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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............曽呂尋常小学校分教場  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


曽呂小学校をあとにして、向かった先は...............曽呂尋常小学校跡


県道89号線を曽呂小学校から県道89号線を長狭街道に向けて車を走らせていると
やがて、こんな看板が目に止まります。

      20151023曽呂尋常小学校分教場01



何やら仰々しい看板ですが、曽呂尋常小学校分教場跡の看板です。

      20151023曽呂尋常小学校分教場02


看板の案内に誘われて、敷地内に足を踏み入れます。

      20151023曽呂尋常小学校分教場03



こちらが、曽呂尋常小学校分教場跡。

      20151023曽呂尋常小学校分教場09


他の方のブログを拝見して、かなり老朽化した木造校舎だとは知っていましたが
確かに..............................思わず言葉が出ない。

      20151023曽呂尋常小学校分教場10

ここで、曽呂尋常小学校分教場跡について触れましょう。


廃校となった本校である曽呂小学校の沿革とリンクさせてみると
曽呂尋常小学校は明治7年に創立された小学校が始まりとされています。

明治7年      小学校創立。のちに西尋常小学校となる。
明治42年     上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校を統合し、
           曽呂小学校が開校する。西尋常小は分教場となる。
昭和22年     学制改革により、曽呂村立曽呂小学校の分教場となる
昭和30年     江見町、太海村、曽呂村が合併して、新たな江見町となる。
           江見町立曽呂小学校の分教場となる(?)
昭和46年     鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市誕生。
           鴨川市立曽呂小学校西分校と改称する。
昭和48年     本校に統合して廃校とする

と、このような沿革になるようです。

世間一般では、曽呂尋常小学校分教場と読んでいるようですが
廃校時には、鴨川市立曽呂小学校西分校と言うのが正式校名だったようです。




敷地内には、こんな記念碑。

      20151023曽呂尋常小学校分教場04


      20151023曽呂尋常小学校分教場05


      20151023曽呂尋常小学校分教場06


      20151023曽呂尋常小学校分教場07


      20151023曽呂尋常小学校分教場08

記念碑には、このように記されています。



村の中央までは程遠いので、低学年の児童は本校に通う事ができず、
4年生までは分教場で授業を受ける事に成っていた。

1年から4年までの40人に満たない児童が1つの教室で
1人の先生に教わったのだから、なつかしい想い出は多い。

(水田三喜男自伝「蕗のとう」より)

水田三喜男がこの分教場に通ったのは、明治末から大正初めにかけてである。
本校(曾呂尋常小学校)までは6キロもあるので、
周辺の子供たちはこの分教場へ通学したのであった。

この分教場は1874年、全国的にみてもきわめて早い時期に、
この地域で開校した4つの小学校の1つで、1967年の廃校まで、
90年の長きにわたって郷土の多くの人々を育んだ。

水田三喜男の父信太郎は、1909年曾呂村の村長として、
3つの小学校(上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校)を
曾呂尋常小学校に1本化することに尽力し、県下の各町村に先駆けて近代的校舎を建設、
人々の信頼を得た。この時、本校は上に、分教場は西に置かれた。

曾呂の地が生み、終世この地を愛してやまなかった水田三喜男(1905年~1976年)は
第2次世界大戦後、新憲法による第1回総選挙で衆議院議員に初当選、
以来30年間、連続当選13回、戦後日本の復興に心血を注いだ。
7度に渡る大蔵大臣として、国民生活の安定と日本経済の高度成長のために働く一方、
義務教育費の国庫負担、私学助成など、日本の教育の再生、復興に力を注いだ。

1965年、国と社会に有用な人材育成のために、学校法人城西大学を創立、
政治家としての責務を果たす傍ら、「学問による人間形成」を建学の理念として、
大学の初代理事長および学長の任に当たった。1976年、71歳の若さで急逝した。

この地に生まれ、この分教場で学んで大きく成長した人間水田三喜男の遺徳を偲び、
郷土の人々との変わる事の無い心の交流を祈念して、この碑を建立する。

学校法人城西大学理事長

城西国際大学学長 水田宗子




学校法人城西大学は1965年埼玉県坂戸市に城西大学の創立に続き、
新たに1992年千葉県東金市に城西国際大学を創立した。

2006年には鴨川市に同大学観光学部を開設し、
創立者の故地にその教育への志と夢と情熱とを根づかせようと努めている。

この碑と分教場の近くにあり、2005年に復元された水田三喜男生家は
国の文化財に登録され、多くの見学者が訪れる。







碑は、シンボルツリーとも言えるイチョウの脇に
ひっそりと建てられていました。

      20151023曽呂尋常小学校分教場17


廃校後、しばらくは地域の公民館として使われていたようです。

      20151023曽呂尋常小学校分教場18



大蔵大臣を務め城西大学の創立者の水田三喜男さんが
この学び舎で学んだ児童の一人であることから
元・鴨川市長の本多利夫氏が代表を務める「曽呂尋常小学校分教場再生保存を願う有志一同」と言う有志が
保存に向けて精力的に活動されているとのことです。



しかしながら、明治7年に建てられたとされているこの校舎。
老朽化は進み、危険と言えば危険。
一応、内部には入れない(入らない)ようにロープが張られています。

      20151023曽呂尋常小学校分教場14


      20151023曽呂尋常小学校分教場15




保存されていると言えども老朽化は否めない。
     
とりあえず、明治7年に建てられた木造校舎をじっくり眺めます。

      20151023曽呂尋常小学校分教場12



静寂さの中に、この空間だけ時間が止まっていた感じがします。

      20151023曽呂尋常小学校分教場13



こちらは、同じ木造でも後から増築されたモノでしょうか?
気持ち新しい感じがします。

      20151023曽呂尋常小学校分教場11      



以前は校庭も草が刈られ、しっかりと管理されていた感じがするのですが、
季節柄か? 雑草も伸び始めています。

      20151023曽呂尋常小学校分教場16



恐る恐る、ロープまで行き、中を覗いてみましょう。

      20151023曽呂尋常小学校分教場19

(基本は廃墟マニアではないので、中を覗くなんてことはしないんですけどね。)



窓ガラスが無いのは外から見ても分かるけど
床もかなりヤバそう。

      20151023曽呂尋常小学校分教場20



所々、朽ち果てて抜けている箇所もある。

      20151023曽呂尋常小学校分教場21


確かに危険って言えば危険。


でも、ここまできちゃうと、中々手を入れられず
こんな風になっちゃったと言うのが現実なんでしょうか?


上手く保存出来れば、上手く保存されて行けばいいんですが...............。






県道脇には、秋の代名詞 コスモス。

      20151023曽呂尋常小学校分教場22


ちょっぴり旬は過ぎてしまった感もあるけれど
秋の里山にはコスモスが似合う。

      20151023曽呂尋常小学校分教場23



さて、次なる場所へと移動いたしましょう。




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2015/11/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit