廃校を訪ねて...........沼端小学校 (2016年1月15日)(埼玉県春日部市)
1月15日 公休日
個人的な連休2日目。
さすがに2日続けてはじっとしていられません。
元々、この日は埼玉県の越谷市に出掛ける予定があったので
ちょっぴり早目に家を出て、春日部市に足を伸ばしてみました。
向かった先は...............春日部市立沼端小学校
かつて春日部市の武里団地周辺には4つの小学校があったようです。
( 大畑小学校、 大場小学校、沼端小学校、谷中小学校 )
平成15(2003)年、地区を再編して4つの小学校は2つの小学校に統合されてしまいました。
その際に廃校となったのが、今回訪れた沼端小学校になります。
沼端小学校は
昭和51年4月 大場小から804名、
武里小から11名の児童を合わせて815名で開校する。
平成15年3月 地区再編により廃校となる。
そもそも、昭和38年から旧・日本住宅公団が武里団地を竣工し
昭和41年から管理されてきた武里団地により住民が飛躍的に増え、
それに併せて近隣に小学校が増えた地区であります。
武里団地は開設当初、「東洋一の団地」と呼ばれていたそうです。
沼端小学校の学区は、大場小学校跡地に新たに建てられた武里西小学校が引き継ぎましたが
大場小学校(現 武里西小学校)も谷中小学校もすぐ近くにありました。
こちらが、沼端小学校の正門。

門は閉ざされ、中に入ることは出来ません。
夏場に近所のやんちゃな若者が花火をしていたようで
現在はセコムで監視・管理されているようです。
門柱には、かつての校名の入った表札も外されていました。

中には入れそうもないのでゲート越しに中をパチリ☆。


フェンスに沿って敷地をぐるっと回ってみましょう。
フェンス越しに眺める校舎。


裏門があるか?と探しますが、それらしきモノはありません。

フェンス越しに眺める遊具類。


さらに、進んで行くと、田んぼが行手を遮り
あぜ道を歩いて沼端小学校を一周します。


体育館の裏手。

こちら側にもフェンスがあり、裏門や通用口はない。

フェンスに貼られた標語。

唯一、沼端小学校の名を残す遺構となります。
敷地内に入れなかったから、廃校記念碑や二ノ宮像の有無も確認出来ませんでした。
数年前までは、避難場所指定されていたようで
中に入ることも出来たかもしれないけれど、今はしっかりゲートが閉ざされています。
日本の高度成長期に団地が建てられ、それに伴って人口も増え
必然的に新設された小学校。
日本の経済の失速、そして少子化の波をモロに被って
過剰となってしまった小学校。
同時期に学区整理され、4校が廃校となり2校が新たに誕生した武里団地周辺。
日本の経済の縮図を見たような気がしました...............。
個人的な連休2日目。
さすがに2日続けてはじっとしていられません。
元々、この日は埼玉県の越谷市に出掛ける予定があったので
ちょっぴり早目に家を出て、春日部市に足を伸ばしてみました。
向かった先は...............春日部市立沼端小学校
かつて春日部市の武里団地周辺には4つの小学校があったようです。
( 大畑小学校、 大場小学校、沼端小学校、谷中小学校 )
平成15(2003)年、地区を再編して4つの小学校は2つの小学校に統合されてしまいました。
その際に廃校となったのが、今回訪れた沼端小学校になります。
沼端小学校は
昭和51年4月 大場小から804名、
武里小から11名の児童を合わせて815名で開校する。
平成15年3月 地区再編により廃校となる。
そもそも、昭和38年から旧・日本住宅公団が武里団地を竣工し
昭和41年から管理されてきた武里団地により住民が飛躍的に増え、
それに併せて近隣に小学校が増えた地区であります。
武里団地は開設当初、「東洋一の団地」と呼ばれていたそうです。
沼端小学校の学区は、大場小学校跡地に新たに建てられた武里西小学校が引き継ぎましたが
大場小学校(現 武里西小学校)も谷中小学校もすぐ近くにありました。
こちらが、沼端小学校の正門。

門は閉ざされ、中に入ることは出来ません。
夏場に近所のやんちゃな若者が花火をしていたようで
現在はセコムで監視・管理されているようです。
門柱には、かつての校名の入った表札も外されていました。

中には入れそうもないのでゲート越しに中をパチリ☆。


フェンスに沿って敷地をぐるっと回ってみましょう。
フェンス越しに眺める校舎。


裏門があるか?と探しますが、それらしきモノはありません。

フェンス越しに眺める遊具類。


さらに、進んで行くと、田んぼが行手を遮り
あぜ道を歩いて沼端小学校を一周します。


体育館の裏手。

こちら側にもフェンスがあり、裏門や通用口はない。

フェンスに貼られた標語。

唯一、沼端小学校の名を残す遺構となります。
敷地内に入れなかったから、廃校記念碑や二ノ宮像の有無も確認出来ませんでした。
数年前までは、避難場所指定されていたようで
中に入ることも出来たかもしれないけれど、今はしっかりゲートが閉ざされています。
日本の高度成長期に団地が建てられ、それに伴って人口も増え
必然的に新設された小学校。
日本の経済の失速、そして少子化の波をモロに被って
過剰となってしまった小学校。
同時期に学区整理され、4校が廃校となり2校が新たに誕生した武里団地周辺。
日本の経済の縮図を見たような気がしました...............。
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2016/01/30 Sat. 00:00 |
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