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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

有明の松  (2013年2月23日)(茨城県石岡市) 

2月23日 公休日


石岡市の丸ポストを探しているとき
移動中の車のナビがチ地図上に史跡のマークを示した。


「有明の松」..........?



なんだそれ?


私が育った愛知県知立市の近隣に有松町というのがあった。
(現在の愛知県名古屋市緑区有松町)

なんとなく気になって、ナビがその近くになるのを
(車がその近くになるのを)心待ちにした。



その場所に到着すると、県道脇に小さな台地が(と言うよりも土盛り?).....
すぐ脇にはバス停があり 「有明」 と記されている。


どうやらここがその有明の松らしい。


石碑にもしっかりと記されています。


      20130223有明の松03



小さな台地には説明看板と一本の小さな松の木があります。


      20130223有明の松04


残念ながら説明看板は文字が掠れてほとんど読めません。
何とか読める字から文面を推測すると..........

どうやら昔、このあたりで戦があったらしい



自宅に帰ってから詳しくネットで調べてみた。

南北朝時代末期1387年、今から700年以上も前に起きた出来事です。

1380年南朝方の小山義政が難台山中に城郭を造り、
足利軍と合戦して破れ、
さらに、1387年、小田五郎藤綱と義政の子・若犬丸が、
再度、難台山に陣を構え、北朝足利方の上杉朝宗と合戦し、
8か月に及ぶ籠城、攻防の末、食糧供給の道を遮断され、食料が尽き落城してしまいました。
藤綱は城を焼いて自害し、若犬丸は逃亡、
小田五郎は郎党百名あまりとともに討ち死にしたと伝えられています。

この時に、難台城の婦女子が夜を徹して難台山を逆に登り裏山を下って、
この松の下に集まり、夜を明かしました。
その時に見た夜明けの空が大変すばらしかったので
将来を明るく見ようと「有明の松」と名付けられたと伝えられています。



      20130223有明の松01


      20130223有明の松02



しかしながら、700年前の松にしては小さすぎる.......?

      20130223有明の松05



それもそのはず、往時の松は県の天然記念物に指定されていたが、
松くい虫に侵されたため昭和五十五年に伐採されて、今は無い。

その松(親木)から採取した種子を発芽させたものであるとのことだが
2代目の松も数年前に枯れ果ててしまたようで
現在の松は三代目らしい。


      20130223有明の松06


      20130223有明の松07


      20130223有明の松08


      20130223有明の松09



右手後方に見えるのが難台山
この山に難台山城があり茨城県の文化財として指定されているそうです。


      20130223有明の松10




有明とは元来、夜明けを意味しています。

難台山城の悲話ですが、悲しい中にも明日への期待
未来に対する希望も垣間見れて、生きる希望を感じられます。


この小さな松の木も私たちの希望を糧に大きく育ってほしいものです。




 
 
 
 
 
 
 

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2013/03/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: 2edit

コメント

長さん へ

コメントありがとうございます

古城、廃城巡りをしていると
その城、その地域にまつわる歴史等を
現地の説明版等で知ることができ
また帰ってからネットでいろいろ改めて確認したりと
勉強になることが多いようです。

平将門の台頭以降、動乱の関東
特に鎌倉幕府衰退後は複雑な関係が入り乱れて
まだまだ全体像を把握できず、歴史の深さと重み
そして人間の野心の大きさを感じています。

その歴史の流れの中に、
いつも飲み込まれていってしまう人々がいるということも事実で
こういった歴史の中に埋もれてしまう多くの犠牲、悲話も
個人的には新たな発見として受け止めています。

こういった発見があるから
古城巡りにますますハマってしまいます(笑)
 
 
 
 

びいすけ父さん #- | URL | 2013/03/13 05:34 * edit *

石岡有明の松

泣かせる話ですねぇ。
室町幕府がこの後、鎌倉公方に介入して来なかったら、
その悲劇の物語りは、もっと、強烈に後世に伝えられた
のかもしれませんね。大きく見れば、鎌倉公方と室町幕
府との間の政治的駆け引きの世界とは言え、義堂周信
の介入等、小田~八田~宇都宮分家の婦女子達に
とっては、このあと幾分幸運な結末でしたね。

長さん #- | URL | 2013/03/12 10:51 * edit *

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