廃校を訪ねて............古里小学校大丹波分校跡 (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町)
12月7日 公休日
前日の12月6日、東京・稲城市の城址巡りに出かけたら
中央高速の稲城大橋を降りたところで雨............
最近、休みの日に出かけると雨にたたれることが多い。
よっぽど、日頃の行いが悪いのだろうか..................?
八王子の実家に転がりこみ、雨を恨みます。
あけて、7日のこの日。
かねてから行きたかった奥多摩に向けて、朝4時半過ぎに実家を出て
R16、青梅街道と下道を走り、向かった先は..................
奥多摩町立古里小学校大丹波分校跡
大丹波分校の詳しい沿革は、分かりませんが
明治10年に大丹波村輪光院に開設された大丹波学校が
その始まりのようです。
明治22年 大丹波村を含む近隣の7ヶ村が合併し古里村が発足する。
明治34年 古里尋常高等小学校に合併され、
古里尋常高等小学校大丹波分教場となる。
昭和22年 学制改革により、古里村立古里小学校大丹波分校と改称。
昭和30年 古里村が氷川町、小河内村と合併し奥多摩町発足。
奥多摩町立古里小学校大丹波分校となる。
昭和61年 児童数の減少により、本校に統合され廃校となる。
と、このような沿革となっているようです。
西東京バスの八桑バス停前が、かつての分校地。

遠目から見ても、それっぽく見えます。
大丹波集落を縦断するメインの道路(と言っても細い道です)に面していて
道路から見ても、いかにも学校があるって言う感じがします。

こちらが、校門跡。

どんな門柱が建っていたんでしょうか?
一応、チェーンで車等が入って来れないように規制していますが
バス停脇に車を停め、一声掛けて、(と、言っても誰もいませんが.......)
中に入ってみます。

校門跡へと向かうちょっとしたスロープの端は石垣。
その石垣には手形が残されています。


その手形のある石垣の上には石碑が並びます。

こちらが、大丹波分校跡地の碑。

しっかりと、『大丹波分校跡地』と確認できます。

こちらは、学校新築記念碑。

こちらも、しっかりと『学校新築』と読めます。


廃校から既に28年の月日が流れています。
校舎はとっくに解体され、現在は更地。
と言うか、一部はゲートボール場となっています。
要するに地区のちょっとした運動場となっているようです。


まともな遊具として残っているのは、滑り台。
はたして、28年前のモノだろうか?

こちらは、シーソーの一種だろうか?

こちらは、水飲み場。
コンクリートの荒れ具合からみて、廃校当時のモノでしょう。

おそらく、ここに国旗、校旗を掲げるポールがあったのでしょう。

今は、消防倉庫となっていますが、かつては、この場所に教員住宅が建っていたそうです。

帰り間際に、もう1度石垣の手形をじっくり眺めてみました。
先程は気付きませんでしたが、手形の脇に名前が書かれています。


政明くんに大介くん。
あやのちゃんになおきくん。
いつの時代の手形なのかは確認出来なかったけれど
過疎の波が激しいこの地区。
手形の4人は、今でもこの地で頑張っているのだろうか..................?
前日の12月6日、東京・稲城市の城址巡りに出かけたら
中央高速の稲城大橋を降りたところで雨............
最近、休みの日に出かけると雨にたたれることが多い。
よっぽど、日頃の行いが悪いのだろうか..................?
八王子の実家に転がりこみ、雨を恨みます。
あけて、7日のこの日。
かねてから行きたかった奥多摩に向けて、朝4時半過ぎに実家を出て
R16、青梅街道と下道を走り、向かった先は..................
奥多摩町立古里小学校大丹波分校跡
大丹波分校の詳しい沿革は、分かりませんが
明治10年に大丹波村輪光院に開設された大丹波学校が
その始まりのようです。
明治22年 大丹波村を含む近隣の7ヶ村が合併し古里村が発足する。
明治34年 古里尋常高等小学校に合併され、
古里尋常高等小学校大丹波分教場となる。
昭和22年 学制改革により、古里村立古里小学校大丹波分校と改称。
昭和30年 古里村が氷川町、小河内村と合併し奥多摩町発足。
奥多摩町立古里小学校大丹波分校となる。
昭和61年 児童数の減少により、本校に統合され廃校となる。
と、このような沿革となっているようです。
西東京バスの八桑バス停前が、かつての分校地。

遠目から見ても、それっぽく見えます。
大丹波集落を縦断するメインの道路(と言っても細い道です)に面していて
道路から見ても、いかにも学校があるって言う感じがします。

こちらが、校門跡。

どんな門柱が建っていたんでしょうか?
一応、チェーンで車等が入って来れないように規制していますが
バス停脇に車を停め、一声掛けて、(と、言っても誰もいませんが.......)
中に入ってみます。

校門跡へと向かうちょっとしたスロープの端は石垣。
その石垣には手形が残されています。


その手形のある石垣の上には石碑が並びます。

こちらが、大丹波分校跡地の碑。

しっかりと、『大丹波分校跡地』と確認できます。

こちらは、学校新築記念碑。

こちらも、しっかりと『学校新築』と読めます。


廃校から既に28年の月日が流れています。
校舎はとっくに解体され、現在は更地。
と言うか、一部はゲートボール場となっています。
要するに地区のちょっとした運動場となっているようです。


まともな遊具として残っているのは、滑り台。
はたして、28年前のモノだろうか?

こちらは、シーソーの一種だろうか?

こちらは、水飲み場。
コンクリートの荒れ具合からみて、廃校当時のモノでしょう。

おそらく、ここに国旗、校旗を掲げるポールがあったのでしょう。

今は、消防倉庫となっていますが、かつては、この場所に教員住宅が建っていたそうです。

帰り間際に、もう1度石垣の手形をじっくり眺めてみました。
先程は気付きませんでしたが、手形の脇に名前が書かれています。


政明くんに大介くん。
あやのちゃんになおきくん。
いつの時代の手形なのかは確認出来なかったけれど
過疎の波が激しいこの地区。
手形の4人は、今でもこの地で頑張っているのだろうか..................?
- 関連記事
-
- 廃校を訪ねて............氷川小学校境分校跡 (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) (2015/01/03)
- 廃校を訪ねて............日原小学校小学校 (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) (2015/01/02)
- 廃校を訪ねて............古里小学校棚沢分校跡 (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) (2015/01/01)
- 廃校を訪ねて...........古里尋常高等小学校川井分教場跡 (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) (2014/12/31)
- 廃校を訪ねて............古里小学校大丹波分校跡 (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) (2014/12/30)
- 廃校を訪ねて............南小学校高原分校 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) (2014/12/17)
- 廃校を訪ねて............韮山小学校奈古谷分校 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) (2014/12/13)
- 廃校を訪ねて...............福野小学校 (2014年11月21日)(千葉県君津市) (2014/12/11)
- 廃校を訪ねて.................蔵玉小学校 (2014年11月21日)(千葉県君津市) (2014/12/10)
スポンサーサイト
2014/12/30 Tue. 00:00 |
trackback: -- |
本文: --
| edit
| h o m e |