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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて   《土浦城》  (2020年3月18日)(茨城県土浦市) 

3月18日  

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

ここ1〜2ヶ月で茨城県下に於いて、数種類の御城印が発行されています。
元々は牛久市の牛久市城跡めぐり運営委員会(LOCAL ACTIVATE)が始めたイベントで
牛久市内の4つの城郭の御城印を発行したのが始まりです。
その後、阿見町の城郭で3種、そして土浦市でも御城印が発行されることになりました。

今回、土浦市・阿見町の御城印巡りに奔走いたしました。

その第1弾。
土浦市の土浦城です。


土浦城には、以前訪れた事があります。
( その時の記事は こちら )


土浦城は、室町時代の永享年間(1429年〜1441年)に
常陸守護、八田知家の後裔である豪族の小田氏に属する若泉三郎が築いたとされています。
永正13年(1516年)に小田氏の部将・菅谷勝貞が若泉五郎右衛門を滅ぼし、
その家臣が城に入りました。
その後、菅谷氏が勝貞、政貞、範政の三代にわたって土浦城を守り、
戦国時代に佐竹氏が勢力を広げると、佐竹によって本拠の小田城を追われた小田守治が入城しました。
戦国時代が終わると、土浦は結城城の結城秀康のものになり、
小田氏はその家臣になり、代わって多賀谷村広が城代を務めます。
慶長6年(1601年)に結城秀康が越前国に転封になると、
藤井松平氏の松平信一が土浦城に入ります。
信一と子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったとされています。
以後、土浦城には西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平氏と城主が代わり
明治6年に、太政官符令で土浦城は廃止されました。

幅の広い二重の堀で守る平城であり、土浦が度々水害に遭っているが、
その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから
亀城とも呼ばれました。

土浦城址は、現在『亀城公園』として、桜の名所でもあり、
土浦市民の憩いの場となっています。


城址(亀城公園)に隣接する土浦市立博物館。

     20200318土浦城01

現在、こちらでは『土浦城展』が開催されています(〜5月6日)
この土浦城展に合わせて、土浦城の御城印が頒布される事になったようです。


御城印は、博物館の受付で頒布されています。

     20200318土浦城02

御城印も手に入れました。


では、土浦城を攻略いたしましょう。

     20200318土浦城21



太鼓櫓門

     20200318土浦城03

何と言っても、この門が土浦城の象徴と言っても過言では無い。



太鼓櫓門の前には、土浦城址の碑。

     20200318土浦城04



太鼓櫓門の先は、本丸跡。

     20200318土浦城05


     20200318土浦城06


     20200318土浦城08


     20200318土浦城20



本丸跡に建つ西櫓(復元)。

     20200318土浦城09


     20200318土浦城07




こちらは、東櫓(復元)     

     20200318土浦城12


     20200318土浦城13



本丸土塁。

     20200318土浦城14


     20200318土浦城11


     20200318土浦城15


     20200318土浦城16



本丸土塁からの水堀。

     20200318土浦城17


こちらは二の丸の水堀。

     20200318土浦城18


     20200318土浦城19



こちらが、御城印。

     20200318土浦城22


『土浦城展』が開催されなかったら、
発行(頒布)されなかったかもしれない土浦城の御城印。
とりあえず、手に入れる事が出来ました。



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2020/04/23 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit