03 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

茨城百景  《 化蘇稲荷神社 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、この日最初に向かったのは...............茨城百景 化蘇沼稲荷


化蘇沼稲荷とは、北浦村(現:行方市)内宿に在る化蘇沼稲荷神社のことで
文明10年(1478)の創建と伝えられています。
「関取稲荷」の別名があり、古くから豊作祈願の行事として奉納相撲が行われることで有名です。
この相撲は取り組む力士を田と畑に見立て、
勝ったほうの作物(稲作か畑作か)が豊作になるといわれています。
天保年間(1830~1844年)に江戸相撲で活躍した当町出身の鹿島灘鰐右衛門(四代目秀ノ山親方)が
奉納相撲をしたことで一段と盛んになったということです。
 
現在も毎年8月25日の夏祭りにこの相撲が氏子地区対抗戦の形で行われ、人気を呼んでいます。
夏祭りには、このほか巫女舞が奉納されます。
当番地区内の小学6年生の女子が雅楽に合せて古式ゆかしく舞うもので、
昭和21年から行われているそうです。


県道184号線を旧・武田小学校方面から北上すると
右カーブの先に鳥居が見えてきます。
 
      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社01



鳥居の脇にひっそりと建つ茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社02



裏面には昭和25年5月選定と刻まれています。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社03



思いのほか、簡単に見つかった茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社04



真新しい木の鳥居は、東日本大震災で石造りの鳥居が崩壊してしまったために
新しく作り直されたモノらしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社05



この道を真っ直ぐに行けば、化蘇沼稲荷神社。
いわゆる参道です。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社06


参道の両脇には古い桜の木々。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社07

春は桜の名所かも知れない。


参道からは、筑波山も見えたりして
なかなか風光明媚な場所にようです。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社08


参道の奥は、化蘇沼稲荷神社。
石造りの二の鳥居が出迎えてくれます。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社09



鳥居脇の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社10

今でこそ行方市ですが、茨城百景が選定された昭和25年当時は武田村。
昭和30年に北浦村となり、平成9年に北浦町。
平成17年に行方市と変遷しています。



鳥居前にて一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社11


こちらが拝殿。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社12


拝殿前のお稲荷さんと一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社13


何やら、不思議な像。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社14

どうやら寸津比古(きつひこ)・寸津比売(きつひめ)の彫刻らしい。



像の脇には説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社15

説明板には、常陸風土記の行方の芸都(きつ)の里の話が書かれています。
要約すれば...............

昔、この辺りを芸都(きつ)の里と呼び、寸津比古、寸津比売と言う二人の国栖(くず)が居ました。
寸津比古は、倭武天皇の巡幸を前にして、命に逆らい、はなはだ無礼な振る舞いをしたので、
剣の一太刀で討たれてしまいました。
寸津比売は、恐れをなして白旗をかかげて道端にひれ伏し、天皇を迎えました。
それを見た天皇は憐れみ、その家をお許しになられました。
更に乗輿を進め、小抜野の仮宮に行かれるときに、寸津比売は、姉妹をともに引き連れ、
雨の日も風の日も、真の心を尽くして朝夕に仕えました。
天皇姿をお喜びになり愛しくなったことから、
この野をうるはしの小野と呼ぶようになったと言うことです。



常陸の国は常陸国風土記から常世の国とも呼ばれていて、
その語源は「面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、
土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにも豊かです。
耕し墾かれた処と海山の幸にめぐまれて、人々は心やすらかに満足し、
家々は充ち足りて賑わっていました。
いわゆる、海の宝庫・陸の宝蔵、膏したたる物産の楽土である
ゆえに、常世の国と言われた」 と伝わっているようです。

常陸の国って奥が深いかも?





境内でひときわ目立つ巨木。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社16

この巨木(古木)はモミの木で、幹回り約4m、樹高約16m、樹齢は約360年と言われていて、
北浦村(現:行方市)の天然記念物に指定されているようです。


行方市教育委員会の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社17



別アングルから見ても、やっぱり大きい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社18


北浦村時代の標柱。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社19



こちらの樹は、今の平成天皇が皇太子の時に植えられた楠木らしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社20



本殿のさらに奥には、土俵。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社21

この場所で夏祭りに際に奉納相撲が行われます。
化蘇沼稲荷神社は別名「関取稲荷」といわれるようで、昔から相撲が盛んだったようです。


古くは三宿と呼ばれ(武田、内宿、両宿)賑わいをみせていたようです。
特にこの化蘇沼稲荷神社は江戸中期以降、参拝者が増え
境内には9軒の茶屋が誕生したそうです。
「お江戸見たけりゃ武田へおいで、武田三宿江戸勝り」
と人々が唄うまでになったそうです。

現在の長閑なこの地区からは、とても考えられませんね。


関連記事
スポンサーサイト
2016/11/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit