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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて  《府中城》   (2021年2月25日)(茨城県石岡市) 

あらかじめ3月初旬に作成した記事を予約投稿をしていますので、
タイムリーな話題ではありませんが、御承知おき下さい。


2月25日

この日は、笠間市に出かけました。
その帰りに石岡市にも立ち寄りました。

東大橋香取神社をあとにして、向かった先は...............府中城。

実は、数ヶ月前に購入した常陸国の御城印セットの中に
府中城の御城印が含まれていました。
せっかく御城印を手に入れたんだから、訪城しなくっちや!
石岡市に来たら、絶対に府中城にも立ち寄ろう。
そんな事を秘かに計画していました。

府中と言うと、東京の府中市や広島市の府中市が浮かんできますが
各令制国の国府、国衙の所在地や守護所の所在地を意味しています。
常陸国の国府の所在地である石岡市は、府中とも呼ばれていました。

その石岡市に府中城跡が在ります。

府中城は大掾氏の居城として知られています。
貞和2年・正平元年(1346年)第15代当主・大掾詮国によって築かれたとされ、
天正18年(1590年)、24代・大掾清幹のときに佐竹義宣に攻められ落城しました。
落城後は佐竹義宣の叔父、佐竹義尚が城主となりましたが、
佐竹氏の秋田転封後は六郷政乗、皆川広照が入封しています。
しかし皆川氏は三代成郷の代で断絶となったため、
元禄13年(1700年)、初代水戸藩主・徳川頼房の5男である松平頼隆が入り、府中陣屋を築きました。
その後は、明治維新に至るまで約170年間、府中松平藩によって支配されました。
現在城址は石岡小学校および公民館となり、土塁と空堀の一部が残っています。
また、陣屋門が資料館の横に移築されて現存しています。

こちらの府中城、実は以前に訪れています。
( その時の訪城記は こちら )



石岡小学校の正門前。

     20210225府中城01



以前は、こちらに陣屋門が在ったのですが
移築されてしまったようです。

     20210225府中城19

なかなか、平日の(しかも授業の行われている)小学校に
入ることは出来ません。
ましてや、犬連れだと余計に難しくなります。

しかし、こちらの場合、小学校の敷地内に石岡市民族資料館があり
そちらに行く事ができるので、敷地内の立入は余りうるさくないようです。


府中城の土塁の説明板。

     20210225府中城02


土塁。

     20210225府中城03


     20210225府中城04


     20210225府中城05


     20210225府中城06


一千年の昔、この地には常陸国の国府が在りました。

     20210225府中城07


土塁の上には、その記念碑も建つ。

     20210225府中城08


こちらは、の碑。

     20210225府中城09



それにしても立派な土塁。

     20210225府中城10


     20210225府中城11



小学校のすぐ近く、旧・真地町の標柱。

     20210225府中城12

この近くに陣屋門は移築されました。


陣屋門の説明板。

     20210225府中城13


そして、陣屋門。

     20210225府中城14


     20210225府中城15


鬼瓦には、徳川家の家紋、『三つ葉葵』

     20210225府中城16



水戸徳川家の流れを汲む松平家の家紋でもあるようです。

     20210225府中城17


     
こちらが、府中城の御城印。

     20210225府中城20

白地に朱色の家紋
やっぱり、御城印はこうでなくっちゃ

でも府中城は佐竹氏だけの城じゃなかったはず。
大掾氏や松平家の城でもあったはず。

大掾氏や松平家の家紋もあればよかったのに.................


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2021/04/14 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit