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び・び・びのびいすけ

羽生城址  (2015年9月21日)(茨城県行方市) 

9月21日 公休日

この日は、茨城県の行方市に出かけました。


行方市立 玉造城址をあとにして、
向かった先は...............羽生城址


玉造城址からR355を北上すると、2年前に廃校となった羽生小学校があります。
羽生小学校に隣接する萬福寺の建つ台地一帯が羽生城址と言われています。

そもそもこの辺りは、平安時代の荘園「橘郷」の地であり、
承安4年(1174)佐衛門佐兼押領使高階朝臣(経仲)が宰吏安穏、国土豊饒を祈願して
鹿島社大称宣中臣則親に橘郷を寄進したといい、
中臣氏の一族がこの地に来て、城を築き、羽生氏を名乗ったと言われています。

戦国時代になると、羽生氏は近隣の芹沢氏などと領地を巡り抗争していたようです。
しかしながら、常陸国を掌握しようと画作する佐竹氏により秀吉の小田原の役の功労もあり
常陸国を領有することを認められると鹿島・行方地区の南方三十三館と同様に
天保19年(1590年)佐竹氏の侵攻により、羽生城は落城し廃城となりました。







こちらが羽生城の縄張り図。

      羽生城縄張り図


            (  余胡くんのお城のページ  よりお借りしました  )



実は羽生小学校には、今年の2月に訪れていますし、
城址の一部である萬福寺にも訪れています。
( その時の記事 羽生小学校訪問記は こちら
( 萬福寺の訪問記は こちら


こちらが萬福寺。


山門の仁王門と阿弥陀堂は茨城県の指定文化財となっています。


こちらが仁王門。

      20150921羽生城址01


      20150921羽生城址02


そして、阿弥陀堂。

      20150921羽生城址03


萬福寺の奥にある墓地。

      20150921羽生城址04

こうやって眺めてみるとそれらしい雰囲気はあります。


墓地から台地先端(主郭となる城山)を目指しますが
墓地の先は果樹園となり、墓地の奥へは進軍できません。

      20150921羽生城址05



仕方ないので、墓地の脇から台地を下り、途中から藪の切れ間を探して
台地奥へと進軍をチャレンジしてみます。

      20150921羽生城址06


木々の切れ目を進軍しますが、やはり行く手には藪が待ち構え
やむなく断念。

      20150921羽生城址07


      20150921羽生城址08

台地伝いに主郭(城山制覇)は諦め、台地を下って谷津伝いに台地をぐるっと回ってみることにします。


台地先端部。
この台地の頂部か主郭である城山にあたります。

      20150921羽生城址09


      20150921羽生城址10


何やら看板らしき白い物体。
近づいてみると羽生城址(羽生館跡)の説明板でした。

      20150921羽生城址11


説明板なんて建っているなんて事前情報では知らなかったから
この説明板を見つけた時は嬉しかったなぁ...............。

      20150921羽生城址12


結局、主郭(城山)へのアプローチはできず
いわゆる本丸(主郭)へは辿り着くことは出来ませんでした。

台地をぐるっと回って、萬福寺に戻ります。


お彼岸のど真ん中の9月21日。
萬福寺に墓参りに来られる方々も多い。

その方々を受け入れるかのように咲き誇る彼岸花(曼珠沙華)。

偶然にも彼岸花に飛び交う黒アゲハ。

      20150921羽生城址14


やっぱり秋の仏閣には彼岸花が似合いますなぁ...............。


主郭である城山にアプローチ出来ずに
遺構らしきものを確認ことができなかった羽生城址ですが
平成21年に玉造郷土文化研究会の名のもとに
新たな説明看板も設置されたことを良しといたしましょう。










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2015/10/03 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit