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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

父さんの都内散歩.............黒田小学校跡 (2019年3月17日)(東京都文京区) 

3月17日

この日は、都内・文京区界隈を散歩していました。

文京区小日向の小日向神社のすぐ近くで
こんな説明板(案内板)を目にしました。

      20190317黒田小学校跡07


黒田小学校跡?
文京区立第五中学校跡 ?


偶然にも、学校跡に遭遇したようです。


黒田小学校は、

明治11年第4中学区26番公立小学「黒田学校」として、この地に創立されました。

当時、水道端2丁目(現水道2丁目)に居住していた黒田長知(旧福岡藩主)が
明治維新の功労による政府賜米2000石を東京府に献納して、
小日向地区への学校設立を請願したそうです。
東京府はその篤志を伝えるため、校名を黒田学校としました。

 当初の校舎は、南北2棟の木造で8教室であり、
黒田家ゆかりの藤の花を校章とし、
質実剛健を校訓とした黒田小学校は、各界に多くの卒業生を送りだしました。
その卒業生には、永井荷風(小説家)、黒澤明(映画監督)などがいるそうです。
 
昭和20年、空襲で校舎は内部が全焼し、
翌年(昭和21年)3月31日をもって黒田小学校は廃校になりました。


一方、文京区立第五中学校は、昭和22年4月に六三制による区立中学校の一つとして、
文京区立小日向台町小学校内に設置されました。
旧黒田小学校の校舎は、戦災者の集団住宅となっていましたが、
昭和24年から内部の改修が行われると同時に生徒の移転が始まり、
翌年(昭和25年)には全生徒が移り、独立校舎となりました。

しかしながら、平成21年に生徒数の減少により第五中学校は第七中学校と統合し、
文京区立音羽中学校となり、第五中学校は廃校となったそうです。




小日向神社のすぐ下の敷地が、実は黒田小学校跡。
坂道を下ってきたけど、そんな雰囲気はありませんでした。

      20190317黒田小学校跡01





現在、跡地は『文京総合福祉センター』になっています。

      20190317黒田小学校跡02


      20190317黒田小学校跡03


校庭も改変され、新たな建物も建てられているようです。

      20190317黒田小学校跡04



現在は、文京区小日向と言うか地番ですが
以前は、『小日向水道町』と呼ばれていたようです。

      20190317黒田小学校跡05


確かに、小日向神社に隣接するように第五中学校が在ったようです。

      20190317黒田小学校跡11





坂を下ってくると、こんな感じ。

      20190317黒田小学校跡06

確かに、このアングルからだと学校跡に見えなくもない。



その坂は、『服部坂』と言うらしい。

      20190317黒田小学校跡12



歩道に面するように建つ碑。

      20190317黒田小学校跡08



そこには、黒田小学校の縁起が記されています。

      20190317黒田小学校跡09



校舎のようにも見える建物は、新たに建てられたもののようにも見える。

      20190317黒田小学校跡10

学校の校舎にしては、ちょっと斬新な外観。





さらに、こんな説明板も建っています。

      20190317黒田小学校跡13

神田上水の旧・白堀跡と記されています。



航空写真によれば、旧校舎の前に白堀が在ったようです

      20190317黒田小学校跡14


      20190317黒田小学校跡15


今は白堀も埋め戻され、歩道と建物の一部となっているようです。

      20190317黒田小学校跡16


      20190317黒田小学校跡17

 
かつての神田上水の白堀の脇に小学校が創設され
戦火により校舎は崩壊して廃校となり、
終戦後、その跡地には中学校が建てられた。

幾歳の月日が流れ、やがて少子化が進む中、中学校も廃校となり
新たに建設される福祉センターの建設工事で白堀も埋められてしまった。

この地は、色々な歴史を背負ってきたんですね..................。



     

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2019/05/14 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit