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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて..............................共励小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


南秋川小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立共励小学校



共励小学校は、

明治7年      檜原小学校の支校として『共励学校』と称して創立する。
明治23年      檜原小学校より独立。
昭和22年     学制改革により、檜原村立共励小学校と改称する。
昭和57年      旧・檜原小学校と統合して廃校となる。
           (檜原小学校は校地移転して新設される。)

と、このような沿革となっています。


現在、共励小学校の跡地は檜原村郷土資料館となっています。

      20160430共励小学校01


校舎は解体され、郷土資料館の建物が建てられていますが
往時の校舎もこんな感じで建っていたそうです。

      20160430共励小学校02



校門へと続く上り坂。

      20160430共励小学校03

正門へと続く道は上り坂。
学校には、そんなイメージがあります。

正門には門柱はない。
代わりに桜の木が出迎えてくれます。

      20160430共励小学校05



そして、桜の木の根元にはこんなモノが...............

      20160430共励小学校13

何かの像のようですが、詳細不明。
子ども達の卒業製作のひとつでしょうか?




狭い校庭。

      20160430共励小学校04

校舎のように見える郷土資料館。
やっぱり往時の校舎もこんな感じで建っていたそうです。

     

校庭の遊具。

      20160430共励小学校14
     
と言ってもブランコのみ。

ブランコの奥に石碑が並んでいます。



こちらが、石碑群。

      20160430共励小学校06


      20160430共励小学校07



『 共励小学校跡 』の碑。

      20160430共励小学校08

まさしく、廃校の碑と言って良い。
校舎がなくても、二ノ宮像がなくても
この手の碑がぽつんと建っていれば更地でも構わない。
私にとって、この手の石碑は価値があると感じでいます。
これらの類いの碑を見るだけで、訪れた価値があると思っています。



こちらは、国民学校時代に校舎を増改築した際の
寄付された方々の名が記された石碑。

      20160430共励小学校09


      20160430共励小学校10

今まで、多くの廃校を巡り、可能な限りその廃校の沿革を調べ、
このブログに記録として記載してきました。
ただし、国民学校時代については触れないようにしています。

実は、個人的には戦争反対の立場でありますし、
日本が間違った戦争を起こしてしまったと言う考え方は否定できません。

戦時中に小学校が国民学校に改称されました。
ただ、その事実は受け止めたくないので
今までも、そして今後も各小学校の沿革では
そのことに触れません。記載いたしません。



こちらは、共励小学校の校舎建築の寄付された方々の名が刻まれた碑。

      20160430共励小学校11



『共励小学校校舎建築寄付連名』と記されています。

      20160430共励小学校12





敷地の多くは郷土資料館に供されていますが
校庭は、ゲートボール場に利用されているようです。

こちらは、その倉庫のようです。

      20160430共励小学校15


木造平屋建ての建物。
ひょっとしたら、共励小学校の時の倉庫?だったのかもしれません。
はたまた、校舎の一部だったのだろうか?

      20160430共励小学校16


二ノ宮像はありませんでしたが、共励小学校跡の碑はしっかりと残り
郷土資料館として生まれ変わった共励小学校。
この先ずっと、このままの形で残されていくのでしょう...............。












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2016/05/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit