FC2ブログ

12 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 02

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

真壁陣屋跡 (2013年2月23日)(茨城県桜川市) 

2月23日 公休日


真壁の町には真壁陣屋跡があります。



陣屋とは、元々は平安時代に宮中警護をする衛士の詰所のことであった。
これに由来し、現代において旅館・温泉の名称に「陣屋」を使用するものもある
(例として鶴巻温泉の元湯・陣屋など)。
鎌倉時代には合戦における兵士の臨時軍営を陣屋と呼んだ。
また、地頭の役所を陣屋とも呼んでいた。
近世には民政上の拠点を指す意味が強くなり、
幕藩体制における政庁兼居所・蔵を意味する言葉となった。

一般的に3万石以下の城を持たない大名が陣屋を持った、
また上級旗本も知行地に陣屋を構えた。
さらに大藩の家老の所領地である知行所の政庁が置かれた屋敷も含まれる。
飛地を所領に持つ大名が、現地の出張所として陣屋を設置することもあった。
また、箱館奉行所や長崎奉行所なども陣屋として扱われることがある。
さらには幕府直轄領地である支配所に置かれた代官所を含む場合もある。

陣屋に藩庁を置く大名のことを無城大名あるいは陣屋大名と呼んだ。
無城大名が城主格大名へ昇格した場合、国許の陣屋を城に転換することは許されず、
実際には城門の構築を許されるのみであった。

                             (Wikipediaより抜粋)



中世に真壁を納めていた真壁氏が慶長7年(1602)年に秋田へ移ったあと、
江戸時代の真壁の領主は何度も交代しました。
最初の数年は幕府直轄地、慶長11(1606)年からは浅野氏の支配になり真壁藩が成立しますが、
元和8(1622)年に浅野長重が笠間に移封されると
真壁領のうち桜川の東は笠間藩領、
西側は幕府直轄地となって真壁藩はなくなり、以後は笠間藩の飛び地となります。



さて、その真壁陣屋ですが真壁の町の中心街にあったようです。
現在、その跡地は真壁小学校や、真壁町役場など数多くの建物が建ち、
2009年までは真壁中央公民館や真壁中公園、歴史民俗資料館などとして使用されてきました。
そして現在、多目的複合施設という新たな町の中心として生まれ変わっています。




一角には神武神社があります。


      20130223真壁陣屋跡01


ひなまつりのこの時期
町のイベントの一環でしょうか?
神武神社の拝殿にも雛人形が飾られていました。



真壁陣屋の遺構 の説明看板が建っています

      20130223真壁陣屋跡03


      20130223真壁陣屋跡02


しかしながら、すっかり再開発されてしまっているため
遺構はほとんど残っていません。


     
      20130223真壁陣屋跡04


      20130223真壁陣屋跡05


      20130223真壁陣屋跡06


      20130223真壁陣屋跡07






この真壁陣屋に関するこんな逸話があります。

浅野長政の三男長重が父から真壁藩5万石を相続していたが
元和8年(1622)に常陸笠間へ転封となった。
時の将軍・徳川秀忠は長重に加増をしようとしたが
長重は余程の父親思いだったらしく

「真壁には父長政の菩提寺があります。
 加増は辞退いたしますので真壁を領有させて頂きたい」

と答えた。秀忠もこれには感じ入ったようで
長重の願いを聞き入れて真壁を飛び地として含んだ笠間5万3千石を与えるという
何とも粋な計らいを見せた。
長重は晴れて笠間藩主となったが江戸から帰国すると笠間へは戻らずに
日々のほとんどを真壁で過ごしたという。

浅野長重は本当に父親思いだったのですね

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
関連記事
スポンサーサイト



2013/03/07 Thu. 12:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

コメント

コメントの投稿
Secret