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び・び・びのびいすけ

御朱印巡り...............夜刀神社 愛宕神社 (2018年5月22日)(茨城県行方市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけましたが
途中の行方市でちょっぴり道草。

西蓮寺をあとにして、向かった先は...............夜刀神社


夜刀神社は、行方市玉造甲に鎮座する神社です。


正式には、この地には愛宕神社が鎮座し、
その愛宕神社の境内社が夜刀神社と表現した方が適切かもしれません。
簡単に言えば、愛宕神社の社殿の隣に位置する祠が夜刀神が祀られる夜刀神社です。

夜刀神社は、『常陸国風土記』に記されているのは
箭括氏の麻多智が夜刀神を祀った社の後身であると言われています。

夜刀神は蛇体で頭に角を持つと言われ、
「夜刀(やつ、やと)」は関東地方の方言で
谷間、谷合を意味する「谷地」「谷津」「谷頭」に由来します。
霞ヶ浦周辺の谷間の湿地には、蝮などの蛇類も多いため、
夜刀神は土地神としての蛇神であると見られています。

享禄2年(1529年)に常陸大掾氏の一族である玉造城第13代城主、玉造憲幹が
愛宕神を勧請して合祀しました。
また、水戸藩主徳川光圀が「天龍の御手洗」背後の台地にある森へ遷座したと言われています。



こちらが椎木池。

      20180522夜刀神社01

「天龍の御手洗」とも呼ばれるらしい。


池の前に建つ説明板。

      20180522夜刀神社02

夜刀伝説について触れています。

まあ、簡単に要約すると.........

その昔、この地域を開拓しようとした人たちの前に、
夜刀神たち(蛇の化身)が現れて抵抗します。
(その夜刀神たちは、実は昔からこの土地に住む人間だと言う説もある)
力で夜刀神たちを退治したと言う事です。
麻多智が夜刀神を祀った社を建てて治ったけれど
後に、壬生連麿がこの地を治めた時に、再び夜刀神が現れ、
いつまでも立ち去ることはありませんでした。
壬生連麿が『目に見えるものは、全て打ち殺せ!』と命令すると
夜刀神たちは、どこともなく消え去ったと言う話です。

要するに、原住民の地を武力で奪い取ったと言う話なんだろうか?



夜刀神が昇り群がった「椎の池」。

      20180522夜刀神社03



愛宕神社・夜刀神社へと導く参道入口には『椎井』の碑。

      20180522夜刀神社04


碑の近くには、またまた『夜刀神』の説明板。

      20180522夜刀神社05



この石段の先が、愛宕神社・夜刀神社。

      20180522夜刀神社06



愛宕神社の社殿。

      20180522夜刀神社07


別アングルから。

      20180522夜刀神社09


      20180522夜刀神社15



手水舎。

      20180522夜刀神社08


      
愛宕神社の社殿の奥に、夜刀神社。

      20180522夜刀神社10



鳥居の神額。

      20180522夜刀神社13



意外に小さな社。

      20180522夜刀神社11



社と言うよりは祠と言った方が適切みたい。

      20180522夜刀神社12


      

愛宕神社の社殿の左脇に建つ石碑。

      20180522夜刀神社14

常陸国風土記が刻まれているようです。
      




こちらが、夜刀神社の御朱印。

      20180522夜刀神社16


こちらの夜刀神社は、小美玉市の素鵞神社が本務社になるようで
御朱印は、素鵞神社にて拝受いたしました。


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2018/07/09 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit