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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

再訪  青菅分教場 (2016年6月30日) 

6月30日 公休日

この日は北総のドッグランに出かけ、帰りに佐倉ラベンダーランドに立ち寄って見ました。
佐倉ラベンダーランドの近くには、昭和30年に建てられた木造校舎の残る分校跡があります。

昭和52年に廃校となった 佐倉市立志津小学校青菅分校 です。


      20160630青菅分校01


いわゆる廃墟マニアの方のWebには、『志津北尋常小学校青菅分教場』として紹介されていますが
佐倉市立志津小学校のHPの沿革によれば...............

明治23年に認可された『井野尋常小学校』が
明治25年に志津北尋常小学校と改称しますが
明治39年に志津北尋常小学校は、志津高等小学校と共に廃校となり
新たに、志津尋常高等小学校に組織されます。

明治41年に志津尋常高等小学校は志津南尋常小学校を統合し
志津南尋常小学校は第一分教場、青菅分教場を第二分教場と改名します。
時は流れ...............
昭和22年、学制改革により志津村立志津小学校と改称します。
昭和29年、市制施行により佐倉市立志津小学校となります。
昭和30年、第二分校校舎新築
昭和36年、第二分校を青菅分校と改称
そして、昭和52年、青菅分校は本校に統合されて廃校になります。


すなわち、この木造校舎が建てられた時も
廃校となった時も、いずれも佐倉市立志津小学校青菅(第二)分校となります。


初めて訪れたのは、
(その時の記事は こちら

その時と変わらないままの校舎。

      20160630青菅分校02


緑が映える木造校舎。

      20160630青菅分校03



まるで、地方の山奥の廃分校のようにも見えます。

      20160630青菅分校05



玄関もそのまま。

      20160630青菅分校06


      20160630青菅分校07



離れ時と言うか、先生の宿舎だったのか?
隣接する木造の古い建物。

      20160630青菅分校04




確かに、東京の都心部から50Kmほど離れた地方都市の佐倉市。
お世辞にも都会ではない。
緑の多い田舎である。

そんな佐倉市に時間の流れが止まったかのように遺された青菅分校跡地。

      20160630青菅分校08


      20160630青菅分校09


      20160630青菅分校10


      20160630青菅分校11




やっぱり、いつもでもこのままの姿で残って欲しい...............。
改めて、そんな思いで一杯です...............。






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2016/07/11 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit