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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

日本平  (2013年7月12日)(静岡県静岡市) 

7月12日 公休日



三保の松原からちょっぴり足を伸ばして
向かった先は...............


      日本平 


日本平も30年ほど前に1度だけ訪れたことがあります。

当時はまだ日本平パークウェイなる有料道路が
現在は料金所も撤去され、無料の観光道路となっています。

バイクでコーナーリングを楽しんでいた時期は
遥か遠い昔の出来事です(笑)。




日本平はその昔、日本武尊が東征の際、
草薙の原で野火の難にあい賊を平定した後、
この山の頂上に登り四方を眺めたところから
この名で呼ばれるようになったといわれています。
現在の日本平は日本観光地100選、国の名勝地、
県立自然公園に指定された標高307メートルの丘陵地で、
富士山の眺望は言うにおよばず、梅園、桜ロード、茶園、
みかん畑などの自然味も豊かな観光地となっています。

           (日本平HP より抜粋)



山頂のロープウェイ乗り場から隣接する久能山へと移動できます。
久能山には国の重要文化財に指定された久能山東照宮があり
戦国時代にこの駿府の地で地盤を固めた徳川家康。
徳川幕府を興し、隠居後はこの駿府の地で余生を過ごしました。
元和2年(1616年)4月17日徳川家康は亡くなりますが
その徳川家康を祀った最初の神社、それが久能山東照宮です。

ロープウェイ乗り場へ行くと
ワンコはケージでのみ乗車OK.......

仕方ないので久能山東照宮は諦めました



ロープウェイ乗り場近くにて

 
      20130712日本平01



ロープウェイに乗れないならば仕方ない。
展望台に登ることにしました。

しかし、アスファルトは熱っちっち。
びいすけ を抱っこして展望台へと向かいますが
額からは滝汗(笑)。


      20130712日本平02




本来ならばこの位置に富士山がド~ンと見えるのですが
ガスっているようでこの日は富士山の眺望はダメでした。


      20130712日本平03


      20130712日本平04



知りませんでしたが、ここ日本平も国指定の名勝地らしい。

現地の説明看板で知りました。


今まで知らなかったことを現地の説明看板や
案内看板で知る事多く、大変勉強になります。

      20130712日本平05


      20130712日本平06



日本平の説明看板のすぐ近くには
赤い靴の母子の像が建っています


      20130712日本平07


      20130712日本平08



赤い靴といえば、童謡

♪~♫

赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

                     ♫~♫

確か、こんな歌詞でしたが、
この童謡にはモデルとなった女の子が実在していたようです。
そして、真実はどうも違っていたようです。

女の子は異国には行っていなかったようです。


赤い靴を履いていた女の子。
彼女の名前は岩崎きみと言い、明治35年7月に、
ここ日本平の麓の旧不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)で生まれ、
赤ちゃんの時、いろいろな事情で母親に連れられて北海道へ渡ったのですが、
母親に再婚の話がもちあがり、3才の時に
アメリカ人宣教師のチャールズ・ヒュエット夫妻のもとへもらわれて行ったそうです。

一方、きみちゃんの母親かよは結婚して夫と共に開拓地へ入植し、
一生懸命働いたのですが、その努力も報いられず、その生涯を北海道で終えます。
母かよは、のちのちまで自分の娘きみは宣教師夫妻と一緒にアメリカで、
元気に暮らしているものと信じていたそうです。

ところが、宣教師が任務を終えて帰国しようとした時、
きみちゃんは不幸にも当時不治の病といわれていた結核に冒され、
身体が衰弱し、長旅ができず、やむなく東京のクリスチャン系の孤児院へ預けられ、
そこで治療の効なく独り淋しく幸せ薄い9才の生涯を閉じていたのでした。
それは明治44年9月15日の夜のことで、死因は結核性腹膜炎だったとのことです。

時代は流れ、赤い靴の女の子の真実がわかると
きみちゃんと母かよの母子を81年ぶりに故郷の清水へ里帰り再会させ、
母子の永遠のやすらぎを母子像に託そうと、当時の清水市長を先頭に官民一体となって、
母子像建設へ向かっての募金運動が展開されたそうです。

昭和61年3月、この地に母子の像が建立されたそうです。


いやぁ~、泣ける話です................


涙で視界がかすむ前に、帰路につくことにいたしましょう............。


 
 
 
 

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2013/08/03 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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