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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

父さんの都内散歩・城址巡り..................葛西城址 (2018年10月8日)(東京都葛飾区) 

10月8日

この日は、遅番勤務。
12時からの勤務だから、いつもより3時間の時間差がある。
その3時間の時間差を利用して、出勤前に都内の散歩。
当然、出勤日だから びいすけ はお留守番。
昼からは仕事ですが、ちょっぴり羽を伸ばして、都内散歩となります。

向かった先は....................葛西城址。



葛西城は、築城時期は不明ですが、
桓武平氏の流れをくむ葛西氏が鎌倉期に城館として築いたとされています。
中川の蛇行部を天然の堀として背後に持つ平城で、
戦国期には下総国への重要な進出拠点として、
扇谷上杉氏や小田原北条氏の支配下に置かれていました。

特に、小田原北条氏は国府台合戦に於いて最前線として重用され、
国府台城に陣取る小弓公方足利義明や里見氏らと激戦を繰り広げ、
勝利を掴みとる事が出来ました。


天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に
戸田忠次らによって攻められ落城し廃城となりましたが
徳川家康が江戸に入府後は城跡に「青戸御殿(葛西御殿とも)」と呼ばれる陣屋が建てられ、
3代家光の頃まで鷹狩の宿舎として利用されたそうですが、
明暦3年(1657年)頃、大火で焼失した江戸城再建の資材のために破却されたと言うことです。

現在は、都心と言うこともあり、周辺はすっかり宅地となり、
中心部を南北に環七通りが横切っており、
わずかに東西に分断されて残った城郭跡がそれぞれ『御殿山公園』
『葛西城址公園』となっていますが遺構は無いそうです。


こちらが、葛西城の縄張り図。

      20181008葛西城址15

( 余湖さんのHPからお借りしました。)


環七(環状七号線)にて城域を分断された葛西城址。

環七から中川側は、葛西城址公園となっています。

     20181008葛西城址01


児童公園として整備されているため、遺構は全く無し。

      20181008葛西城址02


葛西城址公園と言うんだから、城址碑が在るかと思ったら
こちらには、城址碑すら無い。

さらには、こんな看板。

      20181008葛西城址03

犬の散歩も出来ない公園です。
びいすけ と一緒でなくて良かったぁ。



環七を挟んで反対側。

こちらは、『 御殿山公園 』となっています。

      20181008葛西城址05


残念ながら、こちらも遺構は無し。

      20181008葛西城址06


ただし、葛西城については触れている。

こちらが、説明板。

      20181008葛西城址07


光が反射して見づらいけれど
「葛西城を偲ぶ」と記された碑。

      20181008葛西城址08



こちらも葛西城に関するモノ。

      20181008葛西城址09


しっかりと葛西城の縄張り図まで描かれています。

      20181008葛西城址10


航空写真も付いてます。

      20181008葛西城址11


そして、『青砥史蹟復興之碑』。

      20181008葛西城址12


さらには、『青砥藤綱城跡』の碑。

      20181008葛西城址13

青砥藤綱は、執権北条時頼や北条時宗などに仕えた鎌倉時代の武士で、
この地を有していたという伝承があるそうです。


いやぁ、こちらの公園には葛西城址に関するモノがてんこ盛り。

環七を走る車の雑踏の中、遺構も無い城郭だけど
小田原北条氏が下総国へ進出するための要所だった地に立ち、
関東の覇権者だった小田原北条氏を偲ぶことにしよう。





     


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2018/11/17 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit