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び・び・びのびいすけ

小川城址 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。


小美玉市の素鵞神社に参拝をいたしました。
実は、素鵞神社が鎮座している台地は、
かつての小川城の城跡でした。


小川城は、別名を園部城とも呼ばれています。
築城時期は定かではありませんが、建久年間(1190年~1199年)に
下河辺政平によって築かれたと言われています。

下河辺氏は藤原秀郷の後裔で下総国葛飾郡下河辺荘の発祥と言い、
政平の嫡男であり政義は、小川氏を名乗り代々と続きます。
室町時代になると小川氏は衰退してしまい、
やがてこの地は、常陸国筑波郡小田邑(現在の茨城県つくば市小田)を本拠とした
小田政治によって、享禄元年(1528年)に家臣の薗部兼泰を小川城主として置き、
対立する大掾氏への備えとしました。

天正年間(1573年~1592年)末期には、佐竹氏の城となり
茂木治良が在城しましたが、
慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康の命により
佐竹氏が秋田に転封されると茂木氏もこの地を去りました。
その後、戸沢氏の領地てたなりましたが、最終的には水戸藩領となりました。

小川城は現在の小川小学校一帯に築かれていたと言われます。
文献によれば、小学校の南東側に本丸を配し、
北西側に二の丸、北東の小川公民館側に三の丸があったようです。
残念ながら、遺構はほぼ消滅しているようです。




こちらが、小川城の縄張り図。

      20180522小川城址

( 余湖さんのHP よりお借りしました )



こちらが、小川城の大手口。

      20180522小川城址01

碑か何かがあれば良いんだけど、そう言った類いのモノは無い。



びいすけ の背後に見えるのが、小川公民館。

      20180522小川城址02

小川城の三の丸にあたります。


こちらが、公民館入口。

      20180522小川城址03

この奧が三の丸だったんですね。



こちらは、小川小学校正門。

      20180522小川城址04

小川小学校の建つ場所が、小川城の本丸跡。
平日の午後、門扉は閉ざされ中へ入ることは出来ません。
まさしく、攻略不能の本丸です。


正面玄関のロータリーの植え込みの中に
『小川城址』の碑が在るようですが、
残念ながら確認出来ず.............



小学校の裏手に回ってみました。

      20180522小川城址05

授業の最中に、校庭を怪しい男が犬連れで歩いている.........
そんな通報をされても困るから、フェンス越しに眺めるだけ。


かつては校庭の中央には土塁と堀があって
本丸と二の丸とを区画していたようです。
因みに、校舎側が二の丸、校庭側が本丸だったと言う事です。



学校の下。
ちょうど、二の丸の切岸。

      20180522小川城址06


      20180522小川城址07


      20180522小川城址08



素鵞神社脇。

      20180522小川城址09

隣に車道がありますが、ここは本丸と三の丸を隔てる堀跡。


こちらが、その車道。

      20180522小川城址10

何となく、堀跡っぽく見えなくもない。



冒頭の縄張り図で言うところの、台の坊。
土塁らしき土壇が残っています。

      20180522小川城址11


      20180522小川城址12



台の坊の下。
堀跡がのこっています。

      20180522小川城址13



縄張り図で言うところの上宿。

      20180522小川城址14

素鵞神社の社号標が建っています。



廃城になった城郭が神社になっていたり、学校になっていたりするパターンは多い。
この小川城は、完全にそのパターン。
城郭が宅地化されて遺構が無くなってしまった事は残念だけど
城郭跡を示す碑は、もうちょっと考えて建てて欲しかったな。

せめて、校門脇の敷地外(公道上)だったら良かったのに.............



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2018/07/13 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit