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び・び・びのびいすけ

飯野陣屋跡    (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

富津陣屋跡をあとにして、向かった先は...............飯野陣屋跡



飯野陣屋は、若狭敦賀陣屋・周防徳山陣屋と共に日本三大陣屋の一つに数えられ、
江戸時代の姿が完存している貴重な史跡でもあります。

基本的には横長の長方形で三条塚古墳を陣屋内に取り込み、
一部古墳の周濠を陣屋の濠として利用しています。 
陣屋を囲繞する濠と土塁が完存していて、北東隅辺りには折れの遺構が見られる。
虎口は、3ヶ所に開かれていいて、東側に開かれた大手口には内枡形の遺構も残っている。

かつては陣屋内には、「本丸」・「二の丸」・「三の丸」と土塁によって区分され、
まるで城そのもののようでした。 
西側の周濠の外側に「外邸」があり、その外側を狭いが濠が囲んでいたそうです。

そもそも飯野陣屋は、慶安2年に保科正貞によって築かれました。 
正貞は、高遠城主保科正直の三男(後に会津若松城主となる保科正之は兄正光の養子)です。
大坂定番となり加増されて17000石を領して大名に列しました。
正貞没後、2代正景が弟正英に2千石分与して15000石となりますが、
延宝5年に正景が大坂定番となり5千石加増され、以後8代続いて正益の時に明治を迎えました。

明治4年、廃藩置県によって飯野藩は消滅し、飯野県が成立します。
飯野陣屋は飯野県県庁となり陣屋は廃されました。




こちらが、飯野陣屋の縄張り図。

      飯野陣屋縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )



縄張り図を見ても分かるように、陣屋としてはその敷地はかなり広い。


実は郭内の入口が分からず、結果的には内邸を囲む外濠を
ほぼ一周する羽目になったのですが、車でぐるっと廻ってもかなりの距離があります。


こちらは、比較的新しく建てられた説明板。

      20150605飯野陣屋跡01



本丸西側の堀沿いに建てられています。

      20150605飯野陣屋跡02


こちらが、本丸西側の堀。

      20150605飯野陣屋跡03

流れが淀んでいるのか濁っていて、お世辞でも綺麗とは言えません。

      20150605飯野陣屋跡04



先ほどの説明板には、縄張り図も載っています。

      20150605飯野陣屋跡05




こちらが、大手口。

      20150605飯野陣屋跡18

大手口には、石碑が建ち並んでいます。


説明看板と飯野陣屋跡の石碑。

      20150605飯野陣屋跡16

説明看板の背後にある石碑は、飯野神社の石碑。



こちらが、『飯野陣屋跡』の碑。

      20150605飯野陣屋跡17
     


堀も健在。

      20150605飯野陣屋跡19





主郭跡(本丸跡)は宅地化されて、その名残りを探すのが難しい。

まるで普段の散歩のように闊歩する びいすけ 。

      20150605飯野陣屋跡14


      20150605飯野陣屋跡15



二郭(二の丸)は、現在は何もない空き地。
実は最初に、二の丸に車を乗り入れ、目に入った石碑を見たら
飯野陣屋の石碑ではなくて、学校跡地の石碑でした。
こちらの廃校については、明日にでもこのブログで触れることにいたしましょう。



三郭(三の丸)の一角は、飯野神社。

      20150605飯野陣屋跡06


こちらの境内にも飯野陣屋についての説明看板があります。

      20150605飯野陣屋跡07

こちらは、地元の飯野地区の有志によって建てられたようです。



由緒ある飯野神社。

その拝殿。

      20150605飯野陣屋跡08



そして、本殿。

      20150605飯野陣屋跡09


飯野神社の奥にある三条塚古墳の説明看板。

      20150605飯野陣屋跡10


三条塚古墳そのものは、6世紀末に造られたと推定される墳丘長122メートルの前方後円墳。

飯野陣屋があった時代には、物見台として活用されていたようです。

      20150605飯野陣屋跡11



そして、三条塚古墳前の平場(削平地)は、かつての飯野藩の藩校があったらしい。

      20150605飯野陣屋跡12



この辺りが藩校跡らしいが、これと言った案内板や石碑はないようです。

     20150605飯野陣屋跡13


日本3大陣屋跡と言うことで、かなり期待をしていましたが
正直名前負け、前触れに負けた!って言う感じです。
この『日本3大』って言ったのが微妙な表現で、
今回は面積(敷地)が3大と言うことだろう。

大きさ(外観)よりも中身(質)で3大と言う表現を用いて欲しいなぁと感じるのは、
はたして、私だけなんだろうか..............................?







    


     






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2015/06/23 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit