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び・び・びのびいすけ

富津陣屋跡  (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

富津台場跡をあとにして、向かった先は...............富津陣屋跡



富津陣屋は、
文化7年(1810)白河藩主松平定信が幕府から江戸湾の防備を命じられると
文政5年(1822)館山の波佐間から陣屋が移され、新たに富津陣屋ができました。
以後富津村の領主は幕府代官、武蔵忍藩、陸奥会津藩、筑後柳河藩、
陸奥二本松藩、上野前橋藩、と引き継がれ領内の行政や
海防の拠点として使用されてきました。

幕末の慶応4(1868)年、前橋藩は上野へ領地替えとなり、
富津陣屋は飯野藩領となり富津陣屋は廃されました。




富津陣屋跡は、市街地の仲区公民館辺りだと聞いていたので
まずは、その公民館から探します。

車のナビでは、公民館が出てこないので中学校跡地に車を停めて
周辺を探します。

地元のご老人に道を尋ねると、この辺りらしい。

      20150605富津陣屋跡01


どうやら、奥の鉄筋の建物が公民館らしい。

      20150605富津陣屋跡16


こちらが公民館。

      20150605富津陣屋跡04

てっきり、公民館の敷地内に石碑とか説明板があるのかな?って思っていたら
何もない!。
と、言うよりも公民館の周りは完全な住宅地。
陣屋跡とは思えない。


確か、富津陣屋跡の石碑があるとのことなので
周辺を探索してみます。


確かに、それらしい雰囲気のある場所もある

土塁の一部か?

      20150605富津陣屋跡02

すぐ近くにも土塁の跡?のような土盛り。

      20150605富津陣屋跡03


      20150605富津陣屋跡05

でも、探している石碑はありません。


ロングリードの びいすけ を先に行かせ、視線は石碑探し。

      20150605富津陣屋跡14

画面右側の茂みが怪しい?


こちらが、その茂み。

      20150605富津陣屋跡13



茂みの奥に何かがあるようです。

      20150605富津陣屋跡12



説明看板と石碑があるようです。

      20150605富津陣屋跡11


探していた『富津陣屋跡』の碑と説明看板です。

      20150605富津陣屋跡07   



こちらが、説明看板。

      20150605富津陣屋跡06


石碑は3基。

まずは、『富津陣屋跡』の碑。

      20150605富津陣屋跡08



こちらは、『白井宣左衛門の自刃の地』の碑。

      20150605富津陣屋跡09


そして、こちらは『小河原多官自刃の地』の碑。

      20150605富津陣屋跡10



幕末の慶応4(1868)年、旧幕勢力の請西藩主林忠宗らが
前橋藩の富津陣屋を包囲しました。
前橋藩は旧幕勢に陣屋を明け渡し、兵士、武器、食料を与えてしまいました。
しかし、前橋藩廃の藩を免れるためにその責任を負って、
家老小河原多官、陣屋総括者白井宣左衛門は陣屋にて自刃いたします。
その両名の碑がしっかりと建っていました。



石碑の建っている場所の近くの用水。
往時の堀跡なのでしょうかか?

      20150605富津陣屋跡15


幕末の東京湾警備のために重要な位置づけであった富津陣屋。
その陣屋跡は、周辺が住宅地に変わってしまい、地元の方々が建立した石碑も
今では茂みの中に埋もれてしまっている。
民地なのか?公有地なのかは判りませんが
もうちょっと富津市にも保存に力を入れて欲しいところですが
以前には無かった説明看板が建てられているだけでも
良しとしなければいけないのかなぁ..................?




     



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2015/06/21 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit