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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

大宝城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。


この日、参拝に訪れた大宝八幡宮。
実は、大宝八幡宮を含む台地一帯が、
南北朝時代の大宝城跡になります。

大宝城は、貞永元年(1232年)に小山氏の一族である下妻長政が築城しました。
以後、代々下妻氏の持ち城でした。
南北朝時代、下妻政泰は南朝方に与し、
小田城・関城・下妻城と共に南朝方の拠点の城となりました。
このため、足利尊氏の重臣である高師冬にしばしば攻められていました。
そして康永2年(1343年)、小笠原貞宗の大軍によって攻められ、
大宝城は落城し、下妻氏も滅亡してしまいました。

城域は広く、大宝小学校の敷地~大宝八幡宮の境内にかけての台地一帯が
その城域にあたります。
宅地化がすすみ、また小学校の建設などにより、
城の遺構はかなり隠滅し、大宝保育園や大宝八幡宮の裏手に残る土塁を
微かに確認できるほど、遺構は少なくなってしまいました。




こちらが、大宝城の概略図。

     大宝城址縄張り図

    ( 余湖さんのHPよりお借りしました )





大宝八幡宮の社号標の奥に建つ標柱。

     20200210大宝城址01

  

『大宝城跡』の標柱です。

     20200210大宝城址02



社号標の奥、一の鳥居脇の土塁。
鳥居に向かって右側の土塁になります。

     20200210大宝城址03


見事な土塁。

     20200210大宝城址04



郭内から見る土塁。

     20200210大宝城址06



その土塁は長く伸びている。

     20200210大宝城址07



反対側の土塁。

     20200210大宝城址05



大宝小学校の手前。
縄張り図(概略図)でHの位置あたり。

     20200210大宝城址08


     20200210大宝城址09



大宝城跡の説明板も建つ。

     20200210大宝城址10


台地下部にも建つ標柱。

     20200210大宝城址11

こちらの標柱はかなり古いもの。



大宝駅前から、大宝八幡宮へ向かう道沿いの民家の庭先に建つ城址碑。

     20200210大宝城址12



こちらは、大宝八幡宮本殿裏手に建つ小さな看板。

     20200210大宝城址14


大宝八幡宮の本殿裏手に建つ、『下妻政康公』の碑。

     20200210大宝城址15

昭和18年(1943年)に建立されたモノ。


その近くには、『贈正四位下妻政康忠死之地』の碑

     20200210大宝城址16

こちらは、昭和6年(1931年)に建立されました。


康永2年(1343)11月22日に大宝城は落城し、
城主・下妻政康は討死したと言われています。



こちらは、大宝八幡宮の本殿裏手の最奥。
あじさい園のある辺り。

     20200210大宝城址17


この辺りが、大宝城址で遺構が多い場所になる。

     20200210大宝城址18



大宝保育園の裏手の土塁。

     20200210大宝城址19


     20200210大宝城址20


     20200210大宝城址21


     20200210大宝城址22


     20200210大宝城址23


     20200210大宝城址24
  

     20200210大宝城址25


少し気になったのは、
昨年の台風の影響だったのか?
重機が入って整備をした直後なのか?
ひょっとしたら、整備と言う名の元に
城址の一部が改変されてしまっているのでは...............?

あじさい園辺りをかなりいじっていたんじゃないか?
そんな風に感じてしまったのは、気のせいだろうか............?



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2020/03/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit