FC2ブログ

11 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 01

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

東條太田城址 (2019年8月26日)(茨城県稲敷市) 

8月26日

この日は、千葉県の利根川の対岸、川向こうの茨城県に出かけました。
茨城県と言っても県南にあたる稲敷市に出かけました。


向かった先は..................東條太田城址。
.

常陸大掾平氏の平国香から6代後の平直幹には長男・義幹、四男・弘幹、五男・忠幹、六男長幹が居ました。
残念ながら次男・三男は居ましたが早世されてしまいました。
直幹は平安後期に長男を除く3子へ順次常陸国内の領地を割譲していき、この一帯は五男・忠幹が譲り受けました。
忠幹は永暦元年(1160)頃、この地に東條城を築いて東條五郎左衞門尉忠幹と名乗り東條氏の始祖となりました。



天正18年(1590年)、秀吉の関東攻めの際、芦名盛重に当主の東條弾正が討たれて落城。
東條氏族の生き残った者は各地へ敗走したとされ、その際に『太田』と改性したとされています。


こちらが、東條太田城の縄張り図。

      20190826東条城址01

                     ( 余湖さんのHP よりお借りしました )


太田小学校背後の大地が東條大田城址ですが、
その太田小学校は数年前に廃校になり、校舎も解体されてしまいました。

      20190826東条城址02




小学校の敷地沿いに沿って、城内へと続く道があります。

      20190826東条城址03



以前、太田小学校訪れた事がありましたから(その時の記事は こちら
更地になった状態を見て、驚きました。

      20190826東条城址04


その昔(昭和22年)、畑であった東條城址に大田中学校が建てられましたが
中学校は統合され昭和37年に廃校となりました。
その後、中学校跡地(東條城址)に建材会社の(株)東海の建材工場が建てられました。

いつの頃か?建材工場も操業を停止してしまい
現在は太陽光発電場として多くのソーラーパネルが並べられているようで
立入禁止となっています。

      20190826東条城址05


      20190826東条城址06

残念ながら、こちらからはこれ以上の進軍は不可。


ならば、別のルートがあるかも?
ぐるっと台地の周りを巡ります。

      20190826東条城址07


目指す台地は、すぐそこなんだけどねぇ。

      20190826東条城址08



見事なまでに更地と化した太田小学校。

      20190826東条城址10



小学校跡地の裏手から、台地へと上る道を発見。

      20190826東条城址11


この道を進軍いたしましょう。

      20190826東条城址12



ネットで東條太田城を調べていると、東條一族の末裔の方のHPに遭遇しました。
いつもは余湖さんの縄張り図を参考にしているのですが
その方は、余湖さんの縄張り図に加筆されたモノをアップされていました。
大変参考になるので、お借りいたします。

      20190826東条城址16




こちらが中段の郭。
共同墓地です。

      20190826東条城址13


      20190826東条城址14


      20190826東条城址15


墓地の先は城塁になっていて、やはりこれ以上の進軍は不可能。

結局、中段の郭までしか行けませんでしたが
私有地だから仕方がない。
しかしながら、紛れもなく東條城址にその一歩を残して来たつもり。
城址巡りも難しいものです。






関連記事
スポンサーサイト



2019/09/30 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit