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び・び・びのびいすけ

あいかわの景勝10選   《 三増合戦碑と志田峠 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町) 

5月27日 公休日

個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。

愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............

①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流

となっています。


〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。

と言うことで、この日の愛川町は『あいかわの景勝10選』目的の訪問です。わ

この日、最初に向かったのは...............三増合戦碑と志田峠



三増合戦場は、
1569年、甲斐の武田軍と小田原の北条軍が激戦をくりひろげた合戦場です。

この年、武田信玄は2万の軍勢を率いて甲府を出立、
滝山城などの北条方の拠点を攻撃したのちに、
北条氏康の小田原城を囲みました。
籠城した北条軍は城から出ず、武田軍は包囲を開始して4日後に
城下に火を放ち軍勢を引き上げました。
北条軍は、後詰めであった甲州街道守備軍の北条氏照、
秩父方面守備軍の北条氏邦の軍勢2万が三増峠に着陣し、
甲斐に帰国しようとする武田軍相手に挟み撃ちをすると言う、
有利な戦いの展開になりました。
当初、北条軍が優勢に見えた合戦でしたが、
志田峠 (三増峠南西約1km) に機動した山県昌景率いる武田の別働隊が、
より高所から奇襲に出ると戦況は一気に武田に傾き、
多くの戦死者を出しながらも、最終的には武田軍の勝利とされています。


こちらが、三増合戦場跡の碑。

      20170527三増合戦場01



碑は昭和44年に建立されたそうです。

      20170527三増合戦場02

実は、この地に訪れるのは、これで2回目。



さすが、愛川町の観光資産であり、歴史資産でもある。
案内板もしっかり設置されています。

      20170527三増合戦場03


      20170527三増合戦場04




そして、極め付け。

『 あいかわの景勝10選 』の碑。

      20170527三増合戦場05


この碑が目的で、ここに来たと言っても過言ではない。

      20170527三増合戦場06



そして、こちらはオマケと言って良いのか?
愛川町の指定史跡の碑。

      20170527三増合戦場07



こちらは、三増合戦で討ち死した北条家の家臣、間宮善十郎の墓。

      20170527三増合戦場08


      20170527三増合戦場09



約450年前、この地で壮絶な戦いが繰り広げられましたが
現在は、長閑な畑が広がる耕作地。

      20170527三増合戦場10



武田信玄が陣を張ったとされる志田峠。

      20170527三増合戦場11



一応、武田側の勝利と言うことで、挟み撃ちにされた信玄は
無事、甲斐国に戻ることができたけれど、
この地の合戦でいずれかが決定的な敗北を喫していたら
戦国時代の関東・甲信越の勢力図も変わっていただろう。
そして、織田信長が台頭することもなかったかもしれない。

歴史ってちょっとしたタイミングなんだなぁ...............。






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2017/06/06 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit