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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............海上小学校安須分教場 (2019年12月10日)(千葉県市原市) 

12月10日   

この日は、市原市に出かけました。

ある方のブログを見ていたら、今秋の台風15号の強風で
市原市のとある神社の鎮守の森が凄い事(酷い事)になっていると知り
その状況を目で見て確認しようと思い、市原市に出かけました。

その神社に向かう道すがら、兼ねてからそれらしい場所に見当を付けていた
廃校跡を探しに行きました。

向かった先は...............市原市立海上小学校安須分教場(分校)。

安須分校は、明治初期に創設された安須小学校がその始まりとされています。

明治7年     安須小学校が創設される。
明治25年    安須尋常小学校と改称する。
大正14年    海上尋常小学校安須分教場となる。
昭和22年    学制改革により海上村立海上小学校安須分教場と改称する。
昭和31年    海上村が三和町に編入され、三和町立海上小学校安須分教場と改称する。
昭和38年    三和町が市原町、五井町、姉崎町、市津町と合併して市原市が誕生する。
        市原市立海上小学校安須分教場と改称する。
昭和40年    本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。

市原市の五井駅から上総中野駅まで房総半島中央部を走る小湊鉄道。
その小湊鉄道の上総山田駅からさほど離れていない安須集落。
その集落にある安須公民館にあたりをつけて訪れましたが
どうやらそこは、学校跡ではありません。
周辺をぐるっと廻って分からなかったら諦めて帰ろうと思っていたら
目の前にこんな風景が飛び込んできた。

      20191210安須分教場01

門柱に桜の木。
どう見ても、それっぽく見える。



近寄ってみると、紛れもなく正門跡。

      20191210安須分教場02


      20191210安須分教場03



しっかりと表札まで残っている。

      20191210安須分教場04

文字はカスれているけれど、
しっかりと海上小学校安須分校って読める。


あれ!?
ここでちょっとした疑問。

海上小学校のHPの沿革では、
「昭和40年安須分教場廃校」と記載されている。
分教場では無かったのか?

でもこの際、細かいことは気にしない。
目的の廃校跡が見つかったから、良しとしよう。
でも、海上小学校のHPの沿革を尊重して、
この場では分教場と言う表現にいたします。

廃校後、市原市安須児童公園として活用されて(?)いるようです。

      20191210安須分教場05



とは言え、廃校から既に54年。
校舎もとっくに解体され、学校遺構もほとんど残っていない。

      20191210安須分教場06


      20191210安須分教場07


      20191210安須分教場08



敷地の端には2本のイチョウの木。

      20191210安須分教場09



きっとシンボルツリーだったのでしょう。
イチョウの木の奥の小さな建物はお寺の施設のようです。

      20191210安須分教場10



敷地に残る遊具類。

      20191210安須分教場11


50年以上前のモノだろうか?

      20191210安須分教場12



児童公園になった時に設置されたモノかもしれない。

      20191210安須分教場13


      20191210安須分教場14



成寿院と言う寺院の施設。

      20191210安須分教場15

ぱっと見、公民館っぽくも見える。



成寿院の脇からの分教場跡。

      20191210安須分教場16


そして、裏手の高台からの分教場跡。

      20191210安須分教場17


いずれにしても諦めかけていた中で見つける事が出来た廃校跡。
これはコレで、記憶に残る廃校跡になりました。





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2020/01/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit