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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............番外編 佐倉藩校跡 (2016年8月11日) 

8月11日 公休日

佐倉城址公園からの散歩の帰り道。
三の丸広場から大手門跡を通り、鏑木の麻賀田神社の前を通り、
家路へと向かいます。

大手門跡の近くにかつての佐倉藩の藩校、『成徳書院』がありました。


成徳書院の跡地の碑。

      20160811佐倉藩校跡01


      20160811佐倉藩校跡02



裏面には成徳書院の絵図と成徳書院について刻まれています。

      20160811佐倉藩校跡05


      20160811佐倉藩校跡06



その隣には、成徳書院の別な絵図の描かれた記念碑が建っています。

      20160811佐倉藩校跡03



こちらの裏面には、1792(寛政4)年の藩校設立から
1871(明治4)年の廃藩置県による藩校廃止を経て、
1910(明治43)年に移転するまでの沿革が刻まれています。

      20160811佐倉藩校跡04



実は、この成徳書院が、後々の佐倉高校(千葉県立佐倉高等学校)へと変遷していきます。

佐倉高等学校は、江戸時代に佐倉藩(11万石)の藩校として寛政4年(1792年)に設立。
アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスが日米修好通商条約の調印を求めて来日した際、
上洛して孝明天皇から条約調印の勅許を得ようとするなど、
日本を開国に導いた江戸幕府老中首座の堀田正睦をはじめ歴代の佐倉藩主は人材の育成の為、
学問および武芸を奨励しました。
特に幕末には蘭学、英学などの洋学も積極的に取り入れました。

その後、廃藩置県により佐倉県立学校、印旛県立学校と変遷し、
明治6年には 旧佐倉藩士の援助のもと学校施設一切を引き継ぎながらも改組し、
千葉県で最初の旧制中学校となる私立鹿山中学校となりました。
明治32年に千葉県に移管され旧制千葉県佐倉中学校となり、
昭和23年の学制改革により新制高等学校として千葉県立佐倉高等学校となりました。

      

現在、成徳書院の跡地は、佐倉市民体育館になっています。

      20160811佐倉藩校跡10




こちらが、市民体育館。

      20160811佐倉藩校跡07


      20160811佐倉藩校跡08


      20160811佐倉藩校跡09



学校が現在の地に移転したのが明治43年。
当然、遺構らしきモノは全く在りません。


成徳書院や佐倉高校とは、全く関係がないとは思いますが
なぜか、敷地内には久保浩氏作の「西村勝三像」があります。

      20160811佐倉藩校跡11



日本で初めて、西洋靴を作り『リーガルシューズ』の創始者であるらしい。
また、品川白煉瓦(現品川リフラクトリーズ)を設立し、
耐火レンガや赤レンガの製造も手がけたらしい。
有名な「東京駅の赤レンガ」の全量を納入したのも彼の功績とのことです。

      20160811佐倉藩校跡12


どうやら、佐倉藩の藩校や佐倉高校とは直接的な繋がりは無いようです。
裏を返せば、佐倉市民体育館との繋がりも良く解らない。




ともかく、この地に佐倉高校のルーツである佐倉藩の藩校が在ったことは間違いない。

      20160811佐倉藩校跡13


先ほどの記念碑も、佐倉高校の同窓会「鹿山会」が建立されたものらしい。

そう言えば、佐倉高校って長嶋茂雄氏の母校でもあったんだなぁ。
江戸時代から、その教育に対する思いが深い町である佐倉市に
伝統ある学校(高校)が誕生した経緯をほんのちょっぴり覗けたような気がします。



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2016/09/01 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit