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び・び・びのびいすけ

関戸城址 (2016年4月23日)(東京都多摩市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。

稲城第八小学校をあとにして、向かった先は...............関戸城址


関戸城の築城時期や築城者等についての詳細は不明です。
1494年に、扇谷上杉定正が山内上杉顕実の関戸の塁を陥落させたという記録があり、
これが関戸城の初見とされているようですが、これが関戸城のことなのか、
あるいは関戸塁(霞の関所)のことなのかは分かっていないようです。
戦国時代になると、関戸城には後北条氏の家臣である佐伯氏が入ったようですが、
その後の歴史についても不詳とされています。


京王線聖蹟桜ヶ丘駅から南に『いろは坂』と呼ばれる坂道を上りきった所が
関戸城址となっているようです。

高校時代を隣町の日野市(高幡不動)で過ごした私にとって
この聖蹟桜ヶ丘は通学で乗り降りした駅であり、
いろは坂を上りきった高台にある桜ヶ丘の住宅街は羨望の地でした。
桜ヶ丘の住宅街に住む同級生が羨ましかった。

      20160423関戸城址01


この階段を上りきった所が、天守台。

      20160423関戸城址02



階段脇には腰曲輪のような削平地もあるけれど
こちらは、後世の宅地開発時の名残りでしょうか?

      20160423関戸城址03


      20160423関戸城址04



こちらが、天守台。
現在は、標柱があるのみ。

      20160423関戸城址05


天守台と言っても、ここに天守台が建っていた訳ではなく
多摩川に面し武蔵野台地を一望できる高台の地であることから、
鎌倉幕府以来の物見台的城塞や狼煙台であったと考えられているようです。
多摩川の対岸の分倍河原から多摩川を渡って関戸に至る地域では、
中世の関東における要地で、この地をめぐって幾多の戦いが繰る広げられました。


      20160423関戸城址06


      20160423関戸城址07

標柱には、こんな文面が記されています。


桜ヶ丘一丁目の金比羅宮(琴平社)付近と「天守台」などといい、一帯の山を「城山」ともいう。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見的城砦として敵を察知したり、急変を狼煙などで知らせる通信拠点であったとも考えられる。一帯は関戸城跡とされているが、今はわずかにその一部を留めるのみで、山頂は削られ地形も変わっている。
(多摩市教育委員会)


      20160423関戸城址08



標柱の周辺は宅地開発されて遺構は見当たらない。
城址の北郭にあたる金比羅宮に足を伸ばします。

      20160423関戸城址09

と言っても、標柱から数10mの距離。


郭そのものも広くなく、こじんまりとした金比羅宮です。

      20160423関戸城址10


ジブリ映画『耳をすませば』のモデルになった金比羅宮らしい。
残念ながら、まだこの映画は観てないんですが...............。

      20160423関戸城址11


金比羅宮の隣も向いも住宅地。

      20160423関戸城址12

完全な住宅街の中の金比羅宮です。


確かに、私が高校生だった数十年前から桜ヶ丘の住宅街はあり、
今もその景観は変わらない。


唯一、住宅街の切れ目に堀跡のような茂みがありました。

      20160423関戸城址13

堀跡でも何でもなく、ただ自然地形の茂みなのかは分かりませんが...............。


まぁ、最初から期待はしていなかったし
高校生の時に、体を傾けてオートバイでいろは坂を駆け上がり、駆け下りた...............
そんな若かりし頃の記憶が頭をよぎり、それだけで心が満たされた気になってしまいました。




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2016/05/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit