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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

城嶺夕照 臼井八景第六景 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日


臼井八景は印旛沼周辺の風景のうち、臼井城跡付近から眺めた八つの勝景を、
中国の瀟湘八景にならって選び出したものである。
これは臼井城主の子孫にあたる臼井秀胤(号は信斎)と、
円応寺二十四世住職の玄海(号は宋的)とによって
元禄十一年(1698)につくられたと言われています。


 第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園


その臼井八景を制覇しようと、印旛沼まで出かけてきました。


臼井八景制覇シリーズ(?)第6弾


      20130126 城嶺夕照01



いく夕べ 入日を峯に送るらん むかしの遠くなれる古跡   



     永久二年(1114)に千葉常兼の三男常康が初めて臼井の地を治めて以来、
     十六代臼井久胤までの約四百五十年間、臼井氏は永くこの地の領主であった。
     その後臼井城は原氏や徳川家康の武将酒井家次の居城となったが、
     文禄三年(1593)の火事によって、この台地にあった城郭は焼失してしまった。
     臼井八景は、それからおよそ百年後の元禄期に作られたものである。
     臼井久胤の玄孫にあたる臼井八景の作者は、夕映えの美しい城跡の嶺に立って、
     自分の祖先が臼井城の城主であった頃の遠い昔を偲びながら、
     感慨深く前掲の歌を作り上げたものである。
     城跡の近くには、往時の土塁や空掘の一部が今でも昔のままに残っている。
     本丸跡の発掘調査により、十五世紀の中国・明時代の陶磁器の破片や、
     城が火事になった時の焼け米などが発見されている。
     北側の山裾には、第六代城主臼井興胤が
     1339年に創建した瑞満湖山円応寺がある。
     また空掘の近くには,文明十一年(1479)に臼井城を攻めて討死にした
     大田道灌の弟・図書の墓がある。


                (現地 説明看板より)






ご存知、ここは臼井城址
かつて臼井城があったところ。


二の丸跡の広場では、少年たちがサッカーに興じています。



      20130126 城嶺夕照02



本丸跡からの印旛沼の風景


      20130126 城嶺夕照03


      20130126 城嶺夕照04


      20130126 城嶺夕照05


      20130126 城嶺夕照06




本丸跡広場にて、芝生で転がる びいすけ


      20130126 城嶺夕照07


      20130126 城嶺夕照08


      20130126 城嶺夕照09


      20130126 城嶺夕照10



これでこの地に来るのは4回目になるのだろうか?

いつ来ても、この臼井城址は雰囲気があって良いところ。
印旛沼の眺望も良いし、臼井八景の一つに選ばれたのもわかるような気がする。

この地が、開発という名のもとに宅地化されなくて
本当に良かったと思う...............。


 

 



 
 
 
 
   
 

 
 
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2013/02/04 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

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