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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............洗心小学校 (2018年5月7日)(千葉県富里市) 

5月7日

この日は、富里市に出かけました。


富里香取神社をあとにして、向かった先は.................富里市立洗心小学校


洗心小学校は、

大正10年      仮教場として設置される。
            (児童30余名、1学年から4学年まで)
昭和9年       富里南小学校の分校となる。
            (1・2学年、3・4学年の複式2学級)
昭和26年     富里村立洗心小学校として独立する。
           (1学年から6学年、複式 3学級)
昭和60年     富里村が町制施行し、富里町となる。
           富里町立洗心小学校と改称する。
平成14年     富里町が市制施行し、富里市となる。
           富里市立洗心小学校と改称する。
平成29年     富里南小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



県道沿いにある洗心小学校。

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富里市の避難場所でもあるようです。

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こちらが、洗心小学校の正門。

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門扉は閉じられていますが、
門柱には洗心小学校の表札が残っています。

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門扉は閉まっていても、
正門脇の駐車場から敷地内に入ることが出来ます。


こちらが、校舎。

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校舎の壁に描かれたキャッチフレーズ。

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富里市の花であるサルビアをモジっているんですね。


校舎の壁面前には、廃校記念碑(閉校記念碑)。

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表面には、洗心小学校の校歌が刻まれています。

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台座には子供たちの手形。

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校舎玄関。

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別アングルからの校舎。

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なぜか敷地内に信号機がある。
きっと交通安全の指導に利用していたんでしょう。



校舎正面の壁面には、校章と時計。

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こちらは、体育館。

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校庭前には、記念碑。
『 はばたけ 洗心っ子 』

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こちらが、校庭。

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校庭からの校舎。

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校庭に残る遊具類。

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故櫻井先生の記念碑。

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櫻井先生は、洗心小学校の教育に尽力をされた方なんでしょう。



こちらが、シンボルツリーだったのか?

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朽ちかけた百葉箱。

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国旗掲揚ポール。

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そして、廃校でよく見かける防災倉庫。

      20180507洗心小学校35



平成の大合併で新しい自治体が誕生し、
旧自治体単位で、少子化と合理化の名の下に
かなりの学校が廃校になりました。

しかし、富里市は、富里村から富里町、富里市と変遷していく中で
他の市町村と合併することなく、単独で富里村から富里市へと変わって行きました。
日本の高度成長期に宅地が開発され、多くの人口が増えて発展し
洗心小学校も分校から独立校となりました。
しかし、過疎と言えるのかは分からないけれど
少子化の波をかぶって、ついに廃校となったようです。

地方都市における少子化って、やっぱり深刻な問題なんだなぁ.........。


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2018/06/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit