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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

水戸城址 (2020年1月25日)(茨城県水戸市) 

1月25日

この日は、水戸市に出かけました。

吉田神社をあとにして、向かった先は...............水戸城址。


水戸城は、建久年間(1190年 〜1198年)に馬場資幹によって築かれたとされ、
以後、大掾氏の(馬場氏)の居城となりました。
このため、佐竹氏が入城するまで「馬場城」と呼ばれていたそうです。

江戸氏、佐竹氏、徳川氏と城主が変わる毎に拡張が繰り返され
陸路・水運の要衝に立地し、また天然の要害であったことから、
いずれも地域支配の中核的城館として利用され、
近世には水戸藩の居城となるなど、相応の歴史的意義を有しています。

主郭部分は、上市台地の地形を利用し3箇所に堀切を設け、
四つの曲輪を構築しました。
東から下の丸、本丸(現:水戸第一高等学校)、
二の丸(現:第二中学校、水戸第三高等学校、茨城大学附属小学校)、
三の丸(現:弘道館、三の丸小学校、県庁三の丸庁舎他)と呼称され、
それぞれの曲輪には土塁が設けられています。
とりわけ本丸・二の丸・三の丸土塁と堀切は壮大で、
土造りの平山城としては、国内最大級の規模を有しています。





こちらが、水戸城の縄張り図。

     20200125水戸城址51

     ( 余湖さんのHPよりお借りしました )


三の丸は、県庁の庁舎や小学校が建っているけれど
散策路もあり、ちょっとした公園。

      20200125水戸城址09


こちらは、三の丸小学校。

      20200125水戸城址12


      20200125水戸城址13



こちらが、弘道館。
水戸藩の藩校でした。

      20200125水戸城址03



残念ながら、ゲートの先は びいすけ は入れません。

      20200125水戸城址04



暫し、びいすけ には、待機してもらってゲートの先へ。


弘道館正門。

      20200125水戸城址08



正門脇の碑。

      20200125水戸城址05



説明板。

      20200125水戸城址06


さらに別な碑も建っていました。

      20200125水戸城址07


実は、弘道館は有料の見学施設。
確かに、歴史的な価値のある建造物だとは思うけれど
ゲート脇に びいすけ を繋ぎ留めているから
今回はパス。

塀沿いに弘道館の周りを散策します。

      20200125水戸城址02



こちらは、弘道館の孔子廟。

      20200125水戸城址10



どうやら、弘道館では儒教も教えていたようですね。

      20200125水戸城址11



弘道館前に建つ碑。

      20200125水戸城址01

碑には『徳川慶喜向学の地』とある。

徳川幕府最期の将軍・徳川慶喜は、水戸徳川家の出身で、
子供の頃にここ弘道館に通っていたと言うことです。

徳川慶喜が水戸藩の出身とは知らなかったなぁ。




大手門へと続く道沿いに徳川斉昭の像。

      20200125水戸城址14

水戸藩の第9代藩主であり、
江戸幕府第15代の将軍・徳川慶喜の実父です。

藩校である弘道館を開校したり、下士層から広く人材を登用することに努め
藩政を改革した名君とされています。



三の丸から二の丸に架かる大手橋。

      20200125水戸城址15

この橋の下は、かつては堀がありました。
現在は、道路となっています。



その先に見えるのは、復元工事中の大手門。

      20200125水戸城址16


当初の予定では昨年の秋に完成予定だったみたいだけど
かなり遅れてるみたいですね。

※ 訪問した時はまだ工事中だったようですが
工事も完了し、2月4日から通行できるようになったそうです。



二の丸大手の土塁。

      20200125水戸城址17


      20200125水戸城址18



土塁の脇を歩き、二の丸へと進みます。


振り返れば、工事のバリケードの先には大手門。

      20200125水戸城址21



この日通行が出来なかった大手門から来れば、右側は師範学校跡。

      20200125水戸城址19


      20200125水戸城址20



現在は、茨城大学附属小学校が建つ。

      20200125水戸城址22



左側には、水戸市立第二中学校。
ここは、かつての水戸彰考館跡。

      20200125水戸城址23



水戸藩が『大日本史』を編纂するために置いた修史局(史局)です。

      20200125水戸城址24


それに因んでいるんでしょうか?
第二中学校の敷地の一部は、『水戸城 二の丸展示館』になっています。

      20200125水戸城址25

残念ながら、この日は閉館日。


展示館前には安積澹泊の像。

      20200125水戸城址26

55年の長期にわたって彰考館で修史事業に精力を傾けた人物です。



第二中学校のフェンス。

      20200125水戸城址27

さすが、城郭跡に建つ学校。
フェンスの代わりに城郭を模した塀とは、やりますなぁ。


塀の隙間から覗いた第二中学校の校庭。

      20200125水戸城址28



こちらは、水戸城三階櫓跡。

      20200125水戸城址34


      20200125水戸城址37


徳川頼房は三の丸や外堀の整備拡張を行い、
二の丸に御殿を造営し、併せて三階物見と呼ばれる櫓を建設しました。
しかしこの三階物見は明和元年(1764年)の火災で焼失、
後に再建された際に屋根を銅瓦葺とし、
天守らしく鯱を上げ三階櫓(御三階櫓)と呼びました。
しかし、昭和20年の空襲で焼失してしまい、
以後再建されていません。

      20200125水戸城址36

水戸市の計画では、大手門同様、寄付を募り再建する予定です。



こちらは、二の丸御殿跡。

      20200125水戸城址30


      20200125水戸城址31

二の丸と言っても、実際はこちらが本丸のようなもの。
水戸藩の時代には、二の丸に御殿があり、本丸は倉庫だったようです。


今は、県立水戸第二高校が建ってます。

      20200125水戸城址33



二の丸に残る大シイ。

      20200125水戸城址39
      20200125水戸城址40


      20200125水戸城址38



水戸城の案内図。

      20200125水戸城址41

いわゆる縄張り図ですね。



この坂が杉山坂。

      20200125水戸城址42


      20200125水戸城址43


復元された杉山門。

      20200125水戸城址44




いよいよ、水戸城址の本丸跡へと向かいます。


この橋の先が本丸跡。

      20200125水戸城址45



橋の下はかつての堀跡。
今は、JR水郡線の線路が敷設されています。

      20200125水戸城址46



本丸虎口の土塁。

      20200125水戸城址47


本丸跡地は、水戸第一高校の敷地となっています。
本来は学校関係者以外は立ち入り禁止になっていますが
こんな看板が建てられています。

      20200125水戸城址49

一部の場所だけですが、見学者に限り立ち入ることが出来ます。
何とも太っ腹。
まあ、これが本来の文化財に対する対応だと思います。
私有地しゃなくて、一応公共施設でもあるから
こう言った配慮は嬉しいモノです。



敷地内入口近くには、碑と説明板が建っています。

      20200125水戸城址52



こちらが説明板。

      20200125水戸城址5



文字が読みづらいけれど、水戸城址の碑。

      20200125水戸城址54



土塁。

      20200125水戸城址55


      20200125水戸城址59



現存する水戸城の遺構、薬医門。

      20200125水戸城址56



安土桃山時代末期の建造物と推測されています。
本丸から二の丸に通じる橋詰門だったとされ、
この場所に移築されました。

      20200125水戸城址57


      20200125水戸城址58



 
今回訪れた水戸城址。
何と、日本100名城の一つらしい。

100名城と言う事で、スタンプを貰って来ました。

      20200125水戸城址50

弘道館の受付にスタンプは置いてありました。
日本100名城のスタンプも集めちゃおうかな?(笑)




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2020/03/03 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit