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び・び・びのびいすけ

小笠原陣屋跡  (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日  公休日

個人的な連休初日。

この日は、鴨川市に出かけました。

清澄山をあとにして、向かった先は...............小笠原陣屋跡


小笠原陣屋は、大里(だいり)陣屋とも呼ばれ、
信濃小笠原氏の一族の小笠原信喜が延享4年に上総天羽・安房長狭郡内において1,200石を与えられ、
併せて2,000石となり、これ以降に長狭郡内に陣屋を構えたとされています。
その後、天明7年には7,000石の旗本となりました。
陣屋は加茂川に面した段丘上にあり、100m×150mと言う敷地だったそうです。



こちらが、小笠原陣屋の縄張り図。

      小笠原陣屋縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました。)


縄張り図に記載されている正法寺近くに車を停めて
小笠原陣屋跡へと向かいます。

      20160301小笠原陣屋01


この辺りも、ひょっとしたら陣屋の一画だったのかもしれない。
と言うのも、なぜか堀跡にように見えてしまいます。

      20160301小笠原陣屋02


正法寺の裏手には土塁。
そして、裏手の田圃がかつての堀跡のように見えてしまいます。

      20160301小笠原陣屋03



小笠原陣屋跡の遠景。

      20160301小笠原陣屋04

赤い屋根が真福寺。



こちらが真福寺。

      20160301小笠原陣屋05


真福寺の本堂。

      20160301小笠原陣屋07



真福寺の本堂脇の池。

      20160301小笠原陣屋06



これも、かつての堀跡かもしれない。

      20160301小笠原陣屋08



本堂の裏手は、ちょっぴり高台になった削平地。
現在は、墓地の一部となっています。

      20160301小笠原陣屋09


さらに、その奥は果樹園と竹藪ですが個人の敷地のようで
迂闊には入って行けません。

      20160301小笠原陣屋10


高台の墓地から本堂へと下る道。

      20160301小笠原陣屋11

なぜか、登城路と虎口のような気がします。




真福寺に隣接する大里神社。

      20160301小笠原陣屋12


      20160301小笠原陣屋13


      20160301小笠原陣屋14

拝殿の背後は一段高くなった削平地。
しかし、完全な藪状態。
まるで、中世の城郭跡のように見えてしまいます。



大里神社脇の水田は、堀跡のように見えます。

      20160301小笠原陣屋15


田圃をぐるっと回って、大里神社の背後に攻め込んでみましょう。

      20160301小笠原陣屋16


背後から見た水田は、まさに堀跡のように見えてしまう。

      20160301小笠原陣屋17

裏を返せば、後世に水堀を耕作したのではないでしょうか?


大里神社の背後から、削平地(おそらく郭跡)に向かう導線は
私有地のため立ち入り禁止。

      20160301小笠原陣屋18



覗き込む感じでは、真福寺の墓地の背後の竹藪らしきモノが見える。

      20160301小笠原陣屋19


中に入って行きたいと言う衝動に駆られますが
そこは、ぐっと抑えて...............

台地をぐるっと一周してみましたが、
いずれも民家の背後になってしまうため
これ以上の探索は無理でした。

陣屋跡と言うよりは真福寺背後の削平地を見る限り
中世の城郭跡と言った方が適切かもしれません。
余胡さんのホームページの記載によれば、
元々、この地には金山城の出城が在ったと言う事らしい。

旗本であった小笠原氏が、たまたまこの地に在った中世の城郭跡に
陣屋を構えたのかもしれませんね。





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2016/03/22 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit