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び・び・びのびいすけ

水戸八景  広浦秋月  (2016年9月16日)(茨城県東茨木郡茨木町) 

9月16日  公休日


この日は、茨城県の茨城町に出掛けました。


『茨城百景 涸沼』の碑がある涸沼湖畔の広浦地区。

茨城県指定の文化財の名勝地でもあるけれど
『水戸八景』の一つでもあるらしい。
『〇〇八景』好きとしては、素通りは出来ません。


と、言うことで訪れたのは...............水戸八景 広浦秋月


水戸八景は、水戸徳川家第九代藩主斉昭公が、
天保四年(1833年)に領内を巡視し、八つの景勝地を選定したものです。
斉昭公が、藩主を継いだ頃の世情は、決して無事安穏ではありませんでした。
英明で覇気に富んでいた斉昭公であっても、心を煩わすことが多かったようで、
八景の風景は公の憂いを散らすに役だったに相違ありません。
しかし、八景設定の大きな目的は、藩内の子弟に八景巡りを勧めて、
自然観賞と健脚鍛錬を謀ることにあったと言うことです。
当時の流行語を用いれば、正に「文武両道の修練」に資せられたもので、
斉昭公の深慮の程には全く、感嘆してしまいます。
 
水戸八景は

青柳夜雨 (あおやぎのやう)
太田落雁 (おおたのらくがん)
山寺晩鐘 (やまでらのばんしょう)
村松晴嵐 (むらまつのせいらん)
水門帰帆 (みなとのきはん)
巌船夕照 (いわふねのゆうしょう、いわふねのせきしょう)
広浦秋月 (ひろうらのしゅうげつ)
僊湖暮雪 (せんこのぼせつ)

の8ヶ所。

その手始めに『広浦秋月』から攻めて行きましょう。




『広浦秋月』の地は、広浦公園となっています。

      20160916水戸八景広浦秋月01


広浦公園の案内看板にも、水戸八景について触れています。

      20160916水戸八景広浦秋月02


こちらが、広浦公園の入り口。

      20160916水戸八景広浦秋月03


広浦公園そのものが、大小のバンガローが設置されたキャンプ場です。

      20160916水戸八景広浦秋月04



いきなり、芝生広場でローリングする びいすけ 。

      20160916水戸八景広浦秋月05

ミミズでも居るのか?
はたまた、モグラ?



お目当の水戸八景の説明看板。

      20160916水戸八景広浦秋月06


水戸を中心に8ヶ所の名所が周辺に点在しています。

      20160916水戸八景広浦秋月07



そして、こちらが『水戸八景 広浦秋月』の碑。

      20160916水戸八景広浦秋月08

この碑を見るために、この地に訪れたと言っても過言ではない。



広浦秋月 の文字が確認出来ます。

      20160916水戸八景広浦秋月09



こちらは、保勝碑。
水戸八景選定経過等を記した副碑になります。

      20160916水戸八景広浦秋月10



こちらは、茨城町が建てた標柱。

『名勝 広浦』

      20160916水戸八景広浦秋月11

当然、茨城町の指定文化財でもあります。


石碑、副碑、標柱は一ヶ所にまとめられ
ちょっとした壇になっています。

      20160916水戸八景広浦秋月12


      
壇上から、眺める広浦の涸沼。

      20160916水戸八景広浦秋月14


      20160916水戸八景広浦秋月15


すぐ近くには、大杉神社の一の鳥居。

      20160916水戸八景広浦秋月16

鳥居の片方の脚は、湖面に浸っています。
東日本大震災の後、湖水面が上昇して、
鳥居の脚が湖水に浸ってしまったそうです。
涸沼周辺の地殻が変動してしまったのでしょうか?


この『広浦秋月』の地は、茨城百景の涸沼の一部。
そして、『名勝 広浦』の地。

やっぱり『水戸八景』や『茨城百景』は伊達じゃない。
確かに風光明媚な場所でした...............。






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2016/10/06 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit