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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

廃校を訪ねて...........戸頭小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

戸頭西小学校をあとにして向かった先は...............旧・取手町立戸頭小学校


戸頭小学校は、

明治7年に開校。

明治17年    永山小学校の分教場となる。
明治20年    下高井尋常小学校に統合。

明治22年    戸頭小学校として開校。
明治44年    戸頭尋常小学校と改称。
昭和22年    稲戸井村立戸頭小学校と改称。
昭和30年    稲戸井村が取手町に統合され、取手町立戸頭小学校と改称。
昭和35年    永山小学校と統合し、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実は、この戸頭小学校に辿り着くまでに苦労しました。

以前、ネットで調べた時に、
戸頭小学校は現在の『とがしら公園』にあったような書き込みがあったので
とがしら公園に行き、色々と探し回っていました。
散歩に来ていた初老のオジさんに聞いても
『この公園に小学校が在ったような話は聞いたことがない』と言われながらも
必死で学校の痕跡を探していました。

今度は、公園のボランティアのオジさんに話を聞いてみると
とがしら公園から10分ほど歩いた場所に戸頭神社があり、
その裏手が、戸頭小学校跡と言うことです。
現在は、戸頭小学校跡地に立派なマンションが建っているそうです。


iPhoneの地図アプリをナビ代わりにして
何とか辿り着きました。

こちらが、戸頭小学校跡。

       20170131戸頭小学校01

マンションの片隅に標柱と、戸頭小学校の頃からと思われる桜の木。


こちらが標柱。

       20170131戸頭小学校02

下高井小学校前(星光工業前)に建っていたモノと同じですね。


側面には簡素な沿革が記されています。

       20170131戸頭小学校03

戸頭小学校や下高井小学校の在った地区では
学校の分離、統合を繰り返し、同じ様な名称の学校になったりします。
2年前に戸頭西小学校と戸頭東小学校が統合して新たに開校したのも
こちらと同じ名称の戸頭小学校です。


マンションが建つと言うことは、小学校跡は民間の土地になったようですが
こちらの桜の木は伐採されずに残ったようです。

       20170131戸頭小学校04


『戸頭小学校跡』の標柱が無ければ、
ここが小学校跡だとは誰も気付かないでしょう。

       20170131戸頭小学校05



どう見ても、普通のマンション。

       20170131戸頭小学校06



せめて、訪れたと言う足跡だけでも残しましょう。

       20170131戸頭小学校07


取手市のHPを覗いてみると...............

戸頭小学校や下高井小学校が廃校になった昭和35年に
高井小学校の市ノ代分校も廃校になったようです。
ネットで調べても詳しい情報は得られないけれど
そちらにも標柱は建てられているんだろうか...............?












2017/03/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高源寺の地蔵ケヤキをあとにして、
向かった先は...............取手市立戸頭西小学校


戸頭西小学校は

昭和50年     永山小学校から分離して、戸頭西小学校開校。
昭和53年     戸頭西小学校から分離して、戸頭東小学校が開校。
平成27年     戸頭東小学校と統合して戸頭小学校が誕生
           (敷地は戸頭東小学校を流用)
           分離、開校、統合と言う歴史を経て、戸頭西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。

開校から40年で廃校になってしまったようです。



こちらが戸頭西小学校の正門。

      20170131戸頭西小学校01



門柱には、『みどりが丘幼稚園 仮校舎』とある。

      20170131戸頭西小学校02

どうやら廃校後、民間の幼稚園に貸し出ししているようです。


廃校後、幼稚園とか保育園になるってパターンも多い。
でも、意外にこれが厄介。
どうしても園児がいるから中には入れない。
ましてや衛生面でも、犬を連れて敷地内に入るのは、まず無理。



仕方ないから、正門脇から敷地内を伺います。



正門近くにある石碑を望遠で撮影。

      20170131戸頭西小学校03

ちょうど終了時間なのか?
正門を送迎バスが出入りするから邪魔になる。

フェンス沿いに敷地をぐるっと一周してみます。

      20170131戸頭西小学校04


      20170131戸頭西小学校05



フェンスの切れ目から、校庭越しに眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校06



さらに、ちょっとした高台の住宅地の脇から戸頭西小学校を
眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校07



こちらが校舎。

      20170131戸頭西小学校08


      20170131戸頭西小学校10



体育館。

      20170131戸頭西小学校09



そしてプール。

      20170131戸頭西小学校11



校庭には、シンボルツリー。
270mmの望遠で撮ってみました。

      20170131戸頭西小学校12



体育館脇には、百葉箱。

      20170131戸頭西小学校13


体育館の裏側の狭い路地を歩いて行けば...............

      20170131戸頭西小学校14


再び正門に辿り着きます。

      20170131戸頭西小学校15


フェンス越しにぐるっと一回りして来ました。
正門前には避難場所の案内板。
こちらにも『旧戸頭西小』と書かれています。

      20170131戸頭西小学校16


戸頭公園を散歩していた方に聞いたら、
現在、こちらにある幼稚園は今年度まで借りているらしい。
それで、門柱には仮園舎の表札があったんですね。

来年度以降は、どうなっているんだろう。
ひょっとしたら、だれも借り手が居なくて、
自由に見学できるようになっているんだろうか?

訪れるには、ちょっと早かったのかな...............?





2017/03/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........下高井小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

取手市の廃校巡り、その第5弾。

岡堰水神岬公園をあとにして、向かった先は...............取手町立下高井小学校です。


下高井小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで色々と調べてみましたが、どうも情報が少ない。


明治20年    下高井尋常小学校として開校。
明治22年    高井尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、高井村立下高井小学校と改称する。
昭和30年    高井村が取手町と合併して、取手町立下高井小学校と改称する。
昭和35年    新設の取手町立永山小学校が開校し、統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




いかにも学校跡と言うような面構え。

      20170131下高井小学校01


こちらが、下高井小学校跡。

      20170131下高井小学校02

校地は民間に払い下げられ、現在は『星光工業』と言う工場(?)になっています。



かつての正門前にて。

      20170131下高井小学校03

この門は往時のモノでは無さそうです。



門脇に建つ標柱。

      20170131下高井小学校04


標柱の側面には、簡単な沿革。

      20170131下高井小学校05

本当は、もっと色々と変遷を経ているとは思うんだけど
標柱の幅では簡素にするしか無いのかな?



平日で操業中だし、何より民間の会社の私有地だから
とても中には入れません。

おそらく、パートで働いていると思われるオバちゃんが
帰るために工場から出て来たから、ちょっと話を伺ったけれど
敷地内には学校跡を彷彿させるような遺構は全く無いそうです。
当然、廃校記念碑や二ノ宮像はありません。



周囲を見て見ましょう。


何となく学校跡を感じさせるのは、敷地境界に立つ木々。

      20170131下高井小学校06


      20170131下高井小学校07


      20170131下高井小学校08


      20170131下高井小学校09



門の向かいにある民家。

      20170131下高井小学校10

かつては商店を営んでいたように見える。
確かに、小学校の近くには文房具などを売っているお店がある(あった)。

そう言えば小学生の頃に当日の朝、必要な文房具類を
学校前のお店で買っていたのを思い出した。

愛知県知立市立来迎寺小学校の正門近くにあったお店は
未だ営業しているのだろうか...............?




2017/03/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........白山西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

井野小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立白山西小学校
白山西小学校は

昭和48年  取手市立白山西小学校設置
平成28年  稲小学校と統合して新たに取手西小学校が開校(敷地は稲小学校を流用)。
        白山西小学校は閉校となる。

と、このような沿革となっています。
開校からたった43年で廃校になってしまったようです。



キャノン取手工場の近くの住宅街の一角に在る白山西小学校。
住宅街の空き地は駐車場となり、
キャノンに通勤する人々の駐車場になっている地区。
大通りからは少し奥まった場所に、白山西小学校は在りました。


こちらが、白山西小学校の正門。

      20170131白山西小学校01


比較的新しい小学校だから、門柱も近代的。
表札は外されずに残っていました。

      20170131白山西小学校02

正門の扉は閉まっているので、一段下がった場所にはある校庭(グランド)から
敷地内に入らせてもらいます。


こちらが、校庭。

      20170131白山西小学校03



校庭の片隅に在る築山。

      20170131白山西小学校04


トンネルを匂い嗅ぎする びいすけ 。

      20170131白山西小学校05



校庭に残る遊具類。

      20170131白山西小学校06


      20170131白山西小学校07


      20170131白山西小学校08


      20170131白山西小学校09


      20170131白山西小学校10


      20170131白山西小学校11



こちらは、魚の形をしたオブジェ。

      20170131白山西小学校12

おそらく、子供たちの手による卒業製作だと思われます。


朝礼台。

      20170131白山西小学校13

もう、この朝礼台に上がって挨拶する子供たちも居ないので
今日は、 びいすけ が代わりにご挨拶。

『 ワン! 』


校庭から見上げる校舎と体育館。

      20170131白山西小学校14



こちらが校舎。

      20170131白山西小学校15


こちらが体育館。

      20170131白山西小学校16



校舎の建つ高台と校庭との擁壁には、子供たちの手によって描かれた絵。

      20170131白山西小学校17


      20170131白山西小学校18

所々、かすれて色褪せているのは
この小学校の歴史だと思いましょう。



鉄筋の校舎は二棟あり、それぞれの玄関。

      20170131白山西小学校19


      20170131白山西小学校20


玄関脇には、石碑。

      20170131白山西小学校21

『みんなで伸びよう 白山西小学校』



校舎全景。

      20170131白山西小学校22


体育館。

      20170131白山西小学校23




校舎の壁面には、子供たちの顔。
昭和55年度の卒業製作です。

      20170131白山西小学校24


      20170131白山西小学校25

昭和55年度に卒業したこの子たちも、今年49歳になる計算になる。
中年街道まっしぐら。

素敵な大人たちになっているんだろうか...............?





2017/02/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........井野小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

偶然見つけることが出来た『茨城百景 大利根の展望』をあとにして
向かった先は...............取手市立井野小学校

井野小学校の詳しい沿革は不明ですが
取手市のHPの『わがまち取手市のあゆみ』によれば...............

昭和33年に取手町立取手第一小学校と統合した取手第二小学校が
その前身となっているようです。

昭和33年に廃校となっていますが、井野団地の造成等による人口増の対応により
昭和44年取手町立井野小学校として開校しました。

昭和45年取手町が市制施行し取手市となり
取手市立井野小学校と改称する。
平成27年に小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
新たに取手東小学校が開校し(吉田小学校の敷地を流用)
廃校となりました。

と、このような沿革になるようです。



一度廃校になった地区に再び小学校が出来る。
今では考えられない事ですが、昭和30年代、40年代の高度成長期に
首都圏近隣の都市がそうであったように、団地が次々に建てられ、
人口は加速度的に増えていきました。
この取手市井野地区でも同じような事が言えるのではないでしょうか?

昭和44年に開発された井野団地の一等地に井野小学校はあります。
(住所も取手市井野団地1-1)

こちらが、井野小学校の校門。

      20170131井野小学校01

バス通りに面した校門ですが、正門は別にあるようです。


程良い色合いに風化した金属製の表札。

      20170131井野小学校02


門は閉ざされていますが、門越しに井野小学校の校舎をパチリ☆。

      20170131井野小学校03



バス通りから一本入った路地沿いにある校門。
こちらが、正門のようです。

      20170131井野小学校04


こちらは石造りの表札。

      20170131井野小学校05



こちらの門は脇にある通用口が開いていたので
遠慮がちに、でもしっかりと大きな声で『失礼しま〜す!』と声を掛けて
敷地内に入らせてもらいます。

まあ、廃校だから誰も居ないとは思うけれど
地方都市の場合、周辺住民の目がうるさいって言うのもあるから
それなりに気を使います(笑)。

こちらが、校舎玄関。

      20170131井野小学校07

いっぷ、変わった形をしています。


とりあえず、校庭から学校全体を眺めてみます。

      20170131井野小学校26


      20170131井野小学校08



校舎は二棟のようです。

      20170131井野小学校09


      20170131井野小学校11



こちらは体育館。

      20170131井野小学校10

ピンク色の外壁です。



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20170131井野小学校12



校舎の壁面には校章。

      20170131井野小学校13



校歌の碑と像と時計。

      20170131井野小学校14

時計はちょうど1時間進んでいました。



こちらが、校歌の碑。

      20170131井野小学校15



ブロンズ(?)像。

      20170131井野小学校16

タイトルは『元気な子』。


使われなくなってまもなく1年。
校舎の前には朝礼台。

      20170131井野小学校17


校庭に残る遊具類。

      20170131井野小学校18


      20170131井野小学校19


      20170131井野小学校20


      20170131井野小学校21


      20170131井野小学校22


      20170131井野小学校24


花壇と日時計。

      20170131井野小学校25

花壇には花はありません。



卒業製作のモノなんでしょうか?

      20170131井野小学校23
     

平成27年に、小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
吉田小学校に取手東小学校が出来た。
地域性を考えれば井野小学校に統合した方が良かったかもしれないけれど
校舎の耐震性や色々なしがらみがあったのだろう。

私が高校生の時に過ごした街は多摩ニュータウン。
住まいも学校も広い多摩ニュータウンの中にありました。      
団地の中にガッがあるって言うのが当たり前だったから
この井野団地に学校がなくなってしまったのは
地元の人にとっては辛いことなんだろうなぁ...............。




2017/02/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........小文間小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高須小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立小文間小学校



小文間小学校の詳しい沿革は不明です
しかしながら、明治6年に小文間村戸田井の西光院に創立された
取手市の中では歴史のあった小学校の一つです。

明治37年現在地に移転。この頃に小文間村立尋常小学校と改称します。
昭和22年学制改革により、小文間村立小文間小学校と改称する。
昭和30年小文間村が取手町に合併し、取手町立小文間小学校と改称する。
昭和45年取手町が市制施行。取手市立小文間小学校と改称する。
平成27年 吉田小学校、井野小学校、小文間小学校が統合して取手東小学校が発足。(敷地は吉田小学校を流用)
小文間小学校は廃校となる。

と、このような沿革のようです。


こちらが、小文間小学校の校門。

      20170131小文間小学校01

かつての正門のようですが、石造りの古い門柱。
ちなみに、廃校時までの正門は別な場所にあります。



門柱には、『取手市立小文間小学校』と刻まれた表札か嵌め込まれています。

      20170131小文間小学校02


      20170131小文間小学校03



校門の脇には『頌徳碑』。

      20170131小文間小学校05

中村熊次郎と言う人が小文間小学校の移転の際に畑を寄付してくれて
この場所に小文間小学校が建てることが出来たらしい。
熊次郎氏は、後に小文間村の村長にもなられた方らしい。


こちらが正門。

      20170131小文間小学校04



正門から敷地内に入ると、すぐ目に入ってくる二ノ宮像。

      20170131小文間小学校06


      20170131小文間小学校07


      20170131小文間小学校08



そして、二ノ宮像の脇には『友愛』の碑。

      20170131小文間小学校09



少し離れた場所には、別な石碑。
廃校記念の碑かと思ったら、小文間小学校の校歌の碑でした。

      20170131小文間小学校10



こちらが校舎。

      20170131小文間小学校11

小文間小学校には、旧・校舎と新・校舎が在って
こちらは新・校舎。鉄筋3階建。
ちなみに、旧・校舎は平屋建。


こちらは体育館。

      20170131小文間小学校12



体育館と校舎の背面。

      20170131小文間小学校13


正門脇には、避難場所の案内板。
『旧小文間小』と明記されています。

      20170131小文間小学校14



中庭にあるオブジェ。
おそらく、こどもたちの卒業製作の一つでしょう。

      20170131小文間小学校15


旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校16

昭和43年度卒業生の製作品。


こちらも旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校17

タイルを使って描かれています。



中庭にあった朝礼台。

      20170131小文間小学校18

おそらく、校庭から移動されたんでしょう。


校庭脇の百葉箱。

      20170131小文間小学校19



こちらが校庭。

      20170131小文間小学校20


別アングルから。

      20170131小文間小学校21



平屋建ての旧・校舎とシンボルツリー。
そして、国旗掲揚ポール。

      20170131小文間小学校22



校庭に残る遊具類。

      20170131小文間小学校23


      20170131小文間小学校24


      20170131小文間小学校25



校庭の片隅にそっと置かれた防災倉庫。

      20170131小文間小学校26

廃校の定番となっています。



取手市の学校統廃合の案が出た時に、
小文間小学校の学区の方はかなりもう反対して
陳情書も提出した(?)らしいが、結局は時代の流れ、
少子化の波には勝てず、統合という形で廃校の道を歩んだ小文間小学校。

歴史のある小学校だったのに、ちょっぴり残念です。






2017/02/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............旧・藤代町立 高須小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


まず、最初に訪れたのは取手市合併直前に廃校となった

旧・藤代町立 高須小学校



高須小学校は、

明治5年押平学校創立。
明治6年高須学校創立。
明治12年 高須小学校と改称する。
明治22年高須村立高須尋常小学校と改称する。
昭和22年高須村立高須小学校と改称する。
昭和30年藤代町立高須小学校と改称する。
平成17年桜が丘小学校に統合となり廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが高須小学校の正門。

      20170131高須小学校01



門柱には、校名の表札が残っていました。

      20170131高須小学校02

『北相馬郡 藤代町立高須小学校』

北相馬郡って、今ではもう『利根町』時間にはないから大変貴重(?)。


地方の小学校に多い、幼稚園が併設された小学校でした。

      20170131高須小学校03

反対側の門柱には、『北相馬郡 藤代町立高須幼稚園』の表札が残っています。



こちらが、幼稚園の敷地。

      20170131高須小学校04

幼稚園も既に廃園となり、園舎も解体され
現在、その敷地は『身障者ポニーの会』と言う福祉施設になっています。



正門前には、避難場所の表示。

      20170131高須小学校05



こちらが、高須小学校の校舎。

      20170131高須小学校06


校舎を別にアングルから。

敷地と校舎、体育館とのバランスから見て
こちらの校舎以外にも校舎が在ったように見受けられます。

      20170131高須小学校07



校舎の隣の更地。

      20170131高須小学校08

おそらく、この辺りに別な校舎が建っていたのでしょう。



校舎前から見るグランド。

      20170131高須小学校09

立ち入り禁止の規制ロープが張られています。



体育館脇には、高須小学校の校歌の碑。

      20170131高須小学校10


      20170131高須小学校11


裏面には簡単な沿革が刻まれていました。
今や高須小学校のHPもないから、沿革が確認できてラッキーでした。



こちらが体育館。

      20170131高須小学校12



体育館と校舎。

      20170131高須小学校13

どうみても、校舎が小さすぎる。



校庭から旧・幼稚園側を見てみると、
やっぱり福祉施設の建物は新しい。
そして、その奥に古い園舎らしき建物も見えます。

      20170131高須小学校14

外構工事をしていたから、つい最近建てられたんでしょうね。



正門から校庭に少し入った所には二ノ宮像。

      20170131高須小学校15


      20170131高須小学校16


      20170131高須小学校17


二ノ宮像に見守られながら
この校庭を子供たちが走り回ることは
もう無いんだよなぁ...............。



2017/02/23 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............旧・富山小学校(旧・岩井小学校)跡   (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

南房総市は、平成18年に富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、
丸山町、和田町の7つの町村が合併して発足した自治体で、
その市域はかなりの広範囲に渡ります。

合併して南房総市が誕生したものの、少子化の波は収まらず
南房総市では、平成20年から段階的に小学校の統廃合を行なってきました。

そんな南房総市ですが、旧・富山町域のJR岩井駅近くに
平成28年に移転してしまった小学校跡があり、
今回、そちらを訪れてみました。

訪れた先は...............南房総市立 旧・富山小学校跡


富山小学校は現役の小学校ですが、
平成28年に小中一貫校の富山学園として
南房総市立富山中学校の敷地内に移転しました。

さらに振り返れば、平成20年に平群小学校と岩井小学校が合併して
旧・岩井小学校の設備を使用して南房総市立富山小学校が誕生しました。

すなわち、南房総市立 旧・富山小学校跡地でもありますが
南房総市立岩井小学校跡地でもあります。

残念ながら、富山小学校の古いHPには岩井小学校の沿革も載っていましたが
現在地に移転した後に更新されたHPには岩井小学校の沿革は抹消されていました。

平成20年 平群小学校と岩井小学校が合併して、富山小学校が誕生。
平成24年 八束小学校を統合する。
平成28年 小中一貫校(富山学園)として、富山中学校の敷地内に移転する。

と、このような沿革のようです。


こちらが、正門。

      20170126岩井小学校01


門柱には、富山小学校の表札。

      20170126岩井小学校02

富山幼稚園も平群幼稚園と岩井幼稚園が統合して誕生したらしい。
富山小学校は移転しましたが、富山幼稚園は未だこの地に残っています。



こちらの門柱には表札を剥がした跡が確認できます。

      20170126岩井小学校03

きっと、岩井小学校の表札が掲げられていたのでしょう。



正門脇には、避難場所の看板

      20170126岩井小学校04

こちらには、岩井小学校と記されています。


正門前のバス停。

      20170126岩井小学校05

こちらは、富山小学校と記されています。


スクールバスのためか? はたまたそれ以前からか?
自動車が出入り出来るように大きめの門も用意されています。

      20170126岩井小学校06


事故防止用の注意喚起の看板にも『岩井小学校』の文字。

      20170126岩井小学校07

敢えて、岩井小学校の標記を訂正しなかったのか?
ひょってしたら、岩井地区の人々の維持? こだわり?


小学校は移転しましたが、幼稚園は敷地内に在るから
遠慮がちに敷地内に入ってみます。

      20170126岩井小学校08


こちらが、校舎。

      20170126岩井小学校09



こちらは、幼稚園の園舎。

      20170126岩井小学校10

平日の昼間だから、園児も居ることだし
あまり長居は出来ません。
急ぎ足で敷地内を確認します。

こちらが遊具類。

      20170126岩井小学校11


      20170126岩井小学校12


      20170126岩井小学校13


      20170126岩井小学校14


      20170126岩井小学校15



二ノ宮像もなく、学校跡の碑や岩井小学校の
廃校記念碑も見つかりません。



こちらが、体育館。

      20170126岩井小学校16


      20170126岩井小学校17



校舎裏側。

      20170126岩井小学校18


こちらは給食室。

      20170126岩井小学校19

岩井小学校の時には、こちらで給食を作っていたのでしょうか?



廃校・学校跡地ではお約束とも言える防災倉庫。

      20170126岩井小学校20

体育館脇に在りました。


校舎裏の植木鉢の残骸。

      20170126岩井小学校21

まだまだ使えそうなんですけどね...............。



体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下には
子供たちの作品と思われる大きな絵が飾られていました。

      20170126岩井小学校22


岩井小学校から富山小学校。
そして富山学園となるために移転してしまった小学校。
だった8年間で色々と変わってしまったようです。
そんなに急ぎ足じゃなくても良いのでは?と思ったりします。
旧・富山町は合併前に3校在った小学校が
小中一貫校の1校に統合されてしまいました。

時代の流れに置いていかれてしまった小学校ですね。



2017/02/16 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校赤岩分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日  公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第4弾。

旧・松伏小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校赤岩分校


赤岩分校は

明治25年     赤磐尋常小学校として設立。
明治41年     松伏尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     松伏小学校赤岩分校となる。         
昭和48年     本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、赤岩分校。

      20170111赤岩分校01

分校と言うだけあって、敷地は狭い。

廃校時には周りが田んぼや畑だらけだったか否かは知らないけれど
現在は、住宅街の一画です。

      20170111赤岩分校02


分校の校舎はおそらく建て替えられているのでしょう。
現在は、赤岩農村センターの建物が建っています。

      20170111赤岩分校03



敷地の一角に在る石碑。

      20170111赤岩分校04



『赤岩分校跡地』の碑です。

      20170111赤岩分校05


碑の側面には沿革が刻まれています。

      20170111赤岩分校06


      20170111赤岩分校07

既に廃校となってしまった学校は、なかなか情報も少ないので
こう言う形で沿革が残されているのは貴重な情報源です。



とにかく狭い敷地だから、限られたアングルでしか撮影できない。

そして、遊具等の遺構も全く残されていない。

      20170111赤岩分校08


      20170111赤岩分校09


      20170111赤岩分校10


廃校から、もうすぐ44年。
あの赤岩分校跡地の碑が無ければ、
誰もこの地が廃校跡地だとは思わないだろうなぁ...............。


2017/02/04 Sat. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立 旧・松伏小学校跡  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第3弾。

大川戸分校をあとにして、
向かった先は...............松伏町立 旧・松伏小学校跡

松伏小学校は廃校ではなく、現存する小学校です。
ただ、現在の校地は48年に校舎を新築された際に移転したもので
昭和48年までは、別な場所に学び舎は在りました。


松伏小学校は、

明治6年      松伏領村立大川戸小学校として西福寺に開校
明治6年      松伏領村立松伏小学校が宝珠院を校舎として開校
明治9年      第四学区の本校として広大なる校舎を新築する   
           分校は郁文学校(旭村),周知学校(豊野村),
           樋籠学校(幸松村),向畑学校(新方村)とする
明治12年     新教育令により従来の学区を廃して町村毎に学区を設置することになり,
           本校の広大な校舎を縮小する。残余の校舎は本郡々役所の庁舎に献納する
明治19年     分教場を下赤岩の東陽時に置き,同年9月に廃止する
明治22年     町村制実施に伴い,松伏領村になった大川戸藤聯小学校分教室は本校の分教室となる
明治25年     赤岩尋常小学校を設立(旧赤岩分教場)
           本校に補習科を設置
明治34年     二カ年制高等科を設置
           松伏領尋常小学校と称する
昭和4年      大川戸尋常小学校と合併し,松伏領尋常高等小学校と称し,大川戸に分校を置く
昭和22年     六三制実施に伴い,松伏領村立松伏領小学校と改称
昭和31年     町村合併による新松伏村設置に伴い,校名を松伏村立松伏小学校と改称
昭和44年     町制施行により松伏町立松伏小学校と改称
昭和47年     大川戸,赤岩両分校を廃止し,松伏小学校に名目統合する
昭和48年     新校舎完成に伴い松伏町大字村松伏1609番地に移転する





こちらが、旧・松伏小学校跡地。

      20170111旧・松伏小学校跡01

旧・松伏小学校の跡地は現在の松伏町役場です。



この広い駐車場は、かつての校庭跡なのだろうか?

      20170111旧・松伏小学校02



庁舎と庁舎の間に何やら石碑らしきモノがある。

      20170111旧・松伏小学校03



近寄ってみましょう。

      20170111旧・松伏小学校04


石碑は松伏小学校跡の碑です。

      20170111旧・松伏小学校05



しっかりと『松伏小学校跡地』と刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校06



裏面には、沿革も刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校07


この石碑以外、学校跡を彷彿させるモノは無い。
いわゆる、遺構が全く残っていない。

学校跡地の碑の脇に、どぉ〜んと庁舎がそびえ立っている。

      20170111旧・松伏小学校08

はたして、この庁舎を訪れる人たちが、この碑に気付いているのだろうか?



そう言えば、先日テレビで芸能人、著名人の同級生を探すって言う類いの番組で
作家の羽田圭介が松伏小学校の卒業生だと言う事を知りました。
彼はまだ31歳だから約44年前には、まだ生まれていない。
昭和48年に移転した松伏小学校が学び舎になる。
松伏町の役場が昔の母校跡だと言う事を知っているのだろうか...............?


2017/02/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit