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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

小峰城址 (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島県への旅行。

その2日目は、白河市が舞台です。
白河市では、丸ポスト探し、マンホールカード、城址巡り、
御朱印巡り、廃校巡りと予定はてんこ盛り。

丸ポスト探し、マンホールカードに続いて城址巡り。

白河市の城址と言えば、何と言っても小峰城址。


小峰城は、阿武隈川と谷津田川の間に位置する、
小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城です。
東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城、若松城と共に
「東北三名城」の1つにも数えられているそうです。

小峰城は南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に
結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされています。
天正18年(1590年)、城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、
この地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配しましたが、
寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封されると、
幕命により寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手をしました。
それから3年の歳月を費やして、寛永9年(1632年)に完成しました。

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と、
7家21代の城主の交代がありましたが、
慶応3年(1867年)に最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後、
白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなります。
翌、慶応4年(1868年)、白河小峰城は戊辰戦争で
奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、
5月1日、大半を焼失し落城してしまいました。




こちらが、小峰城の縄張り図。

      小峰城址縄張り図

( 余湖さんのHP からお借りしました )



こちらが、小峰城址の入口。
かつての藤門跡。

      20180427小峰城址01

門構えが、かなり観光地化されているのは否めません。



小峰城跡と記された表札。

      20180427小峰城址02



こちらは、小峰城の説明板。

      20180427小峰城址03



それでは小峰城に進軍いたしましょう。

     
藤門跡の先は二の丸。
ちょうど、小学生が遠足に来ていて、子供たちがいっぱい。

      20180427小峰城址05



子供たちを避けるように二の丸を移動します。

      20180427小峰城址04



こちらは、堀跡。

      20180427小峰城址06

埋め戻されていますが、堀跡だと容易に分かります。




二の丸に建つ城址碑。

      20180427小峰城址07

背後に見えるは三重櫓。



掘りと石垣。

      20180427小峰城址08

小峰城の見所は、この堀と石垣の美しい調和。

でも残念ながら、東日本大震災でこの石垣が崩壊してしまい
復旧作業にて修復されました。
(現在も一部は修復作業中です)

      20180427小峰城址09



所々、石垣の石の色が違うのは、復旧作業によるものです。

      20180427小峰城址10



こちらは、清水御門跡。

      20180427小峰城址11

この石垣も崩壊しちゃいましたが
見事に復旧しています。



清水御門跡には、古い城址碑も建っています。

      20180427小峰城址12



それにしても見事な石垣。

      20180427小峰城址13



こちらは竹之丸跡。

      20180427小峰城址14



竹之丸跡から眺める前御門と三重櫓。

      20180427小峰城址15



三重櫓は平成3年(1991年)に本丸跡に、
前御門は平成6年(1994年)に当時の史料に基づいて復元されたそうです。

      20180427小峰城址16



前御門。

      20180427小峰城址17



前御門の屋根瓦。
鯱鉾です。

      20180427小峰城址18



前御門をくぐれば、そこは本丸跡。

      20180427小峰城址19



本丸広場の芝生で戯れる びいすけ 。

      20180427小峰城址20


      20180427小峰城址21



三重櫓。

      20180427小峰城址22



三重櫓の鯱鉾。

      20180427小峰城址23



本丸広場の一部は修復作業のため、立ち入り禁止。

      20180427小峰城址24

大きなクレーンで石垣を修復しているんですね。



本丸広場に建つ石碑群。

      20180427小峰城址25

立入禁止エリアのため近寄って確認が出来ません。


      20180427小峰城址26


      20180427小峰城址27




再び、三重櫓。

      20180427小峰城址28



こちらは、『おとめ桜』。

      20180427小峰城址29

おとめ桜には、こんな伝説が残っています。

寛永年間に、城の大改修を行った際、本丸の石垣が何度も崩壊したため、
人柱を立てることになり、人柱にするのはその日、最初に城に来た者ということに決まった。
すると、最初に来たのは作事奉行の娘「おとめ」だった。
父は必死に「来るな」と手で合図をしたが、
逆に「来い」という合図と勘違いしたおとめは人柱にされてしまった。
その後、石垣は無事完成し、おとめが埋められた場所には桜の木が植えられ、
「おとめ桜」と呼ばれるようになったという。


悲しい話しですね。
この『おとめ桜』は2代目で、初代の『おとめ桜』は、
戊辰戦争の時に消失してしまったそうです。


『おとめ桜』の前から本丸を眺めてみます。

      20180427小峰城址30

白河の市街地もぼんやり見える。
きっと、城下を見下ろす事が出来るこの場所に
おとめ桜が植えられたのは、そんな理由なんだろう。




本丸から清水門へと続くもう一つの導線。
桜門跡。

      <20180427小峰城址32


      


名前の通り、門跡の近くには数本の桜の木。

      20180427小峰城址31



時間の関係と遠足の子供たちや観光客が多かったので
細部まで探索しきれていませんでしたが、
小峰城址、なかなか見所がありました。

さすが、日本の100城に選ばれているだけがある。
やっぱり日本の100城は侮れません。



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2018/06/12 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit