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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

上野原城址  (2013年8月7日)(山梨県上野原市) 

8月7日 公休日

 
山梨県上野原市にある上野原城址へ行ってきました。


上野原城は


武蔵七党の古郡氏が築いた城である。
横山忠重が康治年間、古郡郷の別当大夫となり、古郡姓を称した。
建暦3年(1213年)、古郡保忠の時に、和田合戦で敗れ滅亡した。

その後、武田信玄の時代には、
武田氏の家臣・加藤氏が入城した。
天正10年(1582年)武田勝頼が織田信長に敗れ天目山の戦いで窮地に陥った際には、
加藤景忠と長男の加藤信景は主君救援のため、駆けつけようとしたが、
北条氏政に敗れて滅亡した。

                    (Wikipediaより抜粋)


鶴川に面した緩い斜面に上野原城は築かれていましたが
主郭辺りは宅地開発されて殆どが壊滅し、
さらには中央自動車道が城内を貫くようにのために全壊しており
小さな稲荷神社に城址の案内板が残されているのみです。




こちらが、その稲荷神社
こじんまりとした神社です

主郭跡と言われています。


      20130807上野原城址03



神社の境内に申し訳なさそうに
上野原城址の説明看板が建っています


      20130807上野原城址01


      20130807上野原城址02



看板には上野原城の縄張り図が記されています


      20130807上野原城址04

この縄張り図からも城内のど真ん中を中央道が縦断しています




こんな感じで中央道はモノの見事に城内を突き抜けています


      20130807上野原城址08


      20130807上野原城址09



稲荷神社周辺を散策してみます


      20130807上野原城址05



縄張り図にも記されていた堀跡

北側の堀ですが、今は埋められて道路となっています


      20130807上野原城址06




こちらは西側の堀跡

こちらも埋められて道路となっています。


      20130807上野原城址07



中央道造成と宅地化によって遺構ほとんど破壊されてしまった上野原城址
戦国時代は甲斐国と武蔵国、そして相模国の国境であるため、
その位置付けはきっと重要なものだったと思われます。

ここにも開発の波に飲まれてしまった忘れ去られた城があったようです........。


 
 


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2013/08/20 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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