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び・び・びのびいすけ

烏山藩厚木役所跡 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は神奈川県の厚木市に出かけました。

厚木市の本厚木駅(小田急線)近くにある烏山藩厚木役所跡に立ち寄ってみました。


下野国(現栃木県)烏山藩主大久保常春は、享保13年(1728)頃、
相模国内に点在する領地を治めるため厚木村に代官所を置きました。
現在の厚木神社北側の所で、通称「厚木陣屋」と呼ばれ、
役人たちが年貢の取立てや幕府から出された知らせを触れ回る仕事をしていました。

慶応3年(1867)、町内に起こった大火で厚木役所は類焼してしまいます。
再建された建物は間もなく明治維新を迎えることとなり、
新たに置かれた烏山県の出張役場となりました。
その後、府県の統廃合により役場は廃止となり、建物は厚木小学校の前身、成思館に供されたそうです。

さらにその後、この地には愛甲郡役所や厚木町役場などが置かれました。
市制施行後も厚木市役所の庁舎が置かれてきました。
市役所の建物がすべて現在地に移転した以降は、商店街の駐車場に使われていたしたが、
昭和62年(1987)、周辺の民有地を含めた市街地再開発事業により、
十六階建ての高層建築(マンション)が竣工されました。



こちらが、烏山藩厚木役所跡地。

      20150509烏山藩厚木役所跡05

本当に立派なマンションが建っていて、
とても江戸時代の役所跡には見えません。




こちらが、烏山藩厚木役所跡の碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡06



元々、この場所に建てられていたのか?
はたまた、マンション建設時に敷地内の隅に追いやられたのか?
マンションの敷地にはそぐわない碑です。

      20150509烏山藩厚木役所跡09



この碑は、根府川石でできており、高さ2.3m、幅1m、厚さ13cmあります。

      20150509烏山藩厚木役所跡10


      20150509烏山藩厚木役所跡08




碑の前に建つ標柱。

      20150509烏山藩厚木役所跡07

厚木市教育委員会が建てたモノですが、今や文字がかすれて
説明内容(解説)が今イチ読めません。

      20150509烏山藩厚木役所跡11




      
烏山藩厚木役所が厚木小学校の前身の成思館、愛甲郡役所、厚木町役所と変遷して
現在では、それらの遺構は全くありません。

近代的なマンションが建つ住宅地と化しています。      

      20150509烏山藩厚木役所跡12



隣接する厚木神社の方が却って、それらしい雰囲気が有ったりします。


こちらが隣接する厚木神社

      20150509烏山藩厚木役所跡01


烏山藩厚木役所跡を彷彿させる遺構はありませんが
由緒ある神社のようで、見所はこちらの方が有るような気がします。


境内に残る二つの石碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡02


右側がかつての鳥居。
関東大震災の時に崩壊した鳥居の一部で、
震災の怖ろしさを後世に伝えるために、石碑としたらしい。


左側は、厚木神社が明治6年に郷社となった記念に建てられたモノらしい。

      20150509烏山藩厚木役所跡03



こちらは、『あつぎお天王様の地』の碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡04

 
平安時代より疫病除けの神様として牛頭天王が祀られ、
那須与一も眼病祈願をし、厚木のお天王様として親しまれた。
夏祭りはお盆とも重なり近郷近在より田植え後の老若男女が繰り出し、
露天や見世物小屋も掛かり、人の波で沸き、賑やかさを呈した。
現在は厚木神社と称し尊崇されている。 ( 碑の説明文の原文)



こちらが、厚木神社の拝殿。

      20150509烏山藩厚木役所跡13


      20150509烏山藩厚木役所跡14



厚木神社境内より、拝殿越しに見る烏山藩厚木役所跡。

      20150509烏山藩厚木役所跡15


やっぱり、マンションしか見えませんねぇ..............................。





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2015/05/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit