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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

興津城址 (2013年2月28日)(千葉県勝浦市) 

2月28日 公休日


この日は千葉の勝浦に出掛けました。


勝浦の東の外れ、興津地区
海岸線から国道128号線を挟んだ山合いに向かい
植野集落から香取神社の脇の狭い道を上がっていくと
興津城址に辿り着きます。


興津城とは

鎌倉時代に土豪の佐久間氏の勢力下に入り興津城が築かれたと言われています。
戦国時代には真里谷武田氏、ついで安房・正木氏の根拠地のひとつとなっていた。
その後、里見義頼が興津城を攻め落とし、里見氏の支配下に入る。
後北条氏滅亡後、上総一円は徳川家康の領国となり、
興津は大多喜城に配された本多忠勝の支配地となったと言われています。 




こちらは三段掘削された三郭
  


      20130228興津城址01


      20130228興津城址06


      20130228興津城址02


      20130228興津城址03



三郭の奥にある堀切


      20130228興津城址04


      20130228興津城址05



三郭と二郭との堀切
何故か三郭の方が高い位置にあるのか?
不思議です。


      20130228興津城址07



主郭にある城址碑


      20130228興津城址12


      20130228興津城址11


城址牌の正面には、かつての ゆうげの城跡保養所 が建っています
現在は保養所として機能しておらず、
管理人のおじいさんが一人で暮らしているらしい。
このあたりが興津城の主郭にあたります。


城址碑のあるところから階段を登れば主郭物見台へと続きます。
 

こちらが主郭物見台へと続く階段。
もっとも往時はこんな階段はなかったと思いますが........


      20130228興津城址08


      20130228興津城址09




主郭の土塁


      20130228興津城址10


こちらが城内最高地
物見台跡ですが藪状態。
さすがにこの先は断念です。


      20130228興津城址13




こちらは二郭の土塁


      20130228興津城址14





主郭から二郭の堀切


      20130228興津城址15



主郭と二郭との間にある腰曲輪

野生の猿でもいるのでしょうか?
こんな物騒な捕獲檻が置いてありました。


      20130228興津城址16


      20130228興津城址17



二郭から眺めた太平洋。


      20130228興津城址18




安房・里見家の家臣であった正木憲時。
伯父・正木時茂の跡を継ぎ、上総・大多喜城主となります。

里見義弘の死で、天正6年里見義頼が跡を継ぐと、
これに反目して兵をあげました。
これが世に言う 正木憲時の乱 です。

この興津城を拠点(拠城)にして、に勝浦城、葛ヶ崎城などを攻略して
一時期、長狭地方から勝浦湾にかけての安房・上総東岸を占拠しましたが、
里見義頼の反撃により、この興津城に追い詰められ、
やがては大多喜城に舞い戻り、籠城したといわれます。
天正9年(1581)9月29日、正木憲時は大多喜城内で家臣の寝返りにより殺害され、
正木憲時の乱は平定されました。
興津城もほどなく廃城となったと言われています。

主君を欺き、反目して、そしてやがては破滅の道を歩んでしまう.....

追い詰められて、興津城に封じ込められた時
正木憲時はここから、この海を見て何を思ったのだろうか........?


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2013/03/18 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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