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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

鹿島城址 《鹿嶋城山公園》 (2013年6月29日)(茨城県鹿嶋市) 

6月29日  公休日


鹿嶋市の鹿島城址に立ち寄ってみました




鹿島城は


常陸平氏の鹿島政幹が平安末期に築いた城である。
それ以降鹿島氏の居城となった。
本丸の跡地は現在、鹿島城山公園として市民の憩いの場になっている。
二の丸跡地は茨城県立鹿島高等学校が立地している。
築城以来、改修や拡大をつづけてきたが、
特に知られるのは鹿島義幹による大改修といわれる。
かつて鹿島城の縄張りの東端は現在の鹿島神宮二の鳥居のあたりまでであったという。
現在実質的な鹿島神宮の表参道である大町通りは往時の鹿島城内であり、
中世においてはここで流鏑馬がおこなわれていたという。
天正年間に常陸平氏の国人領主たちが佐竹氏に虐殺されたいわゆる「南方三十三館の謀殺」後に、
佐竹氏は鹿島城に兵を差し向け、これを落城させた。
佐竹氏は鹿島城の跡地に陣屋を築いたという(鹿島神宮文書)。
徳川幕府が成立すると、佐竹氏は国替えになり、元の鹿島氏が再興した。
現在の国道51号線と茨城県道18号茨城鹿島線が交わる鹿島小学校前の交差点の付近に
鹿島城の大手門があったと伝わっている。
じつに国道51号線は大船津から鹿島神宮に至る道があったのでこれを圧迫する作用もあり、
51号線を通す際に空堀を埋めて道路を造った。
また県道18号線の鹿島城の縄張り内をとおる部分には鹿島城の堀があったという
(鹿島城は二重、三重に掘があったとされる)が江戸時代にはいって
「平和の時代には不要」として埋められた。

                          (Wikipedia より抜粋)




現在、鹿島城山公園として整備され、市民の憩いの場となっている鹿島城址。

主郭跡地にはしっかりと説明看板が建っています。

それも登城口正面。
まさに見てくださいと言わんばかりのようです(笑)

 
      20130629鹿島城址01



広い主郭(本丸跡)


      20130629鹿島城址02


一角に駐車場もあり、車でのアクセスも便利です。


      20130629鹿島城址03



木立ちも適度にあって、程よい日陰を作ってくれています。


      20130629鹿島城址04


城址の一角には、城址碑とその城址碑に記された文面を書き連ねた
説明看板が建っています。


      20130629鹿島城址05


明治26年に建てられたと言われる由緒ある城址碑


碑文がこのように説明看板に記されています。

      20130629鹿島城址06



主郭(本丸)から眺める北浦。


      20130629鹿島城址07


      20130629鹿島城址08



200m四方はあろうと思われる広い主郭(本丸)。


      20130629鹿島城址09



その主郭の周りを土塁が張り廻り、周遊路となっています。
ウォーキングにいそしむ人。
犬の散歩で歩く人。

鹿嶋市民の憩いの場となっているようです。


      20130629鹿島城址16


主郭虎口の手前の空堀。
これがまた深くて圧倒されます。


      20130629鹿島城址10


      20130629鹿島城址11


      20130629鹿島城址12



ぐるっと城郭を廻って、空堀に下りてみました。


      20130629鹿島城址13


      20130629鹿島城址14


      20130629鹿島城址15





かつての城郭は、鹿島神宮あたりまでが外郭としてその一部とされていた鹿島城址。
本丸である現在の鹿嶋城山公園に隣接する鹿島高校が二郭とされています。
周辺はすっかり宅地開発されてしまい、往時を偲ぶことはできませんが
主郭跡地と少ないながらも遺構も残されたことが
せめてもの救いと思うことにいたしましょう……………………。













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2013/07/16 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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