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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

駒城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

大木分教場をあとにして、向かった先は...............駒城址。


駒城は、南北朝時代に中御門少将・藤原実寛により築城されたとされています。
東西120メートル、南北180メートルの方形で、
周囲は沼に囲まれていたとされています。
藤原実寛は小田氏や結城氏らとともに南朝方に属しました。
つくば市の小田城、関城町の関城、下妻市の大宝城とともに、
南朝側の常陸国における重要な戦略的拠点でしたが、
1340年、北朝側の高師冬の猛攻にあって落城しました。

現在、城跡の大部分が宅地や耕地となっています



こちらが、駒城址の概略図。

     駒城址縄張り図

    ( 余湖さんのHPよりお借りしました )



城址の脇をアスファルトの道路が走る。

     20200210駒城址01



鎖に囲まれた一環に一際目立つ説明板。

     20200210駒城址02



駒城址の説明板です。

     20200210駒城址03


近くには、標柱も建つ。

     20200210駒城址04

文言は、『茨城県指定文化財 史跡 駒城跡』



鎖を越えて中に入れば、城址碑。

     20200210駒城址05


     20200210駒城址06



東西120メートル、南北180メートルの方形てあるが
現存する部分はそれよりも狭い。

     20200210駒城址07



遺構も少ない。

     20200210駒城址10


     20200210駒城址11





こちらが土塁のようにも見える土壇。

     20200210駒城址8


     20200210駒城址12



北側の空堀。

     20200210駒城址09



城跡と言うよりは、単なる森と言ったほうが適切か?

     20200210駒城址13

説明板や標柱、城址碑が無ければ、とても城址には見えない。
残念と言うか、今一歩、満足感が無い。
まあ、こればっかりは仕方が無いんだけど.............



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2020/03/23 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit