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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

夕顔観音塚と阿玉台貝塚(2020年6月17日)(千葉県香取市) 

6月17日

この日は、香取市の廃校巡りに出かけました。

2年前の平成30年春に廃校となった香取市立小見川南小学校。
その小見川南小学校の敷地脇でこんな看板を見かけました。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚01


     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚02



1枚は、梅林散策路。
そして、もう1枚は阿玉台貝塚の説明板。

要するに、小見川南小学校の隣接地は
阿玉台貝塚だと言う事です。

明治27年にの東京帝国大学(現在の東京大学)による発掘調査があり
以降、数回の調査が行われ、多くの土器・石器・貝輪などが出土されたそうです。
縄文時代中期前半(4500から5000年前)を代表するもので、
この貝塚の名前から「阿玉台式土器」と命名されたそうです。
阿玉台貝塚は昭和43年(1968年)に国の史跡に指定されたそうです。

この阿玉台貝塚の周辺に梅の木約30種類600本が植えられ
梅林散策路として整備されたようです。

また、梅林散策路の奥には、「千葉氏」の祖である「平良文」の墓と伝えられている
「夕顔観世音塚」があると言う。

梅の花の時期ではありませんが
せっかくだから散策してみましょう。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚03



時期も外れているし、そもそも整備されてからかなりの年月が経っているから
ウッドチップの散策路も雑草に覆われている。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚04



地元の墓地に隣接するかのように、国史跡の阿玉台貝塚の碑が建つ。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚05



平良文の墓はまだまだ奥。
梅林の先へと進みます。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚06



あまり、訪れる人が居ないからなのか?
木道の整備がされいなくて、所々に危険な場所が.........

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚07

あくまでも、自己責任で先へと進みます。


朽ちた木道の階段を降りながら、奥へと進みます。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚08



何やら碑が見えます。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚09


 
夕顔観音菩薩と刻まれています。
こちらが、夕顔観音塚です。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚10

夕顔観音塚は中世~近世の塚であり、
平安時代中期の武将・平良文の墓所との伝承があります。

平良文は、臣籍降下した高望王(平高望)の五男で、
関東に下って武蔵国村岡(現・埼玉県熊谷市)
または相模国村岡(現・神奈川県藤沢市)に住んで村岡五郎と称しました。
鎮守府将軍として陸奥国・胆沢城(現・岩手県奥州市)に赴くなどしたが、
晩年には下総国阿玉郡(現・千葉県香取市)に移り、同地で亡くなったと言われています。

平良文は、上総氏・秩父氏・千葉氏など坂東八平氏と呼ばれる多くの支族の祖となり、
関東地方に広く勢力を張ったとされています。



目的の夕顔観音菩薩も拝む事が出来た。


帰りは朽ちた木道の階段を上がって行く。

     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚11


     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚12


     20200617夕顔観音と阿玉台貝塚13


平良文の墓との伝承が残る夕顔観音菩薩。
その導線の整備が行き届いていないから、危険な木道。
あくまでも自己責任で行って下さいね。


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2020/07/19 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit