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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............江川小学校高陦分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
舞台は下郷町。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


小沼崎分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立江川小学校高陦分校


高陦分校の詳細な沿革は不明ですが
本校である江川小学校のHPによれば

明治7年弥五島小学校高陦分教室として発足、明宗寺を校舎にあてる。
と記載されています。
この時が、高陦分校の歴史の始まりなんですね。

また、明治5年に発足した弥五島小学校湯野上分教室が、
明治25年に湯野上尋常小学校と改称し、本校を湯野上・弥五島・白岩・高陦の4校とし,
たと記載されています。

大正3年3本校3分校を合併して長江尋常高等小学校と改称し,
枝松・弥五島・白岩・高陦・小沼崎に分教場を設置したと記載されています。    

また、明治期の高陦の歴史を紐解けば、確かに明治22年に町村制施行により
高陦村・枝松村・白岩村が合併して、二川村が発足したと記録にあります。



昭和3年二川村は長江村と合併し江川村が発足。
江川尋常小学校高陦分教場と改称する
昭和22年学制改革により、江川村立江川小学校高陦分校と改称する。
昭和30年江川村が楢原町、旭田村と合併して下郷町が発足。
下郷町立江川小学校高陦分校と改称する。
平成17年本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革だったと思われます。


下郷町から天栄村へと続く国道118号線。
そこからちょっと入ったところに、高陦分校があります。

門柱かと思ったら、古峯神社の社号標でした。

      20180426高陦分校01



その奥にある赤い屋根の建物。
そちらが、高陦分校になります。

      20180426高陦分校02



こちらが、高陦分校。

      20180426高陦分校03



山あいの分校らしく、敷地は余り広くはない。
その敷地に赤い屋根の校舎が残ります。

      20180426高陦分校04


      20180426高陦分校05



こちらの校庭の桜も既に散り終え、間も無く葉桜となりますね。

      20180426高陦分校06



敷地のフェンスには、動物のイラスト。

      20180426高陦分校07


      20180426高陦分校08



校庭の遊具類。

      20180426高陦分校09



見た感じ新しく見える遊具。

      20180426高陦分校10


      20180426高陦分校11

廃校から11年。
廃校直前に設置されたモノだろうか...............?



かつては、湯野上尋常小学校の本校の一つでもあった高陦分校。
過疎化と少子化の波には打ち勝てず、廃校となった小学校。

南会津の山あいの廃校は、非常に歴史のある学校でした。



2018/06/09 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............江川小学校小沼崎分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


昨年、すぐ近くまで来たのに(大河ダム)、
時間が無くて探しもしなかった廃校。
廃校の宝庫である下郷町には、そんな廃校が幾つかありました。
その中の1校である下郷町立江川小学校小沼崎分校に立ち寄りました。

ネットで事前に調べてみても、小沼崎分校の詳しい沿革は分かりません。
本校である江川小学校のHPによれば
明治5年に発足した弥五島小学校湯野上分教室が、
明治25年に湯野上尋常小学校と改称し、本校を湯野上・弥五島・白岩・高陦の4校とし,
小沼崎は湯野上,枝松は高陦の分教室となると記載され、
また、大正3年3本校3分校を合併して長江尋常高等小学校と改称し,
枝松・弥五島・白岩・高陦・小沼崎に分教場を設置したと記載されています。    

また明治期の小沼崎の歴史を紐解けば、確かに明治22年に町村制施行により
弥五島村・大沢村・湯野上村・小沼崎村が合併して、長江村が発足したと記録にあります。



昭和3年長江村は二川村と合併し江川村が発足。
江川尋常小学校小沼崎分教場と改称する
昭和22年学制改革により、江川村立江川小学校小沼崎分校と改称する。
昭和30年江川村が楢原町、旭田村と合併して下郷町が発足。
下郷町立江川小学校小沼崎分校と改称する。
昭和46年本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革だったと思われます。


現在は地域の集会所になっているらしい。



小沼崎地区の集会所と言うことで、あたりをつけて訪れますが
肝心の集会所が見つからない。
近くを車で徘徊し、農作業をしているお婆さんを見つけて尋ねます。
教えてもらった小出集会所。
こちらが小沼崎分校跡地になります。

      20180426小松崎分校01



ポツンと建つ門柱。

      20180426小松崎分校02



表札には、下郷町立江川小学校小沼崎分校 と記されています。

      20180426小松崎分校03



この門柱は、昭和3年に建立されたモノのようです。

      20180426小松崎分校04

『昭和三年九月 小出 沼尾 青年会』と記されています。



敷地にポツンと建つ赤い屋根の建物。

      20180426小松崎分校05



どうやら、廃校後に校舎は解体され、
新たに集会所として建てられたモノのようです。

      20180426小松崎分校06



分校時からあった木。

      20180426小松崎分校07

おそらく、子供たちのシンボルツリーだったんだろう。


山あいの分校の校庭。

      20180426小松崎分校08



わずかながらに残された遊具類。

      20180426小松崎分校09


      20180426小松崎分校10


      20180426小松崎分校11


      20180426小松崎分校12




校庭のサクラの木も既に葉桜となっている。

      20180426小松崎分校13



誰も居ない校庭を、匂い嗅ぎに徘徊する びいすけ 。

      20180426小松崎分校14


小沼崎分校跡地。
しっかりと、この目に焼き付けて来ました...............。



2018/06/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高倉神社 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
大内宿へやって来ました。

大内宿は、昨年の7月にも訪れています。
( その時の記事は こちら

今回は、宿場町よりも大内宿に鎮座する神社が目的。
伝統的な藁葺き屋根の古民家集落のすぐ側に鎮座する高倉神社です。


高倉神社は、下郷町大内宿に鎮座する神社です。
創建時期は不詳ですが、古くから神仏習合し、
『高倉大明神』と呼ばれてきたそうです。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され、
明治3年(1870年)に社号を『高倉神社』に改称しました。

御際神は以仁親王(もちひとしんのう)です。


 
以仁親王とは高倉宮以仁親王のことで、三条宮とも呼ばれていました。
後白河法皇の第三皇子で、幼少の頃から多彩な才能に恵まれ、
管弦・詩歌の道に優れ、皇位継承者と目されていましたが、
治承4年(1179年)、父である後白河天皇が平清盛のクーデターにより幽閉され、
皇位を奪われてしまいました。
翌、治承4年(1180年)4月、以仁親王は平家討伐を決意し、
平家追討の「令旨」を全国の源氏に発しました。
しかしながら、以仁親王は翌年、平氏に討たれてしまいました。

この平家追討の令旨がもとで、源頼朝、木曽義仲等が挙兵し、
平氏滅亡のきっかけをつくったとされています。

その以仁親王が、大内宿に潜行していたと言う伝承が
大内宿には残されているそうです。




古民家沿いに建つ社号標。
こちらが高倉神社の社号標。

      20180426高倉神社01


境内社になる古峯神社の社号標。

      20180426高倉神社02


一際目立つ一の鳥居。

      20180426高倉神社03



古民家の集落からちょっと離れた森に高倉神社が在ります。

こちらも高倉神社の社号標。

      20180426高倉神社04



二の鳥居。

      20180426高倉神社05


      20180426高倉神社06



参道は狭い石段。

      20180426高倉神社07


      20180426高倉神社08



参道途中の石仏。

      20180426高倉神社09



三の鳥居。

      20180426高倉神社10


      20180426高倉神社11



社殿が見えて来ました。

      20180426高倉神社12



こちらが、拝殿。

      20180426高倉神社13



拝殿の飾りの彫り物。

      20180426高倉神社14



拝殿屋根の神紋。

      20180426高倉神社15



別アングルからの拝殿。

      20180426高倉神社16



そして、こちらが本殿。

      20180426高倉神社17


      20180426高倉神社18



境内社。

      20180426高倉神社19

こちらが、古峯神社なんでしょうか?



本殿の裏手には石積みされた祠も数基あります。

      20180426高倉神社20



こちらが、御神木。

      20180426高倉神社22
      20180426高倉神社21



高倉神社の境内には、社務所も無く無人の神社。
大内宿のお土産屋さんが社務所となっているらしい。

社務所のお土産屋さんを探します。

      20180426高倉神社23


      20180426高倉神社24


      20180426高倉神社25

南仙院と言うお土産屋さんを探しますが、
本家の南仙院とか分家の南仙院とかあるらしい。
ちょっとややこしい。


ちょっと疲れたから、一休み。
お土産屋さんで、『いも餅』で一息をつきました。

      20180426高倉神社26

いも餅を狙う びいすけ 。


残念だけど、君は食べられないよ!

      20180426高倉神社27



結局、南仙院の場所が分からず、駐車場のオジさんに聞いたら
駐車場から1番近いお土産屋さんでした。


こちらが、高倉神社の御朱印。

      20180426高倉神社28

分家南仙院さんで頂きました。

実は、数日前に電話をしていて
この日に参拝する旨を伝えて御朱印をお願いしていました。

宮司さんは、本来は会津若松市にお住まいだそうで、実家が南仙院さんらしい。
どうやら、宮司さんのお母様と連絡を取ったことになるようですね。

事前に連絡を入れていたから、今日の日付けを入れて
前日に御朱印を書き置いてくれたそうです。

ありがとうございました。




2018/06/08 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

八幡の大ケヤキ (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
桜を求めて(?)下郷町を移動します。

戸赤集落から大内宿へと目指しますが、
その途中の中山集落に巨木あります。
昨年も、その巨木の前を通ったのですが、
急いでいた為、素通りをしてしまいました。
実は、それがちょっと心残り。

ならば、今年立ち寄らねば!


中山集落に到着。
大内宿へと向かう県道沿いに、『八幡の大ケヤキ』は聳えています。


こちらが、『八幡の大ケヤキ』。

      20180426中山の大ケヤキ01

中山宿にあるから、『中山の大ケヤキ』とも呼ぶらしい。



標柱。

      20180426中山の大ケヤキ02



説明板。

      20180426中山の大ケヤキ03



そして、その全容。

      20180426中山の大ケヤキ04
        20180426中山の大ケヤキ05



昔の会津西街道に、どぉ〜んと聳えています。

            20180426中山の大ケヤキ06
          20180426中山の大ケヤキ07
      20180426中山の大ケヤキ08


説明板の内容を要約すると...............

天喜3年(1055年)、陸奥の安倍貞任討伐に向かった源八幡太郎義家が、
険路に難渋して、中倉村の司であった二宮太郎兵衛の家で休息しました。
太郎兵衛は快く迎え入れ、大沼郡尾岐村に至る間道を教えたそうです。
そのおかげで義家は首尾よく賊を討つことが出来、
感謝の印として、二宮邸の庭先にケヤキを植えました。
それがこの大ケヤキだと言うことです。

樹齢千年近い欅と言うことになりますね。



しかしながら、この大ケヤキよりも
数十m先に見事な花を咲かせる桜の方が気になった。

      20180426中山の大ケヤキ09


やっと、南会津の桜を満喫出来たような気がします...............(笑)。





2018/06/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

戸赤の山桜   (2015年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日 

1泊2日の南会津方面への旅行。
『南会津の桜をバックに廃校を!』とやって来ましたが
今年は例年より桜の開花が早く、
『廃校の桜』と言うテーマを満喫出来ていません。

急遽、予定を変更って言うか追加。

旧・楢原小学校のある豊成地区から山あいへと移動。
山桜で有名な戸赤地区へと向かいました。


『戸赤地区』は「戸石」「赤土」「木地小屋」が合併してできた地区です。
下郷町の西に位置し、周囲を山に囲まれた小さな集落で、
かつては漆器の木地づくりで栄えていたそうです。

戸赤の山桜は、そんな雪深い戸赤集落の祖先が
春の楽しみのためにと、留め木にして残してくれた山桜が約100本あり、
春になると山麓一面に美しく咲き競うそうです。



段々と細くなる道を走り、戸赤集落に到着。
戸赤集落には、昨年の夏の南会津への旅行で
この集落に在った戸赤分校に訪れました。
(その時の記事は こちら


今回は、単純に山桜を見ようと訪れました。


駐車場に車を停めて、山桜のある山へと向かいます。

      20180426戸赤の山桜01



桜の花でしょうか?
所々、山が色付いています。

      20180426戸赤の山桜02


      20180426戸赤の山桜03



山の中を30分ほど散策するハイキングコースがあるようです。
説明板をじっくりと読み、いざ! 山桜のハイキングコースへ!!

      20180426戸赤の山桜04



いきなりの上り階段。
これが、勾配がキツくて辛かったぁ。

      20180426戸赤の山桜05

びいすけ は快調そのもの。
テンポよく上がっていくから、リードが引っ張られる。
ロングリードにしなかったのが、大失敗。



息をゼイゼイ切らし、階段を上りきり一休み。

      20180426戸赤の山桜06



尾根沿いに移動します。

      20180426戸赤の山桜07



しかし、100本の山桜は何処だ?
なかなか山桜に巡り会えない。

      20180426戸赤の山桜08



やっと見つけた山桜。

      20180426戸赤の山桜09

既に、半分以上散ってるし...............。



こちらも、見頃にはちょっと遅かったかな?

      20180426戸赤の山桜10



里山の川沿いの桜が一番見頃でした。

      20180426戸赤の山桜11



南会津の雪解けの水。

      20180426戸赤の山桜12

心なしか、川の水の流れは早い。



川沿いの土手道を、山桜の山をバックに歩きます。

      20180426戸赤の山桜13



絵のような一面の山桜を期待していましたが
現実は、そんなに甘くないようです。

      20180426戸赤の山桜14



2018年の南会津には、春はちょっぴり早く訪れてしまったようです。






2018/06/07 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立旧・楢原小学校跡   (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日  

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


南小学校をあとにして、向かった先は...............下郷町立旧・楢原小学校跡


あっ、始めにお断りを...............
下郷町立楢原小学校は、現存している現役の小学校で、
決して廃校ではありません。あしからず。


楢原小学校は、明治初期に下郷町になる以前の各村に創立された学校が
長い歴史の中で変遷していったようです。

明治6年倉谷村下等小学校を松庵寺に設置する。
明治7年楢原村下等小学校を円福寺に設置する。志源行村下等小学校は名主宅に設置する。
明治13年楢原小は豊成小に、倉谷小は栄富小と改称する
明治20年豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。
明治35年近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年学制改革により、楢原町立檜原小学校となる。
昭和30年楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
下郷町立楢原小学校改称する。
昭和54年校舎を豊成字山崎に新築し、移転する。

と、このような沿革を歩み、現在に至っているようです。



こちらが、正門跡。

      20180426旧・楢原小学校跡01

なだらかな上り坂が、登校路を彷彿させてくれます。



花は散ってしまったけれど、旧・楢原小学校の桜。

      20180426旧・楢原小学校跡02



跡地の一部は宅地として開発されています。

      20180426旧・楢原小学校跡03



そして、跡地の多くの部分が下郷町商工会の建物と
しもごう保育所が建てられています。

      20180426旧・楢原小学校跡04



保育所の駐車場奥に石碑が並んでいます。

      20180426旧・楢原小学校跡05

近づいて確認すると...............


そこには、二宮像。

      20180426旧・楢原小学校跡06


      20180426旧・楢原小学校跡07



この二宮像は、昭和28年に建立されたものらしい。

      20180426旧・楢原小学校跡14



学校の移転時に新しい校地へ二宮像も移転することなく
この地に置かれていたんてますね。



そして、親子のブロンズ像。

      20180426旧・楢原小学校跡08


      20180426旧・楢原小学校跡09



さらには、『楢原小学校跡』の碑。

      20180426旧・楢原小学校跡10



この碑は、移転から4年後の昭和58年に建立されたらしい。

      20180426旧・楢原小学校跡11



その隣には、頌徳碑。

      20180426旧・楢原小学校跡12


      20180426旧・楢原小学校跡13




廃校跡地ではなく、移転による学校跡地が民間に払い下げられ、
宅地や工場になってしまう事も多々あるけれど、
公共の施設を新たに建てて、その敷地の一画に記念碑や二宮像を置いて
いつまでも、この地を忘れないように...............
そんな下郷町の地元の人たちの心意気を感じます。



     

2018/06/07 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立南小学校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


偶然見つけた音金分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立南小学校


南小学校は、その前身は下郷町立旭田小学校音金分校です。

明治期に創立されたであろう音金村の小学校が
明治22年の町村制施行により近隣の村々が合併して旭田村が誕生した際に
各村の学校を統合し、新たに旭田尋常小学校を設立され、分校も設置されました。
旭田尋常小学校には5つの分校を有し、その一つが音金分校でした。
昭和22年に学制改革により、旭田村立旭田小学校音金分校と名称を変え、         
昭和30年に旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生すると、
下郷町立旭田小学校音金分校と改称しました。
昭和38年に本校である旭田小学校から分離独立して、
下郷町立南小学校となり、新校地に移転しました。
          


その新校地が音金分校から1kmほど離れた森の中。

こちらになります。
     
南小学校の正門。

      20180426南小学校02

残念ながら、南小学校は平成17年春に旭田小学校に統合されて
廃校になってしまいました。



こちらが、門柱。

      20180426南小学校03

しっかりと南小学校と書かれた表札が残っています。



反対側の門柱には校名を書き直した跡があります。

      20180426南小学校04

おそらく、音金分校時の門柱を再利用したのでしょう



門柱の裏側には、寄贈者の名が連なります。

      20180426南小学校05

昭和39年建立。
南小学校が開校した翌年に建てられたみたいです。

それにしても、星って言う苗字が多い。



門柱脇にはバス停。

      20180426南小学校01

バス停の名は、そのまま『南小学校』。
時刻表をみてびっくり。
1日に1本とか2本。まさに秘境です。




南小学校の校舎は解体されて、跡地は漬物工場になっていると聞いていたから
恐る恐る敷地内に入ります。


前方にグランドと体育館らしき建物が見えます。

      20180426南小学校06


      20180426南小学校07

グランドには工事用の機材や残材が置かれているから
あまり近寄らない方がいいですね。



こちらが、漬物工場のようです。

      20180426南小学校08

この先へは遠慮しておきましょう。


未舗装の駐車場脇で見つけた石碑。

      20180426南小学校09

『光と緑』と刻まれた南小学校創立30周年の記念碑です。


裏面には何もなし。

      20180426南小学校10



ふと見上げると、満開の桜。

      20180426南小学校11


校舎は無くなってしまったけれど、
南小学校の跡地には、綺麗な桜が残っていました...............。






2018/06/06 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旭田小学校音金分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。

落合分校をあとにして、次なる廃校へと向かいます。

当初は、下郷町立南小学校に向かいましたが
何せ何処に在るのか? 詳しい場所は分からない。
ヒントは旭田小学校音金分校が独立して南小学校になったと言う事実。
とりあえず、音金集落へと向かいます。

音金集落で、農家のお婆ちゃんに出会い、
場所を訪ねて車を走らせるけれど
どうも良く分からない。
漬物工場になっていると言う話だけれど
それらしき建物がない。

周辺をぐるぐる回っていたら、こんな場所に遭遇しました。

      20180426音金分校01



見るからに学校跡っぽい。

      20180426音金分校02



定番の地域の集会所(公民館)。

      20180426音金分校04

音金集会所の表札が掲げられています。


さらに定番の消防倉庫。

      20180426音金分校05



敷地周りの桜の木。

      20180426音金分校03



そして、極め付け。
古びた遊具。

      20180426音金分校07      



学校跡地の匂いがプンプン。

でも漬物工場はない。
ってことは、学校跡地じゃない?



集会所裏手で草刈りをしていたお婆さんに尋ねてみると
どうやら、ここが下郷町立旭田小学校音金分校だったんです。
そして、下郷町立南小学校は、別な場所に在ったらしい。
音金分校が独立して南小学校になったから、同じ場所だと思ってました。

音金分校は、

創立時期等詳細は不明ですが、
明治初期に音金村に開校された小学校が始まりだと思われます。

明治22年     町村制施行により沢田村、澳田村、中妻村、大松川村、合川村、
           野際新田村、音金村、南倉沢村、塩生村落合村が合併し旭田村が発足。
           各小学校が統合され旭田尋常小学校を創立。
           中妻・大松川・南倉沢・音金・落合の5分教室が設立される。
昭和22年     学制改革により、旭田村立旭田小学校音金分校となる。          
昭和30年     旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生。
           下郷町立旭田小学校音金分校と改称する。
昭和38年     本校より独立して下郷町立南小学校となり、新校地に移転する。
           音金分校はその歴史を閉じました。

と、このような沿革だったと思われます。



敷地には、防災無線の塔も建てられています。

      20180426音金分校06



集会所の脇にポツンとある赤錆びた遊具。

      20180426音金分校07

分校時代のモノなんでしょうか?


数十軒の集落である音金地区。
そのランドマークの位置付けでもあった音金分校。
偶然ではあるけれど、その跡地に訪れる事が出来て、本当に良かった...............。


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2018/06/06 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立旭田小学校落合分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


栗生沢小学校をあとにして、南会津町から下郷町へと移動します。
昨年の7月に下郷町の廃校巡りをしましたが
その時に回りきれなかった廃校巡りとなります。

向かった先は...............下郷町立旭田小学校落合分校


落合分校は

創立時期は不明ですが、明治初期に落合村に設置された小学校が始まりだと思われます。

明治22年     町村制施行により沢田村、澳田村、中妻村、大松川村、合川村、
           野際新田村、音金村、南倉沢村、塩生村、落合村が合併し旭田村が発足。
           各小学校が統合され旭田尋常小学校を創立。
           中妻・大松川・南倉沢・音金・落合の5分教室が設立される。
昭和22年     学制改革により、旭田村立旭田小学校落合分校となる。          
昭和30年     旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生。
           下郷町立旭田小学校落合分校と改称する。
昭和60年     中妻分校、大松川分校と共に本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


跡地には往時の木造校舎が残り、
現在は、その校舎を利用してカフェとなっています。


こちらが、落合分校の正門。

      20180426落合分校01



門柱も健在。

      20180426落合分校02


門柱には、往時の表札も掲げられています。

      20180426落合分校03


      20180426落合分校04


      20180426落合分校05



こちらが、木造校舎。

      20180426落合分校06


      20180426落合分校07


      20180426落合分校08


      20180426落合分校09



先にも述べたように、現在は『会津ジイゴ坂学舎』と言うカフェになっていますが
この日は定休日のようです。

      20180426落合分校10



店番(留守番?)役のワンちゃんが、 びいすけ が気になるのか?
ずっとこちらを見ています。

      20180426落合分校11



校舎の前には桜の木。

      20180426落合分校12



見頃には、気持ち遅かった感じ。

      20180426落合分校13



校庭に残された遊具類。

      20180426落合分校14


      20180426落合分校15


      20180426落合分校16


      20180426落合分校17



敷地の周りを木々か取り囲んでいるから
外目からは、森の中の学校って言う感じで、
なかなかの雰囲気。

      20180426落合分校18


      20180426落合分校19



残念ながら、廃校記念碑や二宮像は残されていませんでした。

カフェとして生まれ変わった落合分校。
いつまでも、その姿を残していって欲しいものです...............。


2018/06/05 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・田島町立栗生沢小学校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町 

4月26日     

1泊2日の南会津地方への旅行。
再び、廃校巡りへと...............。


鴫山城址をあとにして、向かった先は...............旧・田島町立栗生沢小学校


栗生沢小学校の詳しい沿革は不明ですが、

昭和40年    田島町立田島小学校の栗生沢分校から独立して
          田島町立栗生沢小学校となる。
平成6年     田島小学校に統合のため閉校となる。

と、このような沿革となっているようです。

統合先の田島小学校のHPを覗いても、
田島小学校そのものの沿革の記載がなく
田島小学校栗生沢分校の設立時期等も分かりません。



こちらが、栗生小学校の正門跡。

      20180426栗生沢小学校01



嬉しいことに、門柱はしっかりと残っています。

      20180426栗生沢小学校02



さらに、門柱には往時の表札が掲げられています。

      20180426栗生沢小学校03



残念ながら建築物としての学校遺構は、この門柱のみ。

      20180426栗生沢小学校04



校舎は既に解体され、広場状態。

      20180426栗生沢小学校05

倉庫のような小屋が片隅に建ち、関係者?の車が数台停められています。



正門側にちょっとした高台。
そして、数段の石段。

      20180426栗生沢小学校06

おそらく、石段先のちょっとした高台に校舎が建っていたのでしょう。



その高台に聳える モミの木。

      20180426栗生沢小学校07

きっとシンボルツリーだったんだろうなぁ。



同じ高台の別な石段。
校舎から校庭に行くには、これらの石段を駆け降りていたんでしょうね。

      20180426栗生沢小学校08



校庭の隅に置かれた朝礼台。
びいすけ に上がってもらいました。

      20180426栗生沢小学校09


      20180426栗生沢小学校10



朝礼台から10mほど離れた場所に
無造作に置かれていた朽ち果てた椅子。

      20180426栗生沢小学校11



敷地の周りを取り囲むように並ぶ桜の木。

      20180426栗生沢小学校12



種類は分からないけれど、ソメイヨシノでは無さそう。

      20180426栗生沢小学校13



おそらく、山桜系の桜だとは思うんだけど
見頃はちょっと過ぎたみたい。

      20180426栗生沢小学校14

でも、これも廃校の桜。
これで、木造の校舎が残っていたら、言うことないんだけどなぁ...............。





2018/06/05 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鴫山城祉   (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町) 

4月26日

1泊2日の南会津への旅行の初日。

旧・田島町に在る 鴫山城址に立ち寄ってみました。


鴫山城址は、南会津町田島地区に聳える愛宕山の山頂部の急斜面や
山麓部の緩斜面や尾根、谷間等に土塁や門、堀等が構築された
自然の地形を利用し築かれた山城です。

鴫山城の築城年代は不明ですが、
長禄3年(1459年)に山内越中と白川氏が
「南山しき山の城」を攻め落としたことが記録として残っていて、
この頃すでに存在していたことは確実であるようです。

鴫山城一帯は、長沼氏が支配しており、鴫山城を築城したものも長沼氏と推定され、
天正17年(1589年)の摺足原の戦いで蘆名氏が滅亡すると、
鴫山城主・長沼盛秀は伊達政宗に臣従し、伊達勢力ととも河原田盛次が守る久川城を攻撃しています。
長沼氏は天正18年(1590年)の豊臣秀吉の定めによって伊達氏に従い鴫山城を去ります。
長沼氏が去った鴫山城には蒲生氏郷の家臣である小倉作左衛門が6300石で城代となり入城します。

慶長3年(1598年)には上杉景勝の会津移封に伴い、
上杉家の執政である直江兼続の実弟・大国実頼が2万1000石で城代となりましたが
その後、寛永4年(1627年)に元和の一国一城令により廃城となりました。



こちらが、鴫山城の縄張り図。

      鴫山城址縄張り図

( 余湖さんのHP よりお借りしました )




こちらが、鴫山城址の入口。

      20180426鴫山城址01

この先が登城路となります。


鳥居の先が鴫山城址。

      20180426鴫山城址02

この鳥居は、愛宕山の山頂に鎮座する愛宕神社の鳥居。
残念ながら、山頂の愛宕神社の社殿は落雷により焼失してしまったらしい。



鳥居の側には、鴫山城址の説明板。

      20180426鴫山城址03



案内図も用意されています。

      20180426鴫山城址04

どうやら、ハイキングコースになっているようです。



鳥居の先には、石碑群。

      20180426鴫山城址05

それなりに風化して文字の判読は難しい。
かなりの年代物のようです。




鳥居の先の削平地は侍屋敷跡。

      20180426鴫山城址06



      20180426鴫山城址07


      20180426鴫山城址08

家臣団の屋敷が置かれる場所となっていたのでしょう。


侍屋敷跡から鳥居を振り返ってみます。

      20180426鴫山城址09



この辺りでは、まだ城址の雰囲気は高くない。

      20180426鴫山城址10



登城路をさらに進むと、目の前に現れる土塁。
そして、大きな説明板。

      20180426鴫山城址11



こちらにも、鴫山城の説明板。

      20180426鴫山城址12



土塁に近づいてみましょう。

      20180426鴫山城址13



土塁に上がってみましょう。

      20180426鴫山城址14



土塁の奥には見事な空堀。

      20180426鴫山城址15



びいすけ は、土塁の上で草の匂いをクンクンと匂い嗅ぎ。

      20180426鴫山城址16



空堀の上は下千畳。
高さもあり、容易には上がれない。

      20180426鴫山城址17



再び、登城路。
空堀の土橋も確認できる。

      20180426鴫山城址18



土橋辺りからの空堀。

      20180426鴫山城址19


      20180426鴫山城址20



土橋の先には、見事な石垣(石塁)。

      20180426鴫山城址21

かつての大門跡。
この石垣を見ただけでも、頑丈な門であったのが計り知れます。


対の石垣。

      20180426鴫山城址22



石垣の脇には石段があり、下千畳に上がることが出来る。

      20180426鴫山城址30



下千畳から場内を眺めます。


      20180426鴫山城址24

見事な石垣。


      20180426鴫山城址25


広い郭は御平庭。

      20180426鴫山城址23



びいすけ は、御平庭でも匂い嗅ぎ。

      20180426鴫山城址26


      20180426鴫山城址28



この御平庭は、城内の役所があった場所とされているようです。

      20180426鴫山城址27



御平庭の井戸跡。

      20180426鴫山城址29


      

御平庭の先には、城址の標柱。

      20180426鴫山城址31



その傍らには小さな祠。

      20180426鴫山城址32



近くには、こんな石仏も鎮座しています。

      20180426鴫山城址33



こちらが、上千畳。
鴫山城の本丸にあたります。

      20180426鴫山城址36


      20180426鴫山城址35



  
こちらが、土門跡。    

      20180426鴫山城址37


      20180426鴫山城址38



画面右側の高台が上千畳。
左が舌千畳。

      20180426鴫山城址39



久しぶりの山城巡り。
心なしか びいすけ も土と草の香りを思い切り嗅いで
テンションも上がっているみたい。

      20180426鴫山城址40



久しぶりに本格的な中世の城郭を見たと言う気がします。
関東ではよく見かける土塁と空堀。土の城の代表的な遺構と
関東の中世の城郭では、なかなかお目にかかれない石垣。
まさしく、ここは関東ではなく会津の地なんだと実感させる鴫山城址でした...............。







2018/06/04 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう..............................田島ダム (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町) 

4月26日  

1泊2日の南会津への旅行。
南会津町にある田島ダムへ立ち寄ってみました。



田島ダムは、阿賀野川水系の高野川にある多目的ダムです。
洪水調節・既得取水の安定化・河川環境保全のための河川流量の確保、
水道用水の供給を目的に建設され、1999年竣工しました。
重力式コンクリートダムで、堤高36m、堤頂長200m。
天端は車両の通行は制限され、徒歩で通行可能です。

堤体下は田島ダム公園になっていて、遊歩道や展望台・駐車場などが備えられている。
ダム湖は舟鼻湖と呼ばれています。



こちらが、田島ダムとダム湖の舟鼻湖。

      20180426 田島ダム01


      20180426 田島ダム02




田島ダムの碑の前で、一枚パチリ☆。

      20180426 田島ダム03



ダム湖である舟鼻湖の碑の前でもパチリ☆。

      20180426 田島ダム04



こたたらが、ダム湖の舟鼻湖。

      20180426 田島ダム05




天端は歩道となっていて通行可能。

      20180426 田島ダム11




それでは、天端を歩いてダムからの眺めを堪能しましょう。

      20180426 田島ダム10



天端から下を眺める もっちゃん と びいすけ 。

      20180426 田島ダム06



『 お〜い びいすけ 。何が見えるの? 』

      20180426 田島ダム07



彼らの視線の先は...............

      20180426 田島ダム08

堤体下の田島ダム公園。



そして、放水路。

      20180426 田島ダム09




どうやら、 びいすけ はダム湖も気になるようです。

      20180426 田島ダム12

水が嫌いなはずじゃなかった?(笑)



どうやら、 びいすけ は田島ダムが気に入ったみたい。

      20180426 田島ダム13



やたらと下を覗きこもうとしています。

      20180426 田島ダム14


      20180426 田島ダム15



ダムの隣に田島ダム管理事務所は在りますが
ダムカードは、別な場所で配布されています。


こちらが、田島ダムのダムカードの配布場所。

      20180426 田島ダム16

福島県南会津合同庁舎。
こちらの3階で配布されています。


ダムカードゲットしました。

      20180426 田島ダム17



こちらが、田島ダムのダムカード。

      20180426 田島ダム18


      20180426 田島ダム19



久しぶりのダムカード集め。
ダムに訪れてその風景を楽しみ、記念の意味を込めてダムカードを貰っていく。
やっぱり、ダムカード集めも楽しいものです。





2018/06/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............田出宇賀神社  熊野神社 (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町」) 

4月26日  

福島県の南会津方面への1泊2日の旅行。
主たる目的は南会津地方の廃校巡りですか、
なかなかこちら方面へは簡単には来れないので、
この機会に、こちら方面の御朱印巡りもしちゃいましょう。

と、言うことで訪れたのは...............出宇賀神社 & 熊野神社


田出宇賀神社と熊野神社は南会津町宮本甲に鎮座する神社です。

実は、旧・田島町の出宇賀神社と熊野神社は同じ敷地内にあります。
同じ敷地内に2つの神社が鎮座すると言うのは、ごくたまにありますが
同じ社殿を使った異なる神社と言うのは珍しい。




田出宇賀神社の創建には様々な説があるようです。
案内板によると...............

田島は「日ノ町」と呼ばれ、その頃、田の中に小島があり、その中の泉から神が出現したことから、
町の名を「田島」と改めたと言い伝えられているそうです。
そして、この田ノ神を「宇迦之御魂命」と崇め、
田出宇賀大明神と称して町の鎮守の神と奉斎し、
のちに当地方「南山八郷」の総鎮守とも称せられたということです。
また、例祭である田島祇園祭の由来は,文治年間(1185年~1189年)に、
当地が鎌倉幕府の長臣・長沼五郎宗政の領地となり、
領主の尊信する祇園信仰により招来されたそうです。

また、他の説としては、領主*長沼五郎宗政の居城である鴫山城の出城である宮本館の地に、
鎮守神と共に祇園の祭神、須佐之男命(牛頭天主)を奉齋し、
祭儀の格例、神輿渡御の儀を定め、その行列には家士を供奉せしめ、
四天王家の一ツと称せられた室井氏を以て、祭祀を司らしめたという事です。
以来,慶長・文政・明治と時代の変遷に従って、
その格例を詳細に改め、明治12年よりこの地に祀ったとも言われています。

例祭である祇園祭は日本三祇園の一つに数えられ、
国指定重要無形民族文化財に指定されています。
党屋制を継承し、七行器行列には花嫁姿の女性が供奉します。

御祭神は宇迦之御魂命、天照大日命、須佐之男命、和久産霊命。




一方、熊野神社は中世の長沼氏時代に、
元町唐松元に鎮座していた熊野神社が
「館之内大神宮社地」(現在の場所)へと遷され、
その熊野神社のもとへ、新町に鎮座していた別の熊野神社が遷され、
二社の熊野神社が一つになって現在の熊野神社となったそうです。
それが、田出宇賀神社と同じ時期に現在地に遷されたようです。
以前は毎年8月4日に行なっていた例祭を
明治12年に田出宇賀神社の例祭日の7月20日に行うようになったそうです。

御祭神は、速玉之男命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、事解之男命




真っ赤な大鳥居。
こちらが参道口になります。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社01

特に神額は掲げられてはいない。


この鳥居から先の参道の左側が出宇賀神社関連、
右側が熊野神社関連の敷地になるようです。



参道右側には、熊野神社の由緒書き。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社02



その隣には、熊野神社の社号標。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社03



参道左側には、出宇賀神社の由緒書き。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社04

社号標は見当たらなかった。
(単なる見落としかもしれません)



参道右側には手水舎。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社05

こちらは、共用のモノみたい。



こちらは、二の鳥居?

      20180426田出宇賀神社  熊野神社06



よく見ると、神額には『田出宇賀大明神』と記されています。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社07



鳥居の先は社殿(拝殿)。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社08



拝殿正面。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社1




拝殿正面の飾りと注連縄。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社09


      
拝殿正面の扁額。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社11

こちらは、社務所の並びとは逆。
拝殿に向かって右側が田出宇賀神社。
向かって左側が熊野神社。

確かに、
同じ社殿に異なる2社の扁額が飾られているのは珍しい。
これって一扉二社の神社。


別アングルからの拝殿。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社16





こちらが、田出宇賀神社の社務所。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社12

社殿に向かって左側にあります。



こちらが、熊野神社の社務所。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社13

社殿に向かって右側にあります。

沼津の浅間神社丸子神社が同じように一扉二社の神社だけど
社務所は一つだった。
社務所が別々にあるのに、社殿が同じって、やっぱり、珍しい。


拝殿前の狛犬。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社14


      20180426田出宇賀神社  熊野神社15




拝殿の隣には神祇斎場

      20180426田出宇賀神社  熊野神社18


      20180426田出宇賀神社  熊野神社17


      

境内社。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社19


      20180426田出宇賀神社  熊野神社20



境内には、七福神もありました。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社21


      20180426田出宇賀神社  熊野神社22




時刻は8時。
実は、数日前に双方の社務所に、この日の8時に参拝に訪れる事を連絡しておいたので
社務所の宮司さんに御朱印をお願いいたしました。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社23



御朱印を墨書きしている間、大人しく待つ びいすけ 。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社24



こちらが、田出宇賀神社の御朱印。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社25



こちらが、熊野神社の御朱印。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社26


      20180426田出宇賀神社  熊野神社27



田出宇賀神社の宮司さんから頂いた御守り。

      20180426田出宇賀神社  熊野神社28

大切に使わせていただきます。

こちらに訪れるまで、田島の祇園祭の事は全く知らなかった。
ましてや、日本三大祇園祭だなんて知る由もない。
ちなみに、日本三大祇園祭は、
京都 八坂神社の『祇園祭』、九州博多の『博多祇園山笠』、
そして、会津田島の『会津田島祇園祭』と言う事らしい。


なかなか訪れる事の出来ない南会津の神社の御朱印。
いただきました〜!

2018/06/02 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して...............福島・南会津」編①   (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町) 

4月26日

1泊2日の福島県南会津地方への廃校巡りが主体の旅行の初日。
久しぶりに丸ポストも探しちゃいました。


南会津町には、3基の丸ポストが現存しているらしい。
そもそも平成18年に田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併し、
南会津町が誕生しました。
と言うわけで、単に南会津町と言ってもかなり広範囲になります。

3基の内の1基が旧・田島町に在ると言う。
せっかく旧・田島町域に来ているんだから、素通りは出来ません。
ましてや、永田小学校へ向かう途中で丸ポストを見つけちゃったから
余計に素通りは出来ません(笑)。


その丸ポストは、国道289号線(通称 駒止バイパス)沿いにある
会津酒造前の丸ポスト。

      20180426丸ポスト南会津01


      20180426丸ポスト南会津02


      20180426丸ポスト南会津03


      20180426丸ポスト南会津04



探すのに苦労するかな?って思っていたけれど
車を走らせていて、いきなり目の前に現れたから
ちょっぴり拍子抜け。
でも、これで南会津町の丸ポストを1基攻略完了。

南会津町には、あと2基丸ポストが現存するようですが
南会津町高杖原のアストリアホテル前
南会津町内川居平の大川郵便局前 と、
いずれもこの辺りからはかなり離れている。

まあ、いつかそちら方面に行く機会があったら
是非、丸ポスト探しにチャレンジしてみよう。



ちなみに、福島県内の現存する丸ポストは76基(2018年4月末現在)。
今までに 下郷町 1基 。
そして、今回 南会津町 1基 。

合計 2基の丸ポストを確認しています。
あと、74基。
どこまでチャレンジ出来るかな...............?






2018/06/02 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・田島町立永田小学校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町 

4月26日  

1泊2日の南会津の旅行。
南会津町の廃校を巡ります。

荒海小学校中荒井分校をあとにして、向かった先は...............旧・田島町立永田小学校


永田小学校については、詳細は不明です。
昭和49年に当時の田島町立田島小学校(現:南会津町立田島小学校)に統合されて
廃校になったようです。


永田小学校の跡地は永田農林公園となり、
校舎は既に解体され、敷地の一部には
「永田林業研修センター」が建てられています。

      20180426永田小学校01


      20180426永田小学校02



敷地の外周に何本かの桜の木が残り
学校跡地だと言うことを彷彿させてくれます。

      20180426永田小学校03


      20180426永田小学校04


      20180426永田小学校05

残念ながら、こちらの桜も満開の見頃の時期を逸してしまったようですね。


廃校記念碑等はなく、学校遺構はこのローラーだけ。

      20180426永田小学校06



道を挟んだ反対側に消防倉庫が建ち、その傍らに二宮像。

      20180426永田小学校07


      20180426永田小学校08



二宮像の基台には、寄贈者の名が...............。

      20180426永田小学校09

渡部さんの名が多い。
10代の頃の友人に田島町出身の友人が居て、
田島町には『星』と言う性が多いと聞いていたけれど
渡部さんのオンパレード。
あっ、ちなみにその友人も『星』と言う性なんですけどね。




学校跡に訪れたと言う感は少ないけれど、
この二宮像に会えただけでもマシかもしれない。

      20180426永田小学校10


でも敷地外に二宮像が置かれているって...............
どうなんでしょうね?
『公園の隅っこにでも置いておけば良いのに』って思うのは私だけ...............?







2018/06/01 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・田島町立荒海小学校中荒井分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町) 

4月26日  

4月26日〜27日、世の中のGWが始まる前に、
妹の もっちゃん を誘って福島県の南会津方面に出かけました。

前日の25日の夜、八王子の実家に移動。
この日は、高速の深夜割引に間に合うように午前3時に八王子の実家を出発。
圏央道あきるのICから高速に乗り、東北道と乗り継ぎ福島県を目指します。

白河ICで高速を降り、山越えをして南会津町へと向かいます。


向かった先は...............旧・田島町立荒海小学校中荒井分校



中荒井分校は

明治11年  川島小学校中荒井分校として創立。
大正5年  荒海村の5校が統合し荒海尋常小学校となり、
荒海尋常小学校中荒井分校となる。
昭和22年学制改革により、荒海村立荒海小学校中荒井分校なる。
昭和30年荒海村が田島町、檜沢村と合併して新たな田島町が発足。
田島町立荒海小学校中荒井分校と改称する。
昭和34年 本校である荒海小学校に統合され、廃校となる

とこのような沿革になっているようです。


廃校から既に59年。
半世紀以上の月日が流れていますが
木造の校舎は健在です。

      20180426中荒井分校01

とは言え、廃校から半世紀以上の月日が経っているから
長い年月の中、少しずつ手入れや補修を行って来たんでしょうね。



木造の平屋建て校舎。

     20180426中荒井分校02



平成も30年度。
こうやって現在な木造校舎を見ると、嬉しくなりますね。

      20180426中荒井分校03



校舎の前には、大きな枝垂れ桜。

      20180426中荒井分校04



地元では、有名な『中荒井分校の枝垂れ桜』。

      20180426中荒井分校05

残念ながら、桜はすでに散ってしまい、見頃は過ぎてしまいました。

例年なら4月下旬が見頃と言うことで、1ヶ月以上前から宿を予約して
この時期に訪れたのに...................

ちょっぴり残念です。(本当は、かなり残念です。)
今年は、桜が例年より1週間以上前に開花しちゃったからねぇ。


ならば、中荒井分校の木造校舎を堪能しなくっちゃ。

      20180426中荒井分校06


      20180426中荒井分校07


      20180426中荒井分校08



校庭に残る遊具類。

      20180426中荒井分校09


      20180426中荒井分校10



残念ながら、分校跡地には廃校記念碑や二宮像もない。

在るのは、この枝垂れ桜と古びた地蔵堂。

      20180426中荒井分校11


      20180426中荒井分校12



      20180426中荒井分校13

地蔵堂の隣には、小さなお宮(熊野神社)も鎮座していました。



校庭の隅には数本の桜。

      20180426中荒井分校14

こちらも既に見頃は終わり、葉桜に近い状態。


廃校と桜、そんなテーマで訪れた南会津2018春。
まだまだ廃校巡りは続きます。


2018/06/01 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

柏原神社 (2018年4月11日)(千葉県大網白里市) 

4月11日

この日は、茂原市周辺の神社の御朱印巡りに出かけました。

大網白里市の縣神社で、宮司さんとの待ち合わせに
約1時間の空き時間が出来た。
その空き時間を利用して、同じ大網白里市にある柏原神社に行ってみました。


柏原神社は、大網白里市小西に鎮座する神社です。

大網白里市の小西と言えば、中世の城郭である小西城が在りましたが
残念ながら、圏央道の工事のため、そっくり壊滅してしまいました。
以前、小西城址を訪れようとした事がありましたが
圏央道の工事中で、城郭が在ったと思われる場所が
そっくり山ごと削り取られ、貴重な遺跡が消滅してしまいました。
この時は、ショックだったなぁ。


柏原神社は、長禄元年(1457年)に鎮座とされていますが、詳細は不明。
御祭神は神武天皇ということです。
一説には西方寺の鎮守社であったとも言われているようです。


柏原神社の表参道は、正法寺の境内裏手の墓地の間から始まります。
参道口が墓地と言うのも珍しい。
まさに、明治以前の神仏習合の名残りですね。


こちらが、参道口。

      20180411柏原神社01

見るからに山城の登城路の感がします。



墓地のために削平されたとは思うけれど
見方によっては腰郭のように見えなくもない。

      20180411柏原神社02



こちらが、一の鳥居。

      20180411柏原神社03



一の鳥居の周辺も城址の雰囲気が漂います。

      20180411柏原神社04


      20180411柏原神社05


      20180411柏原神社06



先に進めば、圏央道。

      20180411柏原神社07


      20180411柏原神社08



確かに台地の一部がざっくりと削り取られている。

      20180411柏原神社10



圏央道の横断橋の先に鳥居が見えます。

      20180411柏原神社09


      
こちらが二の鳥居。

      20180411柏原神社11



さらに先に進めば、石段。

      20180411柏原神社12




この石段は、小西城の塁石を小西檀林(正法寺)の学僧達が運んで作った石段だと言うことです。

      20180411柏原神社13



石段を上った先には、三の鳥居。

      20180411柏原神社14



こちらが、三の鳥居。

      20180411柏原神社15



三の鳥居の神額。

      20180411柏原神社16



手水舎。

      20180411柏原神社20



こちらが、拝殿。

      20180411柏原神社17



拝殿正面。

      20180411柏原神社18



拝殿の屋根瓦の跳び狛犬。

      20180411柏原神社24


別アングルからの拝殿。

      20180411柏原神社19


  
拝殿手前の狛犬。

      20180411柏原神社21


      20180411柏原神社22


      20180411柏原神社23




こちらが、本殿。
     
      20180411柏原神社25


      20180411柏原神社26




境内社。

      20180411柏原神社27


      20180411柏原神社28


      20180411柏原神社29



拝殿裏手に繋がる参道口。
こちらは、裏参道になるんですね。
裏参道の一の鳥居。

      20180411柏原神社30



裏参道の二の鳥居。

      20180411柏原神社31



二の鳥居の神額。

      20180411柏原神社32



本殿裏手には、解体された鳥居?
かつての鳥居でしょう。

      20180411柏原神社33

神額には、『柏原宮』と記されていました。


こちらの神社も社務所はなく、無人の神社。
千葉県神社庁のHPには、御朱印を拝受出来ると記されていましたが
どうやら、無理っぽいですね。




2018/05/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............縣神社  (2018年4月11日)(千葉県大網白里市) 

4月11日

この日は、茂原市周辺の神社の御朱印巡り。
茂原市から大網白里市へと移動します。

向かった先は...............縣神社


縣神社は、大網白里市土気町に鎮座する神社です。

正式には、大網白里市土気町飛地
即ち、大網白里市金谷郷と言う地区に土気町の飛地が在ると言う
非常にややこしい住所。
愛車のナビはお利口さん(?)だから、ナビでは表示しないし、案内もしてくれません。
スマホの地図アプリと睨めっこしながらの到着です。


創建時期は明らかではありませんが、第十三代成務天皇の御代に
当時の地方官長である縣主が奉祀した神社であると伝承されているそうです。
長享二年(1488年)酒井小太郎定隆が土気城を再興した折に
鬼門除けの神として当地に再建し、以後酒井氏の守護神として崇め奉られたそうです。
秀吉の小田原征伐により、北条方の酒井氏は亡び、以後徳川家の治領下に及んで、
天正十九年、徳川家康より五石の御朱印領を寄進せられた山武郡内唯一の神社であり、
非常に由緒ある神社になるそうです。




こちらが、縣神社の社号標。

      20180411縣神社01



一の鳥居。

      20180411縣神社02



鳥居をくぐって参道を進みます。

      20180411縣神社03



こちらが、ニノ鳥居(?)

      20180411縣神社04

実は参道は画面左側。
実際に参道を歩いて来ると、この鳥居はくぐらない。
でも、社殿正面にあたる鳥居だから、
本来はこの鳥居の手前が表参道かも知れないけれど
どう見ても獣道。誰も通らないんだろうなぁ。



その二の鳥居(?)に掲げられた神額。

      20180411縣神社05



二の鳥居脇には、鳥居改築の記念碑。

      20180411縣神社06

傍らには、古い鳥居の柱の一部が飾られています。



さらには、もう一つの鳥居。
三の鳥居になるのでしょうか?

      20180411縣神社07



三の鳥居の先には、由緒書き。

      20180411縣神社08



さらには、手水舎。

      20180411縣神社10



こちらが、拝殿。

      20180411縣神社11



拝殿正面。

      20180411縣神社12



掲げられた扁額。

      20180411縣神社13


      20180411縣神社14



別アングルからの拝殿。

      20180411縣神社20




拝殿前の狛犬。

      20180411縣神社15


      20180411縣神社16



拝殿前の天水桶。

      20180411縣神社24



縣神社の本殿に関する説明板。
縣神社の本殿は大網白里市の指定文化財のようです。

      20180411縣神社17



こちらが、その本殿。

      20180411縣神社18



彫刻が凄いですね。

      20180411縣神社21


      20180411縣神社22


      20180411縣神社23





こちらは、境内社。
     

      20180411縣神社25



境内社の手水舎の手水鉢の水は枯れています。

      20180411縣神社26



小さな祠も健在。

      20180411縣神社27


      20180411縣神社28



境内の片隅に並ぶ板碑。

      20180411縣神社29


      20180411縣神社30




こちらが、御神木。

      20180411縣神社31
       20180411縣神社32



この御神木である大杉は、大網白里市の天然記念物に指定されています。

      20180411縣神社09



こちらが、社務所。

      20180411縣神社33

立派な社務所ですが、普段は無人っぽい。
この日も誰もいなくて、宮司さんの連絡先が貼り紙されています。
     

宮司さんと連絡が取れ、
1時間後に無事御朱印を拝受することが出来ました。

こちらが、縣神社の御朱印。

      20180411縣神社35


外出先から戻っていただき、貴重な御朱印を墨書きしていただき
ありがとうございました。




2018/05/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

伊弉子神社    (2018年4月11日)(千葉県大網白里市) 

4月11日

この日は、茂原市周辺の神社の御朱印巡りに出かけました。


長谷神社をあとにして、大網白里市へと移動します。
国道128号を茂原の市街地方面から東金市方面へと移動していると
前から気になっていた場所がある。

気になっていた場所は国道沿いにある神社。
特に急いでいるわけでも無いから、
この機会に立ち寄ってみることにしました。

立ち寄った先は...............伊弉子神社


伊弉子神社は、茂原市渋谷に鎮座する神社です。


詳細な由緒等は不明ですが、天慶8年(945年)の創建とされています。



鳥居前にて。

      20180411伊弉子神社01



参道の説明板。

      20180411伊弉子神社02

説明板によれば、
伊弉子神社境内の裏手に大モミジかあり、
本殿は茂原市の文化財に指定されているようです。




凛々しい姿の狛犬。

      20180411伊弉子神社03



よく見ると、金属製(ブロンズ)の狛犬。
これは珍しい。

      20180411伊弉子神社04



狛犬と びいすけ 。

      20180411伊弉子神社05



手水鉢。

      20180411伊弉子神社06



社殿前にて。

      20180411伊弉子神社07



拝殿正面。

      20180411伊弉子神社08


      20180411伊弉子神社09



扁額の文字は墨が掠れて読み取れない。

      20180411伊弉子神社10


拝殿正面の飾りの彫刻。

      20180411伊弉子神社11


別アングルからの拝殿。

      20180411伊弉子神社12


      20180411伊弉子神社13



こちらが、本殿。

      20180411伊弉子神社14



この本殿が、茂原市の指定文化財になります。

      20180411伊弉子神社15



境内の弁財天の板碑。

      20180411伊弉子神社16


何年か前から気になっていた場所であり、
何年か前から気になっていた神社。

そこは、無人の神社でしたが、趣きのある社殿の神社でした。

これで、一応気掛かりは無くなりました(笑)。




2018/05/28 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長谷神社 (2018年4月11日)(千葉県茂原市) 

4月11日

この日は、茂原市周辺の神社の御朱印巡りに出かけました。



茂原八幡神社をあとにして、向かった先は...............長谷神社



長谷神社は、茂原市長谷に鎮座する神社です。


長谷と書いて『ながや』と読むそうです。

創建時期について、千葉県神社庁のHPには
仁和2年8月創建と伝えられているそうですが、
文明18年より600年以前の創建とも言われ、
長谷村の郷社であったとされていたようです。

武門の帰衣が厚く、旧領主森川内膳正を始め、
歴代各領主より承応2年から明治3年まで祭典御饌料として
毎年米四斗ずつを献納されていたようです。




こちらが、参道口。

      20180411長谷神社01



鳥居前にて。

      0180411長谷神社02

鳥居には、社号の神額は無い。




鳥居のちょっと先から、石段。

      0180411長谷神社03

石段の上には社殿が見えます。



元気に石段を駆け上がって行く びいすけ 。

      0180411長谷神社04

齢8歳ながら、元気です。



石段を上がると、すぐ目の前に拝殿。

      0180411長谷神社05

意外に境内は狭く、石段の上からでも、
拝殿全体をカメラに収めきれない。



拝殿正面。

      0180411長谷神社06




手水舎。

      0180411長谷神社07

訪れる人も居ないのか?
手水鉢の中は水が枯れていました。



拝殿正面に掲げられている扁額。

      0180411長谷神社08



別アングルからの拝殿。

      0180411長谷神社09

斜めからだと、拝殿全体がカメラの中に収めきれます。



こちらが、本殿。

      0180411長谷神社10



境内の板碑。

      0180411長谷神社11



台地の中腹を切り拓いて、創建された神社のようで境内は狭い。
社殿以外の建物は無く、社務所もありません。
普段から無人の神社のようです。

千葉県神社庁のHPには、御朱印が拝受できるとありましたが
宮司さん宅に電話で問い合わせたところ、現在は神社の御朱印そのものが無く
いずれ御朱印を製作する予定らしい。

御朱印が出来たら、改めて参拝する事に致しましょう。




2018/05/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit