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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

土浦城址  《土浦亀城公園》 (2013年3月3日)(茨城県土浦市) 

3月3日 公休日



土浦に来たら素通りするわけにいかない
なにせ土浦の観光スポットでもある亀城公園


亀城公園として整備され、管理されていますが
ここが土浦城址でもあります。


ということで土浦城址に立ち寄りました。



実は、この亀城公園
10年近く前に一度、夜桜見物に訪れたことがあります。


今回は単純に土浦城址を散策です。


市街地にあるこういった公園だと頭を悩ませるのが駐車場。
でも、この土浦城址は駐車場が隣接しているからいいですね。

駐車場に車をいれて、散策開始です。



そもそも土浦城とは


平安時代、天慶年間(938年~947年)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、
文献上確かなのは室町時代、
永享年間(1429年~1441年)に常陸守護、八田知家の後裔、
豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初である。
戦国時代に入り永正13年(1516年)、若泉五郎左衛門が城主の時、
小田氏の部将・菅谷勝貞によって城は奪われ、
一時、信太範貞が城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。
しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、
小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。
その後、度々小田城を奪回するが永禄12年(1569年)の手這坂の戦いで
真壁軍に大敗して勢力を失い、
元亀元年(1570年)以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、
菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐したが、
天正13年(1583年)、ついに小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に
菅谷範政は後北条氏と結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、
主君小田氏とともに滅亡した。

関東に入った徳川家康は、土浦を次男で結城氏に養子入りした結城秀康に与え、
土浦城を領内の支城とする。
秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が3万5千石で入封。
その後松平信吉の代に5千石の加増を受ける。
元和3年(1617年)、信吉が上野国高崎に転封となって西尾忠永が2万石で入封。
以後、城主は西尾氏・朽木氏と代わり、寛文9年(1669年)、土屋数直が4万5千石で入封。
土屋氏は、天和2年(1682年)、子の政直のとき天和2年(1682年)駿河国田中に移ったが、
代わって城主となった大河内松平家の松平信興が5年後の貞享4年(1687年)に
大坂城代に転ずると、土屋政直が再び6万5千石で入封。
その後三度の加増を受けて9万5千石となり、
常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、
以後土屋氏が11代、約200年間世襲して明治維新に至った。


                         (Wikipedia より抜粋)
                          



掘越しに眺める西櫓


      20130303土浦城址01


      20130303土浦城址02



こちらは本丸から見た西櫓。


      20130303土浦城址03


そして本丸

      20130303土浦城址04


      20130303土浦城址05



本丸太鼓門の脇の土浦城址の碑。


      20130303土浦城址06


      20130303土浦城址07



土浦城と言ったらやっぱり本丸太鼓門。


      20130303土浦城址08




かつての土浦城の縄張り

現地に説明板として建っていますが、
現在の土浦城址はその一部しか残されていません。


      20130303土浦城址09


平地に建つ典型的な水城で水と土の城でした。
かつては四重五重に水堀を巡らせた大規模なものでありました。

その水堀も現在は亀城公園の周辺に一部のみ残っている状態です。



      20130303土浦城址10


      20130303土浦城址11



高麗門形式の旧前川口門。


      20130303土浦城址12


      20130303土浦城址13


      20130303土浦城址14




亀城公園内に残る土塁。


      20130303土浦城址15


      20130303土浦城址16





亀城公園を出て城郭だった町中を散策します。



大手門跡

土浦小学校に隣接する土浦幼稚園前が
かつての大手門跡。

小学校の門の前に石碑も建っています。


幼稚園は現在、建て替え工事中でした。


      20130303土浦城址17


      20130303土浦城址18




こちらは大手口入口。


      20130303土浦城址19



このまままっすぐ歩くと、先ほどの幼稚園にぶつかります。

かすかに大手門跡が見えます。


      20130303土浦城址20





こちらは搦手口門跡


      20130303土浦城址21




周りはすっかり住宅が建ち並んでいますが
道は舗装されているもののくの字に曲がり
往時の面影を残しているようです。


      20130303土浦城址22




こちらは郁文館の門。
かつての土浦藩の藩校の門です。

現在の土浦第一中学校の敷地内(道路沿い)に建っています。


      20130303土浦城址28


      20130303土浦城址29



再び、亀城公園に戻ります。



こちらは、本丸にある東櫓
復元されたもので、現在は資料展示館のようなものになっています。
有料だし、犬は中に入れないから、外から見学。


      20130303土浦城址23



東櫓と霞門
虎口にはしっかりと枡形がとられています。

霞門も太鼓門同様、激動の明治維新を乗り越え
明治の火災、そして昭和の戦火にも生き残った貴重な現存遺構です。


      20130303土浦城址24



霞門


      20130303土浦城址26



霞門脇の水堀


      20130303土浦城址25


      20130303土浦城址27




市街地にある城址がきちんと街中に溶け込んで
その一部を市民の憩いの場として公園化されて
後世にその姿を残していく..........

土浦城址はそういった恵まれた環境の中で
いつまでもその姿を残していって欲しい.



 
 
 
 
 
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2013/03/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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