源頼 朝上陸の地 (2017年1月26日)(千葉県安房郡鋸南町)
1月26日 公休日
この日は、南房総市に出かけ出かけました。
本当は、宮本城址のあと、滝田城址へと足を伸ばす予定でしたが
里見氏の山城は、なかなか攻略も手強い。
岡本城址、宮本城址と回ると、さすがに足がパンパン。
予定を切り上げ、鋸南町を抜けて帰ることにしました。
そう言えば、諸説はあるけれど、鋸南町って、
伊豆の石橋山の合戦で敗けた源頼朝が真鶴岬体を船で房総半島に渡った時に
上陸した場所がなかったっけ?
iPhoneで検索。
向かった先は...............源頼朝 上陸の地
源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、
相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真名鶴岬(現真鶴岬)から小船で脱出し、
安房の国房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、鋸南町竜島に上陸しました。
竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。
源氏にゆかりのある安房の武将・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招き入れ、
頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。
安房国に着いた頼朝は、上総介広常など房総の武将の加勢を得て、
安房・上総・下総と順次支配下にしました。
房総で勢力を蓄え態勢を整えた頼朝は、源氏再興を目指し再び平氏討伐に乗り出します。
そして頼朝は、やがて平氏を倒し鎌倉に幕府を開設して征夷大将軍となりました。
頼朝の安房の国への上陸については諸説があるようですが、
その頼朝が上陸したとされる場所の一つが鋸南町。
その場所には碑が建てられており、頼朝の再起再生の地とされています。
( 頼朝の敗戦した 石橋山合戦場跡 は こちら )
( 頼朝が伊豆山中を逃げ回り、隠れていた しとどの窟 は こちら )
( 頼朝が安房に脱出した 真鶴岬の岩海岸 は こちら )
鋸南町の竜島海岸。
勝山海水浴場の北端に『源頼朝上陸の地』の碑は建っています。
説明板があり...............
石碑も建ち...............
さらに、別の石碑もあり...............
朽ち果てかけた説明板も建つ。
まさに、頼朝の上陸のオンパレード。
そんなに仰々しくしなくても
この碑がひっそりと建っていれば良いんじゃないの?
で、頼朝が上陸した浜はと言えば...............
こんな感じの浜辺です。
びいすけ の背後に見えるのは『浮島』。
ちなみに無人島ですが、私有地の立ち入りできません。
この海岸に犬を連れて散歩に来る人も多い。
逆光で見づらいですが、浜辺をワンちゃんと歩く人。
浜辺のコンクリートにワンちゃんと一緒に座り込む人。
少し、この浜辺を散策してみましょう。
展望デッキみたいなエリアには四阿もある。
でも先客がいるから、今日は素通り。
その先は、沖へと向かう桟橋。
桟橋脇の岩場で、はいポーズ ☆パチリ。
桟橋はやっぱり苦手な びいすけ 。
どうしても逃げ腰な体勢。
それでも何とか桟橋の先端近くまて行きました。
桟橋から眺める、漁船の船着場。
考えてみれば、鋸南町って思い切り漁業の町。
保田漁港や勝山漁港も近い。
この日みたいに天気が良ければ
東京湾(浦賀水道)に掛かる夕日が綺麗だろうけど
夕日の時間にはまだまだ先。
平日だから通勤時間帯にも重なっちゃうから
道路も混みそう。
暫し、この海岸を眺め、
その光景をしっかりと瞼に焼き付けておこう。
本当は、富士山さえ見えていれば
夕日を待っても良かったんだけど...................
どうも富士山とは相性が良くないんだなぁ。
やっぱり、それって日頃の行いのせい?(笑)
この日は、南房総市に出かけ出かけました。
本当は、宮本城址のあと、滝田城址へと足を伸ばす予定でしたが
里見氏の山城は、なかなか攻略も手強い。
岡本城址、宮本城址と回ると、さすがに足がパンパン。
予定を切り上げ、鋸南町を抜けて帰ることにしました。
そう言えば、諸説はあるけれど、鋸南町って、
伊豆の石橋山の合戦で敗けた源頼朝が真鶴岬体を船で房総半島に渡った時に
上陸した場所がなかったっけ?
iPhoneで検索。
向かった先は...............源頼朝 上陸の地
源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、
相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真名鶴岬(現真鶴岬)から小船で脱出し、
安房の国房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、鋸南町竜島に上陸しました。
竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。
源氏にゆかりのある安房の武将・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招き入れ、
頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。
安房国に着いた頼朝は、上総介広常など房総の武将の加勢を得て、
安房・上総・下総と順次支配下にしました。
房総で勢力を蓄え態勢を整えた頼朝は、源氏再興を目指し再び平氏討伐に乗り出します。
そして頼朝は、やがて平氏を倒し鎌倉に幕府を開設して征夷大将軍となりました。
頼朝の安房の国への上陸については諸説があるようですが、
その頼朝が上陸したとされる場所の一つが鋸南町。
その場所には碑が建てられており、頼朝の再起再生の地とされています。
( 頼朝の敗戦した 石橋山合戦場跡 は こちら )
( 頼朝が伊豆山中を逃げ回り、隠れていた しとどの窟 は こちら )
( 頼朝が安房に脱出した 真鶴岬の岩海岸 は こちら )
鋸南町の竜島海岸。
勝山海水浴場の北端に『源頼朝上陸の地』の碑は建っています。
説明板があり...............
石碑も建ち...............
さらに、別の石碑もあり...............
朽ち果てかけた説明板も建つ。
まさに、頼朝の上陸のオンパレード。
そんなに仰々しくしなくても
この碑がひっそりと建っていれば良いんじゃないの?
で、頼朝が上陸した浜はと言えば...............
こんな感じの浜辺です。
びいすけ の背後に見えるのは『浮島』。
ちなみに無人島ですが、私有地の立ち入りできません。
この海岸に犬を連れて散歩に来る人も多い。
逆光で見づらいですが、浜辺をワンちゃんと歩く人。
浜辺のコンクリートにワンちゃんと一緒に座り込む人。
少し、この浜辺を散策してみましょう。
展望デッキみたいなエリアには四阿もある。
でも先客がいるから、今日は素通り。
その先は、沖へと向かう桟橋。
桟橋脇の岩場で、はいポーズ ☆パチリ。
桟橋はやっぱり苦手な びいすけ 。
どうしても逃げ腰な体勢。
それでも何とか桟橋の先端近くまて行きました。
桟橋から眺める、漁船の船着場。
考えてみれば、鋸南町って思い切り漁業の町。
保田漁港や勝山漁港も近い。
この日みたいに天気が良ければ
東京湾(浦賀水道)に掛かる夕日が綺麗だろうけど
夕日の時間にはまだまだ先。
平日だから通勤時間帯にも重なっちゃうから
道路も混みそう。
暫し、この海岸を眺め、
その光景をしっかりと瞼に焼き付けておこう。
本当は、富士山さえ見えていれば
夕日を待っても良かったんだけど...................
どうも富士山とは相性が良くないんだなぁ。
やっぱり、それって日頃の行いのせい?(笑)
- 関連記事
-
- 五所駒滝神社 (2017年2月6日)(茨城県桜川市) (2017/03/08)
- 真壁氏累代墓地及び墓碑群 (2017年2月6日)(茨城県桜川市) (2017/03/07)
- -和の風 第十五章- 真壁のひなまつり (2017年2月6日)(茨城県桜川市) (2017/03/04)
- 地蔵ケヤキ (2017年1月31日)(茨城県取手市) (2017/03/02)
- 源頼 朝上陸の地 (2017年1月26日)(千葉県安房郡鋸南町) (2017/02/22)
- 岡本桟橋 (2017年1月26日)(千葉県南房総市) (2017/02/19)
- 岩井の大蘇鉄 (2017年1月26日)(千葉県南房総市) (2017/02/17)
- 伏姫籠穴 (2017年1月26日)(千葉県南房総市) (2017/02/15)
- とみやま水仙遊歩道 (2017年1月26日)(千葉県南房総市) (2017/02/14)
スポンサーサイト
2017/02/22 Wed. 00:00 |
trackback: -- |
本文: --
| edit
| h o m e |