FC2ブログ

11 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 01

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御朱印巡り...................岩井神社 (2018年12月19日)(千葉県南房総市) 

12月19日


この日は、館山市に出かけました。

館山市へと向かう前に富津市で寄り道しましたが
南房総市でも寄り道をしています。
八雲神社をあとにして、向かった先は.....................岩井神社。


岩井神社は、南房総市高崎に鎮座する神社です。


平安時代の後一条天皇の時代である治安三年六月磐井郷の総社として建立され、
当初は牛頭天王八雲大社と称したとされています。
後に明治初年「岩井神社」と改称し、明治9年に村社に列格されています。
昭和53年に「千葉県規範神社」に指定されました。

御祭神は、素盞鳴尊、大己貴命、少彦名神。




こちらが社号標。

      20181220岩井神社01



神社社頭でよく見かける『定』と記された掲示板。

      20181220岩井神社02



千葉県神社庁の規範神社の碑。

      20181220岩井神社03



社頭に建つ説明板。
岩井神社には、南房総市の指定文化財があるようです。

      20181220岩井神社04

説明板によれば.........

社宝に、鎌倉時代の「懸仏」(四面)が残っています。
「懸仏」というのは、平安時代の中頃に
神仏習合の信仰から生まれたもので柱や壁にかけて礼拝したそうです。
形はだいたい円形で、表面には仏像が彫ってあり、銅や鉄の板でできています。

また「獅子頭」(三頭)があります。
これは、昔の富山の「ふうり祭」(雨乞い祭)に使われたものだそうです
獅子頭をかぶり、鞨鼓(太鼓)を腹の前に付けて、軽快に舞うもので、
これを「鞨鼓獅子舞」というそうです。
富山の雨乞い祭も、明治時代の終り頃には行われなくなったようです。




こちらが手水舎。

      20181220岩井神社05



水は出ていないけれど、龍の吐出口。

      20181220岩井神社24



鳥居。

      20181220岩井神社06


鳥居に掲げられた神額。

      20181220岩井神社07



カスれて読み辛いのですが...............由緒書き。

      20181220岩井神社08


  

拝殿前にて。
  
      20181220岩井神社09



拝殿前の狛犬。

      20181220岩井神社10


      20181220岩井神社11



こちらが、拝殿。

      20181220岩井神社12



拝殿正面。

      20181220岩井神社13



拝殿内に掲げられた扁額。

      20181220岩井神社14



別アングルからの拝殿。

      20181220岩井神社16


      20181220岩井神社17



そして、こちらが本殿。

      20181220岩井神社18




びいすけ も、しっかりと参拝。

      20181220岩井神社15



境内社の金刀比羅宮。

      20181220岩井神社19



石祠も多く建ち並ぶ。

      20181220岩井神社25


      20181220岩井神社20


      20181220岩井神社21


石塔。
この辺りは神仏習合の名残りなのか?

      20181220岩井神社22


こちらは板碑。

      20181220岩井神社23


    
こちらは、神輿殿。

      20181220岩井神社26

どうやら、こちらに浜下屋台が奉納されているようです。




浜下屋台の説明板。

      20181220岩井神社30

浜下屋台は宮大工・青木松治郎の作で三年という長い年月を費やし、
明治24年(1892年)に完成したそうです。
その間、初代・後藤利兵衛義光は青木家に逗留して作成にあたり、
八岐の大蛇や竜などを彫刻したそうです。
初代・義光は、文化十二年(1815年)千倉町の朝夷に生まれた木彫り彫刻の名手で、
特に竜の作品に優れたものがあり、明治35年(1903年)八十八歳でその生涯を終わったそうです。
初代・義光の作品は現在も南房総市富山町ほか各地に残っているそうです。




こちらも神輿庫。

      20181220岩井神社27



特筆すべきは、社殿脇に弓道場があります。

      20181220岩井神社28

源頼朝が、治承4年(1180年)8月に伊豆の石橋山の合戦に敗れ、
真鶴岬から安房国へ逃げ延びました。その後、馬集(現在の富山町高崎)にて馬を集め、
不入斗牛頭天皇の社殿に戦勝を祈願しました。
当時の安房国は安西、神余、丸、東條、長狭の5氏がほぼ5分し領有支配していましたが、
長狭氏を除く4氏が敗戦の将である頼朝を擁立して鎌倉幕府創設の基礎を築きました。
建久3年(1192年)、頼朝が征夷大将軍になるに及び、懐かしの安房国を偲び、
不入斗に八幡宮を建立して、武士に弓術を奨励したそうです。
その後、安房国は里見氏により平定されましたが、6代当主の義堯は岩井神社修復に際し、
境内に矢場を造り弓術を奨励したそうです。

この故事にならい、昭和25年青少年の健全育成と精神修養の場として弓道場を作り、
広く一般にも解放し、清く明るい心の滋養を念じ「洗心館」と命名したそうです。 


う〜む、ここにも頼朝に関する逸話が現れた。
確かに、館山市、南房総市、鋸南町辺りには頼朝にまつわる逸話が多い。




こちらは、社務所。

      20181220岩井神社29

普段は閉ざされているようです。




      20181220岩井神社30



こちらが、岩井神社の御朱印。

      20181220岩井神社31

社務所は無人で閉まっていましたが、宮司さんのお宅で拝受できました。





関連記事
スポンサーサイト



2019/01/31 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit