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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

烟田城址  (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。
鉾田市ては廃校を巡っていましたが、
訪れた新宮小学校は烟田城址の主郭だったようです。

烟田城は、徳宿氏の庶流である烟田氏の居城です。
大掾氏の庶流で鹿島氏の一族の更に分流に当たります。
烟田氏の祖である烟田幹秀は徳宿秀幹の次男であるとされています。

鎌倉時代に徳宿氏2代秀幹の次男である朝秀は、
烟田村他3ヶ村に分封されて烟田氏の祖となりました。

その後、烟田氏は鹿島郡北部の有力豪族となり、
南北朝の動乱や小山の乱(14世紀末)に活躍しました
室町時代には、鹿島氏を惣領家とする一門として鹿島氏に従って活躍しましたが
1486年に、徳宿氏が水戸城主・江戸通雅に攻められ、
徳宿城は落城して徳宿氏は滅び、援軍として参戦した烟田入道父子も討死しました。

大正18年(1590年)小田原の役の際、城主・烟田通幹は佐竹氏に従って小田原へ参陣。
しかし、翌1591年の「南方三十三館の仕置き」により、
他の鹿行地区の領主共々、佐竹義宣に誘殺されてしまいます。
その直後、烟田城は佐竹勢に攻められ、徹底抗戦するも落城してしまいます。
こうして、鎌倉時代より続く烟田氏は滅亡してしまいました。




こちらが、烟田城の縄張り図。

      20190915烟田城址01

( 余湖さんのHPにてお借りしました。)



小学校正門へと続く道。
かつての登城路だったのだろうか?

      20190915烟田城址02


この辺りから、城址の雰囲気を感じ取れる。

      20190915烟田城址0



横矢がった曲がり角には、社が残る。

      20190915烟田城址26


縄張り図によれば、権天神と言うらしいが
祠も草と同化しちやいそうな状態。

      20190915烟田城址27




こちらは、台地下から氷川神社へ続く道。

      20190915烟田城址04


主郭へと続くから搦手口の登城路かも知れない。

      20190915烟田城址05


少し登れば削平地。

      20190915烟田城址06


氷川神社裏手に出ました。

      20190915烟田城址07



氷川神社裏手の空堀。

      20190915烟田城址08


      20190915烟田城址09


祠のあるこの辺りは崖近く。

      20190915烟田城址10


眺望は良い。
ひょっとしたら、物見台だったかも知れない。

      20190915烟田城址11



氷川神社の裏手から、新宮小学校の体育館にかけて
わずかであるが土塁が残っています。

      20190915烟田城址13



その土塁の近くに立つ説明板。

      20190915烟田城址14



こちらが、その土塁。

      20190915烟田城址15


      20190915烟田城址16



      20190915烟田城址19


      20190915烟田城址20





主郭に鎮座するのは氷川神社。

      20190915烟田城址17


      20190915烟田城址18




こちらは、西光院。

      20190915烟田城址21



新宮小学校に隣接する寺院。
こちらの境内奥にも土塁や空堀が残ると言う事です。

      20190915烟田城址22



墓地奥の土塁。

      20190915烟田城址23



この先に空堀があるのですが、薮状態で進めません。

      20190915烟田城址24




境内の土塁。

      20190915烟田城址25



城址の中心部である主郭が新宮小学校になった際に
かなり改変されてしまったようで、遺構そのものは少なくて
見所はそう多くはない。
でも、鹿行地区の歴史を語る上で、重要な位置付けになる烟田氏。
その烟田氏の居城として見逃せない城郭だと思います。





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2019/10/27 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit