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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて   《大多喜城址》  (2020年3月7日)(千葉県夷隅郡大多喜町) 

3月7日  

この日は、大多喜町に出かけました。

熊野神社をあとにして、向かった先は...............大多喜城址。

実は、3月1日から大多喜城の御城印が頒布される事になりました。
佐是城址、猪鼻城址に次いで千葉県内で3番目の御城印になります。
元々、城址巡りが好きでしたし、最近は御朱印巡りにどっぷりハマり、
その二つを足したようなモノが御城印。
御朱印ブームにあやかってか?
最近は御城印を頒布する自治体の観光協会も増えてきました。
これはもう集めるしかないですね。



と言う事で、先ずは大多喜城の御城印の頒布先である『観光本陣』へと向かいます。

御城印もゲットです。

     20200307大多喜城址24

御朱印と違って、実際に登城しなくても御城印は手に入ります。
ましてや、以前に大多喜城址に訪れたことはありますが
( その時の記事は こちら )
御城印だけ手に入れ、城は攻略しない。
それでは城好きの名がすたります。

それでは、大多喜城を攻略いたしましょう。



駐車場に車を停めて...............


登城路に建つ城址碑。

     20200307大多喜城址01


     20200307大多喜城址02



NHKの大河ドラマの勧誘の幟。

     20200307大多喜城址03

数年前から続くこの活動。実ると良いですね。



説明板の一部。

     20200307大多喜城址04

縄張り図が載っています。


大多喜城は、別名を大滝城とも書きますが、
最初は小田喜城(おだきじょう)と名づけられたようです。
戦国時代の1521年に真里谷信清が小田喜城を築城したのが始まりとされています。
真里谷朝信が小田喜城主だった1544年に、里見義堯の家臣・正木時茂((正木時綱子)が、
真里谷朝信を討って、小田喜城を居城としました。
その後、正木信茂、正木憲時と続きますが、
1574年、里見義堯の死後は里見義弘に従っています。
しかし、北条氏政の支援を受けた里見義頼が反乱を起こし、
里見義弘に従っていた正木憲時・太田康資などは家臣らに殺害されてしまいます。

その後、小田喜城(大喜多城)には、里見義頼の家臣が城代として入りますが
里見義頼の長男・里見義康は、1590年の小田原攻めの際に、
独自に行動したことから惣無事令違反に問われ、
秀吉の命にて、上総国を没収され安房4万石に減封されてしまいます。
その上総国を拝したのが駿河から関東に移封された徳川家康です。
家康は江戸城に入城すると、徳川四天王の一人である本多忠勝を
10万石で大多喜城主に命じました。
その背景には、安房の里見氏への牽制も含めたものです。
そして、この時に大多喜城の大改修を行ったとされています。
3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、
麓に城下町の建設を行い、以後、この城は大多喜藩の拠点として
幕末まで重要な役割を果たしてきました。



ニの丸付近の空堀。

     20200307大多喜城址05



二の丸。

     20200307大多喜城址09

現在は、二の丸公園となっています。


そして、二の丸公園の奥には梵鐘があります。

     20200307大多喜城址06




こちらが、その梵鐘。

     20200307大多喜城址07

この梵鐘は、煩悩を断って悟った無上の境地を弔うために、
大多喜城下の人々が托鉢し、金銭の施しを受け、
藤原勝行によって造られたモノらしい。



二の丸の竪堀。

     20200307大多喜城址08


大多喜城の復興天守閣は、近世大多喜城の本丸跡に城郭様式で建設した
県立中央博物館大多喜城分館。
いわゆる、歴史的博物館です。

コロナ騒ぎで、この時期は臨時に休館となっていましたが
『房総の城と城下町展』が開催されていたようです。

     20200307大多喜城址22


     20200307大多喜城址10



こちらが、本丸跡に建つ復興(模擬)天守閣。

     20200307大多喜城址11


     20200307大多喜城址12


     20200307大多喜城址13


     20200307大多喜城址14



本丸奥に残る土塁。

     20200307大多喜城址15



二の丸の井戸。

     20200307大多喜城址16


二の丸跡に建つ千葉県立大多喜高校の校庭には
大多喜城の井戸が残っています。

     20200307大多喜城址17



二の丸の大多喜高校から見上げる復興天守閣。

     20200307大多喜城址18



大多喜高校の敷地内には、大多喜城の薬医門も残る。

     20200307大多喜城址19


     20200307大多喜城址20



大多喜高校内に残る土塁。

     20200307大多喜城址21



こちらが、大多喜城の御城印。  

   20200307大多喜城址23



猪鼻城、大多喜城と続いて発行された御城印。
いずれも復興天守閣(歴史博物館)の建つ近世の城址。
この流れから行くと、次に御城印が発行(頒布)されるのは
館山城か久留里城になるんだろうか?




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2020/04/19 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit