      20170131白山西小学校15


こちらが体育館。

      20170131白山西小学校16



校舎の建つ高台と校庭との擁壁には、子供たちの手によって描かれた絵。

      20170131白山西小学校17


      20170131白山西小学校18

所々、かすれて色褪せているのは
この小学校の歴史だと思いましょう。



鉄筋の校舎は二棟あり、それぞれの玄関。

      20170131白山西小学校19


      20170131白山西小学校20


玄関脇には、石碑。

      20170131白山西小学校21

『みんなで伸びよう 白山西小学校』



校舎全景。

      20170131白山西小学校22


体育館。

      20170131白山西小学校23




校舎の壁面には、子供たちの顔。
昭和55年度の卒業製作です。

      20170131白山西小学校24


      20170131白山西小学校25

昭和55年度に卒業したこの子たちも、今年49歳になる計算になる。
中年街道まっしぐら。

素敵な大人たちになっているんだろうか...............?





2017/02/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........井野小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

偶然見つけることが出来た『茨城百景 大利根の展望』をあとにして
向かった先は...............取手市立井野小学校

井野小学校の詳しい沿革は不明ですが
取手市のHPの『わがまち取手市のあゆみ』によれば...............

昭和33年に取手町立取手第一小学校と統合した取手第二小学校が
その前身となっているようです。

昭和33年に廃校となっていますが、井野団地の造成等による人口増の対応により
昭和44年取手町立井野小学校として開校しました。

昭和45年取手町が市制施行し取手市となり
取手市立井野小学校と改称する。
平成27年に小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
新たに取手東小学校が開校し(吉田小学校の敷地を流用)
廃校となりました。

と、このような沿革になるようです。



一度廃校になった地区に再び小学校が出来る。
今では考えられない事ですが、昭和30年代、40年代の高度成長期に
首都圏近隣の都市がそうであったように、団地が次々に建てられ、
人口は加速度的に増えていきました。
この取手市井野地区でも同じような事が言えるのではないでしょうか?

昭和44年に開発された井野団地の一等地に井野小学校はあります。
(住所も取手市井野団地1-1)

こちらが、井野小学校の校門。

      20170131井野小学校01

バス通りに面した校門ですが、正門は別にあるようです。


程良い色合いに風化した金属製の表札。

      20170131井野小学校02


門は閉ざされていますが、門越しに井野小学校の校舎をパチリ☆。

      20170131井野小学校03



バス通りから一本入った路地沿いにある校門。
こちらが、正門のようです。

      20170131井野小学校04


こちらは石造りの表札。

      20170131井野小学校05



こちらの門は脇にある通用口が開いていたので
遠慮がちに、でもしっかりと大きな声で『失礼しま〜す!』と声を掛けて
敷地内に入らせてもらいます。

まあ、廃校だから誰も居ないとは思うけれど
地方都市の場合、周辺住民の目がうるさいって言うのもあるから
それなりに気を使います(笑)。

こちらが、校舎玄関。

      20170131井野小学校07

いっぷ、変わった形をしています。


とりあえず、校庭から学校全体を眺めてみます。

      20170131井野小学校26


      20170131井野小学校08



校舎は二棟のようです。

      20170131井野小学校09


      20170131井野小学校11



こちらは体育館。

      20170131井野小学校10

ピンク色の外壁です。



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20170131井野小学校12



校舎の壁面には校章。

      20170131井野小学校13



校歌の碑と像と時計。

      20170131井野小学校14

時計はちょうど1時間進んでいました。



こちらが、校歌の碑。

      20170131井野小学校15



ブロンズ(?)像。

      20170131井野小学校16

タイトルは『元気な子』。


使われなくなってまもなく1年。
校舎の前には朝礼台。

      20170131井野小学校17


校庭に残る遊具類。

      20170131井野小学校18


      20170131井野小学校19


      20170131井野小学校20


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      20170131井野小学校24


花壇と日時計。

      20170131井野小学校25

花壇には花はありません。



卒業製作のモノなんでしょうか?

      20170131井野小学校23
     

平成27年に、小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
吉田小学校に取手東小学校が出来た。
地域性を考えれば井野小学校に統合した方が良かったかもしれないけれど
校舎の耐震性や色々なしがらみがあったのだろう。

私が高校生の時に過ごした街は多摩ニュータウン。
住まいも学校も広い多摩ニュータウンの中にありました。      
団地の中にガッがあるって言うのが当たり前だったから
この井野団地に学校がなくなってしまったのは
地元の人にとっては辛いことなんだろうなぁ...............。




2017/02/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit