さわら雛めぐり (2018年2月19日)(千葉県香取市)
2月19日
この日は、香取市に出かけました。
香取市と言っても、旧・佐原市域、
下総の小江戸と呼ばれる佐原市の町並みの散策。
ひな人形が飾られた『さわら雛めぐり』が目的です。
毎年、この時期になると各地で町興しの一環で
古民家や商店にひな人形を飾る『ひなまつり』が開催されますが
個人的に、茨城県の『真壁のひなまつり』と千葉県の『勝浦ビッグひなまつり』、
そして、この佐原の『さわら雛めぐり』を楽しみにしています。
今年も、『さわら雛めぐり』にやって来ました。
いつものように、スタートはJR佐原駅から。

佐原駅構内にある『観光交流センター』で『さわら雛めぐり』のパンフレットを貰います。

ポスターも貼られています。

佐原駅前の丸ポスト。

以前は、佐原駅前の交番の近くに在ったのですが
数年前に佐原駅前の改修工事で移動したみたいです。
ポスト自体も塗り直され、部分的に佐原にちなんだペイントもされています。

では、『さわらの雛めぐり』を始めましょう。

駅前は綺麗になったんだけど、駅近くの商店街は
以前に比べて元気がないようです。
ひな人形を飾っている店も少ない。
って言うか、以前に比べて駅前の商店が少なくなっている。


駅前から、佐原の観光地の中心とも言える忠敬橋付近へと続く商店街は、
一言で言っちゃえば寂れている。
閉まっているお店が多いんだよなぁ。

それでも店先にひな人形を飾るお店は多くあります。







忠敬橋から小野川沿いを下流へと歩きます。

佐原の魅力は、この小野川沿いの景観。
古い町並みが佐原の特徴です。


逆に、小野川沿いの景観が有名になりすぎて
川沿いの民家も建て替えが簡単には出来ないようです。
真壁の町もそうですが、古い町並みがウリになると
それを維持していくのも大変なんでしょうね。
雛めぐりをつづけましょう。

小野川の船着場にも、ひな人形が飾られています。


雛めぐりは続きます。

忠敬橋に戻ると、県道を東へ。
八坂神社方面へと歩きます。
平日だから、閉まっているお店も多いけれど、
この辺りには、店先にひな人形が飾られて居る商店が多い。











真壁のひなまつりは、雛壇飾りが多いけれど
佐原は、コンパクトな飾り雛が多い。
店先に飾るには、こちらの方が正解かも?
特設会場になる佐原町並み交流館。

こちらでは、雛壇のひな人形が飾られています。






再び、小野川へ。
こちらは、樋橋。
通称、『ジャージャー橋』。

樋橋はもともと、江戸時代に小野川上流でせき止めた農業用水を
佐原の関戸方面(現佐原駅方面)の水田に送るため、
小野川に架けられた大きな樋でした。
この樋から小野川に落ちる水の音からジャージャー橋と呼ばれるようになったそうです。
その樋を人が渡るようになり、平成4年に橋を造り変える際に、
かつてのジャージャー橋のイメージを再現するため、
水が落ちるように造られたそうです。
何度か、この樋橋には来ているけれど
水が落ちている状態の時は、初めてかも知れない。

樋橋のすぐ脇には、伊能忠敬の旧宅。
こちらでも、ひな人形が飾られています。

再び、忠敬橋から西へ歩きます。





佐原の中心部に酒蔵が二軒あります。
一つは馬場本店酒造。
こちらでは、明治、大正、昭和と3代のひな人形が展示されています。
まあ、昨年も覗いたので、今年はパス。
そしてもう一つの酒蔵は、東薫醸造。
実は、こちらの酒まんじゅうが好きで....................
今年もコレが目的だったりして。

こちらの酒蔵では、蔵の中に ひな人形 を展示しています。
今までは、 犬連れだから諦めていましたが
びいすけ には、入口でちょっぴり待機してもらって
急ぎ足で蔵の中の ひな人形 を見学します。






いずれも立派な ひな人形 です。
ひな人形 は酒蔵の二階に飾られていて
隣の部屋と言うか、隣の区画はこんな感じです。

そして、階下にはタンクが。


まさに酒蔵です。
東薫醸造の前では、『さわら雛めぐり』の幟が風に揺れていました。

年々、ひな人形を飾っている店舗が少なくなっている気がするけれど
今年も『さわら雛めぐり』、堪能させてもらいました。
この日は、香取市に出かけました。
香取市と言っても、旧・佐原市域、
下総の小江戸と呼ばれる佐原市の町並みの散策。
ひな人形が飾られた『さわら雛めぐり』が目的です。
毎年、この時期になると各地で町興しの一環で
古民家や商店にひな人形を飾る『ひなまつり』が開催されますが
個人的に、茨城県の『真壁のひなまつり』と千葉県の『勝浦ビッグひなまつり』、
そして、この佐原の『さわら雛めぐり』を楽しみにしています。
今年も、『さわら雛めぐり』にやって来ました。
いつものように、スタートはJR佐原駅から。

佐原駅構内にある『観光交流センター』で『さわら雛めぐり』のパンフレットを貰います。

ポスターも貼られています。

佐原駅前の丸ポスト。

以前は、佐原駅前の交番の近くに在ったのですが
数年前に佐原駅前の改修工事で移動したみたいです。
ポスト自体も塗り直され、部分的に佐原にちなんだペイントもされています。

では、『さわらの雛めぐり』を始めましょう。

駅前は綺麗になったんだけど、駅近くの商店街は
以前に比べて元気がないようです。
ひな人形を飾っている店も少ない。
って言うか、以前に比べて駅前の商店が少なくなっている。


駅前から、佐原の観光地の中心とも言える忠敬橋付近へと続く商店街は、
一言で言っちゃえば寂れている。
閉まっているお店が多いんだよなぁ。

それでも店先にひな人形を飾るお店は多くあります。







忠敬橋から小野川沿いを下流へと歩きます。

佐原の魅力は、この小野川沿いの景観。
古い町並みが佐原の特徴です。


逆に、小野川沿いの景観が有名になりすぎて
川沿いの民家も建て替えが簡単には出来ないようです。
真壁の町もそうですが、古い町並みがウリになると
それを維持していくのも大変なんでしょうね。
雛めぐりをつづけましょう。

小野川の船着場にも、ひな人形が飾られています。


雛めぐりは続きます。

忠敬橋に戻ると、県道を東へ。
八坂神社方面へと歩きます。
平日だから、閉まっているお店も多いけれど、
この辺りには、店先にひな人形が飾られて居る商店が多い。











真壁のひなまつりは、雛壇飾りが多いけれど
佐原は、コンパクトな飾り雛が多い。
店先に飾るには、こちらの方が正解かも?
特設会場になる佐原町並み交流館。

こちらでは、雛壇のひな人形が飾られています。






再び、小野川へ。
こちらは、樋橋。
通称、『ジャージャー橋』。

樋橋はもともと、江戸時代に小野川上流でせき止めた農業用水を
佐原の関戸方面(現佐原駅方面)の水田に送るため、
小野川に架けられた大きな樋でした。
この樋から小野川に落ちる水の音からジャージャー橋と呼ばれるようになったそうです。
その樋を人が渡るようになり、平成4年に橋を造り変える際に、
かつてのジャージャー橋のイメージを再現するため、
水が落ちるように造られたそうです。
何度か、この樋橋には来ているけれど
水が落ちている状態の時は、初めてかも知れない。

樋橋のすぐ脇には、伊能忠敬の旧宅。
こちらでも、ひな人形が飾られています。

再び、忠敬橋から西へ歩きます。





佐原の中心部に酒蔵が二軒あります。
一つは馬場本店酒造。
こちらでは、明治、大正、昭和と3代のひな人形が展示されています。
まあ、昨年も覗いたので、今年はパス。
そしてもう一つの酒蔵は、東薫醸造。
実は、こちらの酒まんじゅうが好きで....................
今年もコレが目的だったりして。

こちらの酒蔵では、蔵の中に ひな人形 を展示しています。
今までは、 犬連れだから諦めていましたが
びいすけ には、入口でちょっぴり待機してもらって
急ぎ足で蔵の中の ひな人形 を見学します。






いずれも立派な ひな人形 です。
ひな人形 は酒蔵の二階に飾られていて
隣の部屋と言うか、隣の区画はこんな感じです。

そして、階下にはタンクが。


まさに酒蔵です。
東薫醸造の前では、『さわら雛めぐり』の幟が風に揺れていました。

年々、ひな人形を飾っている店舗が少なくなっている気がするけれど
今年も『さわら雛めぐり』、堪能させてもらいました。
2018/04/07 Sat. 00:00 |
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御朱印巡り...............諏訪神社 (2018年2月19日)(千葉県香取市)
2月19日
この日は、香取市に出かけました。
とは言え、平成18年に佐原市、香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して、
「香取市」が誕生した訳だから、香取市は広い。
今回は、旧・佐原市域を巡ってみました。
大戸城址をあとにして、向かった先は...............諏訪神社。
個人的には佐原は香取市と言うより、まだ佐原市って言う感覚が強い。
佐原の町の西側(?)に伊能忠敬の銅像がある公園があります。
その公園(佐原公園)の脇に鎮座しているのが諏訪神社です。
諏訪神社は、佐原の鎮守と言われ、佐原公園の森の一部であるかのように
森の中の鎮守と言う雰囲気もあります。
その歴史は、平安時代の天慶の乱で伊予国の藤原純友を討った功績により
下総大須賀荘(現:成田市伊能)領主に任ぜられた大神惟季は、
領内の守護として信濃国諏訪大社を勧請しました。
その後、天正年間に領内の農民を率い佐原新宿を開発するに際して
守神として勧請したものとされています。
現在の社殿は嘉永6年に造営されたものだそうです。
個人的には佐原は香取市と言うより、まだ佐原市って言う感覚が強い。
佐原の町の西側(?)に伊能忠敬の銅像がある公園があります。
その公園の脇に鎮座しているのが諏訪神社です。
こちらが社号標。

一の鳥居。

こちらが二の鳥居。

二の鳥居の脇の社号標。

二の鳥居の先の参道。

社殿までは長い石段。

頑張って上って行きましょう!


石段の途中にある手水舎。

こちらは、井戸?

社務所兼宮司宅のようです。

御朱印は、こちらで拝領いたしました。
結構長い石段の途中に、多くの境内社が祀られています。




石段を上りきった先は、狛犬がお出迎え。

こちらが、拝殿。

別アングルから。


拝殿正面の彫り物。


拝殿内部。

こちらが、本殿。



拝殿前の例のモノ。

そうです。
天水桶。
つい先日まで、何て呼ぶか?
知らなかったんだよなぁ。
こちらは、授与所。

普段は閉まっているようですね。
諏訪神社の由緒書き。

社殿の周りにも境内社が多い。







こちらが、諏訪神社の御朱印。

社殿は小高い台地に在るから
まさに佐原の町を見下ろすと言うか、
見守っているかのように見える佐原の鎮守さま。
それが諏訪神社なんですね。
この日は、香取市に出かけました。
とは言え、平成18年に佐原市、香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して、
「香取市」が誕生した訳だから、香取市は広い。
今回は、旧・佐原市域を巡ってみました。
大戸城址をあとにして、向かった先は...............諏訪神社。
個人的には佐原は香取市と言うより、まだ佐原市って言う感覚が強い。
佐原の町の西側(?)に伊能忠敬の銅像がある公園があります。
その公園(佐原公園)の脇に鎮座しているのが諏訪神社です。
諏訪神社は、佐原の鎮守と言われ、佐原公園の森の一部であるかのように
森の中の鎮守と言う雰囲気もあります。
その歴史は、平安時代の天慶の乱で伊予国の藤原純友を討った功績により
下総大須賀荘(現:成田市伊能)領主に任ぜられた大神惟季は、
領内の守護として信濃国諏訪大社を勧請しました。
その後、天正年間に領内の農民を率い佐原新宿を開発するに際して
守神として勧請したものとされています。
現在の社殿は嘉永6年に造営されたものだそうです。
個人的には佐原は香取市と言うより、まだ佐原市って言う感覚が強い。
佐原の町の西側(?)に伊能忠敬の銅像がある公園があります。
その公園の脇に鎮座しているのが諏訪神社です。
こちらが社号標。

一の鳥居。

こちらが二の鳥居。

二の鳥居の脇の社号標。

二の鳥居の先の参道。

社殿までは長い石段。

頑張って上って行きましょう!


石段の途中にある手水舎。

こちらは、井戸?

社務所兼宮司宅のようです。

御朱印は、こちらで拝領いたしました。
結構長い石段の途中に、多くの境内社が祀られています。




石段を上りきった先は、狛犬がお出迎え。

こちらが、拝殿。

別アングルから。


拝殿正面の彫り物。


拝殿内部。

こちらが、本殿。



拝殿前の例のモノ。

そうです。
天水桶。
つい先日まで、何て呼ぶか?
知らなかったんだよなぁ。
こちらは、授与所。

普段は閉まっているようですね。
諏訪神社の由緒書き。

社殿の周りにも境内社が多い。







こちらが、諏訪神社の御朱印。

社殿は小高い台地に在るから
まさに佐原の町を見下ろすと言うか、
見守っているかのように見える佐原の鎮守さま。
それが諏訪神社なんですね。
2018/04/06 Fri. 15:00 |
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大戸城址 (2018年2月19日)(千葉県香取市)
2月19日
この日は、香取市に出かけました。
大戸神社をあとにして、向かった先は...............大戸城址。
大戸神社に大戸城址。
いずれも旧・大戸村域にあります。
大戸神社から距離にして400ほど離れた、
旧・佐原市立第五中学校跡地の
道を挟んだ向かいの台地の上奥に大戸城址は在りました。
大戸城は、国分氏の祖である国分胤通の四男・大戸四郎大夫親胤が城主であったと言われています。
大戸親胤は大戸六ヶ郷の領主となっていたようです。
千葉家中興の祖ともいえる下総国主・千葉宗家で千葉氏五代当主の千葉介常胤。
その千葉介常胤の五男であるのが国分胤通。
国分胤通は、頼朝に随って平家との戦いにも従軍しました。
その国分胤通の四男である大戸四郎大夫親胤が
利根川沿いの香取郡大戸庄内の「大戸郷(香取市大戸)」を領していました。
また、別説ですが.................
天正年間には、やはり千葉一族である大須賀氏の城だったという説もあるようです。
こちらが、大戸城の縄張り図。

( 余胡さんのHPよりお借りしました。)
こちらが、大戸城址への入り口。

この奥の森が大戸城址になります。
森の中に入ってすぐにある土塁。


しばらく歩くと、現れる土壇。

この土壇には、小さな祠が建てられています。

かつては、ほこらの脇に大きな五輪塔がありましたが
東日本大震災の影響か?
倒壊して草に埋もれています。

この祠の建つ土壇は、かつての櫓台だったのかもしれない。

尾根沿いに展開している大戸城址。


周りに木々のある台地が、いつしか竹林の台地へと変貌していきます。


明らかに人の手が加えられた跡が見える横堀。

逆アングルから。

さらに先へと進みます。


竹藪の竹を交わしながら、台地先端部を目指します。

台地先端部からの眺め。

視界の先は坂東太郎(利根川)。
台地先端部から、戻り始めると視界の先に何かある。

どうやら四阿のようです。

建設が整備途中で頓挫した公園かと思っていたら
どうやら違うみたい。
四阿へは、すぐ下の民家から上って来れる道がある。
どうやら、城址のある台地(山林)の所有者(地権者、管理者)が
麓に住まれているのでしょう。

使われている感が強い四阿です。
竹藪の竹を交わしながら戻りましょう。


竹藪を抜け、登城路に戻ります。
これと言った見所は余り無く、
ちょっぴり面白味に欠ける大戸城址。
まあ、 びいすけ との森の中の散歩と思えば良い。
超マイナーな城址って、こんなモノなんだろうなぁ。
この日は、香取市に出かけました。
大戸神社をあとにして、向かった先は...............大戸城址。
大戸神社に大戸城址。
いずれも旧・大戸村域にあります。
大戸神社から距離にして400ほど離れた、
旧・佐原市立第五中学校跡地の
道を挟んだ向かいの台地の上奥に大戸城址は在りました。
大戸城は、国分氏の祖である国分胤通の四男・大戸四郎大夫親胤が城主であったと言われています。
大戸親胤は大戸六ヶ郷の領主となっていたようです。
千葉家中興の祖ともいえる下総国主・千葉宗家で千葉氏五代当主の千葉介常胤。
その千葉介常胤の五男であるのが国分胤通。
国分胤通は、頼朝に随って平家との戦いにも従軍しました。
その国分胤通の四男である大戸四郎大夫親胤が
利根川沿いの香取郡大戸庄内の「大戸郷(香取市大戸)」を領していました。
また、別説ですが.................
天正年間には、やはり千葉一族である大須賀氏の城だったという説もあるようです。
こちらが、大戸城の縄張り図。

( 余胡さんのHPよりお借りしました。)
こちらが、大戸城址への入り口。

この奥の森が大戸城址になります。
森の中に入ってすぐにある土塁。


しばらく歩くと、現れる土壇。

この土壇には、小さな祠が建てられています。

かつては、ほこらの脇に大きな五輪塔がありましたが
東日本大震災の影響か?
倒壊して草に埋もれています。

この祠の建つ土壇は、かつての櫓台だったのかもしれない。

尾根沿いに展開している大戸城址。


周りに木々のある台地が、いつしか竹林の台地へと変貌していきます。


明らかに人の手が加えられた跡が見える横堀。

逆アングルから。

さらに先へと進みます。


竹藪の竹を交わしながら、台地先端部を目指します。

台地先端部からの眺め。

視界の先は坂東太郎(利根川)。
台地先端部から、戻り始めると視界の先に何かある。

どうやら四阿のようです。

建設が整備途中で頓挫した公園かと思っていたら
どうやら違うみたい。
四阿へは、すぐ下の民家から上って来れる道がある。
どうやら、城址のある台地(山林)の所有者(地権者、管理者)が
麓に住まれているのでしょう。

使われている感が強い四阿です。
竹藪の竹を交わしながら戻りましょう。


竹藪を抜け、登城路に戻ります。
これと言った見所は余り無く、
ちょっぴり面白味に欠ける大戸城址。
まあ、 びいすけ との森の中の散歩と思えば良い。
超マイナーな城址って、こんなモノなんだろうなぁ。
2018/04/06 Fri. 00:00 |
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御朱印巡り...............大戸神社 (2018年2月19日)(千葉県香取市)
2月19日
この日は、香取市に出かけました。
香取市と言っても、今回は旧・佐原市域を中心に巡ってみました。
この日、一番最初に向かったのは...............大戸神社。
大戸神社は、景行天皇40年日本武尊東征時に勧請されたのが始まりと伝えられ、
天手力雄命を祀り、江戸時代までは香取神宮の第一末社であったが、
明治6年(1873)独立した神社として県社に列せられました。
五穀豊穣・家内守護・交通安全守護・商業繁栄の祖神として広く信仰されているそうです。
こちらが社号標。

旧県社と記されている。
と言うことは、それなりに格式の高い神社のようです。
あまり、個人的には神社に格と言うものを付けたくはないのですが
格式を好むのが日本人。
格式に拘るのが日本人。
従って、古来から神社にも格式が在ったようです。
その代表格が『延喜式』。
延喜式とは、平安時代にどのような社格が定められていたかと史料で
「延喜式」があります。
朝廷から幣帛(神への捧げ物)が奉献される神社を「官社」と言いますが、
延喜式にはその官社のリストが掲載されています。
延喜式に掲載されている神社の数は、2861社。
これらの神社は「式内社」とも呼ばれ、格式の高い神社とされてきました。
ちなみに、延喜式に掲載されていない神社は「式外社」と呼ばれていました。
延喜式とは別な神社の区分けとして、明治時代には近代社格制度が整えられました。
神社は官社と民社(または諸社という)に分けられ、神祇官の管轄である官社は
更に官幣、国幣、別格官幣社(官幣の小社と同待遇)に分類されました。
地方官の管轄である民社は府・藩・県社と
郷社、村社、無格社に分類されました。
さらには、別な格付けで一宮制度と言うものがあります。
一宮とは、平安後期から中世にかけて行われた社格で、
その国(令制国/律令国)で一番の神社のことです。
一宮制度が始まった経緯や目的などは記録史料が存在しない為、
謎が多い制度でもあるようです。
こちらの大戸神社は、旧・県社と言うことなので
一応、それなりの格式を持った神社と言うことになるようです。
大戸神社の大鳥居。

大鳥居の前には由緒書き。

それなりの時代を感じる石灯籠。

こちらは、手水舎。

香取市教育委員会設置の説明板によれば
大戸神社の和鏡は、千葉県の指定文化財らしい。

拝殿に続く参道。

こちらが、拝殿。


拝殿内部。

拝殿正面の飾り。

別アングルからの拝殿。


こちらが、本殿。


拝殿前の狛犬。

拝殿前のコレ↓

ずぅ〜っと名前がわからなかったやつ。
『天水桶』って言うらしい。
またまた、香取市教育委員会設置の説明板。

大戸神社には、2つの千葉県指定の文化財の面があるとの事です。
昭和36年に建立された大戸神社改築記念碑。

こちらは、神輿奉安殿。

中には神輿が置かれています。

こちらは、氏子会館。

この氏子会館を見ただけでも、地元の氏子さんたちの
大戸神社に対する気持ちの強さが分かります。
一説によれば、氏子は3000戸以上だと言うことらしい。
こちらは、宝物殿。

境内社。




本殿脇からも境内への出入り口があり、さしずめ裏参道?
小さいながらも手水舎もありました。

夫婦杉。


二本の大杉の根元がつながっています。
スダジイの古木。


これらの、巨木・古木が大戸神社の歴史を物語っているんだろうなぁ。
こちらが、御朱印。

実は、朝一で参拝した時、宮司さんは外出していて不在。
不在時の連絡先が拝殿に貼られていたので、連絡を取り
16時過ぎに再び訪れることになりました。
宮司さんの話だと、近年の御朱印ブームの影響で
最近は御朱印を拝領される方の訪問が増えたそうです。
関西から数名のグループでやって来る『御朱印おばちゃん』が多いそうです。
御朱印ガールって聞いたことはあるけれど、
御朱印おばちゃんって、思わず笑っちゃいました。
この日は、香取市に出かけました。
香取市と言っても、今回は旧・佐原市域を中心に巡ってみました。
この日、一番最初に向かったのは...............大戸神社。
大戸神社は、景行天皇40年日本武尊東征時に勧請されたのが始まりと伝えられ、
天手力雄命を祀り、江戸時代までは香取神宮の第一末社であったが、
明治6年(1873)独立した神社として県社に列せられました。
五穀豊穣・家内守護・交通安全守護・商業繁栄の祖神として広く信仰されているそうです。
こちらが社号標。

旧県社と記されている。
と言うことは、それなりに格式の高い神社のようです。
あまり、個人的には神社に格と言うものを付けたくはないのですが
格式を好むのが日本人。
格式に拘るのが日本人。
従って、古来から神社にも格式が在ったようです。
その代表格が『延喜式』。
延喜式とは、平安時代にどのような社格が定められていたかと史料で
「延喜式」があります。
朝廷から幣帛(神への捧げ物)が奉献される神社を「官社」と言いますが、
延喜式にはその官社のリストが掲載されています。
延喜式に掲載されている神社の数は、2861社。
これらの神社は「式内社」とも呼ばれ、格式の高い神社とされてきました。
ちなみに、延喜式に掲載されていない神社は「式外社」と呼ばれていました。
延喜式とは別な神社の区分けとして、明治時代には近代社格制度が整えられました。
神社は官社と民社(または諸社という)に分けられ、神祇官の管轄である官社は
更に官幣、国幣、別格官幣社(官幣の小社と同待遇)に分類されました。
地方官の管轄である民社は府・藩・県社と
郷社、村社、無格社に分類されました。
さらには、別な格付けで一宮制度と言うものがあります。
一宮とは、平安後期から中世にかけて行われた社格で、
その国(令制国/律令国)で一番の神社のことです。
一宮制度が始まった経緯や目的などは記録史料が存在しない為、
謎が多い制度でもあるようです。
こちらの大戸神社は、旧・県社と言うことなので
一応、それなりの格式を持った神社と言うことになるようです。
大戸神社の大鳥居。

大鳥居の前には由緒書き。

それなりの時代を感じる石灯籠。

こちらは、手水舎。

香取市教育委員会設置の説明板によれば
大戸神社の和鏡は、千葉県の指定文化財らしい。

拝殿に続く参道。

こちらが、拝殿。


拝殿内部。

拝殿正面の飾り。

別アングルからの拝殿。


こちらが、本殿。


拝殿前の狛犬。

拝殿前のコレ↓

ずぅ〜っと名前がわからなかったやつ。
『天水桶』って言うらしい。
またまた、香取市教育委員会設置の説明板。

大戸神社には、2つの千葉県指定の文化財の面があるとの事です。
昭和36年に建立された大戸神社改築記念碑。

こちらは、神輿奉安殿。

中には神輿が置かれています。

こちらは、氏子会館。

この氏子会館を見ただけでも、地元の氏子さんたちの
大戸神社に対する気持ちの強さが分かります。
一説によれば、氏子は3000戸以上だと言うことらしい。
こちらは、宝物殿。

境内社。




本殿脇からも境内への出入り口があり、さしずめ裏参道?
小さいながらも手水舎もありました。

夫婦杉。


二本の大杉の根元がつながっています。
スダジイの古木。


これらの、巨木・古木が大戸神社の歴史を物語っているんだろうなぁ。
こちらが、御朱印。

実は、朝一で参拝した時、宮司さんは外出していて不在。
不在時の連絡先が拝殿に貼られていたので、連絡を取り
16時過ぎに再び訪れることになりました。
宮司さんの話だと、近年の御朱印ブームの影響で
最近は御朱印を拝領される方の訪問が増えたそうです。
関西から数名のグループでやって来る『御朱印おばちゃん』が多いそうです。
御朱印ガールって聞いたことはあるけれど、
御朱印おばちゃんって、思わず笑っちゃいました。
2018/04/05 Thu. 15:00 |
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御朱印巡り 鴨鳥五所神社 (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
青木堰をあとにして...............と言うか、
大國玉神社の次に当初から向かっていたのは、鴨鳥五所神社。
鴨鳥五所神社は大同四年(809年)、伊弉諾尊・伊弉冊尊両社の神に
鹿島神社・二荒神社・出雲大社・南宮神社の四柱の神を合祀し、
大泉の里飯森の峯へ勧請、五所神社と称したのが始まりとされるそうです。
その後、建仁二年(1203年)に時の領主・結城朝光が鴨鳥の地へ遷座し、
鴨鳥五所神社と改称したそうです。
県道沿いに建つ社号標。

鴨鳥五所神社は、社号標背後の台地の上。
森の中に鎮守する神社です。

こちらが、台地の麓。
一の鳥居の脇にも社号標。

こちらが一の鳥居。

鳥居に掲げられている神額。

現在、この辺りは桜川市ですが、以前ば岩瀬町。
その旧・岩瀬町の教育委員会が建てた標柱。

鴨鳥五所神社の本殿は茨城県の文化財に指定されているらしい。
鴨鳥五所神社の参道の碑も建っています。

参道と書かれた碑も在ったし、狭いから車は近くの空き地に停めて
参道を歩いて上ります。

深い森。
杉の木立も幾年もの歳月を重ねて来たのだろう。
かなり立派なモノです。

こちらが、神社の入口。

二の鳥居。

二の鳥居から社殿へと向かう参道には、幾つかの境内社。



そして、御鎮座1300年記念碑。

鎮座1300年とは歴史ある神社なんですね。
手水舎。

そして、拝殿。


拝殿に掲げられた扁額。

そして、本殿。

茨城県の指定文化財らしいが、そんなに立派には見えない。
拝殿前の狛犬。

拝殿脇の切り株。

以前の御神木の跡のようです。
拝殿(社殿)脇にも社号標。

社号標は、これで3つ目?
社殿周りにも境内社が多い。



こちらは、由緒が記された御大典記念の碑。

こちらは、さざれ石。

なぜか隣には、『君が代』の碑。
こちらが、社務所。
残念ながら閉まってます。

社務所には貼り紙が...............

こちらが、鴨鳥五所神社の御朱印。

一の鳥居の手前の宮司さん宅にていただきました。
鴨鳥五所神社のあるのが、現在の桜川市大泉。
実は昨年の6月、坂戸小学校大泉分校を訪れた際に
すぐ近くに来ていました。
8ヶ月振りではありますが、
再びこの近くに来るとは思わなかった。
時間があれば、大泉分校に立ち寄っても良かったんだけど
何せ、この日はこの後の予定も詰まっています。
先を急ぐことにいたしましょう。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
青木堰をあとにして...............と言うか、
大國玉神社の次に当初から向かっていたのは、鴨鳥五所神社。
鴨鳥五所神社は大同四年(809年)、伊弉諾尊・伊弉冊尊両社の神に
鹿島神社・二荒神社・出雲大社・南宮神社の四柱の神を合祀し、
大泉の里飯森の峯へ勧請、五所神社と称したのが始まりとされるそうです。
その後、建仁二年(1203年)に時の領主・結城朝光が鴨鳥の地へ遷座し、
鴨鳥五所神社と改称したそうです。
県道沿いに建つ社号標。

鴨鳥五所神社は、社号標背後の台地の上。
森の中に鎮守する神社です。

こちらが、台地の麓。
一の鳥居の脇にも社号標。

こちらが一の鳥居。

鳥居に掲げられている神額。

現在、この辺りは桜川市ですが、以前ば岩瀬町。
その旧・岩瀬町の教育委員会が建てた標柱。

鴨鳥五所神社の本殿は茨城県の文化財に指定されているらしい。
鴨鳥五所神社の参道の碑も建っています。

参道と書かれた碑も在ったし、狭いから車は近くの空き地に停めて
参道を歩いて上ります。

深い森。
杉の木立も幾年もの歳月を重ねて来たのだろう。
かなり立派なモノです。

こちらが、神社の入口。

二の鳥居。

二の鳥居から社殿へと向かう参道には、幾つかの境内社。



そして、御鎮座1300年記念碑。

鎮座1300年とは歴史ある神社なんですね。
手水舎。

そして、拝殿。


拝殿に掲げられた扁額。

そして、本殿。

茨城県の指定文化財らしいが、そんなに立派には見えない。
拝殿前の狛犬。

拝殿脇の切り株。

以前の御神木の跡のようです。
拝殿(社殿)脇にも社号標。

社号標は、これで3つ目?
社殿周りにも境内社が多い。



こちらは、由緒が記された御大典記念の碑。

こちらは、さざれ石。

なぜか隣には、『君が代』の碑。
こちらが、社務所。
残念ながら閉まってます。

社務所には貼り紙が...............

こちらが、鴨鳥五所神社の御朱印。

一の鳥居の手前の宮司さん宅にていただきました。
鴨鳥五所神社のあるのが、現在の桜川市大泉。
実は昨年の6月、坂戸小学校大泉分校を訪れた際に
すぐ近くに来ていました。
8ヶ月振りではありますが、
再びこの近くに来るとは思わなかった。
時間があれば、大泉分校に立ち寄っても良かったんだけど
何せ、この日はこの後の予定も詰まっています。
先を急ぐことにいたしましょう。
2018/04/03 Tue. 00:00 |
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青木堰跡 (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
大國玉神社をあとにして、次なる場所へと移動していると
こんな案内板が目に留まりました。

そう言えば、以前この近くを通ったことがあった。
( その時の記事は こちら )
青木堰って、確か二宮尊徳(金治郎)が尽力した堰だったはず。
そんな記憶がふと頭をよぎり、素通りは出来ません。
青木村(現桜川市大和村青木)は江戸時代初期から幕府領で、
1708年(宝永5年)旗本川副氏の知行地となりました。
青木堰は古くから村の水田を潤してきた重要な施設でしたが、
河川が急流であるため増水のたびに流され、多大な改修費を要していました。
知行1500石余の小旗本であった川副氏は、やがて改修ができなくなり、
堰は壊れたまま放置されるようになりました。
その結果水不足が慢性化し、収穫量は激減しました。
1831 年(天保2年)、名主・館野勘右衛門以下37名は
村の救済を農政家である二宮尊徳に頼みました。
尊徳は、1833年(天保4年)、青木村復興事業の一つとして青木堰の建設に着手し、
元禄期に比べ工期も短く費用も半分以下に抑えるという他に例を見ない工法により
青木堰を完成させました。
現在は、旧堰の跡地に「二宮尊徳先生仕法青木堰の記」という立て札と碑が存在します。
現在の青木堰は、1998年に旧跡の上流に建設されたものです。
案内板に導かれ、足を進めると今度は説明板。

こちらが、現在の青木堰。

まあ、ちょっとしたダムのような感じです。

青木堰の上流。

青木堰の下流。


現在の青木堰から少し下った所が二宮尊徳が改修した青木堰の跡。
そこには石碑等が建ち並んでいます。


碑文によれば...............
二宮尊徳は、青木堰周辺の桜の木は、大和国(奈良県)吉野の桜の木で
日本一の桜の木だと讃え、青木村仕法の証しとしたそうです。

報徳不忘

読んで字の如く、報徳を忘れない。
即ち、 受けた徳を忘れない。
二宮尊徳から受けた徳を忘れない。
この地域の先人たちの紛れもない気持ちでしょう。
こちらの碑には、『二宮先生 築堰之蹟』と記されています。

そのすぐ脇には、立て札で青木堰の跡を示しています。

確かに、青木堰の跡には碑がいっぱい。

そのすぐ近くの川の流れ。

今は、旧・青木堰跡の脇を蛇行するように川の水は流れ
現在の青木堰で水量を調整されているから、流れは大人しいモノです。

二宮尊徳の偉大な功績の跡地。
記念碑よりも、土の匂い? 草の匂い?
それとも、この辺りを散歩しているワンちゃんの匂いか?

匂い嗅ぎに夢中な びいすけ 。


廃校巡りの時に父さんは、あれだけ夢中になる二宮像。
その二宮尊徳の偉大な功績の跡地も、びいすけ にとっては
単なる散歩の延長の場所なんだろうね。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
大國玉神社をあとにして、次なる場所へと移動していると
こんな案内板が目に留まりました。

そう言えば、以前この近くを通ったことがあった。
( その時の記事は こちら )
青木堰って、確か二宮尊徳(金治郎)が尽力した堰だったはず。
そんな記憶がふと頭をよぎり、素通りは出来ません。
青木村(現桜川市大和村青木)は江戸時代初期から幕府領で、
1708年(宝永5年)旗本川副氏の知行地となりました。
青木堰は古くから村の水田を潤してきた重要な施設でしたが、
河川が急流であるため増水のたびに流され、多大な改修費を要していました。
知行1500石余の小旗本であった川副氏は、やがて改修ができなくなり、
堰は壊れたまま放置されるようになりました。
その結果水不足が慢性化し、収穫量は激減しました。
1831 年(天保2年)、名主・館野勘右衛門以下37名は
村の救済を農政家である二宮尊徳に頼みました。
尊徳は、1833年(天保4年)、青木村復興事業の一つとして青木堰の建設に着手し、
元禄期に比べ工期も短く費用も半分以下に抑えるという他に例を見ない工法により
青木堰を完成させました。
現在は、旧堰の跡地に「二宮尊徳先生仕法青木堰の記」という立て札と碑が存在します。
現在の青木堰は、1998年に旧跡の上流に建設されたものです。
案内板に導かれ、足を進めると今度は説明板。

こちらが、現在の青木堰。

まあ、ちょっとしたダムのような感じです。

青木堰の上流。

青木堰の下流。


現在の青木堰から少し下った所が二宮尊徳が改修した青木堰の跡。
そこには石碑等が建ち並んでいます。


碑文によれば...............
二宮尊徳は、青木堰周辺の桜の木は、大和国(奈良県)吉野の桜の木で
日本一の桜の木だと讃え、青木村仕法の証しとしたそうです。

報徳不忘

読んで字の如く、報徳を忘れない。
即ち、 受けた徳を忘れない。
二宮尊徳から受けた徳を忘れない。
この地域の先人たちの紛れもない気持ちでしょう。
こちらの碑には、『二宮先生 築堰之蹟』と記されています。

そのすぐ脇には、立て札で青木堰の跡を示しています。

確かに、青木堰の跡には碑がいっぱい。

そのすぐ近くの川の流れ。

今は、旧・青木堰跡の脇を蛇行するように川の水は流れ
現在の青木堰で水量を調整されているから、流れは大人しいモノです。

二宮尊徳の偉大な功績の跡地。
記念碑よりも、土の匂い? 草の匂い?
それとも、この辺りを散歩しているワンちゃんの匂いか?

匂い嗅ぎに夢中な びいすけ 。


廃校巡りの時に父さんは、あれだけ夢中になる二宮像。
その二宮尊徳の偉大な功績の跡地も、びいすけ にとっては
単なる散歩の延長の場所なんだろうね。
2018/04/02 Mon. 15:00 |
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御朱印巡り 大國玉神社 (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
雨引観音をあとにして、向かった先は...............大國玉神社。
大国玉神社は、茨城県桜川市(旧・真壁郡大国玉村)にある大国主命を祭神とする神社です。
愛称は明神様と呼ばれているようです。
創祀年代は不詳ですが、一説には「人皇53代淳和天皇天長年中」と言われているそうです。
江戸時代までは、大国玉命を祀る男体(東の宮)と活玉依媛命を祀る女体(西の宮)との二本殿を有していたそうですが
明治以降は一殿となったということです。
『おおくにたま』神社と読むから、東京都下の多摩地区で育った人間には
『大国魂神社』と思わず勘違いをしてしまいそうです。
こちらが、社号標。

そして、鳥居。

注連縄も正月に新しくしたのでしょう。
まだ新しく感じます。

鳥居をくぐって、社殿に向かい参道を歩きます。

参道の境内社。

こちらは、幣殿、拝殿の造営の記念碑。

シンプルな手水舎。

って言うか、手水鉢ですね。
こちらは、旧い手水鉢。

拝殿前の狛犬。

こちらが、拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

こちらは、本殿。

本殿脇の立派な木。


余りの立派さに御神木かと思ったら違っていました。
大國玉神社の由緒書き。

こちらは、社号標?

はたまた、何か大國玉神社関連の記念碑でしょうか?
境内社。


かつて、この場所に御神木の『神代杉』が在ったようです。

枯れてしまったのか?
切り株が残っていますが、
その脇にはこれまた御神木?と思わせる立派な杉の木。



こちらも境内社。

とにかく、境内社が多い。

境外には、75の末社が在るらしい。
こちらが、社務所ですが閉まっています。

御朱印は、神社右側の宮司さん宅にていただくことが出来ます。
こちらが、大國玉神社の御朱印。

また一つ、貴重な御朱印をいただくことが出来ました。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
雨引観音をあとにして、向かった先は...............大國玉神社。
大国玉神社は、茨城県桜川市(旧・真壁郡大国玉村)にある大国主命を祭神とする神社です。
愛称は明神様と呼ばれているようです。
創祀年代は不詳ですが、一説には「人皇53代淳和天皇天長年中」と言われているそうです。
江戸時代までは、大国玉命を祀る男体(東の宮)と活玉依媛命を祀る女体(西の宮)との二本殿を有していたそうですが
明治以降は一殿となったということです。
『おおくにたま』神社と読むから、東京都下の多摩地区で育った人間には
『大国魂神社』と思わず勘違いをしてしまいそうです。
こちらが、社号標。

そして、鳥居。

注連縄も正月に新しくしたのでしょう。
まだ新しく感じます。

鳥居をくぐって、社殿に向かい参道を歩きます。

参道の境内社。

こちらは、幣殿、拝殿の造営の記念碑。

シンプルな手水舎。

って言うか、手水鉢ですね。
こちらは、旧い手水鉢。

拝殿前の狛犬。

こちらが、拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

こちらは、本殿。

本殿脇の立派な木。


余りの立派さに御神木かと思ったら違っていました。
大國玉神社の由緒書き。

こちらは、社号標?

はたまた、何か大國玉神社関連の記念碑でしょうか?
境内社。


かつて、この場所に御神木の『神代杉』が在ったようです。

枯れてしまったのか?
切り株が残っていますが、
その脇にはこれまた御神木?と思わせる立派な杉の木。



こちらも境内社。

とにかく、境内社が多い。

境外には、75の末社が在るらしい。
こちらが、社務所ですが閉まっています。

御朱印は、神社右側の宮司さん宅にていただくことが出来ます。
こちらが、大國玉神社の御朱印。

また一つ、貴重な御朱印をいただくことが出来ました。
2018/04/02 Mon. 00:00 |
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御朱印巡り...............雨引観音(雨引山 楽法寺) (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
雨引千勝神社をあとにして、向かった先は...............雨引観音
雨引観音は、一般的に雨引観音と読んでいますが
正式には、 雨引山 楽法寺 と言います。
用明天皇2年(587年)梁の国人の法輪独守居士によって開山された
厄除延命安産子育の霊験あらたかな延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を本尊佛として、
お祀り申し上げる坂東観音霊場第二十四番札所の名刹です。
こちらが、寺号標。

この立派な門は 薬井門。

俗称「黒門」と言い、関ヶ原の戦(1600)以前は真壁城の城門であったと言うことです。
磴道。

この石段は俗に厄除けの石段といい、一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、145段を登りつめた時、厄が落ちるといわれています。
石段の途中には鐘楼堂 。

建長6年(1254)宗尊親王の御願によって建立し、
その後天和2年(1682)当山第14世堯長が再建したが、
又大破したために文政13年(1830)第24世元盛が再度建立したものです。
昭和50年瓦葺きに葺き替えられましたが、
他は文政年中建設のままだそうです。

こちらが地蔵堂。

建長6年(1254)宗尊親王の御願によって建立した建物であり
享保年中(1715)仏師無関堂円鉄(円哲ともいう)が彫刻した地蔵菩薩を安置しています。
このお地蔵様は俗に「子安地蔵」として庶民に親しまれ、
特に子育てを祈願する母親の参詣が多いそうです。
こちらは、仁王門

建長6年(1254)宗尊親王の建立した門で、
鎌倉時代の仏師康慶の彫刻した仁王尊を祠っています。
仁王尊は二躯であり、一体は阿の字一体は吽の字を示現すといい、
力感溢れる 名彫刻です。
仁王門の扁額。

楽法寺の山号である『雨引山』となってます。
手水舎。

定番の龍の吐出口。

境内には孔雀が放し飼いになっています。
一応、犬連れの人への注意喚起。
って言うことは、境内に犬を連れも基本的には問題なし。

こちらが、本堂(観音堂)。

正面から。

正面に掲げられた扁額。

別アングルからの本堂。

多宝塔。

当初は三重塔を建設する予定だったらしいが、幾多の事情により
多宝塔となったそうです。
こちらが御協所。

神社で言うところの授与所。
御朱印は、こちらでいただけます。

こちらが東照宮。

徳川家康の死後、寛永2年(1625)境内に東照大権現(徳川家康の神号)の祠堂を建立しました。
享保12年(1727)第十八世吽教は仏師円哲と心をあわせて 現存の東照宮を再建し、
地主大権現として家康家光を合祠しました。
すなわち、この場所に徳川家康、家光が祀られていることになります。
こちらは、御所権現(だったと思う。違っていたらごめんなさい。)

足利尊氏を祠った堂であり、
屋根には足利氏の定紋が輝いているらしい。
弁天池。

錦鯉が泳ぐ池。
弁天様が祀られています。
雨引観音は、雨引山の中腹にある寺院だから
それなりに眺望は長けています。

しかし、生憎の曇り空。
スカッと晴れて入れば、また違った風景に見えるかも...............?


こちらが、雨引観音(雨引山 楽法寺)の御朱印。

茨城百景の地でもある雨引観音。
秋の紅葉、そして初夏の紫陽花が有名な場所でもあるようです。
紫陽花の時期にまた来ようかな...............?
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
雨引千勝神社をあとにして、向かった先は...............雨引観音
雨引観音は、一般的に雨引観音と読んでいますが
正式には、 雨引山 楽法寺 と言います。
用明天皇2年(587年)梁の国人の法輪独守居士によって開山された
厄除延命安産子育の霊験あらたかな延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を本尊佛として、
お祀り申し上げる坂東観音霊場第二十四番札所の名刹です。
こちらが、寺号標。

この立派な門は 薬井門。

俗称「黒門」と言い、関ヶ原の戦(1600)以前は真壁城の城門であったと言うことです。
磴道。

この石段は俗に厄除けの石段といい、一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、145段を登りつめた時、厄が落ちるといわれています。
石段の途中には鐘楼堂 。

建長6年(1254)宗尊親王の御願によって建立し、
その後天和2年(1682)当山第14世堯長が再建したが、
又大破したために文政13年(1830)第24世元盛が再度建立したものです。
昭和50年瓦葺きに葺き替えられましたが、
他は文政年中建設のままだそうです。

こちらが地蔵堂。

建長6年(1254)宗尊親王の御願によって建立した建物であり
享保年中(1715)仏師無関堂円鉄(円哲ともいう)が彫刻した地蔵菩薩を安置しています。
このお地蔵様は俗に「子安地蔵」として庶民に親しまれ、
特に子育てを祈願する母親の参詣が多いそうです。
こちらは、仁王門

建長6年(1254)宗尊親王の建立した門で、
鎌倉時代の仏師康慶の彫刻した仁王尊を祠っています。
仁王尊は二躯であり、一体は阿の字一体は吽の字を示現すといい、
力感溢れる 名彫刻です。
仁王門の扁額。

楽法寺の山号である『雨引山』となってます。
手水舎。

定番の龍の吐出口。

境内には孔雀が放し飼いになっています。
一応、犬連れの人への注意喚起。
って言うことは、境内に犬を連れも基本的には問題なし。

こちらが、本堂(観音堂)。

正面から。

正面に掲げられた扁額。

別アングルからの本堂。

多宝塔。

当初は三重塔を建設する予定だったらしいが、幾多の事情により
多宝塔となったそうです。
こちらが御協所。

神社で言うところの授与所。
御朱印は、こちらでいただけます。

こちらが東照宮。

徳川家康の死後、寛永2年(1625)境内に東照大権現(徳川家康の神号)の祠堂を建立しました。
享保12年(1727)第十八世吽教は仏師円哲と心をあわせて 現存の東照宮を再建し、
地主大権現として家康家光を合祠しました。
すなわち、この場所に徳川家康、家光が祀られていることになります。
こちらは、御所権現(だったと思う。違っていたらごめんなさい。)

足利尊氏を祠った堂であり、
屋根には足利氏の定紋が輝いているらしい。
弁天池。

錦鯉が泳ぐ池。
弁天様が祀られています。
雨引観音は、雨引山の中腹にある寺院だから
それなりに眺望は長けています。

しかし、生憎の曇り空。
スカッと晴れて入れば、また違った風景に見えるかも...............?


こちらが、雨引観音(雨引山 楽法寺)の御朱印。

茨城百景の地でもある雨引観音。
秋の紅葉、そして初夏の紫陽花が有名な場所でもあるようです。
紫陽花の時期にまた来ようかな...............?
2018/04/01 Sun. 00:00 |
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雨引千勝神社 (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
加波山神社をあとにして、向かった先は...............雨引千勝神社。
雨引千勝神社は、大同2年(807年)の創建で、
祭神は道案内と産業の神様で知られる猿田彦命を祭り、
千勝大明神と呼ばれていましたが、
明治六年(1873年)に神社の名を雨引千勝神社と改称しました。
神社の紋章(菊水)は、常陸国に来た楠木氏が、
戦勝祈願のため菊水の紋を木に彫り奉納したものだそうです。
こちらが一の鳥居。

社号標。

そして、二の鳥居。

二の鳥居の脇には、説明板。

そして、その隣には由緒書き。

鳥居をくぐって石段を上り、境内に入ります。

手水鉢。


こちらが、拝殿。

別アングルから。

拝殿に掲げられた扁額。


こちらは、本殿。

拝殿前の狛犬。

境内社。



御神木。


スダジイの巨木です。
社務所はあるのですが、閉まっている。
いつも宮司さんが居るわけでなく、
御祭礼とか特別な日しか居ないらしい。
一応、こちらの雨引千勝神社でも御朱印を発行しているらしい。
ひょっとしたらと期待して訪れましたが
やっぱり、宮司さんは不在。
御朱印は、いずれの機会にでも期待いたしましょう。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
加波山神社をあとにして、向かった先は...............雨引千勝神社。
雨引千勝神社は、大同2年(807年)の創建で、
祭神は道案内と産業の神様で知られる猿田彦命を祭り、
千勝大明神と呼ばれていましたが、
明治六年(1873年)に神社の名を雨引千勝神社と改称しました。
神社の紋章(菊水)は、常陸国に来た楠木氏が、
戦勝祈願のため菊水の紋を木に彫り奉納したものだそうです。
こちらが一の鳥居。

社号標。

そして、二の鳥居。

二の鳥居の脇には、説明板。

そして、その隣には由緒書き。

鳥居をくぐって石段を上り、境内に入ります。

手水鉢。


こちらが、拝殿。

別アングルから。

拝殿に掲げられた扁額。


こちらは、本殿。

拝殿前の狛犬。

境内社。



御神木。


スダジイの巨木です。
社務所はあるのですが、閉まっている。
いつも宮司さんが居るわけでなく、
御祭礼とか特別な日しか居ないらしい。
一応、こちらの雨引千勝神社でも御朱印を発行しているらしい。
ひょっとしたらと期待して訪れましたが
やっぱり、宮司さんは不在。
御朱印は、いずれの機会にでも期待いたしましょう。
2018/03/31 Sat. 15:00 |
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加波山普明神社&加波山神社 (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
加波山三枝祇神社をあとにして、向かった先は...............加波山普明神社。
加波山三枝祇神社から直線距離でも数百m。
非常に近い場所に鎮座している加波山普明神社。
明治時代最後の仙人といわれた国安普明を祀る神社で、
本殿は加波山中腹にあります。
明治34年(1901)に建てられた、加波山普明神社の拝殿は、
元々は加波山神社真壁拝殿で、隣接地に新拝殿ができたために
旧拝殿が普明神社拝殿となったそうです。
また、加波山周辺のたばこ農家の信仰も厚く、
そのため加波山には「たばこ神社」も建立しています。
そして、加波山普明神社の境内左手前には『たばこ資料館』があります。
こちらが社号標。

小さいながらも立派な鳥居。


手水舎。

拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

拝殿に掲げられた天狗の面。

拝殿正面の柱には、加波山普明神社の名を力強く示しています。

拝殿と狛犬。

こちらは社務所。

境内社。

この辺りは、加波山の1合目になるようです。

敷地内にある『たばこ資料館』。

加波山普明神社に隣接するのが、加波山神社。
正式には、加波山神社 真壁拝殿(里宮)というらしい。

とにかく、加波山神社はややこしい。
信仰の対象になる加波山ですが...............

この加波山の山頂付近には3つの加波山神社の本殿と拝殿が個別にある状態で
また、里宮も別々にあります。
その里宮の一つが合祀した本宮と親宮の里宮であり
もう一つが、こちらの中宮の里宮です。
社号標。

朱色の立派な鳥居。

鳥居の神額。

ズバリ! 『加波山』
加波山神社の説明板。

どう言った経緯があったのが分かりませんが
とにかく、加波山神社(中宮)と加波山三枝祇神社(本宮、親宮)とは仲が悪いようです。
まあ、大人の事情ってやつだと思いますが...............
狛犬。

神橋。

手水舎。

手水舎の吐出口。

漫画チックな龍。
由来書。

色鮮やかな拝殿。

拝殿前の狛犬。

拝殿の扁額。

拝殿の飾り。



とにかく、鮮やかすぎる拝殿。

拝殿前のカエルの像。

カエルって...............?
何か意味があるのだろうか?
しかしながら、里宮の拝殿と言う割には
艶やかと言うか、賑々しいと言うか...............
ちょっと派手すぎないか? と思ってしまったりする。
残念ながら、この日社務所は閉まっていて
神職さんも留守にされていて、御朱印はいただくことは出来ませんでした。
一説によると、加波山三枝祇神社で御朱印(加波山神社本宮)をもらったあと
こちらの神社で御朱印をもらおうとすると、もらえないとも言われています。
(本宮で御朱印をいただいた後に同じ御朱印帳をここで出すと、御朱印を断られたという話です。)
まあ、日を改めて御朱印はいただくことにいたしましょう。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
加波山三枝祇神社をあとにして、向かった先は...............加波山普明神社。
加波山三枝祇神社から直線距離でも数百m。
非常に近い場所に鎮座している加波山普明神社。
明治時代最後の仙人といわれた国安普明を祀る神社で、
本殿は加波山中腹にあります。
明治34年(1901)に建てられた、加波山普明神社の拝殿は、
元々は加波山神社真壁拝殿で、隣接地に新拝殿ができたために
旧拝殿が普明神社拝殿となったそうです。
また、加波山周辺のたばこ農家の信仰も厚く、
そのため加波山には「たばこ神社」も建立しています。
そして、加波山普明神社の境内左手前には『たばこ資料館』があります。
こちらが社号標。

小さいながらも立派な鳥居。


手水舎。

拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

拝殿に掲げられた天狗の面。

拝殿正面の柱には、加波山普明神社の名を力強く示しています。

拝殿と狛犬。

こちらは社務所。

境内社。

この辺りは、加波山の1合目になるようです。

敷地内にある『たばこ資料館』。

加波山普明神社に隣接するのが、加波山神社。
正式には、加波山神社 真壁拝殿(里宮)というらしい。

とにかく、加波山神社はややこしい。
信仰の対象になる加波山ですが...............

この加波山の山頂付近には3つの加波山神社の本殿と拝殿が個別にある状態で
また、里宮も別々にあります。
その里宮の一つが合祀した本宮と親宮の里宮であり
もう一つが、こちらの中宮の里宮です。
社号標。

朱色の立派な鳥居。

鳥居の神額。

ズバリ! 『加波山』
加波山神社の説明板。

どう言った経緯があったのが分かりませんが
とにかく、加波山神社(中宮)と加波山三枝祇神社(本宮、親宮)とは仲が悪いようです。
まあ、大人の事情ってやつだと思いますが...............
狛犬。

神橋。

手水舎。

手水舎の吐出口。

漫画チックな龍。
由来書。

色鮮やかな拝殿。

拝殿前の狛犬。

拝殿の扁額。

拝殿の飾り。



とにかく、鮮やかすぎる拝殿。

拝殿前のカエルの像。

カエルって...............?
何か意味があるのだろうか?
しかしながら、里宮の拝殿と言う割には
艶やかと言うか、賑々しいと言うか...............
ちょっと派手すぎないか? と思ってしまったりする。
残念ながら、この日社務所は閉まっていて
神職さんも留守にされていて、御朱印はいただくことは出来ませんでした。
一説によると、加波山三枝祇神社で御朱印(加波山神社本宮)をもらったあと
こちらの神社で御朱印をもらおうとすると、もらえないとも言われています。
(本宮で御朱印をいただいた後に同じ御朱印帳をここで出すと、御朱印を断られたという話です。)
まあ、日を改めて御朱印はいただくことにいたしましょう。
2018/03/31 Sat. 00:00 |
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御朱印巡り 加波山三枝祇神社 (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
五所駒瀧神社をあとにして、向かった先は............... 加波山三枝祇神社
加波山三枝祇神社は、正式には加波山三枝祇神社本宮と言いますが
通称では、加波山神社本宮と呼ばれているようです。
実は知らなかったのですが...............
加波山神社と言っても、現在3つの加波山神社が存在するようです。
そして、加波山山頂に3つの加波山神社が鎮座するからややこしい。
その3つとは、加波山三枝祇神社本宮(本宮)と三枝祇神社親宮(親宮)と
加波山神社中宮(中宮)です。
加波山三枝祇神社本宮の本殿は山頂に鎮座し、その少し南側に拝殿があるそうです。
山頂より尾根筋北に200m程隔てて、三枝祇神社親宮の本殿が鎮座し、
更にその北方に拝殿があるそうです。
本宮と親宮の里宮が加波山西麓の真壁町長岡にあるこちらの神社になります。
なかなか整理出来ないと、理解に苦しみます(笑)。
江戸時代以前までは、加波山大権現という一つの神社(当時は神仏混合)だったそうですが、
様々な大人の理由で現在は2つのグループに分かれてしまい、
微妙な関係であるそうです。
社号標には、『 三枝祇神社 加波山本宮 』となっています。


こちらが鳥居。

鳥居の奉納記念碑。

鳥居の先の狛犬。

鳥居の先の石段を上れば境内。

先ほどとは別な狛犬。
こちらは年代モノ。

境内の桜。
春は桜の名所らしい。

参道の奥に拝殿が見えます。

手水舎。

加波山本宮 の社号標。

こちらが、拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

本宮と親宮の合祀殿と記されています。
拝殿正面。

別アングルからの拝殿。


扁額と並ぶ天狗面。


拝殿の飾り。

神社の拝殿の飾り(彫り物)って、なぜか龍が多い。
拝殿の屋根。

こちらは、神殿。

神輿殿。

こちらは、神楽殿。

拝殿前の狛犬。

境内社の加波山三社稲荷。

山神の碑。

境内社の八大龍神。

こちらは、マス愛地蔵。

この場所は、あくまでも里宮。
この先から加波山の本宮へと道は続いているようです。

加波山の山頂にある本殿まで、往復3時間? 4時間?
何しろ、それくらい掛かるらしい。
今日は無理だけど、いつかチャレンジしてみたい。
こちらが、社務所。
御朱印は、こちらでいただくことになります。

こちらが、御朱印。

『 加波山神社 本宮 』となっています。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
五所駒瀧神社をあとにして、向かった先は............... 加波山三枝祇神社
加波山三枝祇神社は、正式には加波山三枝祇神社本宮と言いますが
通称では、加波山神社本宮と呼ばれているようです。
実は知らなかったのですが...............
加波山神社と言っても、現在3つの加波山神社が存在するようです。
そして、加波山山頂に3つの加波山神社が鎮座するからややこしい。
その3つとは、加波山三枝祇神社本宮(本宮)と三枝祇神社親宮(親宮)と
加波山神社中宮(中宮)です。
加波山三枝祇神社本宮の本殿は山頂に鎮座し、その少し南側に拝殿があるそうです。
山頂より尾根筋北に200m程隔てて、三枝祇神社親宮の本殿が鎮座し、
更にその北方に拝殿があるそうです。
本宮と親宮の里宮が加波山西麓の真壁町長岡にあるこちらの神社になります。
なかなか整理出来ないと、理解に苦しみます(笑)。
江戸時代以前までは、加波山大権現という一つの神社(当時は神仏混合)だったそうですが、
様々な大人の理由で現在は2つのグループに分かれてしまい、
微妙な関係であるそうです。
社号標には、『 三枝祇神社 加波山本宮 』となっています。


こちらが鳥居。

鳥居の奉納記念碑。

鳥居の先の狛犬。

鳥居の先の石段を上れば境内。

先ほどとは別な狛犬。
こちらは年代モノ。

境内の桜。
春は桜の名所らしい。

参道の奥に拝殿が見えます。

手水舎。

加波山本宮 の社号標。

こちらが、拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

本宮と親宮の合祀殿と記されています。
拝殿正面。

別アングルからの拝殿。


扁額と並ぶ天狗面。


拝殿の飾り。

神社の拝殿の飾り(彫り物)って、なぜか龍が多い。
拝殿の屋根。

こちらは、神殿。

神輿殿。

こちらは、神楽殿。

拝殿前の狛犬。

境内社の加波山三社稲荷。

山神の碑。

境内社の八大龍神。

こちらは、マス愛地蔵。

この場所は、あくまでも里宮。
この先から加波山の本宮へと道は続いているようです。

加波山の山頂にある本殿まで、往復3時間? 4時間?
何しろ、それくらい掛かるらしい。
今日は無理だけど、いつかチャレンジしてみたい。
こちらが、社務所。
御朱印は、こちらでいただくことになります。

こちらが、御朱印。

『 加波山神社 本宮 』となっています。
2018/03/30 Fri. 00:00 |
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御朱印巡り...............五所駒瀧神社 (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
桜川市って言ってもメインは、真壁のひなまつり。
真壁の町並みで雛人形をそれなりに堪能したあとは、
真壁のひなまつりの延長で、雛人形が飾られている
五所駒瀧神社へも足を伸ばしてみました。
五所駒瀧神社は、平安時代の長和3年(1014)の創建と伝えられています。
承安年間(1171~74)には鹿島神宮の祭神武甕槌命の分霊を祀り、
真壁氏の氏神ともなりました。
毎年7月に行われる通称「真壁祇園祭」は、この五所駒瀧神社の例大祭です。
400年以上の歴史を持つと言われ、国の選択無形民俗文化財に指定されています。
こちらが表参道。
表参道の社号標。

一の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

『五所神社』となっています。
鳥居前の狛犬。

では、参道を進んでいきましょう。

こちらは、駒啼石。

その昔、この神社の社より芦毛の駒が現れ出て、
石を踏み嘶いたと言われ
その蹄の跡が残った岩だと伝えられているそうです。
こちらが、二の鳥居。

二の鳥居の神額は、『五所駒瀧神社』となっています。

そして、こちらが三の鳥居。

意外に表参道には鳥居が多い。
真壁は石の町でもあるから、参道には石の加工品が多い。
二宮像のミニチュア版?

こちらは、百度石。

参道の長寿橋。

この橋の先が社殿。

参道の狛犬。

手水舎。

なぜか手水舎が二つある。
こちらは、旧い手水舎か?

こちらが拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

拝殿正面。

こちらは、本殿。

本殿は桜川市の文化財に指定されているようです。

拝殿前の狛犬。

拝殿と授与所。

授与所。

こちらは、神輿庫。

真壁祇園祭で使用される神輿が奉納されているようです。
こちらが社務所。

実は、この時期(真壁のひなまつり期間)は、
こちらの神社も ひなまつり の会場として、ひな人形が飾られています。

なかなか立派なひな人形。



こちらが裏参道。
(北側だから北参道と言うのかも知れない?)

裏参道の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

裏参道に建てられた景勝地の碑。

一瞬、茨城百景の碑かと思っちゃいます。
御朱印は社務所でいただきました。
こちらが、五所駒瀧神社の御朱印。

なかなか達筆な御朱印です。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
桜川市って言ってもメインは、真壁のひなまつり。
真壁の町並みで雛人形をそれなりに堪能したあとは、
真壁のひなまつりの延長で、雛人形が飾られている
五所駒瀧神社へも足を伸ばしてみました。
五所駒瀧神社は、平安時代の長和3年(1014)の創建と伝えられています。
承安年間(1171~74)には鹿島神宮の祭神武甕槌命の分霊を祀り、
真壁氏の氏神ともなりました。
毎年7月に行われる通称「真壁祇園祭」は、この五所駒瀧神社の例大祭です。
400年以上の歴史を持つと言われ、国の選択無形民俗文化財に指定されています。
こちらが表参道。
表参道の社号標。

一の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

『五所神社』となっています。
鳥居前の狛犬。

では、参道を進んでいきましょう。

こちらは、駒啼石。

その昔、この神社の社より芦毛の駒が現れ出て、
石を踏み嘶いたと言われ
その蹄の跡が残った岩だと伝えられているそうです。
こちらが、二の鳥居。

二の鳥居の神額は、『五所駒瀧神社』となっています。

そして、こちらが三の鳥居。

意外に表参道には鳥居が多い。
真壁は石の町でもあるから、参道には石の加工品が多い。
二宮像のミニチュア版?

こちらは、百度石。

参道の長寿橋。

この橋の先が社殿。

参道の狛犬。

手水舎。

なぜか手水舎が二つある。
こちらは、旧い手水舎か?

こちらが拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

拝殿正面。

こちらは、本殿。

本殿は桜川市の文化財に指定されているようです。

拝殿前の狛犬。

拝殿と授与所。

授与所。

こちらは、神輿庫。

真壁祇園祭で使用される神輿が奉納されているようです。
こちらが社務所。

実は、この時期(真壁のひなまつり期間)は、
こちらの神社も ひなまつり の会場として、ひな人形が飾られています。

なかなか立派なひな人形。



こちらが裏参道。
(北側だから北参道と言うのかも知れない?)

裏参道の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

裏参道に建てられた景勝地の碑。

一瞬、茨城百景の碑かと思っちゃいます。
御朱印は社務所でいただきました。
こちらが、五所駒瀧神社の御朱印。

なかなか達筆な御朱印です。
2018/03/29 Thu. 00:00 |
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真壁のひなまつり (2018年2月16日)(茨城県桜川市)
2月16日
毎年、この時期に各地で開催されるひなまつり。
今年も茨城県桜川市の『 真壁のひなまつり 』に出かけました。


平日の朝の通勤時間帯の移動で、つくば辺りが混むかな?と思い
朝の6時半に自宅を出発。
真壁には8時半に着いちゃいました。
例年のように、真壁体育館前の特設駐車場に車を停めて
歩いて真壁の町並みへと向かいます。
しかし、朝の8時半過ぎ。
今年はちょっと早く来過ぎちゃったみたい。
いつも一番最初に立ち寄る桜井精肉店のシャッターは閉まっている。
コロッケを買って、食べながら歩くのが楽しみだったのに...............
それでもシャッターが閉まってなければ、
ガラス越しにひな人形を見ることは出来るし、
真壁の町並みは、古い家が多いから、
シャッターの無い家や商店も多いからひな人形を覗くことは出来ます。



こちらの酒蔵は、今日のひな人形の展示は中止だそうです。

しかし、朝早いから観光客もまだ居ない。

旅館『伊勢屋』の前にて。

『真壁のひなまつり』でも今年から、スタンプラリーを始めたようです。

とりあえず、スタンプラリーに挑戦してみましょう。

こちらの商店も、まだ開いていません。

この時間帯でも開いている旧・真壁郵便局のひな人形。


こちらは、毎年楽しみにしている ひな人形 。
二階に注目!



その向かいの商店のひな人形。
こちらも毎年欠かさず覗いて、写真を撮ってます。



9時を回ると、ポツポツと商店が開いてきます。
ひな人形 を見て回りましょう。
ガラス越しにひな人形を見て巡るだけでも
意外に楽しいものです。





















今年は、 ひな人形 以外にも新たな発見。
たまたま通りかかった商店の前。
意図的に並べていたのか?
古いオートバイ。

HONDA ドリーム CB72 スーパースポーツ

1963年(昭和38年)のオートバイ。
4サイクル2気筒 OHC 250cc
1960年から1968年まで8年間も生産されました。
当時としては、人気のオートバイでした。
こちらもHONDA ベンリイ CB92 スーパースポーツ

1959年(昭和34年)のオートバイ。
125ccの2気筒エンジンを搭載。
初めてCBの名がつけられた市販スポーツモデルの元祖。
とにかく、この2台はHONDAのオートバイの市販ロードスポーツの原点とも言えるモデル。
たまりませんなぁ。
そして極め付け。
HONDAモトコンポ。NCZ50
1981年(昭和56年)のオートバイ。

確か、当時流行った車CITYと抱き合わせで販売されたオートバイ。
車に簡単に積めるオートバイ。
欲しかったんだよなぁ。
そんなモトコンポが3台並ぶと、思わずヨダレが...............(笑)
いやぁ、これらのオートバイ。
オートバイ好きにはたまらない。
そして、もう一つ。
こちらが真壁石で作られたダルメシアン。

さすが、石の名産地である真壁。
びいすけ とのツーショットもお似合い?
ひと通り飾られているひな人形を見たから
車を停めた真壁体育館の方へ戻りましょう。


時刻は10時近く。
桜井精肉店も開きました。

素通りは出来ません。
やっぱり、このコロッケを食べなきゃ、真壁の町に来た気がしない。

今年も真壁のひなまつり。
堪能させてもらいました。
毎年、この時期に各地で開催されるひなまつり。
今年も茨城県桜川市の『 真壁のひなまつり 』に出かけました。


平日の朝の通勤時間帯の移動で、つくば辺りが混むかな?と思い
朝の6時半に自宅を出発。
真壁には8時半に着いちゃいました。
例年のように、真壁体育館前の特設駐車場に車を停めて
歩いて真壁の町並みへと向かいます。
しかし、朝の8時半過ぎ。
今年はちょっと早く来過ぎちゃったみたい。
いつも一番最初に立ち寄る桜井精肉店のシャッターは閉まっている。
コロッケを買って、食べながら歩くのが楽しみだったのに...............
それでもシャッターが閉まってなければ、
ガラス越しにひな人形を見ることは出来るし、
真壁の町並みは、古い家が多いから、
シャッターの無い家や商店も多いからひな人形を覗くことは出来ます。



こちらの酒蔵は、今日のひな人形の展示は中止だそうです。

しかし、朝早いから観光客もまだ居ない。

旅館『伊勢屋』の前にて。

『真壁のひなまつり』でも今年から、スタンプラリーを始めたようです。

とりあえず、スタンプラリーに挑戦してみましょう。

こちらの商店も、まだ開いていません。

この時間帯でも開いている旧・真壁郵便局のひな人形。


こちらは、毎年楽しみにしている ひな人形 。
二階に注目!



その向かいの商店のひな人形。
こちらも毎年欠かさず覗いて、写真を撮ってます。



9時を回ると、ポツポツと商店が開いてきます。
ひな人形 を見て回りましょう。
ガラス越しにひな人形を見て巡るだけでも
意外に楽しいものです。





















今年は、 ひな人形 以外にも新たな発見。
たまたま通りかかった商店の前。
意図的に並べていたのか?
古いオートバイ。

HONDA ドリーム CB72 スーパースポーツ

1963年(昭和38年)のオートバイ。
4サイクル2気筒 OHC 250cc
1960年から1968年まで8年間も生産されました。
当時としては、人気のオートバイでした。
こちらもHONDA ベンリイ CB92 スーパースポーツ

1959年(昭和34年)のオートバイ。
125ccの2気筒エンジンを搭載。
初めてCBの名がつけられた市販スポーツモデルの元祖。
とにかく、この2台はHONDAのオートバイの市販ロードスポーツの原点とも言えるモデル。
たまりませんなぁ。
そして極め付け。
HONDAモトコンポ。NCZ50
1981年(昭和56年)のオートバイ。

確か、当時流行った車CITYと抱き合わせで販売されたオートバイ。
車に簡単に積めるオートバイ。
欲しかったんだよなぁ。
そんなモトコンポが3台並ぶと、思わずヨダレが...............(笑)
いやぁ、これらのオートバイ。
オートバイ好きにはたまらない。
そして、もう一つ。
こちらが真壁石で作られたダルメシアン。

さすが、石の名産地である真壁。
びいすけ とのツーショットもお似合い?
ひと通り飾られているひな人形を見たから
車を停めた真壁体育館の方へ戻りましょう。


時刻は10時近く。
桜井精肉店も開きました。

素通りは出来ません。
やっぱり、このコロッケを食べなきゃ、真壁の町に来た気がしない。

今年も真壁のひなまつり。
堪能させてもらいました。
2018/03/28 Wed. 00:00 |
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御朱印巡り...............鎌数伊勢大神宮 (2018年1月29日)(千葉県旭市)
1月29日
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
袋公園をあとにして、向かった先は...............鎌数伊勢大神宮。
鎌数伊勢大神宮は寛文年間に、かつてこの周辺にあった「椿の海」と呼ばれた湖が
伊勢桑名藩士辻内刑部左衛門等によって干拓された後、
三重の伊勢神宮から勧請された由緒ある神社です。
匝瑳、海上、香取の三郡にまたがる干潟八万石の総鎮守と言われています。
寛文11年(1671年)伊勢内宮荒木田神主梅谷左近太夫長重の創建であり、
その後梅谷家が代々宮司を務め、現在の宮司は12代目となるそうです。
こちらが社号標。

その隣には立派な鳥居。

鳥居の注連縄も新しい。


鎌数伊勢大神宮の由緒書き。

手水舎。

手水舎の脇には、何かの石。

力石かと思ったら、違っていました。
説明板によれば...............
専門家が調べたら、塩の塊。
塩の化石だということです。

注連縄が巻かれているから、御神木でしょうか?


御神木の脇には何かの石碑。

参道を進み拝殿へと向かいます。

こちらは、神楽殿。

こちらが、拝殿。

拝殿の注連縄。

拝殿内部。

拝殿脇の説明板。

よく見ると、落花生の碑と記されています。
こちらが、落花生の碑。

こちらが、本殿。

拝殿脇の直会殿。

拝殿前には、こんな碑もありました。

境内の夫婦杉。


説明板によれば、根元が同じ杉の木。

二本の大杉は根元が一つになっていて、子どもの木一本が生えており、
子宝に恵まれると言われているそうです。
境内社の


こちらは裏参道口。

正式には裏参道と言うのかはわかりませんが
拝殿西側の参道口。
手水舎。

御朱印は社務所にて頂くことができます。

こちらが、社務所。

鎌数伊勢大神宮では、御朱印はお気持ちだということです。

このお気持ちって言うのが微妙なんだよね。
確かにお釣りを下さいって言いづらいし...............
そして、兼務社の御朱印にも対応してくれるらしい。

多分、兼務社の御朱印でまたお世話になるでしょう。
こちらが、鎌数伊勢大神宮の御朱印。

兼務社が10社あるようですが...............
まあ、気長に時間がある時に巡ることにいたしましょう。
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
袋公園をあとにして、向かった先は...............鎌数伊勢大神宮。
鎌数伊勢大神宮は寛文年間に、かつてこの周辺にあった「椿の海」と呼ばれた湖が
伊勢桑名藩士辻内刑部左衛門等によって干拓された後、
三重の伊勢神宮から勧請された由緒ある神社です。
匝瑳、海上、香取の三郡にまたがる干潟八万石の総鎮守と言われています。
寛文11年(1671年)伊勢内宮荒木田神主梅谷左近太夫長重の創建であり、
その後梅谷家が代々宮司を務め、現在の宮司は12代目となるそうです。
こちらが社号標。

その隣には立派な鳥居。

鳥居の注連縄も新しい。


鎌数伊勢大神宮の由緒書き。

手水舎。

手水舎の脇には、何かの石。

力石かと思ったら、違っていました。
説明板によれば...............
専門家が調べたら、塩の塊。
塩の化石だということです。

注連縄が巻かれているから、御神木でしょうか?


御神木の脇には何かの石碑。

参道を進み拝殿へと向かいます。

こちらは、神楽殿。

こちらが、拝殿。

拝殿の注連縄。

拝殿内部。

拝殿脇の説明板。

よく見ると、落花生の碑と記されています。
こちらが、落花生の碑。

こちらが、本殿。

拝殿脇の直会殿。

拝殿前には、こんな碑もありました。

境内の夫婦杉。


説明板によれば、根元が同じ杉の木。

二本の大杉は根元が一つになっていて、子どもの木一本が生えており、
子宝に恵まれると言われているそうです。
境内社の


こちらは裏参道口。

正式には裏参道と言うのかはわかりませんが
拝殿西側の参道口。
手水舎。

御朱印は社務所にて頂くことができます。

こちらが、社務所。

鎌数伊勢大神宮では、御朱印はお気持ちだということです。

このお気持ちって言うのが微妙なんだよね。
確かにお釣りを下さいって言いづらいし...............
そして、兼務社の御朱印にも対応してくれるらしい。

多分、兼務社の御朱印でまたお世話になるでしょう。
こちらが、鎌数伊勢大神宮の御朱印。

兼務社が10社あるようですが...............
まあ、気長に時間がある時に巡ることにいたしましょう。
2018/03/24 Sat. 00:00 |
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袋公園 (2018年1月29日)(千葉県旭市)
1月29日
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
仲島城址をあとにして、向かった先は...............袋公園。
袋公園は、桜の名所として知られ、憩いの場として親しまれている公園です。
公園内の溜池は、現在「干潟八万石」と呼ばれている耕地をつくる際、
「椿の海」と呼ばれた大きな湖を開拓して、
その後周辺の村々の用水を確保するために造成された13の溜池の中の一つです。
その後、池を囲むようにして数多くの桜が植えられ、
周辺施設が整備され現在の公園となったそうです。
駐車場は何ヶ所か有り、意外と車でアクセスするには申し分無さそうです。
たむたま、遊具のある芝生広場近くの駐車場に停めましたが、
これが意外に正解だったかも?
案内図で公園の配置などを確認します。

公園内に入ると、すぐさまこんな看板が...............。

どうやら、芝生広場内にはペットの立ち入り禁止らしい。
遊具もある、広い芝生広場なんだけどね。
中に入れないんじゃ魅力も半減。

仕方ないので、芝生広場沿いの遊歩道を歩きます。

こちらは、ジャバジャバ池。

この時期は水が抜かれていますが、
夏場はこの池で子供たちが遊ぶのでしょうか?
袋公園は、何と言っても溜池の周りをぐるっと一周出来る遊歩道。
桜の木が植えられ、春の桜の季節には多くの人が
桜の花を堪能する為に訪れるそうです。
桜の季節では有りませんが、溜池の周りを歩いてみましょう。


確かに、溜池の外周路には、桜の木が植えられている。


記念切手が販売されるとは...............

かなり、桜の名所なんですね。
溜池を横断する橋。

こう言う木橋があると、どうしても渡りたくなっちゃいます(笑)。
橋の真ん中にある休憩スペース(四阿)にて。



まだまだ1月末は寒い。
いつのまにか、曇り空。
風がちょっと冷たいね。

水鳥も優雅に溜池を泳いでいる。

さあ、駐車場まで戻りましょう。

駐車場まで戻ると、雲の間から太陽が顔を覗かせてきました。
駐車場には何かの石碑。

隣に建つ説明板によれば、椿海の開墾を記念して
大正13年に建てられた碑らしい。

千葉県の旭市周辺を語るには、椿海を忘れてはならない。
椿海は、現在の千葉県東庄町・旭市・匝瑳市の境界付近に、
江戸時代初期まで存在した湖です。
この袋公園は、椿海の一部を堰(溜池)として残したものの一部でもあるようです。
多くの人が、この袋公園に訪れるとは思うけれど、
椿海の事を思い浮かべる人はいるのだろうか...............?
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
仲島城址をあとにして、向かった先は...............袋公園。
袋公園は、桜の名所として知られ、憩いの場として親しまれている公園です。
公園内の溜池は、現在「干潟八万石」と呼ばれている耕地をつくる際、
「椿の海」と呼ばれた大きな湖を開拓して、
その後周辺の村々の用水を確保するために造成された13の溜池の中の一つです。
その後、池を囲むようにして数多くの桜が植えられ、
周辺施設が整備され現在の公園となったそうです。
駐車場は何ヶ所か有り、意外と車でアクセスするには申し分無さそうです。
たむたま、遊具のある芝生広場近くの駐車場に停めましたが、
これが意外に正解だったかも?
案内図で公園の配置などを確認します。

公園内に入ると、すぐさまこんな看板が...............。

どうやら、芝生広場内にはペットの立ち入り禁止らしい。
遊具もある、広い芝生広場なんだけどね。
中に入れないんじゃ魅力も半減。

仕方ないので、芝生広場沿いの遊歩道を歩きます。

こちらは、ジャバジャバ池。

この時期は水が抜かれていますが、
夏場はこの池で子供たちが遊ぶのでしょうか?
袋公園は、何と言っても溜池の周りをぐるっと一周出来る遊歩道。
桜の木が植えられ、春の桜の季節には多くの人が
桜の花を堪能する為に訪れるそうです。
桜の季節では有りませんが、溜池の周りを歩いてみましょう。


確かに、溜池の外周路には、桜の木が植えられている。


記念切手が販売されるとは...............

かなり、桜の名所なんですね。
溜池を横断する橋。

こう言う木橋があると、どうしても渡りたくなっちゃいます(笑)。
橋の真ん中にある休憩スペース(四阿)にて。



まだまだ1月末は寒い。
いつのまにか、曇り空。
風がちょっと冷たいね。

水鳥も優雅に溜池を泳いでいる。

さあ、駐車場まで戻りましょう。

駐車場まで戻ると、雲の間から太陽が顔を覗かせてきました。
駐車場には何かの石碑。

隣に建つ説明板によれば、椿海の開墾を記念して
大正13年に建てられた碑らしい。

千葉県の旭市周辺を語るには、椿海を忘れてはならない。
椿海は、現在の千葉県東庄町・旭市・匝瑳市の境界付近に、
江戸時代初期まで存在した湖です。
この袋公園は、椿海の一部を堰(溜池)として残したものの一部でもあるようです。
多くの人が、この袋公園に訪れるとは思うけれど、
椿海の事を思い浮かべる人はいるのだろうか...............?
2018/03/23 Fri. 15:00 |
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仲島城址 (2018年1月29日)(千葉県旭市)
1月29日
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
旭市の袋公園の近くにある浅間神社のある辺りが仲島城址とされています。
平野に置かれた水城で、正中元年(1324)に大須賀尾張守によって築かれ、
後に大須賀八左衛門の居城となったとされています。
永禄年間に加瀬肥後守が移封され、天正年間には正木左近の攻撃を受けたが、
撃退したということです。
しかし、天正18年に小田原の役で徳川軍の攻撃を受けて落城し、廃城となりました。
本丸の物見台と思われる所に浅間神社が建ち、城址碑もありますが
その周囲は宅地化され、遺構のほとんどは失われてしまっています。
こちらが、仲島城の縄張り図。

余胡さんのHP よりお借りしました。
本丸跡とされる、浅間神社の入り口。

鳥居脇に建つ説明板。

説明板の正面には石碑があります。

てっきり城址碑かと思ったら違っていました。
千葉県立海上郡農学校の碑でした。
現在の千葉県立旭農業高等学校が、この地で開校したようです。

肝心の仲島城址はと言えば、
遺構らしきモノがほとんどない。

ちょっとした土壇が土塁に見えなくもない。

台地頂部の浅間神社。

浅間神社の奥は、かつての椿海に落ち込むようになっている。


以前は、堀跡っぽく見えて、城址の標柱が建てられていた場所は
太陽光発電のモジュールが置かれて立ち入り禁止。

浅間神社のあるちょっとした台地だけが残り、
周辺は宅地化され、かなり改変してしまったのでしょう。
鳥居の脇にある説明板が無ければ、誰もこの地が
かつての城跡とは思わないだろうなぁ。
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
旭市の袋公園の近くにある浅間神社のある辺りが仲島城址とされています。
平野に置かれた水城で、正中元年(1324)に大須賀尾張守によって築かれ、
後に大須賀八左衛門の居城となったとされています。
永禄年間に加瀬肥後守が移封され、天正年間には正木左近の攻撃を受けたが、
撃退したということです。
しかし、天正18年に小田原の役で徳川軍の攻撃を受けて落城し、廃城となりました。
本丸の物見台と思われる所に浅間神社が建ち、城址碑もありますが
その周囲は宅地化され、遺構のほとんどは失われてしまっています。
こちらが、仲島城の縄張り図。

余胡さんのHP よりお借りしました。
本丸跡とされる、浅間神社の入り口。

鳥居脇に建つ説明板。

説明板の正面には石碑があります。

てっきり城址碑かと思ったら違っていました。
千葉県立海上郡農学校の碑でした。
現在の千葉県立旭農業高等学校が、この地で開校したようです。

肝心の仲島城址はと言えば、
遺構らしきモノがほとんどない。

ちょっとした土壇が土塁に見えなくもない。

台地頂部の浅間神社。

浅間神社の奥は、かつての椿海に落ち込むようになっている。


以前は、堀跡っぽく見えて、城址の標柱が建てられていた場所は
太陽光発電のモジュールが置かれて立ち入り禁止。

浅間神社のあるちょっとした台地だけが残り、
周辺は宅地化され、かなり改変してしまったのでしょう。
鳥居の脇にある説明板が無ければ、誰もこの地が
かつての城跡とは思わないだろうなぁ。
2018/03/23 Fri. 00:00 |
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道の駅 《 季楽里あさひ 》 (2018年1月29日)(千葉県旭市)
1月29日
昨年から始めた 道の駅巡り 。
最近は、ちょっとサボり気味でしたが
この日、千葉県の旭市に出かけたついでに
旭市にある 道の駅 季楽里あさひ に立ち寄ってみました。


以前、旭市には道の駅は無かったのですが、
平成27年の10月にオープンしたそうです。

ちょうど、オープンして2年が過ぎていると言うことです。
とにかく、千葉県の道の駅の数が一気に増えました。
知らない間に、東金市にも道の駅が出来ていたし、
ここ、旭市にも道の駅が出来ていた。
調べてみると、今日現在、千葉県内には28の道の駅があり
今年中に市川にも道の駅が出来る予定らしい。
ちなみに、この 季楽里あさひ は25番目の道の駅らしい。
こちらが、道の駅 季楽里あさひ のメインの建物。

逆アングルから。

道の駅だから、当然地元産直の野菜等が販売されています。

昨今の野菜の価格の高騰ぶりは
道の駅だからと言っても変わらない。

この時期はダメなんだろうねぇ。


道の駅の切符は、こちらで販売されています。

こちらは、情報コーナー。

その一画に道の駅のスタンプが置かれています。

こちらが、レストラン。

こちらでは、ランチバイキングが有名らしい

かなりの人が並んで順番待ち。
この日は、平日だから準備されていなかったけれど
休日になれば、テラス席も準備されているみたいです。

そのテラス席に隣接する芝生広場。

枯れ芝生になっていますが、匂いに支障なし。

芝生の匂いか?
はたまた、他のワンちゃんの残り香なのか?
匂い嗅ぎに精を出す びいすけ 。


こちらは、旭市のゆるキャラなのか?

芝生広場の入り口に設置されていました。
こちらが道の駅の切符。


そして、こちらが道の駅のスタンプ。

こちらの道の駅のウリは、やっぱりレストランのバイキングなんでしょうね。
平日のランチタイムに順番待ちの道の駅ってなかなか無いはず。
暖かくなったら、テラス席でも利用しようかな...............?
昨年から始めた 道の駅巡り 。
最近は、ちょっとサボり気味でしたが
この日、千葉県の旭市に出かけたついでに
旭市にある 道の駅 季楽里あさひ に立ち寄ってみました。


以前、旭市には道の駅は無かったのですが、
平成27年の10月にオープンしたそうです。

ちょうど、オープンして2年が過ぎていると言うことです。
とにかく、千葉県の道の駅の数が一気に増えました。
知らない間に、東金市にも道の駅が出来ていたし、
ここ、旭市にも道の駅が出来ていた。
調べてみると、今日現在、千葉県内には28の道の駅があり
今年中に市川にも道の駅が出来る予定らしい。
ちなみに、この 季楽里あさひ は25番目の道の駅らしい。
こちらが、道の駅 季楽里あさひ のメインの建物。

逆アングルから。

道の駅だから、当然地元産直の野菜等が販売されています。

昨今の野菜の価格の高騰ぶりは
道の駅だからと言っても変わらない。

この時期はダメなんだろうねぇ。


道の駅の切符は、こちらで販売されています。

こちらは、情報コーナー。

その一画に道の駅のスタンプが置かれています。

こちらが、レストラン。

こちらでは、ランチバイキングが有名らしい

かなりの人が並んで順番待ち。
この日は、平日だから準備されていなかったけれど
休日になれば、テラス席も準備されているみたいです。

そのテラス席に隣接する芝生広場。

枯れ芝生になっていますが、匂いに支障なし。

芝生の匂いか?
はたまた、他のワンちゃんの残り香なのか?
匂い嗅ぎに精を出す びいすけ 。


こちらは、旭市のゆるキャラなのか?

芝生広場の入り口に設置されていました。
こちらが道の駅の切符。


そして、こちらが道の駅のスタンプ。

こちらの道の駅のウリは、やっぱりレストランのバイキングなんでしょうね。
平日のランチタイムに順番待ちの道の駅ってなかなか無いはず。
暖かくなったら、テラス席でも利用しようかな...............?
2018/03/22 Thu. 15:00 |
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椎名内城址 (2018年1月29日)(千葉県旭市)
1月29日
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
潮騒ふれあい広場をあとにして、向かった先は...............椎名内城址
椎名内城は、中世にこの地域で一大勢力を誇った椎名氏の発祥の地であると言われています。
現在の長禅寺境内付近に築かれていたようです。
日本城郭大系によれば、「長禅寺の西に隣接するようにあり、
鬼門(北東)に琴平神社が祀られている。」と記されているそうです。
椎名内城の縄張り図

余胡さんのHP よりお借りいたしました
こちらが長禅寺の入り口。
寺号標の前。

山門前の土塁。

土塁の左奥には空堀。

以前は、この空堀もそれなりに広かったようですが、
墓地の拡張工事で一部が埋められているようです。
こちらが、長禅寺の山門。

山門をくぐって、長禅寺の境内に入ります。
こちらも土塁っぽく見える。

こちらは鐘楼。

本殿前の説明板。

説明板には、椎名内城については、全く触れていない。
こちらが、本堂。


この奥が墓地になります。

北側の土塁前に立ち並ぶ墓石群。

本堂裏手も削平地。

堀跡も残っています。


こちらは、水堀跡。

水堀跡と言いながらも、現在もチョロチョロと水は流れ
堀としての 機能を有している。

本堂の建つ削平地(郭)を主郭とすれば
こちらは二郭になるのだろうか?
わずかばかりであるが、土塁も残っています。



椎名内城の鬼門とされる北東に鎮座する琴平神社。

長禅寺の敷地内に僅かばかりに土塁が残っているけれど
すっかり様変わりして、城址を感じとることは中々難しい。
まぁ、城跡がお寺に変わると言うパターンも多々あるから
こんなモノかもしれない。
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
潮騒ふれあい広場をあとにして、向かった先は...............椎名内城址
椎名内城は、中世にこの地域で一大勢力を誇った椎名氏の発祥の地であると言われています。
現在の長禅寺境内付近に築かれていたようです。
日本城郭大系によれば、「長禅寺の西に隣接するようにあり、
鬼門(北東)に琴平神社が祀られている。」と記されているそうです。
椎名内城の縄張り図

余胡さんのHP よりお借りいたしました
こちらが長禅寺の入り口。
寺号標の前。

山門前の土塁。

土塁の左奥には空堀。

以前は、この空堀もそれなりに広かったようですが、
墓地の拡張工事で一部が埋められているようです。
こちらが、長禅寺の山門。

山門をくぐって、長禅寺の境内に入ります。
こちらも土塁っぽく見える。

こちらは鐘楼。

本殿前の説明板。

説明板には、椎名内城については、全く触れていない。
こちらが、本堂。


この奥が墓地になります。

北側の土塁前に立ち並ぶ墓石群。

本堂裏手も削平地。

堀跡も残っています。


こちらは、水堀跡。

水堀跡と言いながらも、現在もチョロチョロと水は流れ
堀としての 機能を有している。

本堂の建つ削平地(郭)を主郭とすれば
こちらは二郭になるのだろうか?
わずかばかりであるが、土塁も残っています。



椎名内城の鬼門とされる北東に鎮座する琴平神社。

長禅寺の敷地内に僅かばかりに土塁が残っているけれど
すっかり様変わりして、城址を感じとることは中々難しい。
まぁ、城跡がお寺に変わると言うパターンも多々あるから
こんなモノかもしれない。
2018/03/22 Thu. 00:00 |
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潮騒ふれあい広場 (2018年1月29日)(千葉県旭市)
1月29日
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
いいおかみなと公園をあとにして向かった先は...............潮騒ふれあい広場。
飯岡漁港から、県道を海岸線に沿って南下して行くと
やがて、右側に日帰り入浴もできる『いいおか潮騒ホテル飯岡温泉』が現れます。
道路を挟んで反対側にちょっぴり広めの駐車場があります。
そちらが、潮騒ふれあい広場です。
何やら防波堤の手前にありますね。

近づいてみると、『飯岡海岸護岸竣工碑』と記されていました。
近くには展望台もあります。

おバカさんと煙は高いところに行きたがる。
当然、私も びいすけ も展望台に上がります。

この飯岡の浜から九十九里浜が始まるんですね。

九十九里浜の末端、太東岬など見える訳が無い。

展望台の壁面には飯岡にちなんだ人が描かれています。

座頭市...............えっ? 実在の人物なの?
飯岡助五郎...............天保水滸伝ですね。
そして、清滝佐吉? ...............知らないなぁ。
展望台な隣はちょっとした公園。
でも、碑やオブジェの宝庫。
どぉ〜んと目を引くオブジェ。

その名もスバリ!
『波と飯岡石のモニュメント』。

飯岡と言ったら、この人を忘れちゃいけません。
漫画家の『ちばてつや』。
ここにも、明日のジョーのモニュメント。


ちょっぴり、可愛げな矢吹丈と力石徹。
同じモノが刑部岬の永井公園にもありましたね。
こちらの碑はちょっと、意味深。

甚大な被害をもたらした東日本大震災。
あまり知られてはいないのかも知れませんが...............
千葉県の旭市(飯岡町)にも津波が押し寄せて被害が在りました。
こちらの碑は、そのことを忘れないために
そして、頑張って復興したことを記するために建てられたようです。

碑の前には、タイムカプセル。

2043年に開封するそうです。
こちらは、頌徳碑。

鎌田なにがしと言う人を頌徳しているようです。
海の方へ行ってみましょう。

この辺りは、永井浜海岸と言うらしい。
久しぶりに砂浜を走らせてみます。

先ほども、いいおかみなと公園で走っていましたが
この浜でも走っている。

びいすけ 、今日は絶好調?

まぁ、元気に走ってくれることに越した事は無い。

走り疲れたのか?
砂浜で匂い嗅ぎ。

ならば、波をバックに記念写真といたしましょう。



駐車場に戻り、出発したら
目の前にこんな石碑が現れた。

『座頭市の物語の碑』と刻まれています。
『座頭市物語発祥の地』とも刻まれています。

『いいおか潮騒ホテル飯岡温泉』の駐車場の片隅に
碑や説明板が並んでいます。

こちらが、座頭市物語の碑。

どうやら、座頭市のモデルになったら方が
飯岡町に住んでいたらしい。
そして、説明板。


座頭市の物語の発祥の地である飯岡が
東日本大震災で津波に飲み込まれて、被害も多かった。
その復興の為、座頭市の町として頑張っているらしい。
頑張れ旭市!
頑張れ 飯岡!!
そっと小さく呟いてみた...............。
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
いいおかみなと公園をあとにして向かった先は...............潮騒ふれあい広場。
飯岡漁港から、県道を海岸線に沿って南下して行くと
やがて、右側に日帰り入浴もできる『いいおか潮騒ホテル飯岡温泉』が現れます。
道路を挟んで反対側にちょっぴり広めの駐車場があります。
そちらが、潮騒ふれあい広場です。
何やら防波堤の手前にありますね。

近づいてみると、『飯岡海岸護岸竣工碑』と記されていました。
近くには展望台もあります。

おバカさんと煙は高いところに行きたがる。
当然、私も びいすけ も展望台に上がります。

この飯岡の浜から九十九里浜が始まるんですね。

九十九里浜の末端、太東岬など見える訳が無い。

展望台の壁面には飯岡にちなんだ人が描かれています。

座頭市...............えっ? 実在の人物なの?
飯岡助五郎...............天保水滸伝ですね。
そして、清滝佐吉? ...............知らないなぁ。
展望台な隣はちょっとした公園。
でも、碑やオブジェの宝庫。
どぉ〜んと目を引くオブジェ。

その名もスバリ!
『波と飯岡石のモニュメント』。

飯岡と言ったら、この人を忘れちゃいけません。
漫画家の『ちばてつや』。
ここにも、明日のジョーのモニュメント。


ちょっぴり、可愛げな矢吹丈と力石徹。
同じモノが刑部岬の永井公園にもありましたね。
こちらの碑はちょっと、意味深。

甚大な被害をもたらした東日本大震災。
あまり知られてはいないのかも知れませんが...............
千葉県の旭市(飯岡町)にも津波が押し寄せて被害が在りました。
こちらの碑は、そのことを忘れないために
そして、頑張って復興したことを記するために建てられたようです。

碑の前には、タイムカプセル。

2043年に開封するそうです。
こちらは、頌徳碑。

鎌田なにがしと言う人を頌徳しているようです。
海の方へ行ってみましょう。

この辺りは、永井浜海岸と言うらしい。
久しぶりに砂浜を走らせてみます。

先ほども、いいおかみなと公園で走っていましたが
この浜でも走っている。

びいすけ 、今日は絶好調?

まぁ、元気に走ってくれることに越した事は無い。

走り疲れたのか?
砂浜で匂い嗅ぎ。

ならば、波をバックに記念写真といたしましょう。



駐車場に戻り、出発したら
目の前にこんな石碑が現れた。

『座頭市の物語の碑』と刻まれています。
『座頭市物語発祥の地』とも刻まれています。

『いいおか潮騒ホテル飯岡温泉』の駐車場の片隅に
碑や説明板が並んでいます。

こちらが、座頭市物語の碑。

どうやら、座頭市のモデルになったら方が
飯岡町に住んでいたらしい。
そして、説明板。


座頭市の物語の発祥の地である飯岡が
東日本大震災で津波に飲み込まれて、被害も多かった。
その復興の為、座頭市の町として頑張っているらしい。
頑張れ旭市!
頑張れ 飯岡!!
そっと小さく呟いてみた...............。
2018/03/21 Wed. 15:00 |
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いいおかみなと公園 (2018年1月29日)(千葉県旭市)
1月29日
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
今まで、旭市って銚子に遊びに行ったついでに立ち寄る
ってパターンが多かったから、
行きたい箇所、立ち寄りたい箇所があっても
時間が押していると、ついついこの次!って後回しにして来たから
結構、行けず仕舞いな状態。
今回は、そんな箇所を少しでもやっつけちゃおう!。
そんなわけで、玉崎神社をあとにして
向かった先は...............いいおかみなと公園。
書いて字のごとく、飯岡漁港近くにある公園です。
でも、以前から来たかったんだぁ...............。


何があるかも知らない。
どんな公園なのかも知らない。
ただ、ひらがなで
『いいおかみなと』と名の付く公園がある事だけは
数年前から知っていた。
公園の案内図。

芝生広場と遊具があるようです。
いきなり、犬連れには強烈なパンチ。

最近、こう言うモンモンの看板を良く見るんだよねぇ。
飼い主のマナーの悪さは一向に良くならないみたい。
ちょっとした土壇には見晴らし台。

せっかくだから、見に行きましょう。(って言うか、これが目的)
見晴らし台からは、防波堤越しの太平洋。
九十九里浜です。



反対側(公園内部)は芝生広場。

遠くに見えるのは...............?

拡大(ズーム)すれば、屏風岬の展望台。

すなわち、九十九里浜の東端。
ここより西の海岸が九十九里浜となります。
誰も居ないのを再確認して、リードを持つ手の力を緩めます。

最初は、芝生の匂いを嗅いでいた びいすけ ですが
やがて、飼い主の意図(?)を察したのか?
スイッチが入って、激走モードに...............。
『 走れ〜!! 』

『 びいすけ 走れ〜!! 』

声には出さず、心の中で叫びます。





芝生広場を約2周。
力一杯走り回った びいすけ 。
8歳になり、シニア街道まっしぐら。
最近は、走り回ることも少なくなり
飼い主も走り回ることよりも、
元気に散歩で闊歩してくれることに喜びを感じる昨今、
こうやって、走り回ってくれると嬉しいねぇ。
公園には、こんな遊具も設置されていますが
完全に幼児用の遊具。

公園の入口脇に建つ碑。

てっきり、公園の記念碑かと思っていたら...............
よく見ると、『飯岡漁港開港35周年記念碑』でした。

ひょっとしたら、この『いいおかみなと公園』は、
飯岡漁港の開港35周年を記念して造られた公園なんだろうか?
いずれにしても、平日なら誰も居ないし、
びいすけ には相性の良い芝生広場のある公園でした...............。
この日は、千葉県の旭市に出かけました。
今まで、旭市って銚子に遊びに行ったついでに立ち寄る
ってパターンが多かったから、
行きたい箇所、立ち寄りたい箇所があっても
時間が押していると、ついついこの次!って後回しにして来たから
結構、行けず仕舞いな状態。
今回は、そんな箇所を少しでもやっつけちゃおう!。
そんなわけで、玉崎神社をあとにして
向かった先は...............いいおかみなと公園。
書いて字のごとく、飯岡漁港近くにある公園です。
でも、以前から来たかったんだぁ...............。


何があるかも知らない。
どんな公園なのかも知らない。
ただ、ひらがなで
『いいおかみなと』と名の付く公園がある事だけは
数年前から知っていた。
公園の案内図。

芝生広場と遊具があるようです。
いきなり、犬連れには強烈なパンチ。

最近、こう言うモンモンの看板を良く見るんだよねぇ。
飼い主のマナーの悪さは一向に良くならないみたい。
ちょっとした土壇には見晴らし台。

せっかくだから、見に行きましょう。(って言うか、これが目的)
見晴らし台からは、防波堤越しの太平洋。
九十九里浜です。



反対側(公園内部)は芝生広場。

遠くに見えるのは...............?

拡大(ズーム)すれば、屏風岬の展望台。

すなわち、九十九里浜の東端。
ここより西の海岸が九十九里浜となります。
誰も居ないのを再確認して、リードを持つ手の力を緩めます。

最初は、芝生の匂いを嗅いでいた びいすけ ですが
やがて、飼い主の意図(?)を察したのか?
スイッチが入って、激走モードに...............。
『 走れ〜!! 』

『 びいすけ 走れ〜!! 』

声には出さず、心の中で叫びます。





芝生広場を約2周。
力一杯走り回った びいすけ 。
8歳になり、シニア街道まっしぐら。
最近は、走り回ることも少なくなり
飼い主も走り回ることよりも、
元気に散歩で闊歩してくれることに喜びを感じる昨今、
こうやって、走り回ってくれると嬉しいねぇ。
公園には、こんな遊具も設置されていますが
完全に幼児用の遊具。

公園の入口脇に建つ碑。

てっきり、公園の記念碑かと思っていたら...............
よく見ると、『飯岡漁港開港35周年記念碑』でした。

ひょっとしたら、この『いいおかみなと公園』は、
飯岡漁港の開港35周年を記念して造られた公園なんだろうか?
いずれにしても、平日なら誰も居ないし、
びいすけ には相性の良い芝生広場のある公園でした...............。
2018/03/21 Wed. 00:00 |
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