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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

勝浦城址 <八幡岬公園> (2013年2月28日) (千葉県勝浦市) 

2月28日 公休日


かつうらビッグひなまつりを見学した後。
勝浦城址に立ち寄ってみました。


勝浦城址は現在、八幡岬公園として整備されています。
昨年の2月にも、この八幡岬公園に来ましたが、
その時は今と違って、あまり城郭そのものに興味がなくて
じっくり見ることはしませんでした。

今回はじっくり見てみるつもりです



勝浦城は上総に勢力を持っていた真里谷武田氏が築城されたとされ、
天文十三年(1544年)、安房里見氏の家臣である正木氏が上総地方に侵攻、
武田氏を滅ぼし、正木時茂は小田喜城を居城として上総東部を支配します。
弟の正木時忠が勝浦城を居城とし勝浦正木氏を興したと言われています。

天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原の役の際
徳川四天王の一人、本多忠勝に攻められて落城。
勝浦城は廃城となりました。






車を停めた駐車場あたりが三郭跡


      20130228勝浦城址01



千葉の観光地ではよく見かける石碑

房総の魅力500選に 八幡岬公園 として登録されているようです


      20130228勝浦城址02


      20130228勝浦城址03



二郭と三郭の間にある高台には八幡神社があります


      20130228勝浦城址04


      20130228勝浦城址05


      20130228勝浦城址06


      20130228勝浦城址07



八幡神社の入口には勝浦城址の石碑が建っています。
この石碑には お万の方生誕地 と記されています。


      20130228勝浦城址08


      20130228勝浦城址09


お万の方は勝浦城主・正木頼忠の娘で、後に徳川家康の側室となり
紀州藩徳川頼宣、水戸藩徳川頼房を生んだと言われています。
徳川御三家の産みの母というわけです。




二郭には勝浦城址の説明看板が建っています。


      20130228勝浦城址10


      20130228勝浦城址11



二郭全景

      20130228勝浦城址12



こちらが主郭

      20130228勝浦城址13


      20130228勝浦城址14


お万の布さらし

      20130228勝浦城址15

天正18年豊臣秀吉に攻略され北条氏が滅亡すると、
勝浦城も本多忠勝や植村泰忠らの軍勢に攻められて落城いたしました。
14歳の姫君お万様は炎上する城を後に、母と幼い弟をつれて
八幡岬の東側40mの断崖に白い布を垂らして海に下り、
小船で館山方面に逃れたということです



お万の方 と びいすけ


      20130228勝浦城址16



主郭から見る太平洋

遠くに見える岬の先端は 吉宇城址


      20130228勝浦城址17



逆方向のアングル
灯台が見えます

      20130228勝浦城址18



こちらは主郭虎口


      20130228勝浦城址19




勝浦城は正木一族の勢力拡大と共に拡張され
城郭は広くなったと言われています

こちらは拡張部分に当たる新地ヶ台の鳴海神社近く
神社下の腰曲輪

梅の花が咲き始めています

      20130228勝浦城址20



こちらは鳴海神社


      20130228勝浦城址21



鳴海神社脇には見事な堀切があります

      20130228勝浦城址22



鳴海神社の奥にはいくつかの曲輪が残されていて
堀切も残されています

      20130228勝浦城址23


      20130228勝浦城址24


鳴海神社周辺は近年、勝浦城址の一角とされ
城郭遺構が注目されるようになったそうです

このままの形でいつまでも残されていくことを期待いたします。



 
 
 
 
 
 
 

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2013/03/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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