09 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて..............番外編 第五中学校 (2017年8月21日)(群馬県吾妻郡中之条町) 

8月21日 公休日

この日は、群馬県の中之条町に出掛けました。

群馬県の中之条町は、廃校となった木造校舎も多く残り
廃校マニアの間では、メッカとも言える地区。
数年前から、是非行きたい場所でした。

そんな訳で、中之条町の廃校巡り、その第4弾

中之条町立第五中学校 です。


本来は、廃校となった小学校を追い求めているんですが、
木造校舎だから、立ち寄りました。

第五中学校は、

昭和22年      名久田村立名久田中学校として開校。
昭和30年      名久田村が、中之条町、伊参村、沢田村、と合併し中之条町となり、
            中之条町立名久田中学校と改称する。
昭和41年      中之条町立第五中学校と改称する。
昭和63年      中之条町立中之条中学校として名目統合して名久田教場となる。
平成2年       新校舎完成により廃校となる。

と、このような沿革となっています。


廃校時の正式名称は、中之条町立中之条町中学校名久田教場だったんですね。

中学校の校舎として使われなくなって27年。
しかしながら、解体されることなく、この地に残されています。

      20170821第五中学校01



校舎を正面からその姿を撮そうとすると
生い茂った木々がちょっぴり邪魔になります。

      20170821第五中学校02


      20170821第五中学校03



このアングルからだと、その姿がはっきり見えるようです。

      20170821第五中学校04



校舎1階は、地域の集会所として使われているのか?
はたまたアトリエか何かで使われているのか?
数脚の椅子が並んでいました。

      20170821第五中学校05


      20170821第五中学校06


木造校舎の二階に上がる外階段を恐る恐る上がってみると
瓦か何かの焼き物が保存されていました。
ひょっとしたら、卒業生たちのモノなんでしょうか?





こちらが、閉校記念碑。

      20170821第五中学校07


      20170821第五中学校08



裏面には、碑の建立にあたっての賛同者の芳名。

      20170821第五中学校09



綺麗に芝生が植えられた校庭。

      20170821第五中学校10



地域のご老人たちの社交場であるゲートボール場となっています。

      20170821第五中学校11


      20170821第五中学校12


遠い昔に、この日中学校から巣立っていった若者たちが
数十年の月日を経て、この場所に戻って来て、
ゲートボールを楽しんでいるんですね...............。





2017/09/14 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............第四小学校第一分校 (2017年8月21日)(群馬県吾妻郡中之条町) 

8月21日 公休日

この日は、群馬県の中之条町に出掛けました。


群馬県の中之条町は、廃校となった木造校舎も多く残り
廃校マニアの間では、メッカとも言える地区。
数年前から、是非行きたい場所でした。

中之条町の廃校巡りの第3弾。
中之条町立第四小学校第一分校です。


まぁ、第四小学校第一分校と言われてもピンと来ない。
通称で呼んでしまえば、中之条町立伊参小学校岩本分校となります。

第一分校は

明治6年      岩本村清竜寺に岩本学校として開校。
明治19年     吾妻第18尋常小学校となる。
明治23年     伊参尋常小学校となる。
明治26年     原岩本尋常小学校となる。
明治41年     伊参尋常高等小学校と改称する。
昭和13年     伊参尋常高等小学校が新たに設置され、第1分校となり
           尋常4年生までが通学する。
昭和22年     学制改革により伊参村立伊参小学校第一分校と改称する。
昭和30年     伊参村が中之条町、沢田村、名久田村と合併し中之条町となり、
           中之条町立伊参小学校第一分校と改称する。
           第一分校の校舎が改築される。
昭和41年     中之条町立第四小学校第一分校と改称する。
昭和44年     本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革だったようです。


中之条町では、昭和41年に第◯小学校第◯分校と言った、
紛らわしい校名に統一改称されたようです。




こちらが、第一分校の正門。

      20170821岩本分校01


      20170821岩本分校02

向かって右側の門柱には『中之条町立伊参』のプレート(表札)



左側の門柱には『小学校第一分校』の表札。

      20170821岩本分校03


      20170821岩本分校04

伊参小学校と記されているから、
昭和41年以前の門柱ですね。
おそらく、校舎が改築された昭和30年辺りに建てられたモノでしょう。



昭和30年に建てられた木造校舎。

      20170821岩本分校05


      20170821岩本分校12

元々は、昭和13年までこの地が伊参小学校であり、本校であった割には
敷地はさほど広くはない。



白い壁に赤い屋根。
昭和30年当時では、かなりハイカラだったんじゃないのかな?

      20170821岩本分校06



廃校後、校舎の右半分は工場として使われていたらしいから
一部改築されているようです。

      20170821岩本分校07



校庭は、ゲートボール場として利用されているようです。

      20170821岩本分校08


      20170821岩本分校09



校庭(ゲートボール場)の隅にあるベンチに座って、遅めの朝ごはん。
オニギリが美味しい!

      20170821岩本分校10


  
びいすけ と もっちゃん は校庭を探索中。   

      20170821岩本分校13




久しく使われていないであろうローラー。
赤く錆びついています。

      20170821岩本分校14



こちらのローラーとトンボも使われていないだろうなぁ。

      20170821岩本分校15



校庭の端に在った看板。

      20170821岩本分校16

テレビを消して家族で会話。

テレビが生活の中に完全に入り込んできた
高度成長期の忘れ形見でしょうか?
今じゃ、テレビ離れも珍しくないんですけどね。




2017/09/13 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大道冬季分校 (2017年8月21日)(群馬県吾妻郡中之条町) 

8月21日 公休日

8月21日〜22日、群馬県の中之条町並びに周辺に出掛けていました。


群馬県の中之条町は、廃校となった木造校舎も多く残り
廃校マニアの間では、メッカとも言える地区。
数年前から、是非行きたい場所でした。

そんな訳で、中之条町廃校巡り。
その第2弾...............中之条町立第四小学校大道冬季分校


季節分校とは、書いて字のごとく
通年ではなく、冬季など季節を限定して設置される分校です。
すなわち、この大道地区は冬季になると
雪深いところになると言うことになります。


大道季節分校の詳しい沿革は分かりませんが
廃校巡りをされている方のブログを参考にさせていただくと、


明治19年      東尋常小学校(岩本学校蟻川分校)の分教場として設置される。
明治24年      大道分校は閉校となる。
昭和29年      伊参村立伊参小学校大道冬季分校として設置される。
昭和35年      閉校となる。

と、このような沿革となるようです。

そもそも分校と言うからには、本校が在る訳ですが
その本校が今一歩分かりづらい。
昭和29年に設置された年代と地域的な位置関係から
伊参小学校(後の第四小学校)が本校のようです。


こちらが、大道季節分校。

      20170521大道冬季分校01

てっきり、左側の立派な(?)建物が校舎たと思っていたら
どうやら、違っていたようです。


こちらの青い屋根の建物が季節分校の校舎だったようです。

      20170521大道冬季分校02

とは言いながら、右側半分は養蚕場として使われていて
左半分が季節分校だったようです。
(事前にじっくり調べておかなければダメですね。)



てっきり、校舎だと思っていた建物。

      20170521大道冬季分校03



玄関前には、スクールバスのバス停になってるし...............。

      20170521大道冬季分校04



勘違いの中での、 びいすけ とのショット。

      20170521大道冬季分校05



看板も文字がカスれて、よく見えないし...............

      20170521大道冬季分校06

どうやら、地域の公民館のようです。

中を窓ガラス越しに覗いたら、掘りごたつに黒板。
いかにも季節分校だと思わせぶり。


思わせついでに、勝手に分校の用具倉庫と判断した建物。

      20170521大道冬季分校07

どうやら、違うようですね。


まぁ、ネットで調べても情報が少ないから...............
と、勝手に自己弁護して納得します(笑)。


いかにも!って言う学校遺構は少ない。
何となく、学校跡?と思わせる風景。

      20170521大道冬季分校08


おそらく、この桜の木もシンボルツリーだったんじゃないのかな...............?






2017/09/12 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............第五小学校栃窪分校 (2017年8月21日)(群馬県吾妻郡中之条町) 

8月21日 公休日

8月21日〜23日まで個人的な3連休。
21日〜22日まで1泊2日で群馬県の中之条町に出掛けました。

八王子の実家から、妹の もっちゃん と びいすけ を乗せ、
午前3時に出発。
圏央道 あきる野ICから圏央道に乗ると、いきなり関越道(下り)が
花園IC→本庄児玉IC間が事故で通行止め。
花園ICで降ろされ、下道で本庄児玉ICまで移動。
おまけに雨まで降ってきて、散々たる出足です。。

渋川伊香保ICで関越道を降り、下道で中之条町へと向かいます。

群馬県の中之条町は、廃校となった木造校舎も多く残り
廃校マニアの間では、メッカとも言える地区。
数年前から、是非行きたい場所でした。

最初に訪れたのは...............中之条町立第五小学校栃窪分校


栃窪分校は、映画のロケ地としても利用された事があり、
私はまだ観ていませんが、山崎まさよし主演の『月とキャベツ』のロケ地でして知られ、
この映画のファンの間では、『月とキャベツ』の聖地として有名らしい。


そもそも、中之条町の学校は、地域の名前ではなく
第五小学校とか第四小学校と言うように名付けられていました。
この第五小学校は、後に田名久小学校と改称されましたが
その田名久小学校も廃校となってしまいました。
数字ばっかり並ぶと紛らわしいので、この栃窪分校の事を
中之条町立田名久小学校栃窪分校と呼ぶ方もいるようです。


舗装されてはいるものの、狭い山道をひたすら上り、
やっと栃窪分校の近くに辿り着けました。

      20170821栃窪分校01


大きく切り返して右折するのですが、ちょっと無料。
近くの広めの路肩に車を置いて、栃窪分校を目指します。

この先に、栃窪分校は在るようです。

      20170821栃窪分校02


霧雨のような天候ですが、頑張って歩きましょう。

      20170821栃窪分校03


だらだらとした上り道を300mほど歩くと、
大きな木の背後に赤い屋根が見えて来ました。

      20170821栃窪分校04



栃窪分校が視界に現れました。

      20170821栃窪分校05



こちらが、栃窪分校。
霧が掛かって、山奥って感じがします。

      20170821栃窪分校06


      20170821栃窪分校07


      20170821栃窪分校08


現在は、栃窪集落公民館として活用されていますが
建物は栃窪分校時代の木造校舎。

      20170821栃窪分校09



校舎前には立派な碑が建てられています。

      20170821栃窪分校10


『学び舎の地』の碑。
いわゆる、廃校跡地の碑ですね。

      20170821栃窪分校11


碑文を参考にすると............

栃窪分校は、明治12年に中村の小池武平宅を校舎とした
大阪学校栃窪分校がその始まりとされています。

明治23年      この地に栃窪簡易学校として開校。
            のちに栃窪尋常小学校となる。
明治42年     名久田尋常高等小学校栃窪分教場となる。
昭和24年     名久田村立名久田小学校栃窪分校と改称する。
昭和28年     名久田村が中之条町と合併して、
           中之条町立名久田小学校栃窪分校と改称し、
           その後、中之条町立第五小学校栃窪分校と改称する。
昭和50年     本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革であったようです。





碑の裏側には、碑の建設にあたって協賛された方々の芳名が記されています。

      20170821栃窪分校12

平成26年に建立だから、割と新しい。




正面玄関には、栃窪公民館の表札。

      20170821栃窪分校13


画像を撮り忘れましたが、玄関前に置かれた机の上には
何冊ものノートが置かれ、訪れた人の書き込みがあります。
目を通してみると、多くの訪問者がいつまでもこの木造校舎が在る事を願っています。

      20170821栃窪分校14


狭い校庭に残された遊具。

      20170821栃窪分校15


      20170821栃窪分校16



びいすけ は草の匂いを嗅ぐに必死です。

      20170821栃窪分校17



木造校舎の裏手に回ってみます。

      20170821栃窪分校18



そっと、校舎の内部をガラス越しに覗いてみます。

      20170821栃窪分校20

黒板があります。
紛れもない学び舎の跡です。



ちいさな渡り廊下もありました。

      20170821栃窪分校21


こちらは、教師の宿舎だったようです。

      20170821栃窪分校19

山奥の小さな分校に赴任する教師は、こちらで生活をしていたのですね。



地元の方々に大事にされている栃窪分校。

      20170821栃窪分校22

校舎前に植えられた花がきちんと管理されています。


ずっと訪れたかった栃窪分校。

やっぱり木造校舎は趣きがあって良い。
貴重な文化資産。
いつまでも、このままの状態でいて欲しいなぁ...............。






2017/09/11 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........羽鳥小学校  (2017年7月21日)(福島県岩瀬郡天栄村)  

7月21日

福島旅行の2日目。

明神滝をあとにして、向かった先は...............天栄村立羽鳥小学校



羽鳥小学校は、明治25年に創立した湯本尋常小学校の分教場が
その始まりのようです。

明治44年     辰目沢分教場開設
昭和22年     学制改革により、湯本村立湯本小学校辰目沢分教場と改称。
昭和30年     牧本村・湯本村・大里村と広戸村の一部が合併して天栄村が発足。
天栄村立     湯本小学校辰目沢分校と改称する。
昭和39年     湯本小学校より独立、天栄村立羽鳥小学校となる 。
平成14年     湯本小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。



天栄村から下郷町へと繋ぐ国道118号線沿いに
廃校となった羽鳥小学校は在りました。


こちらが、羽鳥小学校の正門。

      20170721羽鳥小学校01


コンクリートブロック製の門柱。

      20170721羽鳥小学校02


表札は、しっかりと残っていました。

      20170721羽鳥小学校03



正門辺りからの羽鳥小学校の全景。

      20170721羽鳥小学校04

体育館がやけに目立ちます。
画面の真ん中よりちょっと右の水色の建物が校舎のようです。


こちらが、その校舎。

      20170721羽鳥小学校05

意外や意外。
木造の平屋建ての校舎でした。

廃材が積まれていた校庭の状態から
てっきり、鉄筋の校舎を解体したあとだと思っていたら
木造の校舎が残っていたんですね。


雪が深く、冬の寒さが厳しいことが
校舎の窓から出ているストーブの煙突で容易に計り知れます。

      20170721羽鳥小学校06



校舎の壁に掲げられた時計

      20170721羽鳥小学校24



体育館とプール。

      20170721羽鳥小学校07



プール脇の大きな木。
こちらが、シンボルツリーだったのかな?

      20170721羽鳥小学校08



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170721羽鳥小学校09


      20170721羽鳥小学校10



校庭の隅に記念碑を発見!。

      20170721羽鳥小学校12



碑の正面には、校歌と簡素な沿革が刻まれています。

      20170721羽鳥小学校11


      
裏面には、羽鳥小学校の卒業生一覧。

      20170721羽鳥小学校13



校庭に残る遊具類。

      20170721羽鳥小学校15


      20170721羽鳥小学校16


      20170721羽鳥小学校17



雲梯は、雑草に埋もれています。

      20170721羽鳥小学校18



小さなジャングルジムも雑草に埋もれています。

      20170721羽鳥小学校19


こちらの 棒あがり(?) も雑草の中。

      20170721羽鳥小学校20



校庭には、こんなモノもありました。

      20170721羽鳥小学校21

放射能計。


福島県って被災地なんだなぁと改めて考えさせられます。

      20170721羽鳥小学校22

果たして、この数値が良い数値なのか?
はたまた悪い数値なのか?

それには触れないでおきましょう。


正門近くの白樺の木。

      20170721羽鳥小学校23

小学校に白樺の木とは珍しい。
ひょっとしたら、こちらがシンボルツリーだったのかな?



     



2017/08/20 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........羽鳥小学校黒沢分校  (2017年7月21日)(福島県岩瀬郡天栄村)  

7月21日 公休日

福島県の旅行の2日目。

レジーナの森を11時に出発して、
最初に向かった先は...............天栄村立羽鳥小学校黒沢分校


黒沢分校は、元々は湯本小学校の季節分校として設立されましたが
湯本小学校辰目沢分校が羽鳥小学校として独立した際に
羽鳥小学校の分校になったようです。


昭和28年黒沢季節分校開設
昭和29年黒沢分校開設
昭和30年天栄村立湯本小学校黒沢分校と改称する。
昭和39年辰目沢分校が独立して羽鳥小学校となり
天栄村立羽鳥小学校黒沢分校と改称する。
平成14年羽鳥小学校が湯本小学校に統合され黒沢分校も廃校となる。

と、このような沿革となっています。



黒沢集落の奥。
かなり山深い場所に、黒沢分校は在りました。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校01



木造に小さな校舎。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校02


      20170721羽鳥小学校黒沢分校03
     

      20170721羽鳥小学校黒沢分校04



なぜか玄関が開いている。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校05

誰か居るのか?
声を掛けてもだれも居る気配はありません。


恐る恐る中に入ってみると...............

      20170721羽鳥小学校黒沢分校06

道路工事の看板の山。

どうやら、土木工事会社の倉庫となっているようです。



倉庫となっていてもやっぱりココは、かつての分校の校舎。
給食室も有ったようです。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校07



理科の実験用機材も残ってました。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校08


廃虚マニアでもないし、『荒らし』でも無いので
早々に校舎内から引き上げます。


しかしながら校舎の周りは、かなり雑草が伸びてきています。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校09


      20170721羽鳥小学校黒沢分校10



こちらは裏口って言うか、通用口だったのでしょう。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校11



なぜか、校庭にポツンと椅子が置かれている。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校12


工事関係者が置いたモノでしょう。
雨風に打たれ、いつしかこの椅子も朽ちていくのでしょう。

雑草に覆われながら、校舎もいつか朽ちていくのだろうか...............?





2017/08/19 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........旭田小学校中妻分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町)   

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第10弾は................下郷町立旭田小学校中妻分校


中妻分校は、現地の廃校(閉校)記念碑に刻まれた沿革を参考に
この地域の変遷をかんがみて

明治6年     弥五島小学校中妻分教場設置。
明治7年     中妻小学校設置。
明治36年    中妻尋常小学校と改称。
大正3年     旭田小学校中妻分教場となる。
昭和22年    学制改革により旭田村立旭田小学校中妻分教場と改称する。
昭和30年    旭田村が楢原町、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立旭田小学校中妻分校と改称する。
平成17年    本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが中妻分校の正門。

      20170720旭田小学校中妻分校01



コンクリート製の門柱。

      20170720旭田小学校中妻分校02



表札もセメントのプレート。

      20170720旭田小学校中妻分校03



校舎は平屋建ての木造校舎。

      20170720旭田小学校中妻分校04


      20170720旭田小学校中妻分校06




現在は、学び舎・ポッポ館 と言うアトリエ(?)として利用されているようです。

      20170720旭田小学校中妻分校05

どうやら、ここのアトリエ主は東京八王子から こちらにアトリエをオープンをしたらしい。
そういえば、敷地内に八王子ナンバーの車が停まっていたっけ。


低学年(1〜3年生)が通った分校のようです。

     
背を伸ばして窓ガラスの中を覗きこむと
教室に各学年が区分けされています。

      20170720旭田小学校中妻分校08


      20170720旭田小学校中妻分校09


教室の一部を体育館としていたようです。

      20170720旭田小学校中妻分校10




こちらは、倉庫でしょうか?
それともトイレ?
外からじゃよく判りません。

      20170720旭田小学校中妻分校07



校舎の壁面に掲げられた時計。

      20170720旭田小学校中妻分校11

時刻が思い切りズレてるし...............


校庭整備用にローラー。

      20170720旭田小学校中妻分校12



校庭の隅には、閉校記念碑。

      20170720旭田小学校中妻分校13


裏には沿革が刻まれています。

      20170720旭田小学校中妻分校14



雑草の中に埋もれつつある遊具。

      20170720旭田小学校中妻分校15

ブランコよりも手前の洗濯物干しの方が生活感があって気になっちゃいます(笑)。


雑草に埋れかけた鉄棒。

      20170720旭田小学校中妻分校16


ここでも びいすけ は敷地内を徘徊。

      20170720旭田小学校中妻分校17

まるで、ドッグランにでも来たと思っているのかな?



青空に伸びる国旗掲揚ポール。

      20170720旭田小学校中妻分校18

でも、校旗が掲げられ
風にはためく事は、もう無いんだよね.................。





2017/08/14 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校弥五島分校 (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第9弾は................下郷町立楢原小学校弥五島分校


弥五島分校も詳しい沿革は解りません。

現地に在った記念碑には、簡素ながらも
明治5年8月2日 弥五島小学校創設
昭和54年3月31日 楢原小学校弥五島分校として本校舎に統合のため閉校

と刻まれています。
元々は弥五島小学校として創設されましたが
楢原小学校のHPによれば、

『昭和32年 大内分校は江川小の、弥五島分校は楢原小の分校となる』

と記載されていることから、
いつの時代かはわかりませんが、
以前は江川小学校の分校になっていたようです。

昭和32年下郷町立楢原小学校弥五島分校となる。
昭和54年本校に統合されて廃校となる。

と、簡素ながらもこのような沿革となるようです。



こちらが弥五島分校正門。

      20170720楢原小学校弥五島分校01


表札は、分教場となっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校02



こちら側の門柱の表札は外されています。

      20170720楢原小学校弥五島分校03

おそらく、本校であった楢原小学校の名が刻まれていたのでしょう。



小ぶりながらも二階建ての木造校舎。

      20170720楢原小学校弥五島分校04



赤い屋根に茶色い壁面。

      20170720楢原小学校弥五島分校05

下郷町の廃校の木造校舎に多い配色です。


比較的、綺麗な校舎。

      20170720楢原小学校弥五島分校06


保存状態も良いようです。

      20170720楢原小学校弥五島分校07



それもそのはずです。
現在は、民間に貸し出されていて、
川田太鼓工房 弥五島会館となっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校08

この日は開いていませんでしたが、
和太鼓の練習場として利用されているようです。


逆光で碑文が暗く読みづらいですが、閉校(廃校)記念碑。

      20170720楢原小学校弥五島分校09

下郷地区最古の小学校だったらしい。
確かに明治5年創設とは...............

明治5年に明治政府から教育令が出されて直ぐに創設された学校な訳ですね。



      20170720楢原小学校弥五島分校10

1979年(昭和54年)建立と刻まれているから
廃校の時に建立されたんですね。
下郷町の他の分校の記念碑は、平成になってからの建立が多いから
それだけ、この弥五島地区って言うのは小学校に思い入れがあったんでしょうね。




そして、見つけました!

下郷町って言うか、福島県で初めて見かけた二ノ宮像。

      20170720楢原小学校弥五島分校11

なぜか、ここまで二ノ宮像には出会えなかったんだよなぁ。



残念なことに、二ノ宮像はあったのに遊具類は無し。



校庭跡を徘徊する びいすけ 。

      20170720楢原小学校弥五島分校12


      20170720楢原小学校弥五島分校13



空は澄み渡り、真夏の陽射しの南会津地方。


隣接するお寺との境界には古い桜の木。

      20170720楢原小学校弥五島分校14

春には立派な花を咲かせることでしょう。


ただ、陽射しの強いこの時期。
葉桜の木の下は絶好の陽よけとなっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校15


弥五島分校の桜も満開の頃に見に来たいなぁ。




2017/08/13 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........江川小学校大内分校 (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

南会津の下郷町には20近くの廃校があります。
題して、下郷町廃校巡り。
その第8弾は...............下郷町立江川小学校大内分校


大内分校の沿革もよく分かりません。
楢原小学校のHPには一部記載されていますが
当初は楢原小学校の分校だったようですが、
やがて江川小学校の分校となったようです。
本校である江川小学校のHPを見ても沿革が記載されていないので
詳しいことは解りません。

楢原小学校のHPを参照すると、

『明治20年 豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。』

との記載がありますので、
明治20年以前に大内小学校として開設されていたようです。




明治20年      豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。
明治35年      近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
            楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年      学制改革により、楢原町立檜原小学校大内分教場となる。
昭和30年      楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
            下郷町立楢原小学校大内分校と改称する。
昭和32年下郷町立江川小学校大内分校となる。
平成17年本校に統合されて廃校ぬなる。

と、このような沿革となっているようです。



実は、この大内分校は下郷町では1番メジャーな観光地である
『大内宿』の一角に在ります。

メインストリートとでも言う日光街道(下野街道)の藁葺き古民家から
ちょっと奥に入った場所に在りました。

      20170720江川小学校大内分校01


今回の廃校巡りで珍しく感じてしまう近代的な校舎。

      20170720江川小学校大内分校02


      20170720江川小学校大内分校03


ここに来るまでに巡ってきた廃校は殆どが古い木造校舎でした。
こちらは、見た感じが軽量鉄骨の校舎のようです。

重要伝統的建造物群保存地区である大内宿。
その宿場町に在った小学校だから、
かなり校舎には期待をしていたんですが
ちょっぴり、ガッカリ感は否めません。

      20170720江川小学校大内分校04



こちらは、プールと体育館。

      20170720江川小学校大内分校05


      20170720江川小学校大内分校06

そういえは、プールを見るのは下郷町の廃校では初めてかも?



校舎前に建つ『創立百周年記念碑』。

      20170720江川小学校大内分校07



校庭は意外に広い。

      20170720江川小学校大内分校08


      20170720江川小学校大内分校09



遊具もそれなりに残っています。

      20170720江川小学校大内分校10


      20170720江川小学校大内分校11


      20170720江川小学校大内分校12



校庭からの大内分校の全景。

      20170720江川小学校大内分校13



江戸時代から続く藁葺き屋根の古民家が
重要伝統的建造物群保存地区として保存されているのに
明治期に創設された小学校が廃校になってしまった。

時代流れと言ってしまえば、それまでだけど
何とも因果な時代のようです...............。







2017/08/11 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校中山分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第7弾は................下郷町立楢原小学校中山分校



中山分校も詳しい沿革が不明です。
統合先の楢原小学校のHPにも中山分校については余り触れておらず
創立時期や楢原小学校の分校になった時期等は不明です。
ただ、中山集落のある中山峠が会津城下へと続く下野街道の難所であり
古くから人の往来もあり、それなりに人が住んで居たことを考えれば
それなりの歴史があった学校だったのではないでしょうか?

しかしながら、平成5年に休校となり、
平成17年に本校に統合される形で廃校になりました。



下野街道沿いに中山分校は在ります。

      20170720楢原小学校中山分校01



木造平屋建ての校舎。

赤い屋根に茶色い壁は、この地方のお約束?

      20170720楢原小学校中山分校02


      20170720楢原小学校中山分校03


      20170720楢原小学校中山分校04


      20170720楢原小学校中山分校05




廃校後は、中山古民具館として活用されていたのでしょう。

      20170720楢原小学校中山分校06

現在はしっかりと施錠され、倉庫のような使われ方をしているようです。



校舎前には朽ちた児童用の椅子。

      20170720楢原小学校中山分校07

錆びた金属パイプだけになっています。



お世辞でも広いとは言えない校庭。

      20170720楢原小学校中山分校08

でも山間部の小さな分校ではちょうど良い広さ。

残念ながら、廃校記念碑など無く、遊具も残っていません。

      20170720楢原小学校中山分校09


敷地の隅には、一里塚の碑。

      20170720楢原小学校中山分校10

まさしく、下野街道の遺構。

この先にある大内宿がスポットを浴びちゃったけれど
この地も下野街道の一部。


学校が在るほどの集落だったのに、
真夏の平日の昼間だから仕方ないかも知れないけれど、
今は人も見かけない集落なんですね。


ちょっぴり、寂しいものです。





2017/08/09 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校戸赤分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町)   

7月20日  公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第6弾は................下郷町立楢原小学校戸赤分校



三ツ井分校からさらに山の奥へと進んで行くと
山桜で有名な戸赤集落に辿り着きます。
その戸赤集落に戸赤分校が在ります。


戸赤分校の詳しい沿革も良く解りません。
現地に在った閉校(廃校)記念碑に沿革が刻まれていることを期待しましたが
残念ながら沿革の記載は無し。

本校である楢原小学校のHPには

『明治20年 豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。』

と記載されていることから、
明治の初めに創立されたものだと推測されます。


明治20年      豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。
明治35年      近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
            楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年      学制改革により、楢原町立檜原小学校戸赤分教場となる。
昭和30年      楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
            下郷町立楢原小学校戸赤分校と改称する。
平成11年      休校となる。
平成17年      本校に統合されて廃校になる。

と、このような沿革になるようです。



こちらが、戸赤分校の正門。

      20170720 楢原小学校戸赤分校01



割と新しい門柱。

      20170720 楢原小学校戸赤分校02



校名のプレート(表札)も健在。

      20170720 楢原小学校戸赤分校03


      20170720 楢原小学校戸赤分校04



こちらが、戸赤分校の校舎。

      20170720 楢原小学校戸赤分校05


      20170720 楢原小学校戸赤分校07


      20170720 楢原小学校戸赤分校08


      20170720 楢原小学校戸赤分校15

廃校後、「戸赤自然体験あそびの学校」として活用されているから
てっきり建て替えられた建物かと思っていたら、
平成4年に新たに建てられた校舎と言うことです。

平成の時代に木造で校舎を新築するなんて
木造校舎が多く残る地らしい粋な計らいです。


楢原小学校の校章もしっかり玄関の上の壁に掲げられています。

      20170720 楢原小学校戸赤分校06

たまたま、こちらに居らした管理人のおばちゃんに話をしたら
この日は10数人の子供たちが泊まりに来て、
近くの川で水遊びをするらしい。
慌ただしく動き回っていました。


玄関脇に置かれたモニュメント。
『友情』とか言うタイトルだったのでしょうか?

      20170720 楢原小学校戸赤分校16

無造作に置かれ、用具の中に埋もれているような感じでした。



校庭に目を移すと...............

あらまぁ、すごい事になっている。

      20170720 楢原小学校戸赤分校09



ちょうど分校前の川の護岸工事をしていて
その工事の資材置き場と工事事務所となっています。

      20170720 楢原小学校戸赤分校10


      20170720 楢原小学校戸赤分校11


邪魔にならないように、工事関係者の方の許可を頂いて
校庭跡を探索します。

工事事務所の脇に石碑を発見!

      20170720 楢原小学校戸赤分校12



閉校(廃校)記念碑です。

      20170720 楢原小学校戸赤分校13

裏面に沿革が刻まれているのを期待しましたが
残念!
この碑の建立にあたっての寄付をされた方の名簿になっていました。




唯一残っていた遊具。

      20170720 楢原小学校戸赤分校14

しかし、残された遊具が鉄棒だけって...............
下郷町にはこのパターンが多くない?

何となく寂しい気がするのは...............気のせい?






2017/08/07 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校三ツ井分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日  公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第5弾は................下郷町立楢原小学校三ツ井分校



三ツ井分校の詳細は不明と言うか
統合された本校である楢原小学校のHPにもほとんど記載されておらず
詳しい内容は解りません。


ただ、現地に在った閉校(廃校)記念碑によれば

明治7年     志源行村下等小学校設置。
大正9年     楢原小学校三ツ井分教場となる。
昭和45年    楢原小学校に統合されて廃校となる。

とだけ記載されています。

詳しく推挙すれば

明治7年     志源行村下等小学校設置。
大正9年     楢原尋常小学校三ツ井分教場になる
昭和22年    学制改革により楢原町立楢原小学校三ツ井分教場と改称する。
昭和30年    楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立楢原小学校三ツ井分校と改称する。
昭和45年    本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革になるのでしょう。





両脇が藪の狭い舗装路を上った先に、三ツ井分校は在りました。

     20170720楢原小学校三ツ井分校01



赤い屋根に茶色い壁。
木造校舎です。

     20170720楢原小学校三ツ井分校02



訪れた時期が悪いのだろうか?
普段から使用されていないから、管理もされてなく
雑草が伸び放題。

     20170720楢原小学校三ツ井分校03



玄関までは辿り着けますが...............

      20170720楢原小学校三ツ井分校04



その先は、かなり藪状態。

      20170720楢原小学校三ツ井分校05



私の後を付いてくる びいすけ は、雑草に隠れちゃう(笑)。

      20170720楢原小学校三ツ井分校06



やっぱり、このアングルが一番かな?

      20170720楢原小学校三ツ井分校07



敷地の一角には、閉校(廃校)記念碑。

      20170720楢原小学校三ツ井分校08


      20170720楢原小学校三ツ井分校09



この三ツ井分校にも桜の木が多い。
ちょっとした桜の穴場なのかもしれない。

      20170720楢原小学校三ツ井分校10



携帯電話のアンテナなのか?
大きな支柱が気になります。

      20170720楢原小学校三ツ井分校11



雑草が生い茂り、校舎周りの探索は諦めましたが
時期を選べばもっと見応えがあるかも知れない。

遊具等も確認出来ず、ちょっぴり残念でした。




2017/08/06 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校栄富分校 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第4弾は................下郷町立楢原小学校栄富分校


いつもは、廃校を探すのに結構苦労したりしますが
今回は、事前の調査とナビ係をしてくれる『もっちゃん』が居たから
スムーズに辿り着くことが出来ました。


栄富分校も豊成分校同様、多くの変遷を経て
廃校に至ったようです。
HPに記載された本校である楢原小学校の沿革を参考に紐解くと
明治6年に創立された倉谷村下等小学校がその礎となるようです。

明治6年      倉谷村下等小学校を松庵寺に設置する。
明治13年     栄富小学校と改称する。
明治20年    栄富簡易小学校と改称する。
明治35年    近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
          楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年    学制改革により、楢原町立檜原小学校栄富分教場となる。
昭和30年    楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立楢原小学校栄富分校と改称する。
昭和41年    本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


こちらが、栄富分校の入り口。
おそらく、かつては門柱があったのだろうが、現在は無い。

      20170720楢原小学校栄富分校01


緩やかな坂を上がった先に小学校が在るってパターンは多い。

      20170720楢原小学校栄富分校02



坂を上った先に木造校舎が現れます。

      20170720楢原小学校栄富分校03


      20170720楢原小学校栄富分校04


      20170720楢原小学校栄富分校07



平屋建てですが、赤い屋根に茶色い壁。

      20170720楢原小学校栄富分校05

これぞ、木造校舎の王道ですね。



校庭には、トラックが置かれていました。

      20170720楢原小学校栄富分校06

現在は、建設会社の資材倉庫として利用されているようです。



      

校舎の脇に石碑を発見!。
廃校記念碑かと思ったら違っていました。

      20170720楢原小学校栄富分校08


      20170720楢原小学校栄富分校09



創立百周年の記念碑ですね。

      20170720楢原小学校栄富分校10



裏面には沿革が刻まれていますが
楢原小学校のHPに記載された沿革とは若干違うようです。

      20170720楢原小学校栄富分校11


古タイヤが遊具として埋められていましたが
伸びてきた雑草に隠れて、見つけにくい。

      20170720楢原小学校栄富分校12


古びた鉄棒。

      20170720楢原小学校栄富分校13



廃校から既にかなりの年月を経てますが
木造校舎も一応健在。
下郷町の廃校は木造校舎が残っていることが多いから
廃校巡りも楽しくなりますね。



2017/08/05 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............楢原小学校豊成分校 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日にかけて、福島県下郷町近辺に出かけました。

下郷町には20近くの廃校があり、今回は下郷町の廃校巡りがメインの旅行。
その下郷町の廃校巡りの第3弾。

下郷町立楢原小学校豊成分校 です。



本校であった楢原小学校のHPによれば、
豊成分校は、明治7年に創設された楢原村下等小学校がその礎となるようです。

明治7年     楢原村下等小学校を円福寺に設置する。
明治13年    豊成小学校と改称する。
明治20年    豊成簡易小学校と改称する。
明治35年    近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
          楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年    学制改革により、楢原町立檜原小学校豊成分教場となる。
昭和30年    楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立楢原小学校豊成分校と改称する。
昭和54年    本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




こちらが豊成分校の正門。

      20170720楢原小学校豊成分校01

正門と言ってもコンクリートブロック製。
歴史のある(?)学校の割には簡素な感が否めない。




校地に入って、びっくり。

      20170720楢原小学校豊成分校02

目の前に大きな桜の木が現れます。

地元でも有名な桜。
ソメイヨシノの古木としては南会津地方最大らしい。



桜の木の間から見える、小さな木造校舎。

      20170720楢原小学校豊成分校03


      20170720楢原小学校豊成分校04


      20170720楢原小学校豊成分校05


      20170720楢原小学校豊成分校06



こちらが閉校記念碑。

      20170720楢原小学校豊成分校07


      20170720楢原小学校豊成分校08



それにしても立派な桜の木です。

      20170720楢原小学校豊成分校09



『氏合わせ』の桜と名付けられているようです。

      20170720楢原小学校豊成分校10



校庭には古びた鉄棒。

      20170720楢原小学校豊成分校11

残された遊具はこれしかない。



福島県には桜の名所が数多くあるけれど
この地はあまり知れ渡ってないようです。

      20170720楢原小学校豊成分校12

この見事な桜の木。
訪れるには、春の桜の時期が最高だったようですね。

その頃にまた来たいなぁ...............。







2017/08/03 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............南小学校十文字分校跡 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

この日は、福島県の下郷町に出かけました。
下郷町に来た目的の一つは、20ヶ所近く在る廃校巡り。

色々とネットで調べまくっていましたが
どうしても限られた内容になってしまいます。

存在は他の方のblogで知っていたものの
その場所がわからなかった廃校跡。

日暮滝からの移動中に、見覚えのある建物が視界に入って来ました。


白い壁に赤い屋根。

      20170720南小学校十文字分校01

下郷町立南小学校十文字分校 です。


十文字分校は、

昭和24年     旭田村立旭田小学校の十文字季節分校として開校。  
昭和26年     旭田村立旭田小学校十文字分校となる。
昭和30年     旭田村が江川村、楢原村と合併して下郷町が誕生して
           下郷町立旭田小学校十文字分校と改称する。
昭和38年     旭田小学校音金分校が独立して下郷町立南小学校と改称し、
           十文字分校は下郷町立南小学校十文字分校と改称する。
昭和47年     本校の南小学校に統合されて廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



現在は地域の集会所となっているようです。

      20170720南小学校十文字分校02

おそらく、廃校後に建て替えらたモノでしょう。

しかしながら...............
青い空、赤い屋根、白い壁、そして緑の芝生。
絶妙なコントラストですね。



また敷地の一画は、十文字直売所として
地域の特産品を販売しているようです。



割と綺麗に整備されている校庭跡。

      20170720南小学校十文字分校03

緑の芝生が綺麗に刈り上げられています。




敷地の隅には古びたブランコ。

      20170720南小学校十文字分校04

おそらく往時のモノでしょう。



童心に戻って ブランコ で遊ぶ もっちゃん 。

      20170720南小学校十文字分校05



びいすけ のこと、忘れていませんか?

      20170720南小学校十文字分校06

そうそう、一緒に芝生で戯れて下さいな。



綺麗な芝生は気持ち良いのか?
はたまた野生動物の匂いがするのか?

ひたすら、芝生の匂いをクンクンしている びいすけ 。

      20170720南小学校十文字分校07


もともと、この分校は諦めていたから、
偶然に見つけることが出来てラッキーでした。

運にも、天候にも恵まれた下郷町の廃校巡り。
頑張って廃校を巡ることにいたしましょう。





2017/08/02 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旭田小学校大松川分校 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

この日から、個人的な3連休。
その連休に1泊2日で福島県の南会津方面へ出かけました。

高速の深夜割引の恩恵に預かろうと、午前3時に八王子の実家を出発。
あきる野ICから高速に乗り、圏央道〜東北道と乗り継ぎ
白河ICで高速を降り、西郷村経由で下郷町を目指します。

当初は、『日暮の滝』を目指していたのですが
我が愛車のナビはとてもお利口さんで遠回りに道を案内します。

『 明らかに左折する場所は過ぎたでしょ?
どう見たって住所がおかしいし............... 』

と思っていた矢先、進行方向右側に怪しげ(?)な場所を発見?
って言うか、この地方の廃校をネットにアップしている方のblogで
見たような光景に出会いました。


それは、ズバリ! 下郷町立旭田小学校大松川分校 でした。


正門に至る導線に建てられた標柱。

      20170720旭田小学校大松川分校01


道の脇には、閉校記念の桜の木が植樹されているようです。

      20170720旭田小学校大松川分校02



大松川分校は...............

詳しい沿革は不明です。
平成16年に本校である旭田小学校に統合されて、廃校になったようです。

本校の旭田小学校のHPにも沿革の記載がなく
詳しい事は調べきれません。
下郷町には、廃校(廃分校)がかなり多くありますが
詳しい沿革がわからないモノが多いようです。



木造平屋建ての校舎。

      20170720旭田小学校大松川分校03


ちょうど逆光の時間帯。
上手く撮影出来ませんでした。

      20170720旭田小学校大松川分校04


      20170720旭田小学校大松川分校05


      20170720旭田小学校大松川分校06



微妙に時間がズレている時計。

      20170720旭田小学校大松川分校07




こちらが閉校(廃校)記念碑。

      20170720旭田小学校大松川分校08


      20170720旭田小学校大松川分校09



裏面に沿革が刻まれているのを期待しましたが...............

      20170720旭田小学校大松川分校10

残念でした。



校庭の隅に残された遊具。

      20170720旭田小学校大松川分校11

かなり、草に覆われかけています。


こちらのブランコは、まだまだ健在?

      20170720旭田小学校大松川分校12




校庭に取り残されたローラー。

      20170720旭田小学校大松川分校13



そして、無造作に放置された椅子。

      20170720旭田小学校大松川分校14



廃校から13年。
まだまだ綺麗な木造校舎。

この校舎は、あとどれくらいこのまま綺麗な状態が保たれていくんだろうか?

10年後、20年後。
また機会があれば、訪れてみたいものです。



2017/07/31 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩瀬小学校富谷分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県桜川市に出かけました。

富谷観音で知られる富谷山の麓に、昭和59年に廃校になった分校があります。
その分校は...............旧・岩瀬町立岩瀬小学校富谷分校



富谷分校は
明治7年に富谷村に創設された富谷小学校がその祖とされているようです。

明治19年に近隣の3校(富谷、亀岡、門毛)が統合され、南飯田小学校となる。
明治22年市町村自治制により村名改正し、南飯田小学校は北那珂尋常小学校と改称する。
明治23年富谷分教場を設置。
明治26年北那珂尋常高等小学校富谷分教場と改称する。
昭和22年学制改革により、北那珂村立北那珂小学校富谷分教場と改称する。
昭和30年町村合併により、岩瀬町立南飯田小学校富谷分校と改称する。
昭和50年南飯田小学校から岩瀬小学校に移籍され岩瀬町立岩瀬小学校富谷分校と改称する。
昭和60年本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。
(南飯田小学校HP、岩瀬小学校HPより参照)

本校が変わる分校とは珍しい。



こちらが、富谷分校の正門。

      20170626 富谷分校01

残念ながら、門柱には表札が残っていませんでした。



分校跡地は、現在『富谷生活改善センター』と言う名称の
地域のコミュニティセンターとして活用されているようです。

      20170626 富谷分校02

残念ながら校舎も解体され、新しい建物に変わっています。



建物の隣には、立派な石碑。

      20170626 富谷分校03

生活改善センターの建設記念碑ですが、碑文には富谷分校について触れています。


こちらの碑文では、富谷分校の開設が明治29年となっています。
南飯田小学校のHPとは、開設時期が違うようですね。


それよりも驚いたのは、碑に立てかけられた朽ちた標柱。

      20170626 富谷分校04

富谷城址の標柱です。

ひょっとして、ここが富谷城址の中心部?

実は、この後に富谷城址にも行く筈だったんですが
調べていた富谷城址の位置は間違っている?
これは、一度じっくり調べ直そう。



校庭に残る僅かな遊具類。

      20170626 富谷分校05


      20170626 富谷分校06


      20170626 富谷分校07



なぜか、遊具(ブランコ)の脇に一対の門柱。

      20170626 富谷分校08



明らかに門の位置じゃないし。

      20170626 富谷分校09

別な場所(裏門)にでも在ったモノを移設したんでしょうか?



校庭に設置されたバスケットゴール。

      20170626 富谷分校10

この錆具合いが歴史を感じさせます。



生活改善センターの建物が建っている辺りに校舎が在ったのでしょう。
校庭も分校という割には狭くはない。

      20170626 富谷分校11


      20170626 富谷分校12


お約束とも言える、敷地内に建つ消防倉庫。

      20170626 富谷分校13



校舎の裏手は一段高くなっていて、城塁に見えなくもない。

      20170626 富谷分校14



その高台へと向かう導線は、まるで郭へと続く虎口のようにも見える。

      20170626 富谷分校15


やっぱり、ここが富谷城址の中心部なんだろうか?


かつての城郭が役所や学校の敷地になるって言うパターンも多いからねぇ。
ちょっびり、いや、かなり気になります.................(笑)



2017/07/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校大泉分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


桜川市の廃校巡り。
その第4弾は...............旧・岩瀬町立坂戸小学校大泉分校 です。



こちらが、大泉分校の正門。

      20170626大泉分校01


      20170626大泉分校02



石造りの門柱には大正4年建立と刻まれています。

      20170626大泉分校03


      20170626大泉分校04



門柱が残っている大泉分校ですが、校舎は解体され、
その跡地には新たな建物が建てられ、
現在は『大泉農村集落センター』として活用されています。

      20170626大泉分校05



正門脇には、大泉分校跡地の碑。

      20170626大泉分校06


平成10年に、分校が廃校となって15年となり地元の有志がこの碑を建立したらしい。

      20170626大泉分校07



碑の裏面には沿革も刻まれています。

      20170626大泉分校08



その記載によれば...............


明治7年大泉村金性寺に富谷小学校大泉分教場が設置される。
明治9年大泉小学校として独立する。
明治19年飯岡尋常小学校と合併し、飯岡尋常小学校大泉分教場となる。
明治23年村名変更により西那珂尋常小学校大泉分教場と改称する。
明治25年西那珂第一尋常小学校大泉分教場と改称する。
明治26年西那珂尋常高等小学校大泉分教場と改称する。
大正14年町制施行により、岩瀬尋常高等小学校大泉分教場と改称する。
昭和21年学制改革により、岩瀬町立岩瀬第一小学校大泉分教場と改称する。
昭和30年町村合併により、岩瀬町立坂戸小学校大泉分校と改称する。
昭和58年本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



廃校から34年。
校庭には往時のモノと思われる遊具も残されています。

      20170626大泉分校09


      20170626大泉分校10


      20170626大泉分校11




何気なく校庭の一角に足を向けると、そこにも校門が在りました。

      20170626大泉分校12


こちらの門柱には、分校名の入った表札が残っていました。

      20170626大泉分校13

ひょっとしたら、こちらが正門だったかもしれませんね。



その門柱の脇には、お約束の消防倉庫。

      20170626大泉分校14



こちらは、往時のシンボルツリー?

      20170626大泉分校15



校庭跡。

      20170626大泉分校16


おそらく、近隣の子供たちの遊び場になっているのだろうけれど、
少子化の時代。その子供たちもこの地域には居るのだろうか?

      20170626大泉分校17


独立した小学校としては、10年の歴史しかなく
ほとんどが分校として子供たちを見守り、学び舎として送り出した大泉分校。

100年以上の歴史のある分校でした...............。




2017/07/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校下泉分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


桜川市の廃校巡り。
その第3弾は...............旧・岩瀬町立坂戸小学校下泉分校 です。


下泉分校も、全く詳細不明。
坂戸小学校のHPの沿革に、長方分校、大泉分校と一緒に
昭和58年に本校である坂戸小学校に統合されて廃校になりました。

設立時期はおろか、その所在地も分かりませんでした。

300を超える廃校、旧校地巡りをした経験から
公民館とかコミュニティセンターに当たりをつけ、
下泉公民館が学校跡地と予想して訪ねてみましたが、大ハズレ。

たまたま自転車で通りかかった農家のオバちゃんに尋ねたら、
全く別な場所を教えてくれました。


こちらが、下泉分校跡地。

      20170626下泉分校01

石造りの門柱がしっかり残っていました。


正門前がスクールバス乗り場になっているようです。

      20170626下泉分校02



門柱には往時の表札がしっかり残っています。

      20170626下泉分校03



門柱の裏側には建立時期が刻まれていたようですが
文字が風化して判読出来ません。

      20170626下泉分校04



敷地内には、小ぶりな木造の建物。

      20170626下泉分校05

てっきり往時の校舎かと思っていたら、隣に住む方に訊いてみたら
校舎を取り壊した後に建てたモノらしい。

特に名称は無いようで、選挙の時に投票所として利用されているらしい。



校門の脇には桜の木。

      20170626下泉分校06


そして桜の木の下には、オブジェの残骸?

      20170626下泉分校11

ひょっとしたら、二ノ宮像の台座だったのかな?



こちらは、校庭端のシンボルツリー。

      20170626下泉分校07


      20170626下泉分校08



シンボルツリーの下は雑草に覆われ、こんな残骸も顔を覗かせています。

      20170626下泉分校09

『なかよし』と言うことは、子供な像が乗っていたのでしょうか?


こちらも残骸。
ひょっとして、像の足の基台部分?

      20170626下泉分校10


     
廃校記念碑も遊具もなく、どことなく駐車場にさえ見えてしまう校庭。

      20170626下泉分校12



詳しい沿革も分からない下泉分校ですが、
その存在は、分校跡としてしっかりと確認できました...............。



2017/07/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校長方分校 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市を訪れた最たる目的は、桜川市の廃校巡り。
と言っても、平成17年に真壁町と岩瀬町と大和村が合併して誕生したのが桜川市。
その旧・岩瀬町域の廃校を巡ります。

桜川市の廃校巡りの第二弾。
旧・岩瀬町立坂戸小学校長方分校 です。



長方分校の詳しい沿革は不明です。
統合された本校である坂戸小学校のHPを見ても
昭和58年に、当時3校在った分校(長方分校、下泉分校、大泉分校)が
本校である坂戸小学校に統合されたと言う記述しかなく
創立時期等は不明です。



こちらが、長方分校跡。

      20170626長作分校01


廃校から既に34年。
校舎は解体され、新たに『長方南区中泉農村集落センター』の建物が建てられ
地域のコミュニティセンターとして活用されているようです。

      20170626長作分校02



何やら、 びいすけ が建物の1点に注視しています。

      20170626長作分校03



どうやら、縁台の下に猫がいるようです。

      20170626長作分校04



さほど大きな分校ではなかったようで、敷地もそんなに広くはない。
残念ながら門柱や二ノ宮像、遊具等の遺構も無い。

唯一、学校跡を彷彿させるのがこちら。

      20170626長作分校05



この場所に1983年にタイムカプセルを埋めたようですが
30年後の2013年に掘り起こしたようです。

      20170626長作分校06



学校とは関連なさそうな歌碑(句碑)。

      20170626長作分校07

作者もよく分からない。



廃校跡のお約束?
敷地の一角には、消防倉庫。

      20170626長作分校08



敷地をぐるっと囲む石垣は、分校時代のモノ。

      20170626長作分校09



廃校記念碑かと思ったら、農村集落センターの碑。

      20170626長作分校10



先ほどの猫が気になる びいすけ 。

      20170626長作分校11


あぶないから、上っちゃダメですよ。

      20170626長作分校12

そんな注意書きも、今やカスれて読めない。


石垣沿いに、スクールバスのバス停。

      20170626長作分校13

ここからスクールバスに乗って坂戸小学校に通っているんですね。


タイムカプセルを掘り起こして、開封してるしまっても
その場所に碑を残す。
何となく、卒業生のこだわりを感じた長方分校でした...............。






2017/07/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit