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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

猪苗代城址 (福島県摩耶郡猪苗代町)(2019年4月22日) 

4月22日

この日は、1泊2日で福島県に出かけました。
猪苗代湖のある猪苗代町を中心に会津方面への旅行です。

猪苗代町のマンホールカードを手に入れた後に向かった先は.................猪苗代城址。



猪苗代城は、別名を亀ヶ城とも呼ぶそうです。
奥州合戦によって会津を与えられた相模国の御家人佐原義連の孫・経連が
鎌倉時代初期に築城したとされていますが、どうも真偽は不明のようです。
しかしながら、経連の子孫は代々猪苗代氏を名乗り、地頭として一帯を治めていたため、
猪苗代氏が築城されたのは間違いないとされています。

小高い丘に築かれた平山城で南北250メートル、東西200メートル、
比高差30メートルの規模をもつ中世から近世にかけて長い歴史を持つ城郭でした。

会津盆地を治めていた蘆名氏も佐原義連の血統で、猪苗代氏とは同族であり、
本家筋にあたる蘆名氏に対しては、反逆と従属を何度も繰り返し
天正17年(1589年)の摺上原の戦いの直前に、当時の当主・猪苗代盛国が伊達政宗に内応し、
蘆名氏を滅亡に追い込むこととなりました。
豊臣秀吉の奥州仕置によって伊達氏が会津を離れると、盛国も猪苗代を離れ、
約400年にも及ぶ猪苗代氏の支配が終焉しました。


その後、会津領主は蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行、蒲生忠郷、加藤嘉明、加藤明成と続きますが、
猪苗代城は会津領の重要拠点として、江戸幕府の一国一城令発布の際もその例外として存続が認められ、
それぞれの家中の有力家臣が城代として差し置かれていました。
寛永20年(1643年)に保科正之が会津藩主となると、猪苗代城には城代が置かれ、
また、正之の死後はその墓所(正之は城の北、土津神社に葬られた)の守護という重要な役目も担いました。

しかし、幕末を迎え、慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際には、母成峠の戦いで西軍(薩摩藩・長州藩など)が
東軍(会津藩・新撰組など)を破って、会津領へ侵入すると、往時の城代・高橋権大夫は城と土津神社を焼き払い、
鶴ヶ城へ撤退し、猪苗代城は廃城となりました。



こちらが、猪苗代城の縄張り図。

      猪苗代縄張り                    

         ( 余湖さんのHPよりお借りいたしました )



城址入口(登城口)付近には、数枚の案内板が建ち並ぶ。

その中の1枚。

      20190422猪苗代城址01


こちらも、その1枚。

      20190422猪苗代城址02


登城口脇の井戸跡。

      20190422猪苗代城址03


こちらが登城路。
石段を元気良く上がっていく びいすけ 。

      20190422猪苗代城址04



この辺りから、猪苗代城の見所である虎口。
両側に石垣のある石段。
その先はT字になっていて、突き当たりは主郭(本丸)の城壁。

      20190422猪苗代城址05


その右側。

      20190422猪苗代城址06


こちらは左側。

      20190422猪苗代城址07


左側に進路を取り、進みます。
この先は、大手側の二郭虎口。

      20190422猪苗代城址08


こちらが二郭。

      20190422猪苗代城址09


土塁もしっかりと確認出来ます。

      20190422猪苗代城址11


      20190422猪苗代城址12



こちらも二郭の虎口。
三郭から胴丸側への登城路の虎口。
すなわち、三郭からの東側の登城路。

      20190422猪苗代城址10
 
登城路にしては、狭い道だから往時にはなかったのかもしれない。
亀ヶ城公園として整備された時に作られた道かもしれません。 


こちらも二郭虎口。

      20190422猪苗代城址19

石垣が見事。


この場所に門が建ち、櫓も建てられていたそうです。

      20190422猪苗代城址18



こちらが、主郭(本丸)。

      20190422猪苗代城址13


      20190422猪苗代城址17





本丸の背後には磐梯山も見える。

      20190422猪苗代城址14


本丸広場には桜の木が植えられ、花見の名所となっているようです。
残念ながら、この日はまだ蕾の状態。
GW直前の4月27日辺りが満開と言う事らしいが
今年は10連休。
きっと多くの人が桜の花を目当てに訪れる事でしょう。



本丸土塁の上から眺める城塁。

      20190422猪苗代城址15


      20190422猪苗代城址16


かなりの防御力を持ったしろだった筈なのだが
戊辰戦争における新政府軍の力の前には、
城代である高橋権大夫も城を焼き払って
会津若松の鶴ヶ城に逃げる事しか出来なかったのだろう。



こちらは、三郭。

      20190422猪苗代城址20


三郭もぐるっと郭を土塁が巡っている。

      20190422猪苗代城址22



眼下には立派な大堀切。

      20190422猪苗代城址21

この大堀切も猪苗代城の見所の一つだと言われています。


    


会津藩の鶴ヶ城の支城として存在した猪苗代城。
廃城後は、しばらくそのままの状態で放置され荒れ果てていたそうです。

こちらも、悲しい会津の歴史を知る城郭だったようですね。


かなり急ぎ足で、巡っちゃったから、見落とした見所な場所もあるようです。
本来は、じっくり時間をかけて見るべき城郭のようですね。
鶴ヶ城とセットで丸一日かけて見るべき城郭なのかもしれない..................。


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2019/06/25 Tue. 00:03 | trackback: -- | 本文: -- | edit