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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

緒川十景 《 義民堂 》 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日の、茨城県の常陸大宮市に出かけました。


茨城百景の吉田八幡神社の三浦杉を訪れたあとに
さらなる場所に移動を開始。
国道293号を南下していると、こんな看板を見つけました。

      20170914義民堂01

『 義民堂 』...............?

何、それ?
って言うか、そもそも『 緒川十景 』って何?

そう言えば、さっきも似たような看板を見た気がする。


こうなると、気になります。

      20170914義民堂02

距離も50mと近いし...............。

急遽、立ち寄ったのが...............緒川十景 義民堂



そもそも、緒川十景とは...............

ネットで調べても詳しい事が載っていない。
旧・緒川村が常陸大宮市に統合(合併)される以前の
平成12年に制定されたモノのようです。

残念ながら、合併後の常陸大宮市では、管理されていないようで
詳しい内容については、常陸大宮市のHPにも記載されていません。


どうやら、緒川十景として

阿弥陀院
高岩山
立野神社
百観音
江畔寺と小瀬城跡 
本橋次郎左衛門政國の碑
義民堂
三輪神社
西小屋の滝
大根田願入寺跡

こちらの10ヶ所が選定されているようです。


その中の一つ、義民堂。

      20170914義民堂03


『義民堂』の事を自宅に戻ってから調べたら
そこには悲しい事件がありました...............。



明治政府の行った税制改革に、明治6年から実施された地租改正があります。
それまで年貢と称して納めてきた米を、税として一律で地価の3%と定め、金納とするものでした。
米価に関係なく決められた量の米を納めれば納税義務を果たしていた農民たちにとって、
金納の負担は多大過ぎました。
小舟村の本橋次郎左衛門らは茨城県権令(県知事)中山信安に陳情書を提出して、
窮状を訴えましたが聞き入れられず、その後も本橋は機を窺っていました。
そんな状況の中、上小瀬・小舟両村の農民が他村の人々と共に
地租の納入期限の延期を願い出ることを決定し、
周辺の村々から約800人の農民たちが小祝村に集結しました。
緊張が昂まる中で、上小瀬村に出張してきた巡査を
村民が殺害してしまうという事態が発生してしまいます。
更には、周辺村民へ一揆への参加を強要しつつ、県庁へ向けて南進し
途中の藤井村で更に2人の警官を殺害し、状況は更に悪化してしまいました。
県庁側は、約300人の旧・水戸藩士を集め、警官と士族隊で一揆勢を急襲します。
警察側の投入した懲役囚のだまし打ちによって、
一揆指導者の一人である大町甚左衛門が殺害され一揆勢は壊滅し、
多くの農民が捕縛されて終息しました。

これが世に言われている『小瀬一揆』です。

しかし、地租改正反対や地租軽減を掲げた烽火は全国におよび、
時の政府は明治10年、地租を地価の2.5%に引き下げました。

当初、政府側から「暴動」として叛逆者扱いされた一揆の指導者たちは、
現在、「義民」として顕彰されています。

そして、小瀬一揆で亡くなった13名、殉職した警官4名、
逮捕されて後に亡くなった一揆の幹部37名を祀る慰霊堂として
昭和33年に建立されたモノだと言うことです。



説明板にはあまり詳しい事は記載されていない。

      20170914義民堂04


      20170914義民堂05



この義民堂は、一揆の幹部だった小森太郎右衛門の孫、小森けん女史が
農家相手に衣類の行商をして貯めたお金で、
小瀬一揆80周年の時に祠を建てて「義民堂」と名付けたそうです。

      20170914義民堂06


      20170914義民堂07


      20170914義民堂08


立場が変われば、扱いも変わる。
政府にとっては暴動を挙した謀反人でも
農民にとっては義民となる。



平和な時代に生まれて来た事を感謝しなくちゃいけないね...............


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2017/10/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit