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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

布川城址 (2013年6月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

6月11日 公休日



茨城県の北相馬郡の利根町にある 布川城址 に立ち寄ってみました
 

千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線の千葉県我孫子市から
利根川に架かる栄橋を渡って利根町に入ると
県道沿いに徳満寺があり、その徳満寺のある台地が主郭となり
利根町の利根町役場のある台地が二郭となっています。



布川城は南北朝時代に豊島左兵衛尉頼貞により築かれたと言われています。
戦国時代末期になると、小田原北条氏の配下となり
利根川の水運の監視を行っていた王であると言われています。

天正18年(1590)秀吉の小田原攻めの際、城主・豊島貞継は北条方として小田原城に入り、
弟・頼重が留守を務めるが、秀吉軍の浅野長政に降伏し、忍城攻めに参陣し、戦死する。
しかし、そのおかげで北条氏配下でありながら滅亡は免れます。
豊島明重が跡を継ぐが、徳川家康から改めて1700石を与えられ、
富岡(神奈川県横浜市)に移封されました。
関東にその領地を得た家康は常陸に勢力を持つ佐竹氏対策として
布川城に松平信一が5000石で配します。
関ヶ原の戦いの後、松平信一は35000石で土浦城主となり、
布川城は廃城となったということです。








県道沿いの徳満寺の入口に布川城址標柱が建っています



      20130611布川城址17






さらには、徳満寺の境内の入口には立派な石碑が建っています


      20130611布川城址03



境内の駐車場に車を停めて
布川城址の散策開始です。


境内には布川城址の説明看板があります



      20130611布川城址01


      20130611布川城址02




こちらは徳満寺の参道
急勾配の石段を上がれば、立派な山門が待っています


      20130611布川城址04


      20130611布川城址05




境内の奥にある土壇の前に見覚えのある石碑が......


      20130611布川城址06


茨城百景の石碑です

「茨城百景 大利根の展望」
徳満寺の山門前に建てられていたそうですが
現在はこちらに移されています。


      20130611布川城址13


本堂裏手の土壇
かつての物見台跡かもしれませんが
現在は墓石が並んでいます。


      20130611布川城址12





徳満寺の山門あたりから眺める利根川の眺望はかなり良かったようですが
現在は、その眺望も失われているようです。


徳満寺の本堂の裏手には琴平神社が有り
徳満寺と琴平神社は空堀で隔たれ
土橋が設けられています。


どうも画像だとよく見えませんが......

これが空堀 


       20130611布川城址07



こちらが土橋。


      20130611布川城址16



土橋を降りれば馬出し

馬出しから土橋を見上げます


      20130611布川城址09




こちらが馬出し


      20130611布川城址11



土橋を渡った先は琴平神社
ここも、かつては城郭の一部でした。


      20130611布川城址08



さらに奥に進むと石段を下りて、かつての堀底。
振り返れば、立派な鳥居が建っています。


      20130611布川城址15



堀底道を挟んで二郭跡に建つ利根町の町役場


      20130611布川城址14


近くにある旧利根中学校のある辺り(現在は日本ウェルネススポーツ大学)も
かつての城郭で、かなりの広さを持ち合わせています。


この布川城址
こんな場所にあるとは知りませんでした。


実は、つくば方面に遊びに行くときは
千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線を走り
龍ケ崎から牛久を抜けて、つくばに行っていました。

何度となく、この布川城址の前を素通りしていたことになります。

もっと早くこの布川城址を知っていれば
千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線も違った印象で
車を走らせていたかもしれない............






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2013/06/27 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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