御城印を求めて...............古河公方館 (2020年11月29日)(茨城県古河市)
11月29日
この日は、茨城県の古河市に出かけました。
雀神社をあとにして、向かった先は...............古河公方館跡。
古河公方館?
古河公方って何?
素朴な疑問が浮かぶかも知れません。
古河公方とは、室町時代後期から戦国時代にかけて、
下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏の事です。
享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、
初代古河公方となりました。(享徳の乱) その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと
約130年間引き継がれます。御所は主に古河城でした。
その経緯は、
室町幕府は、貞和5年(1349年)関東分国統治のために鎌倉府を設置しました。
鎌倉府は鎌倉公方とその補佐役である関東管領、諸国の守護、奉行衆、奉公衆らで構成され
鎌倉公方は室町幕府初代将軍足利尊氏の次男・足利基氏を初代とし、氏満・満兼と継承されました。
しかし、次第に幕府から独立した行動を取り始め、
永享11年(1439年)、第4代鎌倉公方足利持氏と6代将軍足利義教・関東管領上杉憲実とが対立し、
持氏が討たれて鎌倉府は滅亡してしまいます。(永享の乱)
足利義教の死後、幕府は持氏の旧臣らによる鎌倉府再興の要望を受け入れ、
文安4年(1447年)に持氏の遺児で春王丸と安王丸の兄弟の足利成氏が第5代鎌倉公方に就任します。
享徳3年(1454年)、成氏による関東管領上杉憲忠の謀殺をきっかけとして享徳の乱が勃発。
享徳4年(1455年)、分倍河原の戦い・小栗城(筑西市)の戦い等、緒戦は成氏勢が有利でしたが、
室町幕府は成氏討伐を決め、上杉氏援軍の今川範忠勢は、成氏が遠征中で不在となっていた本拠地・鎌倉を制圧しました。
成氏は下総の古河を新たな本拠としたため、これを古河公方と呼ぶようになりました。
と、このような歴史の流れの中で古河公方として古河足利氏が誕生します。
古河公方館の御城印も、市内の『お休み処坂長』にて
手に入れる事が出来ます。
御城印も手に入れました。
では、古河公方館跡に参りましょう。
車で5分ほどの移動。
古河公方館は、古河公方公園(ズバリそのまんま、そのもの)内にあります。
鴻巣御所・鴻巣館、古河御所と呼ばれる事もあるようです。
古河公方館の縄張り図。
( 余湖さんのHPよりお借りしました )
いきなりの城址碑。
古河公方館、攻略です。
土橋。
土塁と堀切。
別アングルからの堀切。
元々、小規模な居館の跡で手狭なため、
やがては古河城の地に移ることとなる。
古河城に移るまでの間、それまでの間、ここを本拠地としていだと言う事です。
土塁。
この先が虎口。
古河公方館跡碑近く、、御所の梅林。
この池は、公園整備の際に造られたモノだろうか?
公園の紅葉が紅く色付いている。
こちらが、御城印。
足利義氏の娘で、最後の古河公方となったとされる古河姫(氏姫)のイラストが添えられています。
この日は、茨城県の古河市に出かけました。
雀神社をあとにして、向かった先は...............古河公方館跡。
古河公方館?
古河公方って何?
素朴な疑問が浮かぶかも知れません。
古河公方とは、室町時代後期から戦国時代にかけて、
下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏の事です。
享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、
初代古河公方となりました。(享徳の乱) その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと
約130年間引き継がれます。御所は主に古河城でした。
その経緯は、
室町幕府は、貞和5年(1349年)関東分国統治のために鎌倉府を設置しました。
鎌倉府は鎌倉公方とその補佐役である関東管領、諸国の守護、奉行衆、奉公衆らで構成され
鎌倉公方は室町幕府初代将軍足利尊氏の次男・足利基氏を初代とし、氏満・満兼と継承されました。
しかし、次第に幕府から独立した行動を取り始め、
永享11年(1439年)、第4代鎌倉公方足利持氏と6代将軍足利義教・関東管領上杉憲実とが対立し、
持氏が討たれて鎌倉府は滅亡してしまいます。(永享の乱)
足利義教の死後、幕府は持氏の旧臣らによる鎌倉府再興の要望を受け入れ、
文安4年(1447年)に持氏の遺児で春王丸と安王丸の兄弟の足利成氏が第5代鎌倉公方に就任します。
享徳3年(1454年)、成氏による関東管領上杉憲忠の謀殺をきっかけとして享徳の乱が勃発。
享徳4年(1455年)、分倍河原の戦い・小栗城(筑西市)の戦い等、緒戦は成氏勢が有利でしたが、
室町幕府は成氏討伐を決め、上杉氏援軍の今川範忠勢は、成氏が遠征中で不在となっていた本拠地・鎌倉を制圧しました。
成氏は下総の古河を新たな本拠としたため、これを古河公方と呼ぶようになりました。
と、このような歴史の流れの中で古河公方として古河足利氏が誕生します。
古河公方館の御城印も、市内の『お休み処坂長』にて
手に入れる事が出来ます。
御城印も手に入れました。
では、古河公方館跡に参りましょう。
車で5分ほどの移動。
古河公方館は、古河公方公園(ズバリそのまんま、そのもの)内にあります。
鴻巣御所・鴻巣館、古河御所と呼ばれる事もあるようです。
古河公方館の縄張り図。
( 余湖さんのHPよりお借りしました )
いきなりの城址碑。
古河公方館、攻略です。
土橋。
土塁と堀切。
別アングルからの堀切。
元々、小規模な居館の跡で手狭なため、
やがては古河城の地に移ることとなる。
古河城に移るまでの間、それまでの間、ここを本拠地としていだと言う事です。
土塁。
この先が虎口。
古河公方館跡碑近く、、御所の梅林。
この池は、公園整備の際に造られたモノだろうか?
公園の紅葉が紅く色付いている。
こちらが、御城印。
足利義氏の娘で、最後の古河公方となったとされる古河姫(氏姫)のイラストが添えられています。
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