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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて  《興津城》   (2021年2月6日)(千葉県勝浦市) 

あらかじめ作成した記事を予約投稿をしていますので、
タイムリーな話題ではありませんが、御承知おき下さい。

2月6日

この日は、勝浦市に出かけました。

昨年の春以降、雨後の筍のように
千葉県の城郭の御城印が彼方此方で発行されています。
 
昨年の年初には、市原市の佐是城 だけでしたが
今や数多くの御城印が発行されています。

勝浦市でも1月30日に2つの城郭の御城印が発行されました。
この日勝浦市に来た目的の一つは、御城印です。

その御城印を手に入れるべく、訪れたのは.........御門(岩瀬武次郎商店)。


興津城の御城印を手に入れました。

     20210206興津城01


興津城の御城印を手に入れたのなら、
興津城を攻城しなくっちゃ!!

と言う事で、興津城を目指します。

興津城も過去に訪れた事があります。
( その時の攻城記は、こちら )

興津城の築城時期等は不明ですが、この地に勢力を持っていた佐久間氏が
戦国中期に築城したとされています。
その後、真里谷武田氏の属城となりましたが、
天文11年(1542年)頃、正木時忠が勝浦城を攻略すると
勝浦正木氏の属城となり、天文13年(1544年)には
家臣の岡本大学を興津城に入れて守らせたとされています。
天正8年(1580年)、大多喜城主・正木憲時が里見義頼に叛旗を翻し、
興津城を根拠に勝浦城や葛ヶ崎城などを攻略し、勝浦から上総東岸を占拠しましたが、
里見義頼軍の反撃により追い詰められ、大多喜城に籠城してしまいます。
さらには、大多喜城内にて家臣の寝返りで殺害されてしまいます。
そして、興津城も廃城となったようです。


興津城の縄張り図。

     20210206興津城縄張り図

      (余湖さんのHPよりお借りしました。)


記憶を辿って、上野小学校脇の細い道を車で進みます。

蘇生山瑞法殿と言う寺院の手前を右折して
車幅ギリギリの道を進みます。
主郭に車を置いて、蘇生山瑞法殿の前まで戻ります。


ちょうど右折する所に案内板がある。

     20210206興津城02



軽自動車でないと狭くてちょっとツライ。

     20210206興津城03


案内板のある所が、櫓台のような土壇になっている。

     20210206興津城04


     20210206興津城05


     20210206興津城06


三郭手前の堀切。

     20210206興津城07


こちらが、三郭。

     20210206興津城08



見たことのある縄張り図だと思ったら
何と余湖さんの作られた縄張り図でした。

     20210206興津城09


三郭にて、攻城の証。一枚パチリ☆。

     20210206興津城10


三郭。

     20210206興津城11

  

こちらは、ニ郭。

     20210206興津城12


     20210206興津城13


     20210206興津城14


     20210206興津城15


二郭の空堀。

     20210206興津城16


別アングルからの空堀。

     20210206興津城17



こちらが主郭。

     20210206興津城18


     20210206興津城19


     20210206興津城20


     20210206興津城21


主郭では、梅の花がポツリポツリと咲き始めている。

     20210206興津城22


     20210206興津城23


主郭の城址碑。

     20210206興津城24


やはり、城址碑の前で撮らなくっちゃね。。

     20210206興津城25

興津城、攻城なり!!



こちらが、興津城の御城印。

     20210206興津城26

カラフルなのは良いけれど、御城『印』と言うだけに
家紋が印の証しでもあるから、せめて家紋は朱色にして欲しいなぁ。




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2021/03/20 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit